9 女たちの饗宴-2
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「何と言われようと、私は行きません」
ファラ・アウローラは首を縦に振らず、セレスティアル・ヴェルザンディの説得を頑なに拒み続けた。騎士団庁舎は出撃の準備に忙しなく、ファラとセレスティアルが口論を続けている横を騎士たちが慌ただしく出入りしていた。
「ファラ・アウローラ。今回の出兵は特例で、参加の是非を騎士個人の裁量に委ねている。対魔獣戦線に志願した者は、他の如何なる任務や命令にも優先してそれへの参加が認められる。臨時法令も発布されたから、これは公式に有効だ。逆もまた然りで、参戦拒否にも罰則がない。・・・・・・だからといって、君に抜けられるのは困る」
「困るのは公であって、私ではないのですよ。何度でも言いますが、私は公のことが嫌いですから。頼まれれば、ますますもって戦う気が失せるというもの。潔く諦めてください」
「・・・・・・常なら知らず、今回ばかりはそうもいかない。東部方面部隊にはレプラカーン卿をねじ込んだ。いくら彼でも<ダンダリオン>が相手では、善戦して足止めが精一杯といったところだろう」
「でしょうね。シュダ・レプラカーンが良い騎士であることは知っていますよ。公の信頼がやたらと厚いことも。だけれど、神獣の圧倒的な暴力と比較しては、強騎士でさえも無力に等しくなる。この国で正面からまともに戦えるのは、おそらく私だけ。レプラカーンは・・・・・・死ぬでしょうね」
ファラは廊下の壁に背を預け、腕組みをしたままの体勢で言った。ファラは思った通りのことを口にしただけだが、セレスティアルが見たところ彼女の発言は的を射ていた。ゾロの近郊で<ダンダリオン>と交戦済みのセレスティアルは、あの場でファラが健闘していたことを鮮明に記憶しており、それはまさしく<火の騎士>の面目躍如と言えた。
だからこそ、関係がこじれている点には目を瞑り、セレスティアルは直接ファラを訪ねて、プロセルピナないしは東部方面への出陣を要請していた。それが容易く容れられないことは想定していたが、ここにきてセレスティアルに奥の手など存在しなかった。
意地の悪い顔をして、ファラがセレスティアルを挑発しに掛かった。
「それで、騎士たちが命懸けで神獣との戦いに赴く間、非力な公は何を為されるので?口にされる言葉こそご立派ですが、当人の行動が言に伴わないのであれば、貴方のことを精神異常者の類かと疑いたくもなります」
「私はいま一度、マテウスに赴く。ラナン・クロス国防軍のダイダロス・ボルジア大将が会談に応じると言うのでね。無闇に流される血を抑えるには絶好の機会だ。レイフ・ヤタガラスが先を行っているのだから、クロエが後を追える環境を少しでも整えてやらねば」
「無駄な努力でしょうけれど。聞いている限り、ダイダロス・ボルジアという男は国防軍の権化とも言える怪物で、ラナン・クロス一のタカ派で知られている。外交官の弄する詭弁が通じるような生温いタマではないわ。公は捕らえられて、体の良い人質として使われるだけ」
「そうかもしれない。でも、私の身の危険など所詮は些事さ。ここで出来ることをやっておかないと、後悔することも出来なくなるからね。世界の終わりが近付いた時に嘆いてみても遅い」
「ご愁傷様です。昔の誼で、線香の一本くらいは上げに行きますよ」
ファラに取り付く島はなく、流石のセレスティアルも這々の体で退散する他にないと諦めかけた。
(やはり駄目か・・・・・・。元はといえば、彼女の信頼に応えられなかったのは私だ。父を説得するにもいま少しやりようはあったはずだ。アルカディアがいつまでも騎士の出自に拘り続けるならば、どうせ先は長くないと分かっていたのに。私はファラに絶対の信を置いているなどと口にし、それを行動で示せなかった。彼女を筆頭騎士として登用できていれば、アルカディアは今ほどの苦境に立たされていなかったとも言える。それが全てと言えば、それまでだが・・・・・・)
「あら。ここにいらしたのね、ヴェルザンディ公?時の人だけあって、本当にお忙しいこと。渉外局の椅子には一瞬たりとも留まっていないようですもの」
騎士団庁舎の回廊という風情もへったくれもない場所に姿を現したのはロザリー・レスポールで、場にそぐわぬ繻子のドレスに身を包み、菫色の瞳に興味の光を浮かべて二人を等分に眺めた。思わぬ客人の登場に、ファラはこれは何かの企みかとセレスティアルを睨みつけるが、当のセレスティアルに心当たりがないものだから、軽く首を横に振って言外に否定して見せた。
