2 ヒート・ジェネシス-3
***
「サーフ伯爵領の奪取は失敗に終わり、伯爵の手勢は半壊。うちの騎士隊も百に近い死傷者を出して、新星フォイゾン・バーリーが負傷により離脱。システィナ様とド・ゴール・ゼンダイン卿は軽傷といっても、ウルランド軍にも被害が出た。・・・・・・ぼろ負けじゃないの!?」
会議室のテーブルを叩き割ろうかとでも言うように、クローディアは美しい顔を怒りに歪ませて拳を打ち付けた。その少し前に、テオドール・ワランティもまた激昂して軍部の責を糾弾していたので、室内に立ちこめた空気は重々しいことこの上なかった。
騎士隊の幹部たちは何れも消沈した顔付きで俯いており、彼らを代表する形でエマーリエが更に頭を垂れて主に謝罪した。
「・・・・・・申し訳ありません、御屋形様。全て、騎士隊を率いた私の責任でございます」
「エマ・・・・・・貴女に責任があるのは当然のことでしょう?私やテオが言いたいのは、動員兵力に大きな差があって、どうして局地戦で一勝も収められないのかということよ!こんな体たらくで、この先どうやって最前線領邦を治めていけって言うの?シンギュラーに二人や三人達人が紛れ込んだからって、それほど戦術に影響するもの?」
またもクローディアがテーブルを叩き、<ティエンルン>の会議室に衝撃音が響きわたった。居たたまれなくなった文官の一人が、おずおずとエマーリエに対する擁護を口にした。
「・・・・・・御屋形様。サーフで待ち伏せがなされた以上、こちらの攻撃計画が漏れていたと考えるのが妥当です。戦略面で負けていたのですから、戦術担当のエマーリエ騎士隊長を一方的に責めるのは酷というものかと・・・・・・」
「そう。なら、サーフ伯やランスロットの身柄を直ちに拘束しないとならないわね。誰が情報を漏らしたものやら分かりはしないんだから、当事者から疑うべきじゃない?」
クローディアの意地が悪い返しに文官はすごすごと引き下がり、流石に空気が良くないと見たグリンウェルもフォローを入れた。
「クローディア、少し落ち着いたらどうだ?間もなくヨルムン連帯から物資が届く。それに、中央からも色好い返事があったと聞いたが。なあ、テオドールさんよ?」
「・・・・・・語弊がある。中央に遣ったメンバーから、支援物資と援軍を寄越す議論が始まったとの連絡があった。あくまで議論の開始であって、決定事項ではない」
「それでもマシさ。中央から騎士や星術士が補充されて、ヨルムン連帯やクーヴェルティアのウルランド軍と協調して動けば、次はシンギュラーとも勝負になる。何せ、奴らにそれほど戦力の無いことが分かった。二軍を足して二百かそこらだったんだから、総勢でも四百には満たないだろう?十分にやり返せる」
グリンウェルの言葉には他社を安心させる力があり、何より彼は自らの任務を着実に果たしていたので、クローディアもひとまずは顧問の顔を立てて怒気を鎮めた。サーフ伯とランスロットはクローディアの命で謹慎させられており、この場にはタンデライオンの責任者だけが集っていた。クローディアは、テオドールを除く全ての文官に、ヨルムン連帯からの物資受け入れと同盟交渉に注力するよう申し渡して体よく会議室から追い出した。
クローディアのやりようを見ていたグリンウェルは、残された面子がいつもの三羽烏とオウミだけな点に着目し、若き領主が何事か問題を提起するのではないかと推測した。
(負けず嫌いなお嬢さんのようだからな。直ぐにもシンギュラーに再戦を申し込もうとか言い出さないと良いが)
咳払いなどして改まり、クローディアは側近の顔を一通り眺め回してから言った。
「クーヴェルティアとの統合を視野に入れて、戦力の整備・増強を検討して欲しい」
クローディアの発言に、はじめは誰も実感を得られなかった。やがて何事か問題発言が出たと認識したテオドールが、怖々と質問を発した。
「それはまさか・・・・・・クーヴェルティア要害を放棄する、とかいう類の話ではありませんよね?」
