2 ブランケット・シティ
2 ブランケット・シティ
ユアノンは東域でも有力な国家の一つであり、純粋な人間を構成員としたまとまった寄り合いの政体というあたりが実体を如実に示していた。首都であるブランケット市は人口十万人を超える商業都市として栄え、中でも軍需産業が抜きん出て発展していた。
ブランケット市には剣匠や工人のギルドが点在しており、そこで造られた武具は世界各地へと出荷され、諸国の騎士団やスレイヤーズギルドで重宝されていた。名だたる剣匠が打った剣ともなれば、家一軒、家畜十頭に匹敵する価格が付けられ、それでも取引が萎むことはなかった。
ユアノンに国王は存在しているが、あくまで外交・儀礼上の象徴としての立場に止まっていた。政治権力を握るのは、星術学院や<光神>神殿、騎士団にスレイヤーズギルドといった武闘派組織を束ねる実力者たちで、それら分散した力が互いに牽制し合うため、国家としての意志統一を過分に妨げていた。
スヴェンソンやスミソニアがユアノンで暮らす家は、部屋数だけで十を下らず、庭には噴水が設えてあり、裏手に回れば厩舎や馬場までもが備えられていた。ユアノンで最も威勢が良い実力者の邸宅に他ならず、それでも姉弟は萎縮などせず久方ぶりとなる帰宅を喜んだ。
「あっ!スミア様とスヴェン様がお戻りになられたわよ!」
「スミア様、お帰りなさいませ!スヴェン様も、やけに小汚い格好ですけど、ご無事でなによりです!」
メイドの若い二人、リリアとフースラが歓待の声を上げ、スヴェンソンとスミソニアを迎えるべく玄関先へと走り出て来た。それをお姉さんメイドのディアドラが「こら。はしたないわよ!スミアもスヴェンも逃げないのだから」と窘め、ゆっくりとした足取りで二人に続いた。
リリアとフースラが姉弟から荷物をむしり取り、ディアドラが「湯浴みの支度が出来てるから、先にどうぞ」とスヴェンソンたちを優しく迎え入れた。玄関先の騒ぎを聞きつけて、家令である初老の紳士が顔を出した。
「スミソニア。スヴェンソン。よく戻りましたね。一月ぶりですが、痩せましたか?」
「フォルドさん、ただいま帰りました。不躾ですが、プレアデス様は?」
「旦那様なら外出中です。ですが、直に戻られますよ。身綺麗にして、一服して待つと良いでしょう」
家令のフォルドにもそう勧められたので、スヴェンソンはダークブラウンの髪色をしたディアドラが案内するままに浴室へと直行した。そうして姉とは別々に湯浴みを済ませ、赤毛のリリアが出した室内着へと着替えた。リビングルームには銀髪のフースラが作った温かい紅茶が用意されていた。久方ぶりの我が家は、姉弟にとって天国のような居心地であった。
星術学院ブランケット支部の長であるプレアデスの邸宅では、家令のフォルドと三人のメイド、それとスヴェンソンとスミソニア姉妹が起居していた。多くの客をもてなす時には他に臨時の使用人を雇い入れることはあったが、基本は七人で一つの疑似的な家族を形成していた。
スヴェンソンが一息ついたところでプレアデスが帰宅し、姉弟からの報告は彼の私室で為されることとなった。正面階段を上がって二階の右奥にプレアデスの私室はあり、壁の二面が足下から天井まで巨大な書棚と化している研究室と見紛う佇まいであった。
賢者という呼称に似つかわしくない恵体をどっしりと椅子に収め、プレアデスは銀色の長髪をかき上げて姉弟にも座るよう促した。深い碧色をした瞳はその光の奥に底知れない威圧感を包含しており、四十前という壮年に相応しい以上の威厳を匂わせていた。
「よくぞ生きて帰ったのう。スミアにスヴェン。レジスタンス経由で報告は聞いている。苦労を掛けた」
「とんでもございません、プレアデス様。私と弟の未熟により、いただいた任務を十全に果たすことが叶いませんでした。責任を取らせていただきたく、この私に然るべき罰をお与えください」
「お待ちを!プレアデス様!そもそも任務を拝受したのはこの僕です。姉上は同行しただけで、何ら関係ありません。此度の失敗の責任は僕に帰属するものと断言いたします。どうか罰は、この僕にお与えくださいますよう」
「スヴェン、黙りなさい。私がプレアデス様とお話ししているのです」
「いいえ。そもそも姉上は、この件については主体ではありませんから。僕がプレアデス様にご報告申し上げますし、責任も取らせていただきます」
「・・・・・・スヴェン!お姉ちゃんの言うことが聞けないのですか?」
「姉上はそうやって、いつだって僕を甘やかそうとする。僕ももう二十歳の男です。いつまでも姉上に迷惑を掛け続けているわけにはいかないのですよ!」
