1 青い血の姉弟
【魔獣と滅びゆく世界の戦記】
本章第二部「狂姫乱舞し、終わりの鐘を鳴らす」
1 青い血の姉弟
「姉上、もう逃げられません!ここで戦いましょう!」
地下水路の点検道をひた走る青年が近付く複数の足音を聞きつけ、前を行く女へと声を掛けた。
「なら、当然お姉ちゃんが盾になりますね」
白地に金色の聖紋があしらわれた神官服を着込んだ女は足を止めると、狭い通路で器用に青年との位置を入れ替え、迫り来る追っ手と向き合った。徒手空拳で構えるあたり武道の心得はあるようで、握る拳からは練られた星力の青白い光が零れ出ていた。
「姉上!戦闘は僕に任せて、下がっていてください!」
「駄目です。スヴェンは星術士なんですから、後ろから援護してくださいな」
そう言って、神官戦士ことスミソニアは、黒みを帯びた紫色の長髪をなびかせて振り返り、スヴェンこと弟のスヴェンソンへとにこやかな笑顔を向けた。口調とは裏腹に、スミソニアの薄紫の瞳には真摯な光が宿っていた。それは近い戦闘への緊張感の表れを意味していた。
姉弟故に、庇われた形のスヴェンソンの髪や瞳の色はスミソニアに酷似していた。スヴェンソンの装いは星術士に特有の長衣と粗末な外套という組み合わせで、中性的で繊細な顔立ちながらに、暗がりから向かって来るであろう敵を睨みつける眼光は鋭かった。
敵の目印となることを避け、スヴェンソンは直ちに星術の人工光を消した。地下水路は一気に暗闇に覆われ、ただ威圧的な足音だけが鳴り響いた。姉弟の視線の先、遠く離れた地点において、松明のものと思しき淡く小さな光がちらちらと揺れて見えた。
「姉上。狭い通路だから、雷撃を直線に飛ばします。無駄な殺生は控えたくはありますが、手加減している余裕はありません」
「はい。スヴェンの星術に耐えた敵を、お姉ちゃんが端から殴り倒します」
「くれぐれも、無理はしないように。次の星術までの時間稼ぎで良いのですから」
「はいはい。スヴェンは心配しいですね」
「姉上。僕らにこれを託して、牢から逃がしてくれたあの人たちの恩に報いなければなりません。慎重に慎重を重ね、そうしてここから生きて帰るのです」
「・・・・・・そうですね。あのドワーフさん、生きてはいないでしょうし」
「来ました!」
スヴェンソンが言った通りに、ガシャガシャと甲冑の音を響かせ、闇に浮かぶ十数個の松明の明かりが近付いてきた。通路は成人がどうにかすれ違える程度の狭さであったので、迎撃する側のスヴェンソンからすれば格好の的であった。
(奴らの星術防御は承知の上。今はこれの力を信じて、増幅させた雷撃で一気に片を付ける)
スヴェンソンは背負った包みの重みを今一度確かめ、そこから確かな星力が自分へと流れ込んでくる様を実感した。そうして、準備していた雷撃の星術を発動させた。
雷光一閃、地下水路一帯を眩い光が埋め尽くした。それと同時に、激しい炸裂音がその場に居合わせた全員の鼓膜を強烈に叩いた。スヴェンソンが放った雷撃は姉弟を追ってきた重甲冑の騎士を直撃し、威力は後列まで余すところなく貫通した。空かさず、今度は視界を確保するべく、スミソニアが天井付近に光球を具現化させた。倒れていない騎士が二人、よろめきながらも剣を手に姉弟へと向かってきた。
スミソニアは先頭の騎士が繰り出した突きを危なげなく避けて見せ、仮面で守られた敵の顔面へと真っ直ぐに拳を打ち付けた。星力の込められた拳打は仮面を砕き、鼻を折られた騎士がよろけて横を流れる水路に落下した。水しぶきが上がるのも束の間、もう一人の騎士がこちらは腰溜に剣を構えて対峙してきた。それを見たスミソニアは、これは名のある流派の技かもしれないと警戒の意識を高めた。
