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奪われた小包と山の道

 大蝦蟇の瑠雨は、風のように走りさってしまった少年の後ろ姿を見送りながら、さてどうしたものかと考えてあぐねていた。予想だにしない行き倒れを救ってくれたのは、近年では殆んど見られなくなった、自分達妖怪を認識できる存在だった。

 これだけでも、無様に倒れて不運を呪っていた、さっきまでの最悪な時を払拭できるくらいに有意義な出会いといえるだろう。妖怪たるもの畏怖されてなんぼとはいえ、もう随分と交流がなかった人間との久々の交流が、瑠雨は堪らなく嬉しくて新鮮だったのだ。だから、そんな人間が行ってしまった先を考えれば、すぐにでも追いかけて連れ戻すべきだった。

 何せ、少年が向かった山は人間の開拓が殆んど入ってない秘境。つまるところ、妖怪達の巣窟と言っても過言ではないのである。

「まずい……よね?」

 勿論、見えない人間が行けば、ただの多少奇妙な現象が稀に起こる山林だ。だが、少年のような存在にとっては話が変わってくる。見える人間なんて稀有なものは、大抵の妖怪や怪異達にとって、極上の御馳走か愛玩動物だ。だから今少年が置かれている状況は、飢えた狼の群れに突撃をかける事と同義なのである。……あの、魔法とやらの要素がなければ。


 実際問題、瑠雨が踏みとどまっているのはそこだった。本人は魔法と言い張るが、あれはそんなものでは決してない。少年が口ずさんでいた言葉やら、使用していた道具が些か奇妙ではあったけれども、あれは間違いなく妖怪の天敵たる技術だ。そう考えると、瑠雨はさっさと逃亡するのが、妖怪としては正しい。しかし。

「……あ~ダメだ。ボク、どうかしてるよ」

 脳裏に浮かぶのは、少年の見せた表情だ。こちらを気遣わしげに見る目。魔法をぶつけろなんて、今考えたら実に恐ろしい提案を、何処と無く躊躇しながら選んだ顔。たったこれだけだが、瑠雨には少年の中に、確かな優しさを見た。

 故に確信があった。仮に少年が瑠雨の推測した通りな存在だったとしても、彼は自分に酷いことはしないだろう。ならば、瑠雨がやることは一つだった。

「まぁ、見習いって言ってたし。……命の恩人に死なれちゃあ、目覚めが悪いよね」

 吹っ切れたような表情で、瑠雨もまた走り出す。まだそこまで遠くには行っていない筈。頼むから変な妖怪に捕まっていてくれるな。そう願いながら瑠雨は山に分け入っていく。

「そういえば、おかしいなぁ」

 その道すがら、瑠雨はついさっき見た光景を思い出す。

 少年の荷物を引ったくった妖怪。見たところ奇形の猿のようではあったが……。

「あんな妖怪、この辺にいたっけ? てか、暑いなぁ……何だろ今年……。絶対おかしいよ」

 浮かぶ疑問が解決される事はなく。瑠雨は額の汗を拭いながら、辺りを探索する。山の中は、静寂に満ち溢れ、虫の声一つしなかった。

「おーい! って、しまった。ボクあのこの子の名前……あ」

 知らないじゃないか。そんな愚痴を吐きかけた時だ。山道の開けた場所に差し掛かった所で、瑠雨は見覚えのある後ろ姿を見つけた。地べたにペタンと座り込んでいたのは、紛れもなく先ほど別れた少年だったのだ。

