7 闘う理由-3
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夜空には月が浮かび、日中の天候が快晴であったことから、円いシルエットが明瞭に描かれていた。風は弱く、七年ぶりに黒色へと戻されたラグリマの髪が静かにそよいでいた。
ウルランドの街角に、市民が共用で利用する井戸の設備があった。住宅街のただ中に設置されていて、皆が寝静まった頃には街灯の明かりも届かないため、人気は全くと言って良い程無かった。
月明かりを頼りに井戸のそばまで歩いてきたラグリマは、なるほど呼び出した人間のセンスを疑いたくなる立地だと逆に感心した。
(これなら墓地が選ばれなかっただけマシと思うしかないな)
ラグリマは取り立てて索敵を行っておらず、備えは腰に差した一本の剣のみであった。システィナはリージンフロイツを従えて北域諸国との会合に出払っていたし、シャマスと朧月夜はそれぞれ審問に応じるため、星術学院と神殿の上位支部へ旅立っていた。
「つまらない手紙を寄越したばかりか、待たせるつもりじゃないだろうな?」
ラグリマはどこへと向けたわけでもなく、普段通りの声調で催促した。それを受けて、暗闇より人影が一つ、音もなしに浮かび上がった。月明かりに照らされたそれが、かつてラグリマの見たアスタリスの像を結ぶまでに時間を要さなかった。
「久しぶりだな、英雄よ。大して驚いてはいないようだな?」
「ああ。考える時間にだけは恵まれたからな。<不死>の検死結果で、彼の術眼が成人後に施されたものだと判明した。それも当然だ。七年前の時点で、彼はそんな眼を持っていなかったのだから」
ラグリマは落ち着いた口振りで言った。アスタリスは闘士らしい隙のない足運びで近付いて来たが、一定の距離になった時点でラグリマが待ったをかけた。
「それ以上は近付くな。<不死>の仇に対して、おれはそれほど寛容にはなれない」
「・・・・・・奴を殺したのは<黄昏宮>なのだがな。それで、俺の正体は分かったか?」
「確証は何もない。今際の際の<不死>も明言はしなかった。だが、お前が<仮面>でないとすれば、おれにはもう心当たりはない。お前だけが、仮面の内の素顔を見せたことがなかったのだから」
ラグリマが共に戦った仮面の竜騎士は、素顔どころか仮面に合成のされていない肉声を明かしたことすらなかった。仲間内でも不思議に思われていたが、当時の仲間たちは細かいことに拘泥せず、自分が背中を預けられるだけの実力を有していれば、万事それで良しとされていた。
「まあ、そういうことだな。別に隠し立てするほどのことじゃない」
「今更御託は聞きたくない。結局、七年前のあの戦いで生き残ったのは、お前と<不死>の二人だったのか?」
ラグリマの問いは、七年前に彼が除け者にされたからこそ、一番に欲する真実であった。アスタリスこと仮面の竜騎士<仮面>は、やれやれと言って肩を竦めて見せ、親しい人間に接するように答えた。
「俺は谷底に落ちて、偶然助かった口だ。自力で上った先でもまた偶然、瀕死の<不死>を掘り起こせた。あの時、<黄昏宮>に殺された場面に立ち会っていないのは、君の彼女だけさ。・・・・・・いや、あとは<燎原姫>か。お姫様のことを<不死>に託して、俺は<黄昏宮>に特攻をかけたからね。つまり、俺と<不死>と、先日君が殺してくれた<燎原姫>。この三人は<不毛の谷>で死ななかった。それに、世界最強の君の彼女。彼女の死を、俺は確かめていない」
ラグリマは頭を激しく打たれたかのような衝撃を味わっていた。目の前が暗転し、呼吸は苦しくなっていた。彼はよもや自分以外にも死地より生還できた者がいたなどと、三年前に邂逅したエルフの姫を除いては露ほども考えていなかった。
それが、目の前の竜騎士は言った。三人が生き残り、空色の髪の少女は生きているかもしれないと。
