7 闘う理由-2
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ラグリマの視線は唸り声を漏らす眼前の神獣にではなく、ぼろぼろになって倒れ伏した白面へと向いていた。山の頂にある秘密の小屋で自らの正体を明かしたこの人物は、気絶していたラグリマを地上、それもグラジオラスの近郊へと運んでいた。
そうして自分は<黄昏宮>に独り正面から挑んで返り討ちにあっているのだから、ラグリマにはやるせなさだけが残った。七年前の悪夢から生還した同志が見つかったというのに、あろうことか自分とは敵対し、そして更に悪いことに仇と狙う神獣によって死の淵へと追い込まれていた。
「ラグ・・・・・・!」
「ラグ殿ッ?」
リージンフロイツとシスティナは刮目し、勇者の帰還を夢か幻ではないかと疑いかけた。シャマスがそっと差し出した新しい剣を手に取り、ラグリマは二人に向けて優しい言葉を贈った。
「リズ。システィナ。二人とも、よく耐えてくれた。後は任せてくれ。おれが・・・・・・ラグリマ・ラウラが、世界に約束した使命をここで果たす。オボロ」
「はい」
ラグリマの指示に朧月夜は駆け出し、リージンフロイツとシスティナの手を引いて<黄昏宮>から遠ざけた。<黄昏宮>は暴れるのを止め、美女を模した頭部の白眼がじっとラグリマの手元を凝視していた。
『ラグリマ・ラウラ。まさか、あの爆発の中で生き延びていたとはな』
大気を震わせ、人のものとは思えぬ邪悪に満ちた発声により、<黄昏宮>がラグリマへと語りかけた。システィナたちはここではじめて不沈三獣の肉声を耳にし、それはただの意思疎通の手段に過ぎなかったわけだが、心の底から恐怖心を掻き立てられた。朧月夜は平然と<黄昏宮>に対峙しているラグリマの背を見て、これほど頼もしい男は世界のどこにもいないと胸を詰まらせた。
「そこの、お前が手酷くやってくれた白面の者に救われたのさ。七年前も、仲間たちの温情でおれだけが生かされた。・・・・・・もう頃合いだ。世界はこれまでお前たちにいいようにされてきた。本来であれば、あの時一矢報いていた筈だったのに。この七年、世界が停滞した責任の一端は、あの時命を懸けられなかったおれにある」
『我に懺悔を聞かせたいのか』
「ここからは、おれが一方的に攻める展開だと言っている」
『特定危険敵性体が同時に攻めて来る事態は想定していなかった。<欠片>の散布も十分ではないことだし、ここは我が引こう。ラグリマ・ラウラよ』
宣言し、<黄昏宮>は四枚の翼を大きく羽ばたかせた。
「あっ!?」
リージンフロイツは神獣が逃走態勢をとったと認識したが、生命力の消耗が著しく、飛び立つことを阻止するための星術を編み出せなかった。そんなリージンフロイツの焦燥を横目に、シャマスが「いいから落ち着け」と重みのある声で諫めた。
「無駄だよ!獣、周りを見ろ」
ラグリマが星力を周囲に向けて解放すると、事前に配置してあった方々の剣が互いに星力を放出して干渉し合い、神獣を囲う半球状の星術結界を形成した。眩いばかりの青白の光に囚われた<黄昏宮>は翼を用いた飛翔を諦め、星術方陣の起動を企てた。それを妨げる形で、ラグリマが大振りからの剣閃を叩き付けた。大地をも轟かす絶大な星力が具現化し、暴竜のように荒れ狂って<黄昏宮>へと襲い掛かった。
剣閃の直撃を浴びた<黄昏宮>の翼が、全て千切れ飛んだ。シャマスは次の剣をラグリマの下へと器用に滑らせた。ラグリマの特質たる異常星力によって強化された剣が、もう一度閃いた。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
