10 輪舞
10 輪舞
レイフ・ヤタガラスは、至近距離から<アガレス>に斬撃を打ち込んでは機敏に後退して直接的な反撃を封じ、離れたところより次の好機を探った。<アガレス>が竜のブレスと似通った中距離攻撃を繰り出すと、レイフはこれ幸いとばかりに低姿勢で地面を走り抜けてやり過ごした。そして敵の懐に潜り込んでから、禍津神を横に一閃した。立て続けに腹部に裂傷を負わされた<アガレス>が怒りの咆哮を上げて四肢を大地に叩きつけるが、レイフはとっくに跳躍を繰り返して神獣から距離をとっていた。
イオナ・エゼルエルは、<アガレス>の攻撃の余波で崩れかけたインサニティの屋上に体を横たえ、目だけを動かしてレイフの奮戦を追いかけていた。
(やはり、小生の目に狂いはありませんでした。レイフ・ヤタガラスは傑物です。効率的な星力の運用と強靱な肉体・精神で、あの<アガレス>を翻弄すらしています。・・・・・・これで加勢がいま少しマシであったならと思うと、自らの非力が悔やまれてなりません)
レイフと<アガレス>の戦闘は、既に三日三晩続けられていた。丸二日、星術を多用したことで消耗したイオナが脱落し、体調の優れぬリナリー・リャナンシーすらも助勢を試みたが、結局今現在<アガレス>と戦えているのはレイフただ一人であった。
それでもイオナの星術が<アガレス>の大翼をずたずたに引き裂いていたため、かの獣が標的であるノゾミを的とするには眼前に立ちはだかるレイフを攻略せねばならなかった。<アガレス>のブレス攻撃を幾度も浴びたことで、星術学院主城・インサニティの防御機構は完全に沈黙しており、ノゾミを直接的に守る戦力はもはやレイフをおいて他に存在しなかった。
飛べぬ竜の巨体を持て余しつつも、<アガレス>の運動量に目立った変化はなく、星力の限りを尽くしてレイフを消し去ろうと怒濤の如く迫った。レイフは回避に重点を置きながらも、<アガレス>の体表の一点に集中して剣をぶつけ、なるべく少ない星力で大きな効果を上げようと躍起になっていた。
望む望まぬに関わらず、長期戦へと持ち込まれたレイフの状態は、決して楽観のできるものではなかった。精神面に限れば、厳しい訓練の賜物からまだ余力が残されていたが、減少する一方の生命力はレイフの余裕を奪いつつあった。
単体としての神獣の力は人間と比して圧倒的上位にあり、星力によるブーストなくして一分とて渡り合うことはできないと考えられた。それ故、星力の変換効率が並外れて高いわけではないレイフにとって、生命力の疲労は即退場を意味するといっても過言ではなかった。
プロセルピナの街は、ことインサニティ周辺を見渡せばほとんど原型を留めておらず、建物は崩れ、樹木も薙ぎ倒され、そして人気の一切が失われていた。暴れる神獣を前にしては人間の営みなどただ儚いもので、イオナと共に屋上に転がっているリナリーは、金網越しに目にするプロセルピナの滅び行く様へと絶望していた。そして、乾いてはまた次の涙をこぼした。
「イオナ・エゼルエル・・・・・・まだ、生きていて?このままでは一両日の内にも、ヤタガラス中尉のガス欠と共に敗北が訪れる。次は、どうするの?」
「・・・・・・神獣が強いなどというのは分かっていたこと。それでも、小生に大した策は練られませんでした。ノゾミを狙う<ファンシー>を追跡し、その道中で戦力を募ること。勉強以外ろくに経験してこなかった小生には、ヤタガラス卿を勧誘することが精一杯でした。それに、彼と、彼の力に満足もしているのです」
「そんなことは聞いてない。貴女がうぶだろうがヤタガラス中尉に恋していようが、どうでもいい。そもそも、<アガレス>がノゾミを破壊したら何が起こるわけ?」
涙を拭う力も惜しいのかリナリーは微動だにせず、レイフと<アガレス>の対決を遠くに見守りながら尋ねた。イオナの知識はレイフにこそ受け継がれていたが、リナリーだけは蚊帳の外であった。そのためリナリーは、自分たちと同じく屋上に鎮座する星力の結晶漬けの少女に対して、薄気味悪さ以外のどのような感情も抱きようがなかった。
「・・・・・・何も起きません。<ネキオマンティア>の叡智と生命を結集した証が砕け散るだけです」
「なら!まだ動けるヤタガラス卿だけでも逃がして、外の戦力と合流した上で<アガレス>と戦って貰うべきでしょう?」
