2 ブランケット・シティ-2
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ジキル・ド・クラウンは部下からの報告にひどく憤り、雷の如き激しい叱責を飛ばした。面長の顔面は血が上って真っ赤に染まり、髪の毛と同じく貧相な口髭は怒声に合わせて震えていた。
「たかが虫けら二匹を取り逃がしたなどと!軍人として、そのように情けない報告をせねばならぬ己が無能を恥じよ!竜騎士まで付いていて、何たる無様!デスペナルティは、こどもの使いをこなすレベルの人材すら枯渇したというのか?その体たらくで、魔族に迫害をもたらさぬ世界の再生など叶えられると思うか?愚か者めッ!」
発声に力を割いたものだから息が切れ、ジキルの痩身は肩が激しく上下していた。齢五十ともなれば体力的に下降曲線のまっただ中にあり、それは肉体的に頑健とされる魔族とて例外ではなかった。
主城の最上階を根城とするジキルは、この日も愛用している豪奢なローブの襟を立て、無駄に広い部屋で執務に当たっていた。デスペナルティは国家として精強なれど、首都ジーザスシティを離れれば政治的に問題も多く、ジキルに決裁を仰ぐ書類は机上で山積みとなっていた。そこへ部下が不甲斐ない結果を持ち帰ったものだから、魔族を代表するこの為政者は忍耐力が底を尽き、冷静さを失って感情的な激発を見ていた。
報告者はデスペナルティの大魔兵団で上位にある壮年の軍人で、頭は垂れたものの決して畏怖した様子はなかった。ジキルの怒声に向き合いつつ、軍人は淡々と作戦失敗の分析を披露した。
「敵がレジスタンスの山猿共だけであれば、これほどの醜態を晒すことはなかったでしょう。<アラヤシキ>を名乗るヒト型の魔獣が乱入しまして、戦場で無差別に暴れました。我らも、そして山猿共も等しく大きな被害を受けましてございます」
「・・・・・・で、その<アラヤシキ>とやらはどうした?」
「行方が知れません。対象の捕獲に向かった竜騎士の一騎が生還しておりますが、その者も早期に離脱してしまったため、対象と<アラヤシキ>が接触したかどうかを確認出来ていないとのことです」
ジキルは顎に節くれ立った指を当てて考え込んだ。<アラヤシキ>を送り込んだのはジキルであり、幾ら彼がデスペナルティで権勢を誇ろうとも、神獣と誼を通じているなどという事実が知れ渡っては、安穏と今の座に収まってはいられないとよく分かっていた。
ジキルは相次ぐ計算違いに腹立たしさを抑えられなかったが、それでも事後の必要な手を打つだけの客観性は別の側面に維持されていた。
「ええい、竜騎士団からはザシュフォード隊を出せ!大魔兵団は特殊部隊と三個中隊を引き続き捜索に回す!対象の星力は捕捉出来ているのだな?」
「はっ」
「もし対象が動きを止めたようなら、追加で竜騎士団の全騎を派遣してやる。ユアノンだろうが鳳凰市だろうが、あれを匿う輩はデスペナルティの総力でもって潰す。逃げるなら、地の果てまで追う。それだけだ!」
ジキルはそう吠えたが軍人に火が付いた素振りはなく、むしろ困惑を前面に出して問いを発した。
「・・・・・・しかし、グリンウェル副将の許可を得ず、こうも続けて竜騎士団を動かしてしまって宜しいのですか?ザシュフォードは閣下に心酔しておりますれば、彼に限って問題はないと思われますが・・・・・・」
軍人の指摘は命令系統に属する話で、本来ジキルの政治権力ではデスペナルティの本軍である大魔兵団を指揮することは出来ても、独立した連隊である虎の子の竜騎士団までは効力が及ばなかった。そのため軍人の指摘は適切であり、ジキルは歯噛みした。
(グリンウェルめがレジスタンスに通じていたなどと知られれば、竜騎士団だけでなく大魔兵団も動揺しよう。余計な詮索を招けば、それは即ち実験が表沙汰となる事態に繋がるやもしれん・・・・・・)
「責任は私がとる。・・・・・・それとも何か。貴様は、私の決定に文句があると?」
「いいえ。滅相もございません。このジーザスシティに、閣下に刃向かう者などいよう筈がありません」
「良いか。貴様等軍人が頼りにならぬと判断したなら、私は迷わずクアール・クレイドルを起用するぞ」
ジキルが口にした人名に反応し、軍人が直ちに眉をひそめた。そうしてその言葉の意味を考えるだに、軍人の顔から血の気が引いていった。
「・・・・・・承知いたしました。直ちに、ザシュフォード隊と大魔兵団の各隊を動かします」
「失敗するなよ」
ジキルは単調な脅しをかけると、手を振って軍人を下がらせた。そうして防弾処理の施された堅牢な窓の側へと近付き、硝子にそっと手を当てて心中で己を鼓舞した。
(私は間違っていない!まだ失敗していない!<始祖擬体>を完成させて、人間も魔獣も一掃してやる!我らが悲願を達成するため。我らの生存を脅かすあらゆる輩を、地獄の業火で完膚無きまでに焼き払ってくれる!・・・・・・たかが腕の一本、直ぐに取り戻してみせようぞ!)