ロザリーはそんな様子を気にするでもなく、セレスティアルへと語り掛けた。
「探しましたよ。少し考えたのですけれど。騎士団の主力がティアマトから出払って、その機を神獣に利用され奇襲を受けたならば、我が国はたちまち窮地に立たされます。皇都の守りにそれなりの騎士を残して貰おうかと思いまして、公からどなたか推薦をいただけませんか?」
「・・・・・・私は出兵計画にタッチしておりませんが。伯爵公女の薫陶が行き届いた、軍務局長か騎士団長にでも尋ねられた方が宜しいのでは?」
「生憎と、生粋の武人の目をそこまで信用しておりません。国家や世界を俯瞰して見ることができる、貴方の眼鏡に適った人材を教えてください。渉外局のリナリー・リャナンシーが良い例です。まさか、リュムナデスからの交換留学生があれほどの逸材であったとは。シュダ・レプラカーンとも彼の騎士が世に出る前から交流を持たれていたようですし。だからこそ私は、セレスティアル・ヴェルザンディの目利きにティアマトの命運を託したいと思います」
ロザリーは微笑を湛えているが、その目は怜悧にセレスティアルの心を突いてきており、おいそれと話を受け流すわけにはいかなかった。セレスティアルは皇族の身分にあるからこそ、国内における<五家族>の影響力が侮れない点を理解していた。そのアルカディアの黒幕の意向を受けて動いているとされる紫姫を無下に扱うことは、この難しい政治情勢下では危険な遊びと思われて仕方がなかった。
「・・・・・・なれば一択です。ここなファラ・アウローラ・ハウ女男爵をおいて、ティアマトの絶対守護など誰にも務まらないでしょう」
「何を・・・・・・ッ!?」
セレスティアルの勝手な推薦に、ファラはロザリーがいることを考慮せず気炎を上げようとした。それを制したのはロザリーで、畳みかけるようにしてファラへと服従を迫った。
「では、ファラ・アウローラ・ハウ。<五家族>の総意として命じます。上級騎士の地位を全うし、ティアマト防衛の指揮をとりなさい。神獣が侵攻してきた暁には、これを全力で撃退して見せよ。外様の騎士に皇都の守護を預けるというのは前例がありませんが、皇統にあるセレスティアル・ヴェルザンディ公爵の推薦とあらば、我ら<五家族>に異存はありません。この数奇なる縁を互いに大切にしましょう」
「・・・・・・レスポール伯爵公女閣下。私は、ヴェルザンディ公のお目こぼしで抜擢されることを承伏できません。この地位は、誰にはばかることなく自らの実力で勝ち得たもの。誰ぞから施しを受けたと罵られては、折角の男爵号が泣きます」
「見当違いなことを仰りますね。そもそも皇国貴族の傍流にもない外様の貴女が、どうしてハウ男爵号を得られていると思うのです?そこなヴェルザンディ公が頭を垂れて、<五家族>に懇願なさったから封じられたものでしょう?公が貴女を推された経緯などは知りませんし、興味もありません。ですが、いくら恩人を毛嫌いしているとはいえ公に面罵するようでは、皇国貴族の振るまいとして品がないと言わざるを得ませんね。栄えある皇都の防衛任務に就かせるため、公が貴女を薦められた意味を良く考えることです」
ファラは唇を噛み、純粋に貴族として上位に位置する紫姫の目をじっと見つめた。その視線には怒りや哀しみが複雑に絡まっていると読み取れたものだが、ロザリーは毅然とした態度を崩さなかった。やがてロザリーを翻意させられぬと気付いたファラが、それでも自説を曲げることなく応答した。
「・・・・・・承伏、出来ません」
「では、騎士の地位を返上するのですね?<五家族>や公爵位にある者から下された命令を突っぱねるというのは、そういう覚悟を必要とするものですから」
「いいえ。先ほども申し上げた通り、私の今の地位は実力で勝ち取ったものです。無理矢理に返上させられてはこれまでの労苦が報われません」
「ならば、守護騎士の就任要請を受諾なさい。それで皇国史に名を刻むのです。ヴェルザンディ公爵の推挙によって、ファラ・アウローラ・ハウはティアマトの防備を鉄壁としたのだと」
「出征します」
「・・・・・・何です?」
「臨時法令が施行されていると窺いましたから。対魔獣戦線に参戦することで不本意な推挙から逃れられるというなら、それが私の意地です。・・・・・・伯爵公女閣下。出陣の準備を致しますので、これにて失礼します」
ファラはそう言って、ロザリーにだけ頭を下げてその場から立ち去った。呆然と成り行きを見守っていたセレスティアルは、ファラがそこまで自分のことを嫌悪しているものかと、想定以上の心理的打撃を被っていた。