「それよ。シンギュラーの強兵を相手に、最前線領邦内で戦力を分散させているというのはもはや無駄と考える。サーフも当面は放っておく。だって、クーヴェルティアなんてそもそも軍属しか詰めていないのだから、補給面からして維持するだけ効率が悪いわ」
「お待ちを!いち領邦を放棄するような権限、少なくとも我々は持ち合わせておりません。とにもかくにも、中央に意見を求めませんと・・・・・・そのような暴論は通らないものかと存じますが」
テオドールの型通りの回答に、クローディアはただ肩を竦めて見せた。彼女が彼女なりに考えた上での提案であり、自由にできる手元戦力を積み増すに、これが一番手っ取り早い手段であると結論付けていた。
グリンウェルは「ほぅ」と一言だけ漏らした後は場を静観しており、オウミもまたそんなグリンウェルをちらりと見て口を閉ざした。エマーリエが形の良い顎に指を這わせながら、クローディアの指示に対して肯定的な感想を述べた。
「・・・・・・確かに、一理あります。ウルランド軍は好意でクーヴェルティアに入っており、元来の守備隊は傭兵と公募の闘士から成っているはず。なればこそ、システィナ様の部隊がどこへ拠点を移そうと勝手であるとも考えられます。敵が精強であることは疑いようのない事実ですので、戦力の集中運用には賛成です」
「何を馬鹿な!エマーリエ卿!卿は己が失態で敗戦を招いておいて、よくもシンギュラーを精強だなどと他人事のように評せる者だな。卿の辞書には恥という概念がないものと見える。そのように厚顔だから、暴論にも軽々しく賛意など寄せられるのだ!」
テオドールから苛烈な叱責を受け、エマーリエは心を落ち着かせるべく黒縁眼鏡を外して、静かにハンカチでレンズを磨いた。騎士隊長が反撃して来ないことに肩透かしを食わされた形のテオドールは、なおも無茶を指摘せんとオウミに水を向けた。
「オウミ!政務補佐を兼ねるそなたの見解はどうなのだ?まさか帝国法に則らぬ前線の放棄など、認めたりはせぬな?そなたは、それほどまでに過激な思想は持ち得まいな・・・・・・」
「・・・・・・」
オウミは無言で、迷い無くグリンウェルの表情を窺った。その動作がまたテオドールの癪に触り、領主補佐の怒りの矛先は、タンデライオン顧問であるグリンウェルへと変わった。
「グリンウェル卿。私は中央の禄を食む身。グラジオラス騎士団領に所属する卿とは立場が異なる。それ故、敢えて言わせて貰おう。卿がタンデライオンに持ち込んだ緩さは、確かに戦略に柔軟性を持たせたかも知れん。だがな、国家大計とは、その場の善し悪しで決められるような軽いものでは断じてない。レキエルの血脈を継ぐ新帝国の統治方針は、前線指揮官が好き勝手をして然るべきではなく、中央政府の大局的見地から判断が為されるべきものだ。違うか?」
「俺は何も言っていないが・・・・・・」
「卿は耳に心地の良い弁を弄する癖があるからな。タンデライオンの為を思うので有れば、いま少し自重を望みたい。クーヴェルティアの放棄など、中央が許すはずもないのだから」
「だから、俺は何も表明していないぞ」
グリンウェルは眉を顰めて抗弁した。テオドールはさらに列席の幹部に向けて怒鳴り散らすものだから、そのタイミングでクローディアが「あくまで検討段階だから」と言って速やかに議論を封じた。消化不良気味のテオドールであったが、クローディアから会議の後に残るよう申し渡された為、ひとまず振り上げた怒りの拳を下ろした。
グリンウェルらが揃って退出した後、クローディアは面と向かってテオドールに腹を割った。
「テオ。あなたは慧眼だったと思うわ。・・・・・・やはり<ティエンルン>に内通者がいるわね」
クローディアは双眸に諦念と敵愾心の入り交じった複雑な光を点し、残ったテオドールへと相談を持ち掛けた。
「・・・・・・はい。私も此度の敗戦で疑念を強めました。ですが、犯人の特定は難しいかと存じます。幹部の動向を見るに、今回は誰もが状況的に潔白と見えます。オウミは御屋形様と共にナル・プリフィクスと当たり、エマーリエ卿やサーフ伯は戦場で死と隣り合わせの苦戦を強いられました。グリンウェル卿とて単身でヨルムンに赴いて、見事に交渉を成立させておりますので」