「本当に、君がウルランドに現れた時は驚いたものだ。俺の計画に不足していたパズルのピースが、まさか予期せぬ方から飛び込んで来てくれたと。信じてもいない<光神>に感謝の祈りすら捧げようとしたものさ」
「・・・・・・<不死>を<黄昏宮>にけしかけて犬死にさせるというお粗末な筋立てが、お前の言う計画か?」
「まさか。元は俺と奴とで二対の<術眼>を駆使して<黄昏宮>を制圧するつもりでいた。君というより強力な手駒が増えたものだから俺は後ろに引けたし、奴をいち早くお払い箱にもした。何といっても、奴とて<燎原姫>の仇には違いないのだから。あの時、奴が役割に従って星術を最後まで全うしていたなら、彼女は生身で戻ってきていた筈だ」
仮面の竜騎士は、<燎原姫>をみすみす<黄昏宮>にくれてやった不死の神官を怨み、彼の精神を術眼の力で乗っ取った。そして、不沈三獣を追うこととエルフの姫を取り戻す為の手段を得るため、不死の神官に強制的に術眼の手術を施していた。結果的に、適性があった不死の神官は竜や魔獣をも操れるまで星術の精度を高め、仮面の竜騎士と二人三脚で捜索は続けられた。
ラグリマは己が手駒扱いされたことはさておき、同志であった不死の神官が同じく同志であった仮面の竜騎士から貶されることに、途方もない怒りと哀しみを覚えた。二人はラグリマにとって偉大な先輩であり、世界を代表する闘士であった。彼らがいがみ合い罵り合うことなど忌避すべき話であったし、そしてそれ以上に、二人や<燎原姫らと共に冒険した短い時間をラグリマは至上のものとして胸の奥底に仕舞っていたので、それが汚される事態には我慢がならなかった。
「もういい。<黄昏宮>は<燎原姫>と共に死んだ。そして、<不死>もお前の目論見通りに苦しみ、逝った。後はおれが<不死>の無念を晴らして、負の螺旋をここで断ち切ってやる」
ラグリマは剣を構えた。目の前の男の術眼に嵌まらぬよう警戒したまま、全身から星力を迸らせた。
「ラグ。二つ、勘違いをしているな。君はもう、これまでのように圧倒的な力を使いこなすことはできない。俺の目は節穴じゃあないよ。君の星力の色と流れを見れば分かる。無茶な戦い方の連続で蓄積した星力疲労は、君の肉体と生命力を致命的に破壊した。そして、君ほどに強力な攻撃手段は持ち得ないが、俺とてあの戦いで生存した身だ。こいつがあれば、今の君程度なら容易くあしらえる」
<仮面>は外套の下から樹霊剣を取り出すと、鞘を落として剣身を光らせた。ラグリマは目を細め、リージンフロイツの剣へと厳しい視線を向けた。
「やはり持っていたか。ということは、あの山頂の小屋で会った白面は、あれはお前だったんだな?」
「そういうことだな。君の<黄昏宮>に対する怒りを増幅させるため、<不死>を先に突攻させて死なせる必要があった」
「・・・・・・それで、もう一つの勘違いとは?」
「<燎原姫>は死んではいない。グラジオラスで<欠片>、つまりは彼女の星力を回収させてもらったからな」
<仮面>は不敵に微笑むと、瞳に不鮮明な喜色を浮かべた。ラグリマの目にはそれが狂気の光としか映らなかった。
「<黄昏宮>を倒した時、星力の一部に特異な流れがあったのは知っている。あれはお前の仕業だったわけか」
「そういうことだ。彼女の<欠片>は全て揃っている。なればこそ、不沈三獣の如き超越した生命体を頼れば、まだ再生の芽が残されているというもの」
ラグリマは、小屋で<仮面>から聞かされた、<黄昏宮>が語ったという真世界に関する戯言を思い返した。ラグリマの解釈では、<欠片>とは魔獣の存在を言い換えているようにも思えたが、<仮面>はむしろ星力と混同しているように感じられた。
いずれにしても、ラグリマは神獣と共に生命力の失われたエルフの姫が蘇るなどという与太話に耳を貸すつもりはなく、そのような夢想のために再び不沈三獣に接触しようとするかつての同志を見逃すわけにはいかなかった。
「お前は狂っている。どうしてそこまで彼女に構う?おれが知る限り、そこまでの関係値はなかった筈だ」