姉弟が責任の擦り付け合いならぬ自己犠牲ぶりを露わにして喧嘩など始めたもので、プレアデスは卓上に肘をついてそれを悠然と眺め続けた。やがて話に終わりがないと判断し、豪快な笑声を発することで一区切りとした。
「わっははは!相変わらず天晴れな姉と弟だのう!儂は別に、お前たちを責めるつもりなどないぞ。意外な形ではあったが、任務は無事に果たされた。ジキル・ド・クラウンの野望がひとまずの挫折を見たのだから、これを誉めこそすれ糾弾する理由なぞない。よくやってくれた」
スヴェンソンとスミソニアは椅子に腰掛けたまま、プレアデスへと深く頭を垂れた。保護者であり、恩人とも言えるこの賢者の言葉は姉弟にとって絶対であり、プレアデスが自分たちの働きを認めてくれたことは二人にとって何より喜ばしいことであった。
「・・・・・・逆に、魔族の巣窟に潜入して破壊工作に従事するなど、儂の方こそお前たちに無理をさせて済まなんだ。ユアノンでの立場があるでな、儂もこの作戦で失敗するわけにはいかなかった。だからこそ、スヴェン。お前に声を掛けざるを得なかったのだ」
「有り難きお言葉。このスヴェンソン、プレアデス様の命であれば例え火の中水の中、如何様な地獄にも身を置く所存でございますれば」
「こらこら。人聞きが悪かろう。儂がそのようなところにお前を派遣するとでも思うか?・・・・・・とはいえ、状況は少しばかりお前に酷なものとなりそうだ」
プレアデスは大きな溜息を付き、ローブ越しにスヴェンソンの左手へと視線を送った。それに気付いたスヴェンソンは、袖を捲って己が体に同化した左手を見せた。それはいまや透明な結晶ではなく、スミソニアの目にも確かな血の通った腕と映った。
「ジーザスシティで内通者より預かった星力の結晶体です。元より腕型をしていたのですが、レジスタンスのアジトで神獣の襲撃を受けた折りに・・・・・・」
「よい。プラズマから聞いている。あれは中々に優秀な男でな。ゆくゆくはコールドマンの後を継いで、レジスタンス組織の長ともなろう。・・・・・・見れば分かるが、それは既にお前の一部と化したようだ、スヴェン。無理に切り剥がせば、お前の命に関わるだろう」
プレアデスが物騒なことを口にするので、スミソニアの麗顔が一気に青ざめた。スヴェンソンは口惜しそうに俯き、意を決してプレアデスへと具申した。
「プレアデス様。僕の命で済むなら安いものです。この腕を切り離して、お預かりしていたブツをお納めいたします」
「馬鹿者!そういうことを言っているのではない。・・・・・・魔族ならではの、適応力というものなのだろうな。死に瀕したお前の体が、多量の星力を有する器具と融合することで生命活動を繋がんとした。もちろん、それを物理的に演出した星術士の腕も良かった筈。そもそもからして下手に隠せる代物ではないのだが、それの行く先々にお前が付いて回らねばならない点を厄介だと言いたいだけだ。星力結晶体、もといスヴェンには、すぐさまユアノンを離れて貰う」
「プレアデス様!スヴェンに・・・・・・弟に過失があるようでしたら、私が肩代わりしたく存じます!」
「スミア。そうではないと言ったろう?その結晶体は質の良い星力を発散し続けている故、ジキル・ド・クラウンの星術探知に引っかかるのだ。奴はそれを死に物狂いで取り戻しに来る。それこそ、デスペナルティの全軍を挙げてだ。情けないが今のユアノンには、デスペナルティや神獣との全面戦争に及ぶ準備などないのだ。結晶体とスヴェンが一体化している以上、それをユアノンから遠ざけたくばスヴェンも付き合うしかない道理だ」
「・・・・・・でしたら、私もスヴェンに付き添ってユアノンを離れます」
「それは認められん。・・・・・・やはり神官どもは扱いにくくてな。スミアが不在にしていた間だけでも、問題は山積している。お前は直ぐに神殿へと戻り、儂の意向が通るようクソ坊主共の考えを誘導してもらいたい」
プレアデスが決定事項として申し渡すと、それを断れないスミソニアは瞳を潤わせてスヴェンソンを見た。スヴェンソンは力強く頷いてみせ、スミソニアに「心配は要りません、姉上。これで僕だって、プレアデス様の一番弟子なのですから」と彼なりの覚悟を伝えた。
「悪く思うな。時期までは確約出来ぬが、ジキル・ド・クラウンを出し抜く計画自体はある。それまで、その腕を奴に渡さぬようスヴェンには逃げ延びて貰う必要がある」
「はい」
「プレアデス様。スヴェンは・・・・・・弟は、どこに逃げれば良いのでしょう?何処か当てがありましょうか・・・・・・」