「<ネキオマンティア>が壊滅した今、リア・ファールでは当面ノゾミのような存在を生み出すことはできないでしょう。小生たちは、ノゾミを制御することこそが神獣をも打倒する近道であると考えたのです。世界は徐々に滅びを迎えつつあります。その滅亡への流れ自体を変えるジョーカーとして、ノゾミは創り出されました。小生と知識を共有したヤタガラス卿は、そこに共感を見出しているからこそ、ああして戦い続けてくれているのだと思います。小生は何も強要しておりませんし、彼の如何なる選択をも尊重する次第です」
掠れた声で言って、イオナは小さな体をぶるっと震わせた。そちらへと目線を向けたリナリーは、イオナの全身から弱々しい星力が漏れ出し、鬼火のように燃えている光景を目撃した。
「貴女・・・・・・もう<生命力>も残ってないでしょうに。どうして星力を操っているの?」
「・・・・・・操ってなど、おりませんよ。ガタがきているだけです。こうなれば、残る力の全てを<アガレス>にぶつけて、ヤタガラス卿を少しでも楽させることにします」
「待ちなさい!・・・・・・軍人はそうやって、すぐ自己犠牲に走る。そういうのを短慮と言うの。貴女が僅かな力を使って特攻したとして、稼げる時間なんてほんの数秒に過ぎないわ。だったら、ヤタガラス中尉が悲しむ分だけ損に決まっている。・・・・・・考えるのよ。何か他に、彼の助けとなる方法はないものか」
「助けとなる・・・・・・方法」
リナリーの発破を受けて、イオナはプロセルピナ中の情報を頭で整理し始めた。武器や人員、星術から物資に至るまで、あらゆる可能性を模索した。だが、検索に投じた何れの条件も満たされることはなく、それはノゾミの暴発によって何もかもが失われたからであったのだが、イオナを侵食している暗澹たる気分は晴れそうになかった。
レイフが飛び上がり様に放った剣撃は<アガレス>の顎を斬り裂き、傷口から多量の星力が煙となって放出された。その代償として、接近し過ぎたレイフは正面から<アガレス>の頭突きを浴びる羽目に陥った。吹き飛ばされたレイフは星力で全身を防御していたとあっても、廃墟となりし建物の外壁に叩きつけられた衝撃や、そこから落下して負った打撲のために倒れた。そして苦しそうに喀血した。隙を見せれば殺されると分かっていたので、レイフは肉体的な損傷を思考から飛ばして立ち上がった。
<アガレス>は自身も手傷を負わされたことで慎重になり、速攻を仕掛けることなく遠距離からのブレス攻撃に終始した。レイフは傷んだ体を押して走り、跳び、ブレスから必死に逃れて反撃の機会を待った。それを観察していたリナリーは、いよいよ戦況が芳しくないと判断し、いざとなったら自分が炎弾の一発でも放って敵の気を引いてやろうと決意した。
(あの中尉のために、そこまでしてやる義理は全然ないのだけれど。セレス様が買っていた男だし、それに、介抱して貰ったのだから仕方ないわよね)
リナリーはそれにしても最近の自分は、外交官としての仕事より武官のような立ち回りが増えたものだと振り返り、呆れ顔をした。リュムナデスの大学で政治や経済を学び、教授たちから極上の評価を下されていた自分のプライドは、偶然知り合ったセレスティアルとの交流によりぽっきり折られた。セレスティアルの見識は広く、思考は柔軟で、そして人格の深みが底知れなかった。だというのに、当人が志すものは教科書にすら載っていないレベルの甘言ばかりで、決して手に入らない理想郷を追い求めている節があった。そんなセレスティアルの姿に、学生リナリーの信心は一発で持って行かれた。
アルカディアの渉外局に登用されてからは、仕事に没頭することで充足を得られていた。自分の高潔さが周囲から疎んじられていることは知っていたが、セレスティアルが状況を良しとしたので構わなかった。同じような日常が永遠に続くと思っていたし、リナリーは特別に野心を燃やす性格でもなかったので、ここ数ヶ月の激動を思い返すと心から身震いがした。
リア・ファールを救済するという大志のために働く自分。相次いで伝説の神獣と遭遇し、肉弾戦に挑む自分。どれも渉外局の一官吏の身分を越えた大役であり、セレスティアルやレイフのように国を代表するような秀でた一芸を持たない自分では、きっと役者が足りていないのだとリナリーは引け目すら覚えていた。だからこそ、セレスティアルの役に立つべくグルファクシーへと急行したし、それが失敗に終わってもこうして聖都プロセルピナまで進入していた。