「・・・・・・ユアノンのスパイめ!大人しく盗んだブツを返せ!そうすれば、苦しまぬよう楽に殺してやる」
全身が武装された最後の騎士はそのまま突撃してくるのではなしに、低い声でスミソニアを恫喝した。スミソニアの背後に星術士が隠れていることは知っているようで、じりじりと足を擦っては間合いを少しずつ詰めていた。
「あら?デスペナルティの国是は、魔族に迫害をもたらさぬ世界の再生、ではありませんでしたか?」
「敵に寝返った同族は、断じて仲間として認めん!貴様等もユアノンも、我ら竜騎士団が世界再生のため根絶してくれる」
「お供の竜がいないようですけれど、出来ますかね?ここはお互い命が惜しいということで、痛み分けで双方撤退するというのはどうでしょう?」
スミソニアは慈愛に満ちた笑顔を差し向け、敵騎士に翻意を迫った。その遣り口に悪意などなく、彼女の美貌と美声は、祖国に絶対の忠誠を誓う筈の敵騎士を僅かながら動揺させた。間合いを詰める足運びを止めた騎士は、仮面の隙間から探るような目つきをスミソニアへと飛ばした。
「・・・・・・お前たち、このまま逃げられると思うのか?ユアノンへと続く出口には既に別働隊が向かっている。ここを切り抜けられたとて、地上へ出た瞬間に囲まれるのが落ちだぞ」
「それは困りましたね。何とかブランケット市に帰りたいのですが・・・・・・」
「盗んだブツを渡して降伏しろ。以後、ジキル・ド・クラウン様に忠誠を誓うと言うのなら、この私ザシュフォードが騎士の名に懸けて上手く取り計らってやる。命を拾える可能性があるのは、それだけだ」
甲冑の騎士ザシュフォードからの申し入れに、スミソニアは美麗な顔を一転暗くさせた。それを見たザシュフォードは和解が破談したことを瞬時に悟った。
「ジキル・ド・クラウンは・・・・・・駄目です」
ザシュフォードは地を蹴り、剣を腰溜めにしたままでスミソニアへと迫った。スミソニアはザシュフォードの剣が下段からの斬り上げであると判断し、下がるのではなく自ら間合いを詰めて着弾点をずらす対策を取ろうとした。
「無駄ぁッ!」
ザシュフォードは向かってきたスミソニアの戦術を見抜き、足腰で踏ん張って強引に踏み込みを止めると、そこから先んじて斬り上げを見舞った。当てが外れたスミソニアは、天性の柔軟性を活かして体を捻り、倒れ込むようにしてザシュフォードの剣を避けた。まさしく間一髪であった。
だが、ザシュフォードは並の剣士ではなく、振り上げた剣をそのまま次の切り落としに繋げ、転がったスミソニアへの止めと変化させた。スミソニアは斬られることを覚悟して、少しでも傷を浅く止めるべく星力を高めた。
「うがッ!?」
ザシュフォードの全身を二度目の雷撃が撃ち据えた。間に合ったのはスヴェンソンの第二射で、金属の鎧に身を包んだザシュフォードは声にならぬ苦悶の呻き声を漏らしながら倒れた。
「姉上!お怪我はありませんか?」
「だいじょうぶ。ありがとうね、スヴェン」
スミソニアは神官服に付いた汚れを払いつつ立ち上がり、壮健を示すようにガッツポーズを取って見せた。ほっとしたスヴェンソンは急に力が抜けたことで地に膝を付き、荒くなった呼吸を整えるのにしばしの時間を要した。スミソニアはそんな弟の背を優しくさすってやり、さらに頭を撫でて労った。スヴェンソンはもはや二十歳の成人男性であったが、五歳年長の姉からそうして甘やかされることに何ら疑問を抱いてはいないようで、常日頃からスミソニアは「ほんとう、仕様のないお姉ちゃんっ子なんだから」と微笑みながらこぼしていた。
