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夏の終わりと門出

 着水の瞬間に見た惨劇に、拓矢はただ困惑した。酷い場所に帰してくれたものだと悪態をつく暇もなく、身体を巻き込む水の感触に逆らうかのように、拓矢は無心で手足をばたつかせた。

「――っ!」

 声を出そうとすれば、苔と泥の味が口一杯に広がる。足がつき、この川か池かはそこまで深くはないことにまず安堵した。

「る、……う」

 ずぶ濡れの顔を拭いながら辺りを見渡す。どうやら池らしい。探し人は、すぐに見つかった。

 半ば沈んだ状態の瑠雨を助け起こせば、彼女は血混じりの水を「けぷ」と吐きながら、小さくむせ込んだ。白い肌は一層青く。槍に貫かれ、穴の空いた胸からは血が吹き出し、池の水を紅色に染めていく。

「瑠雨……瑠雨……!」

「ア、アハハ……ごめん、ね。最後の最後で、気が抜けちゃったみたい」

 息も絶え絶えになりながら、瑠雨は力なく笑う。それを見た拓矢は、ただ唇を震わせて、抱き締める力を強めるより他になかった。

「……タッくん。落ち着いて聞いて欲しいんだけ……」

「い、嫌だ!」

「あらら」

 口にされるであろう言葉を必死で否定し、拓矢はふるふると首を横に振る。それを見た瑠雨は困った顔になりながらも、そっと血と水に濡れた手を伸ばし、拓矢の頬に触れた。

「……ダァメ。ちゃんとお話させて。タッくん。怪我とかはしてない?」

「……うん」

「身体に変な感じはない? 最後の最後にあの狐女に術かけられたとか」

「ない、よ」

 涙声で拓矢がそう答えれば、瑠雨は「そっかぁ」と、嬉しそうに顔をほころばせ、何度も頷いた。

「ん。ボクみたいな低級妖怪がお供でも、神様から逃げれる陰陽師。フフッ、タッくんのおばあちゃんもおバカさんだよね。これで才能がない、だなんて……」

 ケホッ。と、再び血を吐く瑠雨。拓矢は叫びたかった。もう喋らないでくれと。だが、それで時間を稼いだところで、拓矢には彼女をどうにかする術がないことも分かっていた。今彼が出来ることは瑠雨の言葉を聞いてやること位だった。

「タッくん。戻ってきたよね。どうするかは、決めてる?」

「う……あ……」

 わからない。そんな言葉すら出てこなかった。拓矢の頭は今、瑠雨で一杯だった。それをわかっているのか。わかっていないのか。瑠雨は弱々しく拓矢の手を握りながら、小さく頷いた。

「タッくん。ボクはバカだから、気の効いた言葉なんか浮かばない。だから願いだけ言うね。君は……止まらないで」

 ブルーの瞳が、拓矢の目を真っ直ぐ見つめる。吸い込まれそうな錯覚に陥りながら、拓矢は唇を噛み締める。遺言めいたその言葉に応えるということは、瑠雨の生が終焉を迎えることを認めるかのようで。それは到底拓矢には受け入れがたい事だった。

「そんな……そんな死んじゃうみたいなこと言わないでよ……」

「ハハ、うん。まぁ、ボクも出来れば、こんなの嫌だけどさ。君がこのまま潰れちゃう方が……何倍も嫌なんだ」

 蛙みたいにね。と、瑠雨はおどけるように肩を竦めた。池に広がる血の花は、徐々に大きさを増していく。それに呼応するように瑠雨の身体から力が抜けていき。ついには水に浸かった足の先から少しずつ。少しずつ。瑠雨は泡となって実体を失っていく。

 それを目の当たりにした時、拓矢は声にならない悲鳴を上げ、必死で彼女にすがり付く。それはさながら母から引き離される子どものような仕草だった。

「待って……待ってよ! 僕、まだ君に礼も恩返しもしていない! 君がいなかったら、僕は朔夜から逃げられなかった! それに……それに……! ぼく、は……君を……君に……」

 

 僕の式神になって欲しかった……!