テオドールは額に皺を寄せ、難しい顔をして言った。
「そうよね。他に事前の作戦を知っていた者なんて、リヒトくらいのものだし。彼にそんな大それたことが出来ないのは、私が身命に誓って約束するわ」
「ここから打つ手に関しては、逐一シンギュラーに嗅ぎ付けられていると思わねばなりません。御屋形様。先ほど述べられたような戦力再編に関する議題は、極力会議の場に持ち込まれませんよう。私が敢えて猛烈に抗議をしたは、内通者への牽制の為。タンデライオンは戦力の集中を行おうとしている。しかし、領主と領主補佐が対立して混迷状態にある。それらの情報は敵に入ってしまうでしょうが、そうと分かっていれば逆手に取る機会もございます。・・・・・・例えば、敢えて単独で、ここで奇襲に出るといったような戦略も採り得るかと」
「フフ。分かっていたわ。あなたが相手の反応を調べるために端から突っ掛かって見せたことはね。・・・・・・でも、成果はなし?」
「申し訳ございません。もしあの中に裏切り者がいるとして、相当な厚顔の持ち主ではないかと。それ位、芳しい反応を示した者はありませんでした」
テオドールは言って、自らの熱演に甲斐が無かったものと認めた。クローディアは椅子に深く腰掛けると、思い出したように一つの話題をテオドールへと振った。
「そういえば。グリンウェルから魔王廟への調査志願があったの。昨今の情勢で、わざわざ西進するというのは避けた方が無難かと思うのだけれど。どう思う?」
***
シンギュラーの国都はデゼラーと言った。小国故、デゼラーには総人口の八割にも及ぶ国民が住まい、国王が執務する宮殿を円状に囲って住居が連なっていた。この日、宮殿においては戦勝を祝う祝賀のパーティーが催されており、少ない同盟国からも来賓があった。パーティーに先駆けて政治・軍事双方の組織改編が発表され、それぞれの長を任免する席において、国王ジェネシスの妖艶な唇から新帝国への宣戦が大々的に布告されていた。
立食の場では、白絹に銀糸の刺繍が施されたドレスでめかし込んだジェネシスを取り巻く形で、来賓の筆頭たる二者が朗らかに談笑を交わしていた。
「ジェネシス陛下。先ほどの任命式、感服致しましたぞ。綺羅星の如くこれほどの勇者が揃うなど、西域ではレキエル隆盛の時以来になりましょう」
キレート公国の騎士隊長を務めるレット・キュリオスが、精悍な顔立ちに満面の笑みを浮かべて言った。壮年のレットは僅か五十騎という少数騎士団の長でこそあれ、彼自身はかつて北域で魔獣を相手に活躍した歴戦の闘士であった。レットは獣将ブラギの名に惹かれ、先年キレート公主にシンギュラーとの同盟を進言していた。
そのため、レットは当人からして乗り気で、今日も勇んで公都フランネルから駆けつけていた。
「キュリオス卿。こちらこそ、わざわざフランネルより足をお運びいただき光栄。当国と新帝国の関係が綻びて後も変わらぬ厚誼、感謝は尽きぬというもの。ああ、ムガール卿にも、御足労をおかけしてまこと恐縮じゃ」
ジェネシスが女らしい媚びた眼差しで配慮を示したもう一人の相手が、盛んに首を縦に振って喜びを露わにした。レットより少しだけ若く、三十半ばを過ぎた年頃のこの騎士こそ、近隣はアーガマイト市民国の国防長、ムガール・ジュニアであった。アーガマイトもキレートと同規模の小国であり、新帝国やヨルムン連帯といった大勢力と敵対してまでシンギュラーの傘下に入ったことで、奇特な国家と見られていた。
一見温厚そうなムガールであるが、若かりし頃は崩壊前のレキエルにおいて騎士を務めており、ブラギ・ドゥによくしごかれていた。それ故、ムガールは英雄として名高いブラギを心酔しており、父であるアーガマイトの元首に談判してシンギュラーとの友好関係を構築していた。
ジェネシスがレットとムガールを歓待しているそこへ、特注の燕尾服を着込んだ大柄の獣人が姿勢も良く歩み寄って来た。獅子の顔は厳めしいものの、獣人ことブラギの雰囲気はパーティーにちなんで穏やかで、周囲の紳士淑女もそれほど萎縮せずに彼に一声掛けていた。