プレアデスは目を瞑り、ただ口を真一文字に結ぶことで己が苦しい心情を吐露した。元より、星術探知にかかる中で竜騎士団や神獣の追っ手から逃亡することなど難儀であると分かっており、それでもプレアデスはユアノンの為政者としてスヴェンソンを手放さざるを得なかった。逆にそれをしないのであれば、ここでスヴェンソンの腕を切り離して、然るべき場所に隠すなり破壊するなりを選択せねばならなかった。
姉弟を十年に渡り保護してきたプレアデスにとって、二人の正体が魔族であることなど家族として見るに障害ではなく、今回の密命とて達成の可能性が最も高いと思ったからこそスヴェンソンに命じていた。プレアデスは一から十まで姉弟の味方であったし、これからもそう在り続けることに疑いはなかった。それでも、今がジキル・ド・クラウンと決着を付けるタイミングではないという政治的判断に基づき、それでいて魔族であることを隠して暮らすスヴェンソンに過大な協力を約束することは、ユアノンにおける自身の立場を考えればリスクでしかなかった。
そうした事情を三者が共に理解していたからこそ、そして家族の情が強固であったがため、室内にどうしようもなく重く沈んだ空気が流れた。スヴェンソンは自分の腕として同化した結晶体の背景を尋ねたくはあったのだが、プレアデスが「それをジキル・ド・クラウンに渡すな」としか説明しなかったので、今はその真相を知る必要がないのだと、師であり義父でもある賢者の心中を忖度して黙った。
そういえばと、スミソニアが思い出したように一つの依頼を口にした。
「プレアデス様。<アラヤシキ>を名乗る神獣から私たちを助けてくれたグラジオラス騎士団領の方々が、プレアデス様に面会を希望しているのですが・・・・・・」
「それはならん。その者らは戦闘指導を口実にレジスタンスへと接触し、真の目的はスカウト活動だったと聞いている。剣導プラズマが勧誘されたという確かな報告もあった。グラジオラスのラグリマ・ラウラが何を考えて旗揚げしたかまでは分からぬが、ユアノンが彼の野心に付き合う義理は今のところない。勿論、お前たちを助けてくれたことに個人的に礼を言いたくはある。だが、儂の立場でおいそれと会うことは出来ぬのだ」
プレアデスとの話はそれで一段落し、姉弟は素直に下がって一眠りすることにした。疲労した身ではベッドの心地良さに全く抗えず、二人は瞬時に寝入るとそのまま泥のように眠った。
スヴェンソンとスミソニアがリリアとフースラに勢いよく叩き起こされた頃には、既に日が一周して翌日の朝を迎えていた。半日を睡眠に費やしたことで姉弟は英気を養い、ディアドラ特製のシチューとパンをいつにも増して堪能した。
「・・・・・・スヴェン。シンディには、会いに行くのでしょう?」
ダイニングテーブルで紅茶を啜りながら、スミソニアがしれっと尋ねた。プレアデスからスヴェンソンに対し、フォルド伝で二、三日の滞在猶予が与えられていたので、スミソニアはその時間の使い方に関して指摘していた。
ブランケット市で人気を誇る歌姫の名が出て来たことで、十代のリリアとフースラが途端に瞳を輝かせた。当のスヴェンソンは素っ気無い顔をして姉の問いに答えた。
「どうでしょう。旅支度をしなければならないですし。行き先にも当たりを付けておく必要があります。残された時間は貴重ですから・・・・・・」
「ダメですよ。シンディのところに顔を出さないと許しません。準備なら、お姉ちゃんも徹夜して手伝いますから」
「えっ・・・・・・。姉上は今日から神殿に出仕でしょうに」
「ですから、徹夜してスヴェンの荷造りや旅程の策定を手伝うと言っているのです。良いですね?今日はシンディを訪ねること。ディアドラ。買い物ついでに、スヴェンが華劇座に足を運ぶよう付き添ってあげてください」
「了解よ。スヴェン、このディアドラお姉様が付いていってあげるから、しっかり彼女に挨拶するのよ?」
スミソニアとディアドラは歳が同じということもあってとても仲が良く、スヴェンソンにとってディアドラは二人目の姉のような存在であった。その姉二人に詰め寄られたものだから、スヴェンソンに反抗なぞ出来ようはずもなかった。リリアとフースラは、「スヴェン様、やっぱりシンディと付き合ってたんだ!」だの「道理でお誕生日に、あのシンディから大きなお花が届けられたわけよね・・・・・・」だのとキャッキャと二人で騒ぎ立てた。
ダイニングルームにフォルドが現れ、メイドたちに仕事をするよう軽く小言をくれてやり、それで遅めの朝食風景は解散となった。スミソニアは神官服に袖を通して<光神>神殿へと出向き、スヴェンソンは宣言した通り、旅に入り用となる物資を見繕うため商店街へと足を運んだ。
スヴェンソンにはディアドラが連れ添い、彼が華劇座の楽屋を訪ねるところまでしっかりと監視は続けられた。