 隠さぬ想いを吐露した時、死を受け入れてい始めたような瑠雨の瞳が、驚きで見開かれた。

「……ボクを? ハハッ釣り合わないよぅ。ボクみたいな弱い妖怪が、タッくんみたいな凄い陰陽師に……」

「僕は凄くなんかない。僕は、井戸にいたんだ。大海を知って……本当の強さを知ったんだ。怖くても弱くても、立ち向かう事を教えてくれたのは君なんだ。そんな君が、弱いわけあるもんか……!」

「タッくん……」

 唇を震わせて、目に涙を溜めながら、瑠雨はもう一度「ボクなんかでいいの?」と、問う。それに力強く拓矢が頷いた時、瑠雨の身体は既に腰ほどまで消え始めていた。

「ああ……なんだよぅ……タッくんを助けれて。弱いなりに満足してたのに……未練が出来ちゃったじゃないかぁ……」

 拓矢と同じように、瑠雨もまた涙をこぼす。ただ、それは拓矢のような悲哀から来るものではなく、歓喜からくるものだった。

 頬を撫でていた手が、拓矢の両頬を包み込むような形に変わる。熱を帯びた視線が拓矢に注がれていた。

「……ありがとう。ボクは、妖怪だから。誰かに覚えてて貰いたいって本能があるの。ね。タッくん。嬉しいよぉ。ボク……これから、君の傍にいていいんだね?」

「――っ、うん! うん、そうだよ! いてくれなきゃ困るんだ! だから……!」

 消えないで。そう叫ぼうとしたその瞬間。拓矢の頬に柔らかな感触が乗せられた。

 そっと瑠雨の顔が拓矢から離れる。

「ボクを忘れないで」

そんな囁きが耳に届いた時……拓矢の両腕から重さが完全に消失し。残されたのは、瑠雨が頭に乗せていた蛙帽子のみだった。


「…………っ!」


 人知れぬ山の奥にて、少年の慟哭が響き渡る。

 泉の中で蹲る拓矢をいちごが見つけ出したのは、それから僅か数分後。ようやく果たした再会の喜びは、少年の嘆きに掻き消された。

 生きているということは、ままならぬ事が必ずあり。別れもまたつきものである。それを知るには、拓矢はあまりにも若すぎた。


 己の無力を責める少年は、止まらないでと願った妖怪の願いを噛み締めながら、静かに水底の泥を握り締める。

 どれくらいそうしていただろうか。何時間にも思えた長い沈黙はいつまでも続いていた。梅雨入りの雨が降り注ぎ、それが徐々に激しくなった頃。少年はようやく池の中からゆっくりと立ち上がった。

 手には蛙の帽子を持ち、さ迷う視線はすぐそばで、同じように雨に濡れながら佇んでいた少女に向けられた。


「……いちご、ちゃん」


 ようやく拓矢は、そこにいた幼馴染みを見つけ出す。泣き崩れていた拓矢に駆け寄らなかったのは、彼女なりの気遣いだった。

 その痛みは彼のもの。そう瞬時に悟ったからこそ、いちごはただそこで、拓矢が己の足で立ち上がるのを待っていたのだ。


「……帰ろ。そして聞かせて。ターくんの〝魔法使い〟としての物語を」


 儚げに。それでいて何処か寂しげに拓矢が持つ帽子を見つめながら、いちごは微笑んだ。

 拓矢はそれに対して涙を拭わぬまま、はっきりと首を横に振る。魔法使いじゃない。そんな意思表示を込めて。


「僕は……陰陽師だよ」


 一夏の冒険で己を見つけ出した少年は、胸を張りながらそう名乗った。



 ※



 降り続けていた雨が止み。カラリとした晴れ模様になったのは、事が全て片付いたその翌朝。拓矢がのそのそと行動を開始したのは、お昼過ぎの事だった。

 前日にあった雨の濁りを流しきったのか、渓流の水は澄みきっており、爽やかなせせらぎの音を奏でていた。

「釣れないねぇ」

「うん、釣れないね」

 岸辺に座る拓矢が釣竿を揺らしながらぼやけば、すぐとなりで釣竿を微動だにさせぬまま、いちごが同意する。

 幼馴染みの少年少女が、肩を寄せ合いながら渓流釣りに勤しむ姿は、端から見れば微笑ましい光景だ。だが、そんなほのぼのした空気を簡単に打ち消せる位には、二人の表情は暗く。どことなく淀んだ陰鬱さを醸し出していた。さながら倦怠期の夫婦のように。

