6 沈まぬ獣が呼ぶは動乱-4
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ラグリマは意識を取り戻すと、逸る気から直ぐに起き上がったりはせず、努めて冷静に周囲の状況を観察した。どうやら自分が屋内の床に寝かされており、天井や壁面の様子から、ここは木材で組まれた粗末な小屋の内部であろうと考えた。
窓から差し込んでくる日光を認め、時刻は日中、空気に雑味が少ないことから場所も地底や洞窟といった暗所ではないとラグリマは断定した。そうしてゆっくりと上半身を起こした。
「打ち所が悪くなかったことに感謝するのですね。あのレベルの崩落に巻き込まれて、大した外傷もないのですから」
死角から飛んできたのは合成された声音で、ラグリマは己が白面に助けられたのだと自覚した。相手が背後にあると分かっていたが、ラグリマは敢えて振り返らずに訊ねた。
「どうしておれを助けた?」
「何です?あの場で死にたかったとでも?感謝の色が些かも窺えませんね」
答えのない白面の応答に、ラグリマは黙った。
(こいつが旧知の誰かなことは明らかだ。それも、<燎原姫>を知る誰か。だからこそおれを助けたのだろうが、一体誰なんだ・・・・・・)
ラグリマは三年前、<黄昏宮>に囚われの身となっているエルフの姫の口から、七年前の決戦の一部始終を聞かされていたので、彼女が神獣と融合するまでの戦闘状況は承知していた。少なくとも、自分を助ける程に親しかった仲間は皆、殺されたか助かる見込みがない状態に陥っていたはずだと振り返った。
強引に結びつけられる線として、<結合>という秘術を用いて<燎原姫>を<黄昏宮>に取り込ませた神官の存在が挙げられ、確かに白面の丁寧な言葉遣いも不死の神官に近いものがあると、ラグリマは一考の余地を認めていた。だが、聞かされていた決戦の最後において、不死の神官は空色の髪の少女と共に、助かりようもない攻撃を浴びて果てているものと推測された。
「<黄昏宮>に取引を持ち掛けましたが、無駄に終わりました。あの者たちは独特の価値観を持っているようでして、真世界とやらの意味不明な構想を聞かされただけに終わりましてね」
白面は、訊ねられてもいない<黄昏宮>の口上を全てラグリマへと語って聞かせた。ラグリマは<欠片>という初出の単語に興味を引かれたが、それよりも「エルフが<欠片>となる」という文脈から、白面の目的に気付いて口を挟んだ。
「やはり、貴様は<燎原姫>の奪還を狙っていた口か。彼女と<黄昏宮>の状況を知っていてなお、生存している者がいるというのは正直信じられない。が、もはや他に該当する者がないことも事実だ。貴様は誰なんだ?」
ラグリマはここで首だけ振り向いて、白面と対峙した。ここで答えがはぐらかされたのなら、直後に飛び掛かって星力の込められた拳を叩き込むと決めていた。狭い小屋に設えられた長椅子に腰掛けた白面は、ラグリマの剣呑な気配に動じる様子もなく、ゆっくりと窓の外を指さした。
「ここがどこだかを確かめれば、とてもそんな殺気は放てぬでしょう」
ラグリマは床から起き上がると、傍らに無造作に置かれていた樹霊剣を掴んだ後、窓外の景色を改めた。そして、声を失った。
「この小屋で暴れて、私を排斥しようものなら君は無事に帰れません。そういうことです。少し冷静になると良いでしょう。君は昔から、彼女に諭されねば無茶をしでかす性分でしたからね。覚えていますか?星力吸引の力を欲して、彼女に窘められたことを」
ラグリマははっとさせられ、白面へと振り向いた。白面が口にした僅かな情報から、ラグリマはそれが一体何時の、どういったエピソードであるかを直ぐに想起させていた。