ロザリーはファラの失礼を咎め立てすることなく、改めてセレスティアルへと向き直った。その表情に取り立てて変化はなく、セレスティアルが予想した烈火の如き罵声はついぞ彼女の魅惑的な唇から飛び出さなかった。
「困りましたが、ヴェルザンディ公には代案がおありですか?」
「正直なところ、一国の騎士戦力で神獣の侵攻に抗うというのは現実的でないと考えます。剛力には剛力というのであれば、超大国レキエルがその悪しき前例を記録していますから。剛に対しては柔を用いて威力をかわす方が無難かと」
「例えば?」
セレスティアルの迂遠な物言いを責めるでもなく、ロザリーは話の先を続けるよう積極的に促した。
「・・・・・・疎開。貴族・平民を問わず、近隣の都市に疎開させます。グルファクシーのタラチネとフラガラッハのゾロを引き合いに出せばお分かりでしょうが、神獣は国家の主軸たる首都機能に打撃を与えることを第一として動いた節があります。それが予想し得るのであれば、予め機能を分散させる対策を取ればよろしい。ティアマトのハードが潰されようとも、ソフトさえ生きていれば国家運営は可能ですので」
「なるほど。複数市に分かれて首都機能を維持する・・・・・・それは遷都にも似た、まさに一大プロジェクトですね。・・・・・・フム。大変困難な作業工程が予想されますが、その総指揮をとるに足る人材に、公の心当たりはおありで?」
セレスティアルは数秒だけ考え、地位や職分、実行力といった諸々の資質を総ざらえして一人の人物を導き出した。
「レブサック・スペクター。行政府においては、彼以外にそのような大事はまとめ上げられないでしょう。何より、皇帝陛下の詔勅が必要になりますから、やはりスペクター伯の手腕が物を言うものと思われます」
「フフ。あなた方は実に面白い関係ですね。反目しているかと思えば、互いの才覚を認め合ってもいる。為政者たる者、清濁を併せ呑むことが肝要だとはよく言われますが、その点に関してはお二方共に心配無用のようです。・・・・・・承知しました。ヴェルザンディ公発案の疎開作戦につき、スペクター伯に計画の立案と作戦の指揮を命じるとします」
二、三の会話だけでロザリーがそう結論付けたものだから、セレスティアルはそのスピード感に面食らった。ことは国家の大事であり、セレスティアルが碌に検証もしていないアイデアを即実行に移すと言われれば、流石に冷静ではいられなかった。
ロザリーはそんなセレスティアルの反論を聞くつもりがないようで、黙って掌を見せることで彼の口を封じた。
「時間が惜しいです。私もこれから<五家族>を説得しなければなりませんので。これが今生の別れとならぬよう、お互い自分の仕事をしっかりとこなすことにしましょう。それでは、セレスティアル・ヴェルザンディ。どうか壮健で」
ロザリーは菫色の瞳を素敵に輝かせ、セレスティアルに対して女神の福音を思わせる微笑みを送った。
ファラに去られ、ロザリーも去った騎士団庁舎の回廊で、セレスティアルは一人寂しく佇んでいた。ふと思い返せば、ロザリーは一体何をしに来たものかという疑問が湧きだした。ティアマトの防衛任務を誰に託したものかとセレスティアルに相談に訪れたかと思えば、防衛ならぬレブサック・スペクターを起用しての首都機能分散策を採用し帰っていった。おまけにその流れの中で、ファラが対神獣の前線に身を置くと明言した。
(・・・・・・あの女。まさか)
結果的にではあるが、ロザリーが采配を振るって以来、物事が悉くセレスティアルの思惑通りに運んでいた。かつてロザリーの干渉によって、聖シュライン王国の藩領を攻撃するというレブサックの独断専行は中止へと追い込まれた。グルファクシーとフラガラッハには、両国が魔獣に襲撃されるというハプニングこそ発生したものの、セレスティアルの訴え掛けた通りに使者が出された。そして、諸国へと向けた対魔獣共同戦線の宣言は、奇跡的にセレスティアルとレブサックの共闘が実現し、成立を見た。
さらに、説得が不毛に終わると思われたファラの出陣が、逆説的にではあったが今日ここで確定した。それら全ての事象にロザリーが裏から糸を引いているかのような錯覚を覚え、セレスティアルは頭の芯がくらくらと揺れる様を感じた。
そういえば、父サラミス帝より皇太子の地位を無効に処されたことで、ロザリー・レスポールをはじめとした大貴族の子女と交わされる筈だった婚約の段取りは全て破棄されたのだなと、セレスティアルは今更ながらに思い返していた。
(学院でクロエと出逢ってからは、思い出したりなどしなかったというのに。不思議な感覚だな・・・・・・)