 約束通りの川釣り。だが、ちっとも心が踊らないのは、数日のうちに里山で起きた出来事が原因だった。

 狐に拉致され、何とか帰って来た拓矢に待っていたのは、非情な現実だった。

「……これから、どうしよう」

 正直、それを全く考えていなかった。

 池に落とされ、いちごに救出され。彼女の『マヨヒガ』にて泥のように眠り、そのまま今に至る……。即ち拓矢は、未だに家に帰らずにいた。

 あの一件により、拓矢と祖母や両親の関係には、埋めがたい溝が出来ているであろうことは、火を見るより明らかだった。

 拓矢も気にしないと言えば大嘘になるし、家族たちも拓矢の扱いには困り果てる事だろう。水に流すにはいささか重く。だが、家族で暮らすのが気まずいからといって、出ていくのもまたナンセンスである。一人で生きるには、拓矢は幼すぎた。だから、何の気なしに帰るのが正解なのだろう。だが……。

「……帰りづらい?」

「うん、でも……そろそろ覚悟を決めなくちゃ」

 いちごの問いに、拓矢は静かに頷く。それが、偽らざる今の気持ちだった。

 ズボンに麻紐で結わえたものを、そっと手に取る。蛙の被り物を思わせる可愛らしい帽子と、僅かばかりに手元に残った蝦蟇の油。それが、消えた〝彼女〟が遺した全てだった。

「一人では、僕はまだ生きられない。彼女に報いるなら……僕は生きなきゃ」

 生きる道は幾らでもある。が、どんな方法を取るにしても、拓矢は自分の生存を、家族に知らせたかった。

 戻ってきた事を。短いながらも共に戦った妖怪の存在を、彼の者達に伝えるために。そうしてこそ、拓矢は初めて新たな一歩を踏み出せる。そんな気がしていたのだ。

 ウキ付きの糸に針。そこにミミズを付けただけの簡素な仕掛けを、拓矢は釣竿を上げ下げして川から引っ張り出し、また流す。

 ビギナーズラックも期待できないと思えるほど、竿への当たりは寂しいものだった。

「……いちごちゃん」

「……なぁに? ターくん」

 おもむろに、水面(みなも)を見つめたまま、拓矢はいちごに話しかける。対する彼女もまた、黙って釣糸の先を見据えていた。

「お願いがあるんだ」

「家に一人で戻りづらいなら、ついていくよ?」

「あ、いや。そうじゃなくて」

「冗談だよ。何?」

 押し黙る拓矢を、横目で眺めるいちご。何度目かの深呼吸の後、拓矢はゆっくりと切り出した。


「僕を……鍛えて欲しいんだ。陰陽師として」


 それは、拓矢にとって何よりも重たい意味を持っているのを、いちごは知っていた。

 拓矢は基本的に、祖母から教えを受けていた。いちごがいかに優れていても、その力について聞き出そうとはしなかった。

 自分の力で。彼女を越える。それが拓矢の目標だった。

「いちごちゃんは、知らなかったんだよね? 僕が、生け贄だって」

「――っ! 当たり前よ! 知ってたら……あんな……!」

 目を見開き、竿を振り回さんばかりに激昂するいちごに、拓矢はホッとし。それと同時に申し訳ない気持ちになった。いけないな。当たり前の事を問うなんて。きっと誰よりも真っ直ぐな彼女を疑うなんて。この辺は、まだ家族に仕組まれていたトラウマが残っていたのかもしれない。拓矢はそう思いながら、自嘲するような笑みを浮かべた。

「ごめんごめん。……でも、僕が陰陽師だってことは、知っていたんだよね?」

「ターくんのばか。……うん、そうね。知ってたよ。正直どうしてターくんのお家の人は、魔法使いだなんて嘘を教えるんだろうって思ってた。でも陰陽師の家はそれぞれ方針も違うから、私が口出しちゃいけないと思って」

 今はちゃんと聞くなり探っておけば良かったって思うけど。そう付け足しながら、いちごは少しだけ目を伏せる。

 隠していたのも、全てを教えなかったのも、拓矢が生け贄だったから。それが、いちごの言葉を借りるなら、一族の方針だったのだ。

「で、結局何? それを聞くのと、私に鍛えて欲しいが、どう繋がるの?」

 首を傾げるいちごに拓矢は手近にあったショルダーバックを拾い上げる。

 陰陽師セット。今や空狐の世界から脱出するために中身を殆ど使い果たしてしまっていたが、そこにあるものだけが、今拓矢の陰陽師たる証明の全てだった。

「……僕は、一族の教えなんて、まともに伝えられていない。下手したら、家系図からも欠番扱いになってるかもしれない。戻っても、あの人が長男としているから、陰陽師としてもお役御免だと思う」