「俺はね、<不死>を操る時に、偽の記憶を植え付けたのさ。奴が真剣に取り組むように。そしてその記憶は全て、俺が生きてきた証跡でもある。君がまだ雛であった頃、俺は彼女に救われていたんだよ。俺の愛すべき家族は皆惨めな死に方をしたが、あの子らの魂は<燎原姫>によって救済された。だから、俺は・・・・・・全てを懸けて彼女に恩返しをするんだよッ!」
<仮面>が跳ねた。樹霊剣は星力を湛え、ラグリマを砕かんと眩いばかりに輝きを発した。
世界より不沈三獣を除こうと団結した勇者たちがいた。<不毛の谷>の決戦で大半が倒れ、それでも彼ら彼女らの志は生き残った者に受け継がれた。七年の時を経て、ようやく不沈三獣の一角を沈めることに成功したが、また一人の勇者が犠牲になった。そればかりか、最後に残りし二人は互いの信念を譲ることなく同士討ちを始めた。
(思えば、数奇な運命だったよな)
ラグリマはその半生を魔獣討伐に捧げてきた。中央域の小国に生まれた彼は、騎士であった父母を魔獣との闘争で失い、とある王族の家に奉公人として引き取られた。そこに、利発な少女がいた。
使用人に過ぎないラグリマと、王族である少女の日常に接点などなかった。唯一、時代が時代であったが為、戦闘訓練だけは等しくラグリマと少女に課された。そうして、才に恵まれていた二人は幼いながらに闘士として頭角を現していった。
二人が育った小国は、魔獣の群に滅ぼされた。落ち込む少女の手を引き、ラグリマは世界を回る道を選んだ。憎き魔獣を討伐し尽くすことだけを目標とし、魔獣が暴れていると聞けば首を突っ込んだ。そうしている間に少女が抜きんでた才能を開花させ、幻獣を屠る偉業を成し遂げた。噂を聞きつけた南域の大剣豪が二人に接触し、剣の教導を打診してきた。
十五歳になると、闘士界隈ではラグリマと少女を神聖視する向きすら現れた。特に少女は容姿が優れている点も相俟って、地獄のようなこの世界に降臨した戦の女神とも崇められた。この頃、二人は中央プリ・レグニア海のシルフィール守護王国を拠点とし、そこから各地の魔獣占領域へと遠征して回っていた。
世界が<不毛の谷>の攻略を決断したと聞いた時、ラグリマは少女に意見を求めた。少女は言った。自分の半分も高潔で、自分の半分も意志が強く、自分の半分も腕が立つ人材が十人二十人と集まったなら、不沈三獣をも打ち破ってみせると。いざ精鋭たちが集められた場に赴くと、そこには二人を満足させるだけの闘士や星術士が幾人もいた。ラグリマは歓喜し、少女も渋々ではあったが仲間たちの実力を認めた。
集った英雄や勇者や賢人は、一年近くを費やして多くの討伐任務に従事し、その実力を内外に証明した。世界の意志が一気に統一され、ラグリマや少女たちへと寄せられた期待はもはや最後の希望と呼ぶに相応しい代物となった。
そして、七年前の決戦に至った。ラグリマは<不毛の谷>の道中で消耗し、少女から退却を促された。何もかもが、そこから狂った。
「はあッ!」
<仮面>の上空からの打ち下ろしを、ラグリマは剣で受けずにステップを踏んでかわした。樹霊剣から放たれた衝撃波で、地面は大きく裂けた。
<仮面>の追撃は鋭く、それはこの竜騎士が並の戦士と比較にならない練達の士であることを示していたが、縦横に繰り出される斬撃をラグリマは紙一重のところで回避し続けた。
ラグリマは指摘されたように満足に星力を練ることが叶わず、<仮面>の樹霊剣を一撃でも浴びれば即死は間違いないと、客観的に自己を分析していた。彼の取り柄は爆発的な星力の出力にあり、それが封じられている以上、<仮面>が強気の攻勢に出るのは当然の流れと言えた。
だが、<仮面>がどれほど気合いの乗った剣撃を繋げようと、ラグリマを捉えることは出来なかった。それどころか、樹霊剣の特性である生命力の大量消費によって、<仮面>の方が先に息を切らせ始めた。
「・・・・・・これは、単純な計算違いだ。君の凄さは承知していたのだがね。ラグ」
