3 神の名を冠した獣(回想)
3 神の名を冠した獣
七年前の某日のこと。
「えっ?・・・・・・旦那さん、いるんですか?」
驚きのあまり温いミルクを吹き出しそうになったラグリマが、胡乱な目つきをして訊いた。
「いるさ。私に旦那がいちゃ、何か可笑しいのかい?」
元暗殺者の女傭兵はそう言って、カウンターで右隣のスツールに腰掛けるラグリマへとヘッドロックをかけた。ボックス席からその様子を窺っている仮面の竜騎士は、あれは意外と本気を込めていると推察して「南無」と一人言ちた。
「イタタ・・・・・・!」
「何喜んでんのよ。あんた、胸が顔に当たって嬉しいんでしょ?この変態!」
同じくカウンターに着いている空色の髪の少女は、ラグリマの右脇腹へと容赦なく左肘を突き差した。仮面の竜騎士はその威力を目の当たりにし、思わず目線を逸らした。
「ぎゃっ!」
女傭兵の豊かな胸と筋肉質な腕とに頭部をキメられているラグリマは悶絶し、一瞬意識を飛ばしかけた。仮面の竜騎士とは正反対に、ボックス席から見守っていた<燎原姫>こと女エルフが、「その辺にしておきなさい」と女二人の暴力を窘めた。女傭兵はけらけらと笑いながらロックを解き、涙目になって呻いているラグリマの黒髪を優しく撫でてやった。
闘士たちが束の間の休息にとたむろしているのは旧レキエル領の自治都市で、再建途上の町並みに目聡くも酒場を見付け、こうして有志で訪れていた。とはいえ、ラグリマと空色の髪の少女は年少組であったので、二人だけは<燎原姫>からアルコールの注文を厳禁と言い含められていた。
夕暮れ時という早い時刻のせいか他に客はなく、こぢんまりした店内で五人が好き勝手に酒杯、ないしはミルク杯を傾けていた。ちなみに老店主やウェイトレスの娘は客たちの素性を勿論知っていて、これほど光栄な来客はないとばかりに、精一杯のもてなしをと張り切っていた。
それがしかし、勇者たちは終始、品のない話題に花を咲かせていた。
「でも、いつの間に相手を毒牙に・・・・・・見つけたの?」
空色の髪の少女が、ラグリマを挟んで女傭兵に問いかけた。世界最強を自負する少女の手に握られていたのは、形無しであったがミルクの注がれたグラスであった。
「男と女。そんなの、出会いのチャンスなんていくらでもあるものよ。裏稼業についていた時だって、別に日がな一日誰かをつけ回していたわけじゃない。お茶をする日課もあれば、習いごとに勤しむ時間だってあるし。旦那とは、観劇で知り合ったんだわ」
女傭兵は栗色の髪を掻き上げ、蒸留酒を口に含んでから口の端を上げた。ラグリマから見ても魅力的な成人女性で、これで元は国家機関の腕利き暗殺者だったというのだから、女というものの本性はまるでわからないと再認識させられていた。
「自分からアタックしたの?それとも旦那から?」
興味津々といった体でカウンターに突っ伏し、空色の髪の少女が突っ込んで訊ねた。仮面の竜騎士は女たちの会話に興味を覚えず、向かいに座るエルフの美貌に静かに魅入っていた。
「自分からに決まってるじゃない。この男だ、と思ったら先約があろうとなかろうと行くのよ。だってこんな御時世、いつ何時相手と死に別れるか知れたものじゃないでしょう?待ってたら、あっと言う間に華か命を散らせてしまう。・・・・・・ま、家で待ってる旦那は私のことをただの真っ当な傭兵だと認識してるわけだけど」
「ただの?みんなは鬼女って・・・・・・」