「良くぞ来られた。ムガール・ジュニアよ」
口下手なムガールはぶんぶんと首を縦に振り、ブラギとの再会に感動を示した。レットも負けじと前に出て、ブラギに己が存在をアピールした。
「ブラギ・ドゥ閣下!キレートのレット・キュリオスであります。ご無沙汰しております!」
「キュリオス卿。ご壮健で何より。こうして卿らと顔を合わせられたことで、自分等の同盟が末永く続くものと確信した。これからも宜しく頼み申す」
武人三者が握手を交わし、絆を確かめ合っているその光景を、ジェネシスはこどもたちを見守る母親のような心境で眺めていた。キレート公国とアーガマイト市民国の協力はジェネシスにとって生命線であり、これによって近隣諸国がおいそれと対シンギュラーの気勢を上げられないでいた。
ジェネシスはブラギの袖をくいと引っ張り、それに釣られた獣将が耳を貸すべく腰を屈めた。
「我が国が誇る将星たちはどうした?友軍との交流を深めさせようと思ったのじゃが」
「アルマグロ殿とプリフィクス殿でしたら、軍師殿に呼ばれて会場から捌けた模様。列席者の流れを見ている分には、傭兵隊の一部を動かしているようです」
「フーリエが?・・・・・・ならば、間もなく報告に来よう。帰国早々に忙しい奴じゃな。では、星術博士はどうした?この席で一度も姿を見掛けていないが」
「ギャンビット公でしたら、朝から研究室に籠もると宣言しておりました。なんでも新しい星術理論を閃いたのだとか。かの御仁もまた変わり者故、どうかご寛容を」
「フン。各地より招いた実力者たちは皆、揃いも揃って変人であるか。折角の戦勝祝いだと言うに。まあ良い。卿もたまには酒と料理を楽しむが良いぞ?卿を慕う騎士がはるばる駆けつけてくれたのじゃからな」
シンギュラー王ジェネシスはそう言って頼りにしている獣将の腰をぽんと叩いた。年齢不詳を謳っているジェネシスの肢体にはうら若き乙女と比して遜色のない張りがあり、ドレス越しに浮かぶ体の線からはただならぬ色香が発せられていた。ともすれば十九、二十歳の美女とも映り、また溢れんばかりの威厳や所作からは妙齢の淑女とも窺え、レットやムガールといった男鰥には刺激が強かった。
レットはこの際にと、シンギュラーの新しい陣容で最も注目した点に関してジェネシスに尋ねてみた。
「陛下。星術士を束ねる大役を任されていたプリフィクス卿。彼女はエルフとお見受けしましたが、まさかあの剣匠ナル・プリフィクスでありますか?」
「左様。しかし束ねるなどと言っても、妾が直接に雇用する星術士は二十に満たぬ。大仰な組織でないが故、プリフィクスには申し訳なく思っておる」
「いえいえ。中央域でご活躍されていたギャンビット卿に加えて、またも大物が加入されたわけですから。同盟国の一員として、これほど鼻が高いことはありませんぞ。新帝国もヨルムンも何するものぞ、という気概であります!」
レットは強く主張したものだが、ジェネシスは決して有頂天になることはなく、曖昧な笑みで対応した。ジェネシスの意志は、まずは西域の安定が一番であって、新帝国を武力で打倒することは決して必須条件ではなかった。
(最小限の打撃でタンデライオンとクーヴェルティアを屈服させたいもの。さすれば、交渉で新帝国を下すことが叶うやも知れぬ。・・・・・・クローディアとかいう女領主とは、一度胸襟を開いて話してみたいものじゃ。ラグリマ・ラウラが、どれだけ信用に値するものかということをな)
「皆様。ご歓談をお楽しみいただいているようで何よりです。・・・・・・僕は、少し出遅れてしまったようですね」
ジェネシスらが語る一角に、童顔の青年が近付いて来た。詰め襟が似合わぬ、人畜無害を絵に描いたような容姿が特徴といえば特徴の青年で、成人男性としては体格も小柄の部類に入ると思われた。
しかしながら、ジェネシスを除く諸氏は敬礼をもって彼の登場を迎えた。ジェネシスは待ちわびたといった類の呆れ顔をして、己が片腕たる軍師に酒杯を渡した。青年ことシンギュラーの軍師フーリエは、満面の笑みを浮かべてそれを受け取った。