「よかった、無事だったんだね! ねぇキミ。バックが大事なのはわかるけど、この山は危な……い」

 言葉はまたしても、最後まで紡がれる事はなかった。座り込む少年のすぐに並んだ瑠雨の目は、ある一点に釘付けになってしまう。

「……」

 ため息混じりの困ったような声が瑠雨から漏れる。こうしてみると随分と小さな少年の膝の上には、泥んこの上に傷だらけになった、管狐がぐったりと横たわっていた。

 唖然として変わり果てた己の従者を見つめる少年は、まるで迷子になったかのようで。

「……キミ、大丈夫?」

 その姿は、瑠雨の中にある母性本能的な感情を呼び起こした。

 皆まで語らずとも分かる。少年は敗北し、うちひしがれているのだ。ならば今は言葉など不要だろう。

 そっと、少年の柔らかな髪を撫で、瑠雨は少しだけ躊躇しつつも、その身体をそっと抱き寄せた。


 ※


 少年は、考えを整理するのに必死だった。頭の中で現状を見つめ直せば直すほど、混乱は極まっていく。

 管狐が猿妖怪に敗れたから。……ではない。

 自分の情けなさにうちひしがれている。……は、少しあるが大元ではない。

 問題はそう。ここがどこかわからない事と、カネオのばぁばの言い付けを破り。かつ、御使いも果たせなくなりそうになりつつある現状を憂い、途方に暮れていたのである。

 絶対に届けろと言われたものが、絶対に入るなと言われた場所に運ばれてしまった現状。進むは地獄。戻るも地獄。どうするべきか。考え込む時の癖で唇を噛み締めていると、不意に暖かな温もりに包まれた。

 驚き、身体を強張らせると、耳元で「いいから。……ね?」と、聞き覚えのある囁きが聞こえた。瑠雨だった。

「あの……何?」

 困ったのは少年だ。後ろから抱き締められる形になり、逃れようにも体格差が仇になり、どうにもならない。意味不明な瑠雨の行動に戸惑いを覚えていると、今度は頭を撫でられる。

「……キミさ。もしかしなくても、はじめてだったりした?」

 瑠雨の言葉に、少年は思わず息を飲んだ。まさにその通りだったからである。魔法使いとしての修行はしていた。だが、少年の故郷は都会である。妖怪という存在が介入できない魔境。必然的に、少年がそういった外れたものと交流出来る範囲は限定的なものとなっていた。魔法使いとして妖怪とやりあったのは初めての事だった。

 沈黙を肯定と取ったのか、瑠雨は静かに息を吐き、ますます少年を強く抱き締めた。

「ねぇ、キミ。なら恥じることはないよ。僕はこう見えて妖怪だし、それと対峙する人間はそれなりに見てきたけどさ。キミほど若いうちから堂々と立ち向かった人間を、僕は今だ知らないよ」

 その言葉を聞いた時、少年は気づいた。

 あ、このお姉さん、何か勘違いしてる……と。

 そんな少年の微妙な心情など知らず、瑠雨は話を続ける。もしかしたら、彼女の中で確固たるストーリーが出来ているのかもしれない。

「キミはね。今大海を知ったんだ。でもそれは恥じることじゃない。井戸の中で燻ったままじゃなく、キミはこれから成長できる。〝今は誰かに負けていたとしてもね〟」

 顔を背けたくなるような、恥ずかしい言葉だった。少年がもう少し大人だったなら、お姉さん青蛙だったんですね。と、皮肉を言いたくなるような。

 だが、多少スレてはいても純粋さを残していた少年には、そんな青臭い台詞の方が……ある事情から心に響いた。そしてそれは図らずも、今後を決めあぐねていた少年の方針を決定付け、背中を押した事に瑠雨は気づかない。

「……今日は、帰ろう。ボクがお家まで送って上げるし、おばちゃん? にも見えるなら一緒に謝って上げる。この山は危険だから、もう少し君が大きくなったら……」

 なかなか気持ちよかったな。等と少し名残惜しみつつ、少年は一瞬の隙をついて瑠雨の抱擁から脱出する。「あ……」と、短く言葉を漏らした瑠雨は、立ち上がった少年を見上げるような形になる。ほんの少しだけ、謎の拍動を感じつつ。少年は瑠雨の方を見たまま、静かに口を開いた。