ラグリマが疑義を声に出し、今度は左脇腹に肘打ちを見舞われた。「ぎょえっ!」という情けない悲鳴を上げて、ラグリマはスツールから転げ落ちた。暗殺者であった過去を除いても、傭兵としての女は天下一品の技の鋭さを武器としており、一対一の戦闘技術では世界で五指に数えられると囁かれていた。そんな彼女を「ただの」真っ当な傭兵だなどと形容するのには無理がある、と仮面の竜騎士も同意見を持っていたが、口にしたのは「ここの麦酒はよく冷えている」という誰の耳にも入らない無難な呟きだけであった。
「へえ。・・・・・・帰る場所、あるんだ。そういうのっていいわね。でも私はやっぱり、男性から告白とかされてみたいな」
空色の髪の少女は遠い目をし、虫の居所が悪かったのか、足下に転がった、巷で<千刃>と恐れられているスレイヤーの少年を踏みつけた。
「痛いっ」
床を転がって逃げ出したラグリマは、黒装束を埃まみれにして、空いたボックス席に新天地を求めた。見かねたウェイトレスがタオルを持って駆け寄ると、「そんなひ弱な奴、放っといていいから」と空色の髪の少女から叱責が飛んだ。
「相変わらず、坊やには厳しいね。幼なじみなんだろう?いたことがないから知らないけど、もう少し優しくしてやったら?」
「だって弱いし。頼りにならないし。・・・・・・リードしたりできないし」
空色の髪の少女の言葉はだんだんと小声になっていった。女傭兵は赤ら顔に満面の笑みを浮かべ、年長者としての世話を焼くことにした。
「それをあなたが教育するの。純粋な男ってのもいいわよ?何でも自分色に染めちゃえばいいんだから」
「自分色に・・・・・・?」
「そう。あと、頼りないってのはあなたがちょっと譲歩してあげないと。私の目から見て、坊やは闘士としてこれ以上ない上等な部類に位置してるわよ。技量はともかく、戦闘力だけで言えばもうトップクラスね」
その戦闘力において比類無き才能と実績を有する空色の髪の少女であったが、一皮剥けば多感な年頃の少女であるに過ぎず、女傭兵は妹や娘に諭すかのように優しく助言を続けた。
「あなたに付いて行こうと必死に努力して。可愛いじゃない?たまには飴をあげないと、横からひょいっと浚われちゃう可能性だってあるんだから」
「飴ねえ・・・・・・」
女二人が視線を送った先に、ボックス席で<燎原姫>にあれこれ介抱されているラグリマの姿があった。エルフの姫はラグリマの服に付いた埃を払ってやるだけでなく、脇腹や首筋をさすって慰めていた。竜騎士は表情を仮面で隠して麦酒を喉の奥に流し込みながら、ラグリマがでれでれと鼻の下を伸ばしている様子と、空色の髪の少女が頬をピクピクと痙攣させる様子を等分に眺めていた。
常よりラグリマの面倒を見る役が定着しつつあった<燎原姫>を引き合いに出し、女傭兵は空色の髪の少女を軽く挑発した。
「ああいうこと。知ってるでしょ?人間とエルフは種族が近いから、交配も可能なんだから」
「・・・・・・お姫も!あんな奴のどこがいいってのよ」
「そうねえ。あなたたちはいつも一緒にいるイメージだから、お互いの良いところも悪いところも、全部日常に溶け込んじゃってるんだと思うの。離れたり、居なくなってはじめて、それがどんなに大切なものだったか気付くというか・・・・・・」
既に酒の回っている女傭兵が小声で蘊蓄を垂れ、空色の髪の少女はそれを聞いているのかいないのか、ラグリマとエルフの姫の一挙手一投足に注意を払っていた。仮面の竜騎士は誰にともなく「私は未だ独身でね・・・・・・」などと主張し、<燎原姫>に華麗に無視されていた。
ミルクの追加を頼んだラグリマは、若いウェイトレスから給仕のついでに何やら手紙を渡された。あたふたと慌てるラグリマに対し、決定的瞬間を目撃していた空色の髪の少女は堪忍袋の緒が切れたか、つかつかと彼の下へと歩み寄って問答無用に鉄拳制裁を加えた。
そこだけは、平和な日常であった。