 修行をつけてくれるかすら怪しいし、また体のいい身代わりや代用品に使われたら堪らない。

「だからこそ、強くならなきゃ。僕が生きるために。彼女が繋いでくれた命を利用されないように。……その為に、君に教えてもらいたい」

 拓矢の中で最強は、やはり隣にいる少女だから。

「……私でいいの?」

「いちごちゃんがいい。僕はね。君に勝ちたいも勿論あるけど……一番強いのは、君と肩を並べたい。だから」

 照れくさそうに笑う拓矢を、いちごは黙って見つめて。やがて小さく。だが何処と無く嬉しそうに息を吐いた。

「私、スパルタだよ?」

「構わない」

「……じゃあ、約束。たとえこの先、あっちの人が手のひらを返して修行をつける。何て言い出しても、絶対に乗らないで」

「……? 兄さんがいるのに、僕を鍛える意味はないと思うけど?」

「どうだかね。万が一。も、ありえるもん」

 いちごは脳裏で牙の抜けた拓矢の兄を思い起こす。あれが完全にダメになったのならば、あの狐婆は今度は拓矢を噛ませ犬に使おうとするかもしれない。密かにそう危惧しているいちごを他所に、拓矢は曖昧に頷いた。

「わかった」

「よろしい。これでターくんは、私――芦屋家が跡取り娘、芦屋いちごの内弟子よ。……よろしくね」

 何故か指で五芒星を描く仕草をしながら、いちごは柔らかく微笑んだ。実家より数倍は上位な陰陽師の庇護を、知らず知らずのうちに勝ち取ったなど思いもしないまま、拓矢もまた呑気に「よろしく」と、幼馴染みの手を握る。

 口に出したらスッキリしたな。と思いながら、拓矢が再び釣りに集中しようと釣竿を上げる。針についていたミミズは、流されてしまっていた。

「ありゃ、持ってかれたかな」

「ミミズじゃダメなのかしらね?」

「いやいや。ミミズだよ? 妖怪だって釣られたんだよ?」

「……何の話?」

 怪訝な顔をするいちごに肩を竦めながら、拓矢は再び、市販のケースの腐葉土をほじくり、ミミズを一つまみする。暫くそれを見ていた拓矢は、それをつまんだまま、川の流れへ手を突っ込んだ。

「ターくん、ばか? それで釣れる訳ないじゃない」

「……うん、そうだね。……何してるんだろうね。僕は」

 この行動が引き金になった。身の振り方を定めた拓矢は、再びの寂しさと流れていく短いながらも優しい思い出に身を刺されることとなり。胸にぽっかりと空いた喪失感が、止めどない涙となって、拓矢の頬を濡らしていく。

「……っ」

 歯をくいしばっても、それは止まらない。肩を震わせる拓矢の姿に、いちごは何かを感じたのだろう。黙って釣竿を握ったまま、何も言わなかった。

「……一緒にいたのは、ちょっとの間だったよ。けど、さ。僕にとっては、初めて……っ、僕を、陰陽師だって教えてくれて……。生け贄になった後も……味方でいてくれて……」

 ポツリポツリと嗚咽を漏らす拓矢が思い浮かべるのは、つい昨日の光景だ。神隠しから帰還した直後に起きた、心を引き裂かれるような出来事で。

「僕は……僕は……!」

 あの日拓矢の大切な何かは、音もなく手の中からこぼれ落ちていったのだ。

 再び滲む視界。それ故に拓矢は、川の水面に浮かんできた影には気づかなかった。


「けろけろ……ぴょーん!」

「へ?」


 ザンブという音が耳を覆い尽くした瞬間、拓矢は川に引き込まれた。

 ひんやりとした冷涼さ。身体と顔を包み込む、柔らかな感触。もがく拓矢の顔が再び水中から出た時、拓矢は夏の日射しがもたらす眩しさと心地よさの中に、雨に濡れた菖蒲の花みたいな香りが混じる。