「これは、フーリエ卿。キレートを代表して、此度の戦勝をお祝い申し上げます」
レットが如才なくフーリエに話し掛けると、傍らのムガールも無言ながらに深々と頭を下げて挨拶した。
「ありがとうございます、レット・キュリオス様。それにムガール・ジュニア様。ですが、僕はつい最近まで国を空けていたわけですから、ただの穀潰しです。たまたま放っていた<鳥>が良い仕事をしてくれたまでのことで・・・・・・」
「フーリエよ。雑談の前に妾に一つ聞かせよ。アルマグロとプリフィクスをどこへやった?」
ジェネシスが話に割り込むや、レットとムガールは気を利かせて一歩下がった。フーリエは幼く見える顔に似合わず酒杯を一気に呷ると、喉が潤ったとばかりに目を輝かせて主の問いに答えた。
「<鳥>から連絡がありましてね。魔王廟を騎士の小隊が訪れるとのこと。それで、急遽お二方に向かっていただきました」
「ほう。それはおいたが過ぎるのう。当然、タンデライオンよな?」
「はい。あのヨルムン連帯との協調を交渉で成立させたとかいう、グリンウェルなる顧問の発案だそうです。魔王廟付近の資源を調査するという名目のようですが、この者は東域の名士というだけでなく、グラジオラス騎士団領の<遊騎士>であると判明しています。警戒するに越したことはありません」
フーリエの報告にジェネシスは小さく頷きを見せ、その流れでブラギの獅子面に視線を送った。
「軍師殿の判断に異存ありません」
ブラギは断言し、それをもってジェネシスは本件の全てをフーリエに委ねた。新帝国の剣学院でくすぶっていた学生・フーリエを囲い込んだのは何を隠そう即位後直ぐのジェネシスであった。ジェネシスはフーリエの内に隠された鬼才を偶然見出し、彼はその期待に応えて結果を出し続けてきた。
そんな経緯もあって、ジェネシスはフーリエに全幅の信頼を寄せており、フーリエもまた抜擢の恩義を忘れることなど片時もなかった。
「あ、そうそう。陛下とブラギさんにご紹介したい人材がいるんです。北西域はレーゲンドルフを訪ねた折りにスカウトした、指折りの実力を持つ騎士です」
フーリエはいきなりそう切り出すと、パーティー会場の一角に向けて手を振った。その合図を受けて、組になった男女がマイペースな足取りで寄ってきた。
風変わりな黒の戦闘衣に身を包んだ、灰色の髪と濃い藍色の瞳を持つ軽薄そうな男。肩上で無造作に切られた銀髪と鋭い目つきがやたらと目を引く美少女。何とも不思議な組み合わせであったが、武人たちは皆、二人の接近に際して一斉に身構えた。それは、戦士としての本能がブラギらにそうさせていた。
「随分待たせてくれたな、フーリエ。分かってるよな?俺様を楽しませることができなけりゃ、ここが血の海になるぞ」
「ええ。ご心配には及びません。・・・・・・ジェネシス陛下。こちらは流れの騎士でクアール・クレイドル様とファリーザさんです。是非シンギュラー軍に迎えたく、僕の独断でお連れしました。ご存知ですよね?」
あっけらかんと言うフーリエに対し、ブラギやレット、ムガールらは、警戒レベルを最大まで引き上げた。デスペナルティの狂騎士の名はここ西域まで響いており、<大災>と呼ばれし男がどれほどの危険人物かは承知していた。
レットもムガールも並の騎士や魔獣を寄せ付けぬ手練れではあったが、いざクアールを間近にすると、一気に漂う緊迫感から手足が動かせなくなっていた。歴戦のブラギとて、獅子面に汗を滲ませながら二者を凝視していた。
(<大災>は当然のことながら、この少女もただ者ではない。・・・・・・雰囲気が達人のそれと近い。軍師殿のことだから考えはあるのだろうが、陛下の前で粗相は許されん)
クアール・クレイドルは外野の視線を全く気にせず、傷だらけの頬を撫でながらジェネシスを観察していた。少女、ファリーザに至っては、何事にも興味がないのかテーブル上の料理をぼうっと見つめていた。
ジェネシスはクアールの目線に対して、単純な問いかけでもって応じた。