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「ふーん。やっぱり、ユアノンの実力者ともなると、ガードが堅いですねえ。神殿のお偉方にもお目通りは叶いませんか?」
ブランケット市の旅亭の一室に集ったスヴェンソンとスミソニアへと、朧月夜が深刻さの欠片も窺えない口調で訊いた。それに対してスミソニアが申し訳なさそうな顔をして答えた。
「ごめんなさい。ユアノン全体の方針として、いまグラジオラス騎士団領の使者とは接触しないと断られてしまいました。おそらく、騎士団やスレイヤーズギルドも同様の反応を見せるかと思います」
「いいんですよー。別に、ノルマがあってやっているんじゃありませんから。それはそれとして、スヴェンはどうするんです?その腕、私が勝手して付けちゃったから、多少は責任を感じてたりしまして」
短い付き合いながらに、朧月夜は既に年上のスヴェンソンを略称で呼ばわっていた。それで他人を不快にさせない朗らかな雰囲気が、この女星術士には備わっていた。スヴェンソンもスミソニアも、朧月夜とシャマス・セイントには恩を感じており、それ故忙しい最中にあっても夜分にこうして二人を訪ねていた。
「いいえ。朧月夜さんには感謝しています。あのまま放っておかれていたら、僕は生きてはいられなかったでしょうから。・・・・・・この腕がジキル・ド・クラウンに探知される以上、出来るだけ人里から離れたところに逃亡しようかと思っています」
「ジキル・ド・クラウン・・・・・・デスペナルティの総統。なにやら魔族の帝王みたいなイメージがありますよね、シャマスさん?」
朧月夜の振りに、シャマスが無言で頷いて見せた。スミソニアは居ても立ってもいられないようで、朧月夜とシャマスにすがりつくようにして助言を求めた。
「スヴェンの潜伏先に心当たりはありませんでしょうか?弟一人がデスペナルティ軍や魔獣に追われるなんて、これほど惨いことはありません。おまけにユアノンの支援を受けられないとなれば、私も国を捨てて、弟と心中する覚悟で旅に出る以外に考えられません!」
「姉上!滅多なことを口にしないでください。大恩あるプレアデス様の顔を潰すような真似をしては、犬畜生にも悖るというものです。どうか姉上は姉上のお勤めを果たしてください。僕は僕で、必死に責を果たして見せます」
「でも、スヴェン・・・・・・」
スヴェンソンに諭されてもスミソニアは納得がいかないようで、ベッドに腰掛ける朧月夜や床に胡座をかいているシャマスを見つめる瞳に、強い哀願の光が込められていた。少女よろしく膝上に枕を抱えた朧月夜が「う~ん」と唸りながら考え、シャマスは黙って目を瞑った。
スヴェンソンは日中に、旧知のシンディへと別れの挨拶を済ませており、明日には星術学院を回って暇を請うつもりであった。姉が最後まで抵抗するであろうことは承知していたが、スヴェンソンはプレアデスへの敬意忘れたことがなかったし、デスペナルティや魔獣に反する行動をとること自体は寧ろ望むところであった。
(僕は恵まれている。こんなにも自分のことを想ってくれる人に囲まれているのだから。あの気が強いシンディですら、僕のために泣いてくれた。・・・・・・姉上を残していくのは心配だけれど、プレアデス様がいるのだから大丈夫だ。僕は最後まで、ジキル・ド・クラウンに抗って見せる。それが、父上や母上の無念を少しでも晴らすことに繋がる筈だから)
「シャマスさん。ドワーフの里は、スヴェンを助けてくれませんかね?」
朧月夜が思いつきを口にした。この東域には代々続く亜人の土地が存在しており、エルフ族の森を除いては何れも現存していると伝わっていた。
「・・・・・・偉大なるオルガノン王亡き後、里は一気に住人を減らした。ワシが知っている限りで、いまだ残っている者など百にも満たない。とても坊主を守りきれん」
シャマスが無念さを滲ませて語ると、スミソニアが前のめりになって突っ込んだ。