「ちょっと待て・・・・・・貴様・・・・・・まさか・・・・・・!あの場にいたということは、貴様・・・・・・あんたは!」
ラグリマが窓外に見た光景は、ここが峻険な山々の頂に築かれた小屋であり、決して余人が立ち入ることの出来ぬ高度にあるのだと一目で分かった。眼下には雲海が、頭上にはただうっすらと青い層が淀みなく広がっているのみであった。
ラグリマの下した結論として、竜ないしは飛行能力を持つ生物から力を借りることによってのみ、この地に小屋を築き、訪れることが叶った。そして、七年前の仲間でそれを成し得、かつ<不死>の星力吸引に関する<燎原姫>の小言を知る由がある人物など、ラグリマはただの一人しか知らなかった。
「仮面の竜騎士。顔も、本名も知らない。あの頃は、<仮面>を名乗っていたか。まさか、あんたが・・・・・・」
「正解・・・・・・といって差し支えない。私に言えるのはそこまでだ。馬鹿丁寧な口調を装うのにも飽きてきたところ。まあ、潮時だったということだな」
<仮面>と呼ばれた人物は、特に白面を取るでも声音を変化させるでもなく、そのままの素振りで応じた。ラグリマは心の底から湧き上がる懐かしさと、かつての戦友がウルランドで引き起こした騒乱に対する嫌悪感とで板挟みとなり、素直に目の前の人物の生還を喜べなかった。
「君が言いたいことは分かる。だが、私の目的はただ一つ。<燎原姫>を取り戻すこと。それ以外の事情を斟酌するつもりは始めからなかった。ヴィシスを霊獣が占拠したと聞いた時、これは天啓に違いないと踏んだ。そして、意図した通りに事は運んだ」
「待ってくれ。狙いは<黄昏宮>だったんだろう?何故ヴィシスを危険に晒してまで<雷伯>の襲来を待った?奴を介せば、<黄昏宮>に行き着けるという確信があったのか?」
「・・・・・・君は、私のことを竜騎士と認識しているな?」
「ああ。七年前、あんたは竜に跨がり勇ましく戦っていた。皆が、あんたの操竜の美技に酔いしれていた」
「ならば、竜騎士の定義は何だと思う?どうすれば騎竜出来るのだろうか?」
<仮面>を名乗る人物の教師然とした物言いに、ラグリマは心が七年前に帰ったかのように、先輩格に言われるがまま思ったところを答えた。
「竜を幼生の頃から飼育して共に過ごし、主従関係を学ばせる。そうして戦闘訓練を施した後、実戦を重ねて鍛え上げる。十年以上を費やして誕生するのが竜騎士・・・・・・そう聞いている」
「教科書的にはそうだ。だが、私は違う。固有星術で竜を強制的に使役しているに過ぎない。術眼という。だから竜騎士の真似事をするのに、野良の竜さえいれば事足りた」
「・・・・・・魔族固有の星術の一つ、制約。眼を媒介にしてそれを扱える、と。成る程、確かにそれなら竜であろうと幻獣であろうと操れるということか。まさか、あんたも魔族だったとはな。道理で<不死>の特性に詳しかったわけだ」
ラグリマは、当時の<仮面>が常に仮面で顔を隠していたことに関して、それが術眼の手術に係る傷痕なり後遺症なりを隠すためだったのかも知れないと思い至った。だが、<仮面>を名乗る人物は特技のタネを明かしただけで、ラグリマの問いに答えてはいなかった。
「その話と、神獣を手込めにして<黄昏宮>に行き着くことと、何の関係がある?」
「魔獣どもの意識を繋いでいるとされるブレインネットワーク。あれには上下の階層がある。幻獣や霊獣を虜として知ったのだが、浮沈三獣のような上位の神獣へとアクセスする権限を有するのは、同格の神獣のみであった。それ故、ネットワークを通じて<黄昏宮>の居所を掴むために、どうしても神獣と接触する必要があった。それだけだ」
