エピローグ
エピローグ
闇夜に浮かぶ青白い光は鈍く燻っており、星力が走った跡を丁寧になぞっていた。樹霊剣が切り裂いたあちらこちらの瓦礫の裏には何者の姿も確認できなかったが、リージンフロイツはそこに確かな気配を感じ取っていた。
聖都プロセルピナの北西部。このあたりにはラナン・クロス共和国やゼオーラ同盟から派遣されてきた戦士はおらず、一面が無人のゴーストタウンであった。その筈であった。
月の光が細身で肌の白いリージンフロイツをぼうっと浮き上がらせ、人影は他に何もなかった。それを否定するべく、エルフの娘は透き通るような涼やかな声をどこへともなく向けて発した。
「出てきなさい。いるのはわかっているわ。別に力ずくでやってあげても良いのだけれど。リア・ファール大陸の森を無闇に枯らせたくはないのよね」
予告無しに、星術によるものと思しき不可視の結界が解除され、金属が割れるような硬質的な音が周囲に響き渡った。そうして何もなかった空間に突如、何者かの影が微風を伴って出現した。リージンフロイツは面識こそなかったが、この相手がエリザベス・ルプルグやレイフ・ヤタガラスから聞かされていた幻獣<ファンシー>であると看破した。
「あなたが<ファンシー>ね。ヤタガラス中尉からは、凄腕の星術士に射殺されたと聞いていたのに。それがどうしてこそこそと、こんなにも寂しい場所を彷徨いているのかしら?」
『汝を待っていた。<始祖貴婦人>に関わりし森の娘。我は道化なれど、真なる始祖、彼女の旗を仰ぐもの。汝らがグラジオラスに彼女を囲っていることは既知である。それでいて何故<始祖擬体>を見逃している?あれは、彼女を脅かしかねない危険な存在である』
「・・・・・・なるほど。三魔神による暴虐を止めたいが為にノゾミを標的としたのではなくて、自分の都合で抹殺したかったと白状するわけね。致死レベルの攻撃を受けても復活しているところを見ると、強度の自己修復機能を備えているのかしら?」
『回答する必要性を認められない』
「なら私も黙るわよ?そもそも今更出てきて愚痴る位なら、どうしてはじめから自分で手を下さなかったの?まさか幻獣が、人間の星術士や出来損ないの擬体を恐れたとか言わないわよね?」
<ファンシー>の表情に目立った変化は表れず、額に直立する一本角が月明かりを浴びて異様な存在感を露わにしていた。引き締まった筋肉質の肉体に傷痕の類は見られず、一見すると精悍な青年闘士とも映った。
リージンフロイツは<ファンシー>の力を過小評価してはおらず、星術感知に何者かが引っかかった時点から、心持ちは常に臨戦態勢であった。しばらく沈黙がその場を支配し、焦れたリージンフロイツが問答無用で戦闘を開始しようとした矢先に、<ファンシー>が口を開いた。
『プロセルピナには余人の侵入を阻む結界が幾重にも構築されていた。今はそれが薄まったため、インサニティにこそ近寄れぬが、こうして都市の内部にまで足を運べた』
「だから?侵入者は排除するわ。そこに例外はない」
『彼女の意志を聞かせてくれ。擬体に対して、どのようなお考えをお持ちなのか』
「知らないわよ。リア・ファールのごたごたに首を突っ込んだのは私の独断だもの。ノゾミが新たに魔獣を創造出来ようと、それはこの大陸の人々の問題。私はただ、好き勝手する神獣を捨て置けなかっただけ。一匹は倒した。まだあと二匹いると聞いたから、それらを打ち砕いて北域に帰るわ」
『無謀だ。<アガレス>はグルファクシーの騎士団がそれなりに消耗させていた。<ダンダリオン>もフラガラッハ軍との激闘を経て星力を減らしている。だが、<カイム>は違う。汝、全力の神獣と当たったことはあるか?その戦力は想像を絶することだろう。今ならまだ間に合う。<始祖擬体>を伐てば、三魔神の攻勢は当面なくなる』
「やはりノゾミに拘るのね。人造魔獣の存在が具体的にどういった脅威をもたらすと言うの?神獣が敵視するくらいだから、私たちに有利に働くとしか思えないのだけれど」
『あれは<始祖貴婦人>の力の一部を盗み取る存在。世界の星力量が限定された以上、あれが活動を開始すれば、その分彼女の力が減少する。彼女が再び眠りにつけば、もはや神獣を止めることは叶わなくなろう』
「面白い話をしているわね。私にも聞かせてもらえるかしら?」
闖入者に対し、リージンフロイツと<ファンシー>は同時に仰天の反応を見せた。桃色の髪を暗闇になびかせ、暗紅色の瞳から静かな殺気を放つその主は、<火の騎士>ファラ・アウローラ・ハウに他ならなかった。