東域の地下には古代文明によって築かれた水路が網の目状に張り巡らされていた。姉弟はデスペナルディの首都であるジーザスシティを脱出して水路伝いにユアノンへと近付き、最終的にブランケット市に帰還することを目指していた。しかし、先ほどのザシュフォードの言葉からその経路が読まれていると分かったため、即座の方針の変更を迫られていた。
「手持ちの糧食がなく、続く追っ手の心配もあります。ゆっくりしていられませんから、今すぐ行き先を決めましょう。このままユアノンを目指し、プレアデス様が援軍を出して下さっていることに賭けるか。それとも他国を経由して、遠回りでのユアノン入りを果たすか。どうでしょう、姉上?」
「スヴェンはどう思うの?」
「前者は・・・・・・正直なところ、望み薄かと思います。隠密任務ですから、プレアデス様といえど表立ってはブランケット市の兵隊を動かせないでしょうし。何より、僕らがジーザスシティに捕まってから、連絡を入れられていません。ちょうどこのタイミングで救出に動いてくれているというのは、虫が良過ぎる考えかと」
「そうですね。それなら、どのあたりから地上に出ましょう?確かこの水路は三カ国に跨がっていたはず。どの出口にしてもユアノンには直接繋がっていないのだから、近い遠いは気にしないで安全なルートを選ぶべきかと思います」
「デスペナルティの軍隊が進入しない先なら、一つです。鳳凰市。これしかありません」
「・・・・・・永世中立国。確かに鳳凰市なら、デスペナルティもおいそれとは手出し出来ない筈。でも、あそこは来る者は拒まずの姿勢だから、少数精鋭の追っ手は差し向けられるでしょうね。ジキル・ド・クラウン直属の暗殺部隊とか・・・・・・」
「・・・・・・姉上に暗殺者など差し向けて来たなら、僕が返り討ちにしてやります!」
「ありがとうございます、スヴェン」
姉に誉められたことで、スヴェンソンの矜持は即座に満たされた。背負う包みの重さが軽くなったように感じられ、疲れた体に活力が湧いて出てきたとも思われた。姉を前にしては、スヴェンソンは至極単純で純朴な青年であった。
行き先を定めた二人はしっかりした足取りで逃避行を再開した。残された騎士のうち、ザシュフォードだけがそれほどの時間を経ることなく意識を取り戻した。彼は全身の痛みからすぐに活動を開始することは出来なかったが、追跡対象たる姉弟の抵抗を思い返し、偏執的な怒りで精神を高ぶらせた。
魔獣が席巻する世界。人間や亜人は概ね共闘して魔獣に抗っていたが、この東域においては些か事情が異なった。
魔獣の猛攻以上に、東域では魔族の隆盛が著しかった。一時、アリス・ブルースフィアの英雄軍が活躍していた折りには、魔族もまた代表者を複数人供出し、人間や亜人との関係性は小康状態にあった。しかし、<不毛の谷>でアリスが倒れ、英雄軍が帰らぬという悲劇的な結果を受けて、世界は絶望に包まれた。その空気は東域に極端な種族主義の勃興をもたらした。魔族や獣人といった元来好戦的な種族は武力にものを言わせ、人間や人間に好意的なドワーフ族、妖精族、エルフ族などを標的として闘争を開始した。
いま現在、魔族の統一国家であるデスペナルティが東域に覇を唱えつつあり、諸種族・諸国を代表してユアノン一国が辛うじてそれに対抗する姿勢を貫いていた。デスペナルティ対ユアノン。魔族対人間。そうした縮図が出来上がったことで、東域から対魔獣の火は消えつつあった。