(ここで漫然と死を迎えたら、私の人生は最後の最後で色褪せたものに見えてしまう!それだけは、嫌だ。セレス様、私に勇気を分けて下さい。レイフ・ヤタガラス、どうか私の代わりにこの世界を守って)
「・・・・・・リナリー・リャナンシー。お疲れのところ恐縮ですが、お願いがあります」
相変わらずの掠れ声で、イオナが言った。イオナは起き上がっており、<アガレス>とは別の方角を向いて中空を見据えていた。
「お疲れですって?当たり前じゃない。とんだ嫌味な台詞ね。・・・・・・で、なに?」
「何か打つ手がないかと考えていたところ、結界への侵入者を感知しました。それが何者かまでは分かりかねますが、もしヤタガラス卿の縁者なのであれば、千載一遇のチャンスと言えます」
「それって・・・・・・ラナン・クロスのクロエ・クインシーかも知れないわ!すぐに結界内に呼び寄せましょう!」
「それが、侵入者は複数箇所に散っているのです。それぞれがここから近距離であったり、離れていたり。方角もバラバラ。小生の知り得る範囲では、この地を目指す輩がそんなにもあるとは思えず。・・・・・・そして何より、結界を開くことで、おそらく小生は全ての星力を使い果たします」
リナリーは、使い果たすのは生命力の間違いではないかと指摘しかかったが、話の腰を折ることはせず黙って聞いていた。
「小生が力を失い、そしてヤタガラス卿の足が止まれば、<アガレス>は迷わずここを狙ってくるでしょう。結界を通り抜けた味方がここに到着するまで、貴女にノゾミの守護を頼みたいのです。・・・・・・貴女には全容を明かしておりませんし、ノゾミを守る筋合いがないことは重々承知しております。ですが・・・・・・」
「踊ってあげるわ。貴女は貴女にしか出来ないことをやってらっしゃい、イオナ・エゼルエル。私には分かる。このタイミングでここにやって来た者は皆、セレスティアル様の御意志に感化された真の闘士なのだと」
リナリーはぴしゃりとそれだけを言って、辛そうな素振りを隠そうともせずに立ち上がった。そうしてよたよたと結晶体の側に歩み寄り、寄りかかって体を支えた。残された生命力をゆっくりと燃焼させると、それをもって星術方陣を起ち上げ始めた。
イオナはリナリーの星術の性質を読みとるやぺこりと頭を下げ、そのまま何も言わずに屋上から飛び去った。リナリーは中空を去り行く星術士の小さな背が視界から消え失せるまで、じっと眺めていた。
(あんなちびっこみたいななりをして。詠唱や方陣も無しに軽々と空中を飛翔するなんて、一体どんな手品なの?これが才能の違いというやつかしら・・・・・・)
レイフは重くなった足が動くよう懸命に叱咤し、<アガレス>のブレス攻撃の合間を縫って突撃を繰り返した。ダメージの蓄積から以前ほどの回避能力が見込めず、敵の懐まで容易に入り込めないため、足先を攻撃対象とするのが精々であった。
星力を纏わせた禍津神で<アガレス>の足を削り、尻尾による反撃をすんでのところでかわしたレイフは己が足運びの難を悟り、必要以上に距離をとった。<アガレス>はそこを好機と判断した。
「しまった!?」
<アガレス>はイオナの力が消失しかかっていることを感知しており、それに加えてレイフの間合いが大きく外れたことで、ノゾミ強襲を敢行した。大竜の体を最大限加速させてレイフを置き去りにし、神獣はインサニティへと猛進した。
レイフは無駄と分かりつつ足掻いた。星力を込めた斬閃を<アガレス>の背に飛ばすが、距離がネックとなり、鱗を何枚か剥がしただけという結果に終わった。
リナリーは、迫力を伴い向かってくる<アガレス>を待って、不思議と冷静でいられた。ブレス攻撃が飛んでくるにせよこのまま突進を見舞われるにせよ、リナリーの星術で防げるのは一度が限界で、後はイオナの言い草ではないが、駆けつけた味方とレイフに全てを託すことになる。
(来なさい、獣。確かにタラチネとプロセルピナはお前にやられた。でも、ティアマトは健在なのだから!私の命に代えて、ここでお前を止めて一斉反撃の狼煙とするわ!)