ファラは外套の下に軽甲冑を着込んでおり、その手には火星剣が握られていた。問答していた二人は彼女の様子を見て、決して自分たちに対して友好的な態度を取るものではないと理解した。
リージンフロイツがファラへと登場の意図を尋ねた。
「ファラ・アウローラ。アルカディアの騎士団を抜けたと聞いているけれど。あなたが、どうしてここに?」
「魔獣の気配を感じたから。問答無用で斬って捨てるわ」
「まだ私が詰問している最中なのだけれど?」
「余所者である貴女も信用できない。<始祖貴婦人>とは?貴女は一体何を隠しているの?」
「魔獣の祖と目されているのが<始祖貴婦人>よ。付番零の、大物の神獣ね。かつてアリス・ブルースフィアとラグリマ・ラウラによって伐たれたのだけれど、今はグラジオラス騎士団領で軟禁状態にある。その<始祖貴婦人>の力を用いて、北域や西域に潜む神獣を一掃する大掛かりな作戦が計画されているの」
ファラは、リージンフロイツがあっさりと答えたことに意表を突かれた様子で、一度目を丸くさせてから改めて表情を引き締めた。
「それで。<ネキオマンティア>が生み出したとかいう、擬体との関係は?」
「それを、この幻獣に訊いていたのだけれど?・・・・・・どうやら、<始祖貴婦人>とノゾミは扱える星力の源を一つとするみたいね。それでこの幻獣としては、紛い物であるノゾミの方を処分したいと」
ファラは今度は<ファンシー>の方を向き、火星剣を突き付けて迫った。剣先にも星力が乗っていたので、ファラの気勢が嘘ではないとリージンフロイツにも伝わった。
「獣。こそこそと暗躍してくれたわね。魔獣は全て敵。ここで私が引導を渡してくれる」
『この大陸では、魔族は我らと同程度に敵視されている。特定危険敵性体ファラ・アウローラ。汝はそれでもこの地の人間たちのために、我らと戦うというのか?見返りは何もないというのに?』
<ファンシー>の指摘に、ファラの血相が変わった。暴力的な星力が溢れ出し、ファラの周囲で青白の光が渦を巻いた。その圧力はリージンフロイツすらたじろがせるに十分であった。
ファラの剣の走りはリージンフロイツの目にも追えなかった。気付いた時にはファラの剣が<ファンシー>の拳と撃ち合っており、剣と拳の応酬は瞬く間に数十合へと積み重なった。ファラが舞うようにしてふわりと空中に飛び上がるや、そこから繰り出された斬り落としは星力の爆撃とも言える必殺の威力を見せつけた。周囲に爆音と衝撃波とがまき散らされ、地面には巨大なクレーターが出現していた。
<ファンシー>はさすがにダメージを負ったようで、驚異的な脚力で大きく跳躍して後退し、そこで星術方陣を起動させた。ファラはそれをも追撃しており、<ファンシー>の星術が先か、ファラの無慈悲な剣撃が先かというタイミングの勝負に持ち込まれた。
「リア・ファールの敵は、速やかに消えろ!」
『<始祖擬体>の存在は世界の調和を乱すのだと、何故分かろうとせぬ』
発声と共に、お互いが技を放った。リージンフロイツはその光景を黙って見守った。彼女にとって<ファンシー>は単なる侵入者であり、ファラのことも味方とは計算できないいち闘士であると認識していた。
<ファンシー>とファラがぶつかった後には、ただ残留星力が煙る以外に何も残らなかった。無人の空間が寂しく広がり、リージンフロイツは漂う星力の残滓から一つの決着を予想した。
(<ファンシー>が構築したのは空間転移の星術。ファラ・アウローラと自分を何処ぞへと飛ばした。・・・・・・というより、何か致命的な現場を見せて、体の良い駒にでも育てようと思ったのかもしれない。まあ、今はどうでもいいわね)
問答から始まった戦闘が急展開を見せ、今やリージンフロイツの周囲は喧騒とは無縁であった。リージンフロイツは樹霊剣を腰の鞘に収めると、小さな光球を作り出して松明の代わりとした。そして何事もなくなったこの地に興味を失い、インサニティへと戻ることにした。
待ちかまえていたかのように、野営の地に戻ったリージンフロイツをニナリス・ボルジアとパウロ・バニシングの二人が訪ねた。給仕役の闘士から温かいミルクを受け取り、天幕の内で暖をとっていたリージンフロイツは、うるさ型の登場にいささかげんなりさせられた。
「いたいた。ちょっと、リズ。貴女がいないと、バニシング氏のセクハラが私に集中して酷いのよ。いなくなるならそうと、ちゃんと事前に教えて」
「ちょっとくらいいいじゃないか。俺は断然、ニナリス派だもんよ」
「私はレイフ様のことが好きなの。こんな無精髭の四十路男なんて、ごめんだわ!」
罵られたパウロが目に見えて肩を落としたため、リージンフロイツは微かな笑いを誘われた。ふと思いついた疑問を、リージンフロイツはそのままニナリスへとぶつけた。