轟音と共に巨体を半ばまで両断され、<黄昏宮>が冥府に落とされた罪人の嘆きを思わせる狂おしい絶叫を上げた。弱り目とはいえ、不沈三獣が為す術なく圧倒される光景に、システィナは信じられないものを見るような顔つきをしていた。だが、ふとラグリマを見れば、彼は明らかに不調を来していた。
「ラグ殿ッ!」
システィナの悲鳴に近い声を聞きつけ、リージンフロイツや朧月夜もラグリマの状態に気が付いた。ラグリマは全身から青白い煙を立ち上らせており、体中の毛細血管が破れて全身血塗れになっていた。目からは血の涙を流し、それでもシャマスから次なる新たな剣を受け取って、それを正中に構えた。
「ラスト一本だぞ」
「十分だ。そもそも、奴はもはや屍のようなもの。七年前に星力を使い果たし、今や往時の十分の一も戦闘力を残してはいまい」
「そうか」
「それにこの最後の剣には、失われた多くの者の生命力も乗せていく」
ラグリマは自らの斬撃で寸断されつつある神獣を見据え、止めの一撃を繰り出すべくあらん限りの生命力を燃焼させた。どこにそんな力が残されていたのかと隣のシャマスが額に汗して怖れ入る程に、ラグリマが剣に纏わせた星力の量は膨大で、そして彼の背中には形容のし難い哀愁が漂っていた。
『・・・・・・待て。我が落命せし時、我が肉体の一部となりしエルフの姫も道連れとなろう。故に我を生かせ。さらばこの者の姿は永久に美しく在り続けよう』
命乞いともとれる<黄昏宮>の囁きであったが、誰あろう、ラグリマの心には確かに響くものがあった。
(・・・・・・<燎原姫>。お姫さん。すまない。おれの技では貴女を元に戻してやれそうにない。四年待たせてしまったが、おれが・・・・・・おれだけが、皆の墓標を立ててやれる。不沈三獣を伐って、世界に笑顔を取り戻す。それが貴女たちの、それと彼女の願いでもあったから)
ラグリマは剣を振るう寸前、<黄昏宮>の腹部に在る<燎原姫>を見た。彼は、血で濁った自身の黒瞳に映るエルフの姫が、生前と似通う抜群の笑顔を浮かべたように感じた。そうして彼女と、<不毛の谷>に散った同志たちの顔が走馬灯のように浮かんで、消えた。
『待て』
「千の刃、その身で確かめてみろ!」
ラグリマは地を蹴った。その瞬間、包囲結界を組成していた星力が硝子のように細々と砕け散り、幾十幾百にも分かたれたその欠片が一斉に<黄昏宮>へと降り注いだ。それは見る者の瞳に星々の煌きが如く映った。無数の星力に全身の至る所を貫かれて動きを止めた<黄昏宮>へと、ラグリマが渾身の力を込めて斬り抜けた。頭部を吹き飛ばされ、深々と斬り裂かれた神獣の巨躯は、残されし星力を蒸発させながら端より急速に崩壊していった。
グラジオラスの壊滅した大地に放出される星力、緑と青の光芒は壮大かつ幻想的な趣で、システィナやシャマスはすわ<光神>の楽土が地上に再現されたものかと自身の正気を疑った。リージンフロイツや朧月夜も、崩れ行く<黄昏宮>に目を奪われていた。ラグリマの関心は神獣の死にはなかったが、ふと目にした一部の星力の流れに作為的な動きを感じ取った。
(いまの星力・・・・・・昇華したというより、誘導されていたように見えるが)
ラグリマは完全に炭化した剣を放り捨てた。そしてリージンフロイツとシャマスを伴い、倒れ伏した白面へと近寄った。
ラグリマ自身が今にも意識を失いそうな体であったが、それよりも白面に漂う死の気配はいっそう濃密さを増していた。
「<仮面>。<黄昏宮>は伐った。何か、残す言葉はあるか?」
ラグリマはひざまずき、白面の顔に耳を近付けた。
「・・・・・・星術が、解けた。ラグ。面を・・・・・・取って・・・・・・」
白面は途切れ途切れに言葉を発した。その声は星術で合成されたそれではなく、ラグリマやリージンフロイツの耳には男性の声色と聞こえた。
「面を取ればいいのだな?分かった」
ラグリマは面に手をかけるが、今しがた耳にした掠れ声に大きな違和感を覚えていた。
(・・・・・・<仮面>の声ではなかった?)