「では、グラジオラスは如何でしょう?スヴェンはこれで、優れた星術の使い手です。北域でもお役に立てるかと思うのですが・・・・・・!」
「そうですねー。私たちが所属する騎士団領とグラジオラスは、厳密には政体が異なるんです。どちらにせよ、デスペナルティの軍勢は兎も角、神獣の襲撃からスヴェンを守ってあげられるだけの戦力なんてありません」
「でも、<千刃>ラグリマ・ラウラがいらっしゃいますよね?あの方なら、<アラヤシキ>にも対抗出来るのではありませんか?」
「彼は・・・・・・ラグはいま、西域に出張中で不在なんです。彼のことだから、向こうでも魔獣とやり合っているかと思うので、いまの北域に<アラヤシキ>とぶつかれるだけの武力は無いかと。半年前なら南域がお勧めだったんですけど、現在は三魔神とかいう神獣たちとの戦争に明け暮れていると聞きますし・・・・・・」
朧月夜のつれない言葉に、スミソニアはがっくりと肩を落とした。朧月夜は困り顔でそんなスミソニアを眺めていたが、ふと思いついたように一つの提案をぶつけた。
「そうだ。スヴェンの行き先は一旦保留にしておいて。一つ対抗手段を考えてみました。スヴェン、左腕を出してくださいー」
朧月夜に言われるがまま、スヴェンは朧月夜と型式の同じ長衣の袖を捲って左腕を突き出した。もはや肌艶は結晶体ではなくスヴェンのそれで、一見してこれが義手に相当するものだとはシャマスですら思えなかった。
朧月夜はスヴェンの左腕にそっと触れ、皆の顔を大きな瞳で見回して言った。
「やはり、この腕を巡る星力の質と量は異次元な代物ですー。これを星術以外の武器に転用出来たなら、刺客を退けるのに大いに役立つかと思います」
「すみません、僕はあまり達者に剣を使えませんが・・・・・・」
「剣は剣でも、星力を威力に変える特殊剣とかならどうですー?ラグに聞いたのですが、ユアノンにはたいそう高名な剣匠がいるのだとか。気難しくて一見の仕事は請け負わないそうですが、なんと、ここにいるシャマスさんが知り合いなのです」
朧月夜が自信満々で勧めるその剣匠に心当たりのあるスヴェンソンが、俄然嫌そうな顔をするので、シャマスが眉を曲げて真意を尋ねた。
「変わった奴ではある。だが悪人ではない。・・・・・・奴が、お前たちに何かしでかしたのか?」
「それはありません。あの人はマキシム・オスロー様と親交がありましたから。九年前までは、オスロー様を訪ねてよく<光神>神殿に顔を出されていました。僅か一年ほどの間でしたが、私もよく神殿でお会いしました」
<不死>と恐れられた神官の名がスミソニアの口から飛び出して、それを聞いたシャマスの心臓が鼓動を大きくした。そしてふと、シャマスは己もスミソニアに会っていたのかも知れないと、遙か時間を遡り記憶を辿ってみた。
「・・・・・・剣匠クナイ氏は、姉上に幾度となく結婚を申し込んでいるのです」
「へ?」
朧月夜は情けない声を発し、シャマスも無言で目を丸くした。スミソニアは少しだけ頬を染めて俯き、スヴェンソンが語るに任せた。
「それがもう、しつこいくらいでして。クナイ氏は武器を造らせては超一流ですので、騎士団からの依頼は引きも切らず。それでも気に入らない相手が注文に来ると言葉すら発しないものですから、自ずと彼に応対する係は限定されます。・・・・・・ここブランケット市のそれが、姉上なのです。姉上がお願いすると、クナイ氏は何でも請け負って下さいます。その代わり、姉上があの辺境の工房を訪ねる度に、氏から熱烈なプロポーズを受ける羽目になり・・・・・・」
スヴェンソンの語り口から、朧月夜とシャマスは、剣匠クナイの想いがスミソニアに受け入れられていない類のものであろうと察知した。そして、クナイが実は魔族であることを知るシャマスは、なるほど容姿以外の理由もあって剣匠がスミソニアに求婚しているものかと納得した。
思いがけぬ交際が明らかにされたが、朧月夜の思いつきは実効性が高かろうと推測され、スミソニアを除いた一同は明日ブランケット郊外にあるクナイの工房へ足を運ぶことで合意した。