「ヤタガラス中尉にはクインシー中尉がいるでしょう?ニナリスは、彼が振り向いてくれるまで諦めないの?」
「当然よ。レイフ様より大事なことなんて、もうないんだから。・・・・・・お父様は死んじゃったし、マテウスも全壊だって言うし」
「・・・・・・そう。大事なこと・・・・・・ね」
急に神妙な様子を見せたリージンフロイツを気遣って、ニナリスが彼女の顔を覗き見た。パウロは何も言わず、平静を装っていた。
リージンフロイツは英雄ラグリマ・ラウラと行動を共にしていたが、改めて自身に理由を問うと、そこに確固たる意志が存在しないようにも思われた。シンプルにレイフを慕っていると表明するニナリスが、リージンフロイツにはとても眩しく映った。
リージンフロイツは故郷の里を、魔獣の襲撃ではなく魔族や獣人との種族抗争で失っていた。その為、魔獣は直接的な仇というより世界共通の敵であるという認識を持ち、恨み辛みが募っているというものでもなかった。無論、エルフ族の姫たる<燎原姫>ことエレオノールが命を奪われたことや、歴史上多くの同胞が犠牲になったことは承知しており、魔獣を打倒すべしという気持ちは十二分にあった。
しかしながら、ラグリマが魔獣掃討に抱く執念と比べるとリージンフロイツの動機は質が異なるような気がしてならず、彼女は常に不安と共に過ごしていた。
「リズ?」
「・・・・・・ううん。何でもないわ。ヤタガラス中尉、次の交替人員リストに名前があったから、近い内に再会できるわね」
「ええ。・・・・・・ま、ボルジア家の後ろ盾が弱くなっちゃうから、私に対する当たりも強くなるかもしれないけど。私、クインシー中尉と違って芯が何もないから。その場凌ぎだけで、生きてきたから」
「そんなことはない。少なくとも、ニナリスの星術は絶品よ。インサニティ周辺に張り直した結界なんて、貴女の力が無ければどうしようもなかった。それだけのことをやってのけるのに、かつて努力の一つもしてこなかったなんて、絶対に有り得ない。血の滲むような研鑽があっての技だわ」
リージンフロイツが手放しで誉めるので、気恥ずかしさを覚えたニナリスはそっと視線を外した。これまで追従する者は数多くあったが、こうして自分が身一つに近付いた上で、それでも評価されるというのは単純にうれしかった。パウロが「ニナリスは顔もプロポーションも抜群だぞ。すごくそそる」と追随するが、これにはニナリスも「セクハラ」と、ぴしゃりと断じた。
しばし雑談に興じた後、ニナリスは当番である見回りに出ようと二人に挨拶をした。
「そろそろ行くわね」
「ニナリス。ノゾミの近辺に一人で近付いては駄目よ?あれと接触する時は、必ず星術士のチームで臨むこと」
「分かってる。・・・・・・もう少し、イオナ師の教えを守って、しっかり勉強しておくべきだったな。中央域や西域の星術学院を回ったりして。そうしていれば、私が擬体を解析できたかもしれないのに」
そう言って、ニナリスは天幕を後にした。
プロセルピナの星術学院主城・インサニティの周辺はものの見事に<アガレス>によって破壊され、建物が崩落し尽くしたことから、見晴らしだけは素晴らしかった。輝く星々が散りばめられた天空がニナリスの視界いっぱいに広がり、世界の悠久さと一個人の矮小なる対比を素で体感させた。
ここ数週間の間に、ニナリスを取り巻く環境は劇的に変化していた。本来それは悲劇的な意味合いを湛えていたが、不思議と現在のニナリスの心境は晴れ晴れしていた。父や、少なくない親戚が亡くなったことに酷く胸を痛めはしたが、自分の将来をただ悲観的に見ることはなかった。
世界を滅ぼしかねない神獣。アリス・ブルースフィアの英雄軍をも跳ね返した、最悪最凶の敵。その一匹を曲がりなりにも自分たちの手で撃滅したことが、ニナリスの人格に強烈な影響を与えたことは間違いなかった。
(私だって、やればできる。レイフ様やクロエにだって、付いていける。一緒に行ける。・・・・・・イオナ師。好んで派手な技ばかりに取り組んでごめんなさい。生まれ変わったら、今度はちゃんと勉強するから)
『今からでも、遅くはありませんよ?』
「えっ?」
ニナリスはイオナ・エゼルエルからの返事があったような気がして、星空の下できょろきょろと辺りを見回した。そこには何者の姿もなかったが、ニナリスは上機嫌そうに口を結ぶと、気合いを入れ直して見回りに努めた。
魔獣と滅びゆく世界の戦記
本章第一部「一姫当千の許嫁は戦場で火の騎士と躍る」
完
(本章第二部「狂姫乱舞し、終わりの鐘を鳴らす」へ続く)