仮面を取り、そこに現れた素顔を確かめた瞬間、ラグリマよりも先にシャマスが声を張り上げた。
「<不死>!?しっかりせい!何故お主が・・・・・・!」
シャマスは旧き戦友へと治癒の星術を施すが、倒れている男の生命力の灯火はまさに消えようとしていた。ラグリマは呆然自失といった様子でかつての仲間を見下ろしていたが、不死の神官の目の周辺が歪に変色・変質している点に着目した。かつて知る彼の顔にそのような徴はなかった筈で、ラグリマは瞬時に思考を巡らせた。
「シャマス・・・・・・?ラグ・・・・・・すまない。僕が・・・・・・お姫さん、を・・・・・・。<結合>など、しな、ければ・・・・・・」
「・・・・・・もう、いいんだよ。<不死>。これは、<仮面>の仕業だな?」
「・・・・・・あいつだけが、悪いんじゃ、ない・・・・・・。僕、が・・・・・・」
それだけを言い残し、白面であった不死の神官は事切れた。唐突に再会と別れを演出させられたシャマスは言葉を失い、それでも異種族の友を送るべく<光神>へと祈りを捧げた。リージンフロイツは事態が理解できず、はらはらした様子でラグリマとシャマスを見比べていた。
ラグリマは心中で不死の神官を弔い、すっと立ち上がると、システィナと朧月夜を呼び寄せた。
「ラグ殿、どうされました?・・・・・・これが、白面の素顔なのですね」
「こいつは<不死>と呼ばれた、かつての同志だ。七年前の決戦にも参加していた。おれには、別の同志である<仮面>を名乗っていたが」
「え?それは・・・・・・」
「システィナ。ハルキス救世会がヴィシスへ手出しする頃、闘士周りで何か違和感はなかったか?いや、それ以前でもいい。例えばおれがウルランドを訪れてから、変わったことは起きていないか?誰かの態度がおかしくなったとか、些細なことで良いんだ。疑問に思うことがあったなら、何でもいいから教えてくれ」
急展開とラグリマの剣幕に気圧されながらも、システィナは懸命に記憶を辿った。ラグリマがスレイヤーズギルドの支部を訪れたこと。ヴィシスの霊獣に苦しめられ、リージンフロイツとラグリマを頼ったこと。そのあたりに思いを巡らせている内に、もやもやとはしていたものの、一つの留意点が引っ張り出された。
「・・・・・・そう。無責任な私の采配が原因ではあったのですが。ヴィシスで霊獣と戦っていた時のことです。ウルランドでは最強の闘士であったアスタリスが敗死しました。ですが、私は彼がやられたところを見ていないのです。同行した騎士からそれを聞かされたのですが、気が付いた時にはもう彼の遺体はなく・・・・・・」
風が揺れ、ラグリマの空色の髪がばさばさと流された。
ラグリマも不審には思っていた。アスタリスは支部で会った際、十年近く前と断わり、空色の髪の少女に憧れたのだと言っていた。だが、ラグリマが良く知る少女が髪を空色に「染めた」のは七年前、決戦の地に至る半年ほど前のことで、アスタリスが言う時期とは微妙にずれていた。それまでは彼女の髪色もラグリマと同じ濡れた烏の如き漆黒であったので、はたまたアスタリスがその頃に彼女と出会い、そして伝説として残った彼女の空色の髪を想起したものかと、ラグリマは勝手に解釈していた。だが、それであれば初見であるところのラグリマの髪色を見て、少女のことを即座に連想するほど明快に識別できるかという疑問が残った。
(アスタリス。ウルランドで接触し、親交を深めるまでもなく失われた男。そこから救世会は動きだし、白面が表に出てきた。これは本当に偶然の出来事なのか?)
有史以来、初めて不沈三獣が撃破された。
この事実は、世界に狂喜乱舞の嵐を呼び込んだ。七年前に希望の芽が摘まれて以来、世界は魔獣の凶行に怯えるばかりであった。それが神獣<雷伯>を伐ち取ったばかりか、最強たる<黄昏宮>をも粉砕したのである。おまけに勝利の立役者は、七年前に招集された最高戦力が一角、<千刃>のラグリマ・ラウラその人だったというのだから、人々は勇者の帰還を純粋に喜んだ。そして、彼を指導者と戴くことで、残る不沈三獣が打倒される日も近いのだと再び夢を見始めた。
北域はグラジオラスの国王・ロイド九世は、破壊し尽くされた王城の近隣でラグリマと八年ぶりに見え、涙を流して此度の勝利を讃えた。ウルランドの領主システィナもその会見に同席し、疲弊した北域の復興に手を携えるという意向をロイド九世と力強く確認し合った。
<不毛の谷>が消滅したことで、北域における魔獣の被害は桁違いに少なくなった。北域諸国はスレイヤーズギルドや星術学院、<光神>神殿といった諸勢力の助力を得て、統治体制の引き締めと対<魔獣>戦力の再構築を急いだ。その過程で北域や北西域の諸国は、ウルランドに対する内政干渉や<不毛の谷>へ強行進入を繰り返したレーゲンドルフに、暴虐の対価として経済制裁を科した。
世界と魔獣の闘争は、新たな局面を迎えようとしていた。