「クアール・クレイドルよ。お初にお目にかかる。妾がシンギュラー王ジェネシスじゃ。いきなりで済まぬが、卿に付き従うそこなファリーザとかいう少女は、本当に連れなのか?」
「この女は惨めな奴隷だ。<千刃>を殺りにグラジオラスくんだりまで出向いたんだが、いなかったもんでな。城下で闘士を斬りまくってたら、こいつが刃向かってきた。面白ぇ技を持っていたから、特別に生かして飼うことにした」
クアールが顔面の傷痕を歪ませて下卑た笑みを浮かべるので、ジェネシスは露骨に鼻白んだ。そんな紹介がなされた当のファリーザは何ら反応を示さず、フーリエも平然とした面持ちでクアールの言葉に続けた。
「ラグリマ・ラウラ氏は、密偵の連絡では中央域に向かったそうです。あそこは今、神獣の降臨でざわついていますからね。何事か企んでの渡航かとは思いますが・・・・・・」
「ああ、王様よう。俺様は雇われるなら騎士のトップ以外に興味はねえ。その点だけは、しっかり踏まえて貰おうか」
クアールの尊大かつあまりに野心的な物言いに、胆力には自信があるジェネシスといえど心がざわつくのを抑えられなかった。レットとムガールは目に見えて鬼気を発し、有事と見ればクアールに襲いかかりそうな気配を漂わせた。それらを制したのはブラギとフーリエで、ブラギはキレートとアーガマイトの筆頭騎士の前に体を割り込ませ、己が肉体で動きを封じて見せた。フーリエも場の穏やかな解決を目的とし、ブラギの目をじっと見つめて意見を述べた。
「というわけで。僕は思い切って、クレイドル様をシンギュラー全軍総帥に推挙致します。ブラギさんにおかれましては、誠に不本意かとは存じますが、騎士団総帥改め騎士隊長にスライドということでお願いしたく」
眉を逆立てたジェネシスが非難を口にする前に、ブラギは機先を制してフーリエの宣告に応じた。
「承知した。ギャンビット公とて新参のプリフィクス殿に星術士長の座を譲られた。いわんや自分がそれに倣うことに何ら障害はない。・・・・・・クレイドル総帥、これから宜しく頼み申す」
ブラギは深々とクアールに頭を下げた。すんなり話が進んだことにクアールは退屈を覚えたようで、「おう」とだけ応じて軽口を控えた。ジェネシスはフーリエとブラギを交互に見比べ、部下たちがそれで良いなら敢えて自分は口を挟むまいと決めた。
フーリエは何を思ったものか、ジェネシスとクアールだけを残して他の面子を別のテーブルへ誘った。ジェネシスは事前に打ち合わせておらずとも、フーリエがやることだから意味が有るはずだと解釈し、それを黙認した。
クアールは何の気も起こさずに、目の前のジェネシスをただ睨みつけた。相手は身なり容姿に優れた一国の王であったが、クアールからすればただの女でしかなかった。しかし、直ぐに強大な違和感を覚えて、クアールは目を鋭くぎらつかせた。
「・・・・・・お前。どこかで嗅いだ匂いがするな。人間じゃねえな?」
クアールの指摘に対し、ジェネシスは口角を上げて微笑でもって迎えた。今度はクアールが底知れぬ凄みを感じる番であった。
そしてクアールの反応を受けて、ジェネシスもまたクアールの隠された素性に関して洞察力を働かせた。
「分かるか、<大災>よ?成る程その鋭敏さ、妖精族の血統がなせる技じゃろうな」
「・・・・・・竜か」
「目が高い。そう。古竜じゃよ、私は。これは分体のようなもの故、本物とも偽物とも言えような。卿も魔族であれば竜と接する機会は多かったであろうし、むべなるかな」
「それだけじゃねえ。お前、何か途轍もない星術の下拵えをしてやがるな?この辺りの生命力と星力は、どうも流れがおかしい」
「うむ。フーリエやプリフィクスと図って、とある大掛かりな実験をやろうと思っておる。そうそう、卿にも手伝って貰うぞ、クアール・クレイドル?なぜなら、卿はこれより我がシンギュラーの全軍総帥なのだからな」
ジェネシスは愉快そうに語り、クアールへと手近な酒杯を勧めた。クアールは無言でそれを手に取ると、愛想を見せることなく一気に飲み下した。