<仮面>は手を止めることなく、斬り掛かりながらラグリマへと語りかけた。彼の額には玉の汗が浮かび、必死に攻撃を仕掛けていることは明らかであった。事実、術眼による精神攻撃も折々に織り交ぜてはいたものの、ラグリマは決して彼と目を合わせようとしなかったので、有効な戦術とはならなかった。
ラグリマとて決して余裕を見せられるような状況ではなかったが、酷く冷静に応答した。
「どうして、おれを殺すつもりで掛かって来なかった?おれは剣士であんたは竜騎士。これでは、片手落ちだ」
ラグリマのその言葉が全てを表していた。<仮面>が得意とする戦法は本来、竜との連係による槍撃であり、いくら樹霊剣を構えていたとて、剣を本職とするラグリマと斬り結ぶという選択は無謀にも程があった。
こうして一騎打ちを続けていて、ラグリマは自分の中に一つの確固たる結論を導いていた。それは、<仮面>が自殺を求めて自分に接触してきたというものである。
「・・・・・・この剣が。彼女の剣が、俺か君の一方を選ぶのだ。運命の女神たる<燎原姫>が世界の行く末を選択する。おれにはもう、己を正当化する言葉を紡ぎ出すことはできない!」
<仮面>が勝負を懸けた。樹霊剣に一段上の星力が込められ、強力な横薙ぎの一閃がラグリマを襲った。ラグリマは敵の足運びと体勢を見届けた後、足に星力を巡らせての高い跳躍で斬撃を避けると、中空より最初で最後の反撃を試みた。
ただの銀製の剣は、ラグリマの星力を帯びたことで如何なる物体をも断ち切る凶器と化し、目にも止まらぬ一振りがその威力を全て剣閃に乗せた。<仮面>が気付いた時には、彼の脇腹から胸にかけて、ざっくりと深く斬られていた。青い血飛沫が地面を成大に濡らした。
<仮面>は顔を苦痛に歪めて膝を付き、樹霊剣を持つ手が力なく垂れ下がった。一瞬とはいえ強大な星力を生み出したラグリマも、全身を襲う抑えがたい激痛に悩まされていたが、かつての仲間の前で醜態を晒すわけにはいかないと、強靱な意思の力で痛みをねじ伏せていた。
「彼女は君を選んだ。・・・・・・これで俺は、狂気の犯罪者に落ちぶれたというわけだ。滑稽だな」
<仮面>の足下には魔族を示す青色の血溜まりが出来上がっていた。出血量とは無関係にラグリマの一撃が致命傷と分かっていたので、<仮面>は治癒や命乞いの類を放棄した。
ラグリマは使い物にならなくなった剣を手にしたまま、一歩一歩をゆっくりと踏み出して仮面の竜騎士ことアスタリスの下へと近寄った。
「あんたが狂人だとは思っていない。<燎原姫>への愛に狂っただけだ。・・・・・・男なら、そういうことはよくある。天上で、<不死>にだけは謝ることだ。彼女の仇は、あくまで魔獣なんだからな」
「・・・・・・八つ当たりだと分かっていた。俺が愚かだった。本当に、すまない。だが、彼女を・・・・・・この手に、掴めると・・・・・・思って・・・・・・」
「樹霊剣は返して貰うぞ。おれから本来の所有者に返却しておく」
「ラグ・・・・・・おれは馬鹿だったが、彼女の意志は・・・・・・尊重して、やって、くれ。・・・・・・世界から、魔獣、を」
そこで<仮面>は事切れ、がっくりと頭をうなだれた。樹霊剣が静かに転がった。<仮面>の胸元に覗く星術器具と思しき銀のペンダントから、少なくない量の星力が零れ出た。星力は淡い青光を撒き散らしながら、ゆらゆらと揺らめいてそのまま天へと昇った。
「・・・・・・心配しなくていい。あなた方の分まで、獣はおれが狩る。きっと、全滅させて見せるよ」
ラグリマは、かつて世界最強の竜騎士と称えられた男の血にまみれた樹霊剣をそっと拾い上げ、闇夜においても鮮明に輝く星月を仰ぎ見た。彼の頬を、血の混じった涙が一筋だけ伝っていった。
(七年前のあの時、あんたは立派な英雄だった。その事実に偽りはない。墓標は立ててやれないが、おれは忘れたりはしないよ。天上で<燎原姫>と宜しくやってくれ)