「瑠雨は、この辺に住んでるんだよね?」

「え? うん、そうだけど……」

「妖怪事情には?」

「それなりに詳しいよ……あれ? 気のせいかな? ボク何か凄く嫌な予感するんだけど」

 徐々に笑顔になっていく少年とは対照的に、瑠雨の顔は青ざめ、引きつっていく。

「いやいや、ダメだよ!?」

「ダメじゃないよ。今回がいい機会だったんだ。成長できるなら、今やる。何より、御使いなんてのまで失敗したら……!」

 少年の脳裏に幼馴染みの顔が浮かぶ。色々複雑な感情を抱える相手は、今は縁側でダウンしている。その彼女が同じ状況ならどうするか。答えは決まっていた。

「とにかく、僕は行く。だから、この辺について詳しく教えてほしいんだ」

 迷いを捨てた少年に、瑠雨少しだけ口ごもりながら目を泳がせる。だが、やがて少年が引く気がないと見るや否や、がっくりと頭を落とし「ああ、もう知らないよ?」と、呟きながら顔を上げた。

「あの猿を追っかけるんだね。ボクの話以外に宛はあるの?」

 探るような目を向ける瑠雨に、少年は黙って頷くと、チィチィと、低い口笛を吹いた。

「ミサンガ、もう大丈夫?」

 そう少年が問いかけると、さっきまでぐったりとしていた管狐が、ヒュルヒュルと身体をくねらせながら、少年の左肩に巻き付いた。

「ミサンガはただ負けた訳じゃない。あいつの匂いを覚えてもらって、ついでに血を塗りつけて匂いもつけたんだ。よっぽど遠くに行かない限り、もう見失わない」

 そう言いながら少年は管狐の鼻先を指で掻けば、紐状の獣は、くすぐったそうに身を捩る。

「……なんだ、考えなしに突進しようとしてたわけじゃないんだ」

 少しだけ感心したように言う瑠雨に、少年は当たり前だよ。と言わんばかりに頬を膨らます。

「妖怪は、僕らの何倍も生きてるんだ。だからこそ頭を使えって……ばぁちゃん言ってた」

「本当に何者なの君のおばあちゃん!?」

 そう言いながら、瑠雨もまた、ぴょんと跳ねるようにして立ち上がった。

「まぁ、いいや、お茶とミミズのお礼と。乗り掛かった舟ってことで。ボクがキミについていって上げる。でも、約束。危ないって感じたらすぐ逃げること!」

「……いちごちゃんとおんなじこと言う」

「誰さ、いちごちゃんって。あ、それからもう一つ」

 大事なこと忘れてた。と呟くなり、瑠雨はズイッと少年に顔を近づける。

「……キミの名前。ボクまだ聞いてないよ?」

「……あ」

 間抜けな声を上げる少年。正直、そんなの考えもしていなかったとは言えず、恥ずかしそうに顔を背けた。それを見た瑠雨は楽しげに顔を綻ばせる。

「さぁ早く早く。どうせ道中は長くなりそうだし。ボクにキミのこと教えてよ。そうしてくれたら、とっておきの情報あげる」

「とっておきの情報?」

 何のことかわからずに少年が首を傾げると、瑠雨は少しだけ芝居がかった動作で少年の頬を指で撫で……ひっそりと。小さな声でそう告げた。

「キミのことを知れば自ずとわかると思うんだ。ボクは殆んど確信してるけどね。この山に挑むなら、キミは自分自身の正体も知っておくべきだよ。キミは魔法使いじゃない。誰にそう吹き込まれたかは知らないけど、本質は別だよ」

「……え?」

 少年は、無意識に瑠雨を見上げた。ブルーの瞳が慈愛を含んだ眼差しで少年を包む。「知りたい?」そう問いかけた瑠雨に、少年はコクンと頷いた。


「わかった。教えてあげる。キミは多分だけど……陰陽師だよ」


 その啓示は、少年の脳天を揺さぶりつつ。まるで型に嵌まり込むかのように、魂へ浸透した。

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