<アガレス>は勢いのまま、インサニティごとノゾミを吹き飛ばすべく体当たりした。リナリーは全霊を懸けて巨大な星術障壁を展開し、速度と重量が乗った神獣のぶちかましを受け止めた。その衝突は、世界を揺るがすかのような激しい震動を発生させ、プロセルピナ中に衝撃の余波たる星力の火花を散らせた。
障壁を突破し損ねた<アガレス>がよたよたと数歩後退し、そこに怒りを爆発させたレイフが斬りつけた。生命力を燃やし尽くしたリナリーは耳鼻から血を流し、目をかっと見開いたままで力無く倒れた。城と見紛うインサニティの威容や屋上の結晶体は全て無事で、リナリーはイオナとの約束を守って見せた。
インサニティの間近にまで迫られていたため、レイフは後先を考えず<アガレス>に最高の剣技をぶつけ続けた。それでも単騎の火力不足は否めず、猛攻が終わった先にノゾミの破壊が為されるのであろうと半ば諦めの境地に達していた。
だがそれは、杞憂に終わった。
まずは、炎を伴った剣撃が<アガレス>の腹部に叩きつけられた。渦を巻いて立ち昇る圧倒的な星力を食らい、さしもの神獣もインサニティからの離脱を余儀なくされた。
続けて、レイフの良く知る剣衝が、後退する<アガレス>を追撃した。巨大で、鋭利で、鮮烈な星力の刃は、<アガレス>の体躯に深々と剣傷を刻みつけた。その一撃を追うようにして、さらに高出力の光線が神獣の頭部へと炸裂した。
「レイフ!無事なの!?」
「レイフ様!ここから先は、私たち初の共同作業ですよ」
炎の剣を手にしたファラ・アウローラ・ハウが華麗な跳躍で瓦礫のただ中に着地したかと思えば、クロエ・クインシーと二ナリス・ボルジアが相次いで声を掛け、レイフの側へと走り寄ってきた。レイフは戸惑いこそ覚えど、頼りになる勇者たちが揃い踏みしたことで、疲れた体に今一度火が入るのを実感していた。
<アガレス>は少しばかり下がったものの、それでもノゾミをブレス攻撃の射程内に収めており、大きく息を吸うようにして星力を集束させる動作に入った。
「奴に後ろの学院を潰されたらお終いだ!ブレス攻撃を弾くぞ!」
レイフは新参の三者にそう告げるが、いまいち状況が伝わっていないのか、ファラやクロエの動きは鈍かった。二ナリスはレイフの意図を汲んだようで、神獣のブレスを防ぐべく防御の障壁を編み始めた。
「獣、吹き飛びなさい」
その清涼なる美声は、インサニティを守るべくして立っていた四者の鼓膜を等しく震わせた。そして、通常の雷撃を数百倍まで拡張したかのような、暴力的な規模の星力光撃が轟音をまき散らして<アガレス>へと放射された。
崩れかけのあらゆる建物が巻き込まれて灰燼に帰し、そしてレイフは信じられない事態を目撃した。神獣<アガレス>の巨体が豪快に吹き飛ばされたのである。
見たこともない破壊力の攻撃を仕掛けた主の姿を拝もうと、レイフらは光撃の発射地点を振り返った。
「樹霊剣の調子は悪くないわ。・・・・・・折角、南域くんだりまで足を運んだのだもの。少しは見せ場がないとね」
「・・・・・・あのな、リズ。あんなもんぶっ放すなら、事前に教えてくれ。心の準備ってものがある」
攻撃の残り火が如く煙を上げる樹霊剣を手にしたリージンフロイツと、彼女の後ろに張り付いたパウロ・バニシングの二人組が、しっかりした足取りで戦場に歩み寄ってきた。レイフらは面識がなく、ただこのエルフの娘たちが神獣を攻撃したことは分かっていたので、どこぞの勇気ある闘士であろうと推測した。
<アガレス>がインサニティから大きく後退させられたことで、レイフはクロエや二ナリスを引き連れて攻撃へと移行した。ファラだけは単独でインサニティの屋上に飛び上がり、そこに倒れたリナリーの姿を認めた。
ファラはひざまずくと、開きっぱなしのリナリーの両目を指でそっと閉じてやった。遺体の状況からして、リナリーが極限まで生命力を燃焼させて神獣に対抗したことは知れた。
ファラにはリナリーに対する共感が少なからずあった。それは、二人が共にセレスティアルにスカウトされ、恋人同士でもないのに四六時中行動を共にしたという、かつての経験に因っていた。
「・・・・・・ご苦労だったな、リナリー・リャナンシー。貴女の力は、戦後の混乱期にこそヴェルザンディ公の助けとなったであろうに。戦場で散るなどというのは、官吏に似つかわしくない。・・・・・・精々天上から、アルカディアの行く末を見守ることだ。神獣のことは、任された」
そうしてファラは静かに闘志を燃やし、リナリーの傍らに置かれた星力の結晶体を眺めやった。封じられているらしき青年には生気の欠片も見当たらなかったが、少女、ノゾミが澄んだ目で自分を覗き込んでくることに、ファラは言い知れぬ不気味さを感じた。
(まずはこの竜を屠る。次は、東で逢った牛だ。魔獣の如き下郎なぞ、全てこの火星剣の錆にしてくれる!)