ラグリマは得心した。彼もこの三年、知性的な魔獣と対決する度に浮沈三獣についての問いを発してきたものだが、ブレインネットワーク上に<黄昏宮>の痕跡はないとの回答しか得られていなかった。
これでラグリマが疑問に思っていたことの表層は解決を見た。残るはラグリマが<仮面>を名乗る人物に対して不審を抱く根本的な問題であり、その理由如何ではかつての仲間とて手を下さねばならないと決意していた。
ラグリマは自分が超高度の山頂にいることを一端忘れ、樹霊剣の柄を握る手に力を込めた。
「・・・・・・それで。どうしてウルランドに混乱を持ち込み、レーゲンドルフの戦力を悪用してまで<燎原姫>を追った?ウルランドでおれとすれ違った時、何故全てを明かして協力を求めてくれなかった?」
<仮面>を名乗る人物はしばし黙した後、特に抑揚のない口調でラグリマの問いに答えた。
「君は<燎原姫>の命と世界の行く末とを天秤に掛けたとき、泣く泣く後者を選ぶだろう?それが協力を求めなかった理由だよ。私は前者を選んだ。<黄昏宮>にも、彼女を返してくれるのならば、谷に侵入してきた君たちを排除する手伝いをしても良いと持ち掛けた。これはあっさり無視されたがね。・・・・・・つまり、優先順位の問題なんだ。私は、何を敵に回しても<燎原姫>をこの手に取り戻す。そう、君が空色の髪の少女の犠牲に誓って魔獣の掃討を譲らぬように!」
話が空色の髪の少女に及んだ瞬間、二人は同時に動いた。ラグリマは樹霊剣の抜き打ちを放ち、<仮面>を名乗る人物は自らの仮面に手を差し伸べてそれをずらした。ラグリマの剣撃が鮮やかに決まるかと思われた瞬間、発動した術眼が彼の動きを戒めた。
ラグリマの冴えた戦闘勘が裏目に出た格好であった。ラグリマは刹那の攻防においても敵の微細な挙動を見逃さぬよう観察を徹底しており、それがここでは<仮面>を名乗る人物の瞳と見合ってしまうという失態に繋がった。術眼は必ずしも相手の全てを支配下に置くことが出来るわけではなかったが、今のラグリマは身動きを完璧に封じられていた。
(くっ・・・・・・術式の、この驚くべき発動速度!やはり<仮面>に違いないのか。だが、あの瞳はどこかで・・・・・・)
「・・・・・・流石だな、<千刃>。どうやら君の強靱なる精神までは操作出来ないようだ。そして、私は未だ君に斬られてやるわけにはいかない。為すべきことを何一つ為していないのだから」
「・・・・・・狂気を捨てろ!罪を償うと約束しろ!そうすれば、二人掛かりでやれば、彼女を元の姿に戻せる可能性も高まる。おれの仲間たちもいる。そうすれば・・・・・・」
「ラグリマ君。私はね、全滅が間近に迫ったあの時、<不死>に術眼を仕掛けたんだよ。彼が<結合>を行使するようにとね。だから、<燎原姫>がああなったのは、全て私の責任だ。そう、私が一人でやらなくてはならないんだ。・・・・・・それが、彼女から受けた大恩に報いる最善の道。君の役目は、そこにはない」
「恩、だと・・・・・・?」
<仮面>を名乗る人物の星力がラグリマの精神を重ねて攻撃し、その衝撃によってラグリマは意識を失った。彼が倒れると同時に樹霊剣も床に転がって、室内に甲高い音を響かせた。
<仮面>を名乗る人物は抜き身の樹霊剣を拾い上げると、ずらされた仮面からの覗く澄んだ瞳でそれを優しく眺め回した。
(彼女の剣。森と生命力を枯らし如何なる障壁をも断つ、善悪の理すら超越した聖剣。これは・・・・・・彼女が持ってこそ映えるものだ。今こそ贖罪が実を結ぶ!そして、彼女の帰還は約束されたも同然だ)