 それは、あまりにも覚えがありすぎた。二度と逢うことは叶わない。そう思っても受け入れがたかった、自分にとって大きな存在だったのだから。


「る、う……?」

「エヘヘ。ビックリした?」


 抱きすくめられたまま、拓矢が呆然としていると、瑠雨の笑顔が花開く。

「やっと一緒に泳げたねー」だとか、「ずぶ濡れ気持ちいいでしょ?」とはしゃぐ瑠雨の顔を、髪をペタペタ触りながら、拓矢は「どうして?」と、問いかける。

 すると瑠雨は得意気に、いつかのようにフニフニと柔らかそうな頬をつまみながらウインクした。

「言ったでしょ? ボクは妖怪だよ? 肉体的損傷は痛いけど、どうということないの。大事なのは精神なんだ」

 脚を緩やかに動かして水を蹴り、瑠雨は立ち泳ぎの体勢で優雅に回遊する。

 そして拓矢の耳に口を近づけて、「今だから正直に言うね」と囁いた。

「ボクね。実はどのみち、君の前から消えるつもりだったの。だって……君と一緒にいるうちに、君が幸せになって欲しい気持ちと、妖怪らしく君を連れ去って……食べちゃいたくなっちゃう気持ちが、ぶつかり始めたから」

 タッくんがボクの油搾ったりするからだよぉ。と頬を膨らませてから、再び瑠雨は真面目な顔に戻る。

「そうしたら、あの通り。最初はね。ちょっと心がポキッとなって……正直かなり危なかったの」

 あの場でタッくんを物理的に食べちゃったら大丈夫だったけど、それはしたくなかったし。と、地味に背筋が寒くなりそうな事を口にしながら、瑠雨は話を続ける。

「でもね。タッくんはあの時、ボクを必要としてくれた。こんなボクを傍に置いてもいいって言ってくれた。とっても、とっても嬉かったんだよぉ……!」

 頬擦りしながら瑠雨は「君はボクをまた救ってくれたんだよ」と言う。精神的回復。それが瑠雨を助けた原動力だったのだ。

「だからボクは生きなきゃいけなかった。タッくんからちょっとだけ精をもらって、薄れかけていた存在を一度消して、回復を待ったの。タッくんに説明してる時間がなくて……」

「生きてるんだよね?」

「ふぇ?」

 再度確認するように問いかける拓矢に瑠雨は何度かまばたきし、やがてはっきりと頷いた。その瞬間、拓矢の目から涙が溢れだす。

「――っ! よかった……。瑠雨、ホントに……よかっ……」

「あはは……タッくん、そんなにギュッてしたら苦しいよぉ」

 泣きじゃくる拓矢をそれでも優しく抱き返しながら、瑠雨もまた涙を流す。

 水の流れに逆らわず、二人はただ流されていく。

 このまま流されてもいいかな。そんな事を思っていたら、不意に拓矢は首根っこをグイッと物凄い力で引っ張られた。

「うぎゅ!?」

「タ、タッくん? って、ひぃ!?」

 何事かと拓矢が確認するより早く、瑠雨が分かりやすく顔をひきつらせ、怯えた反応をみせる。背後からは、荒い息づかい。何かの口にくわえられている自覚をした瞬間。拓矢は川岸にて能面のような表情をしたまま、札を構える幼馴染みと、山と見間違う程に大きな、八つ首の大蛇を見た。

「……カラリン以下略。いい子ね。ヤマタノオロチ」

 説明して。と、ハイライトの消えた目で此方を見る幼馴染みに、拓矢といまだ川に取り残された瑠雨はブルブルと震えるしかなかった。

「……そうよね。内弟子を預けるんだもの。ターくんの御家に御礼参り……じゃなくて、殴り込まなきゃね」

「殴り込むの!? 挨拶じゃなくて!?」

「黙って。どのみち行くんでしょ? 今日済ませるよ。あと……そこの可愛い蛙さんについては、後でゆ~っくりお話してもらうから」

 蛙ってもうバレたぁ! と、おののく瑠雨を不貞腐れたように一睨みしてから、いちごは再び手を振るう。

 その瞬間。彼女の周りを一瞬にして、魑魅魍魎の妖怪たちと、勇猛そうな霊体が集い始めた。

 有名な妖怪が。

 数多の鬼が。

 妖怪殺しの英雄が。

 知っている式神も、知らない式神もいっしょくたにいちごにひれ伏す様を、拓矢は憧憬、畏怖、興奮が入り雑じった不思議な感情で眺めていた。

 何て高く。遠く。美しいんだろう。

 自分が並び立ちたい存在を再確認し、拓矢は身震いする。

 生け贄や、確執。そんな小さな悩みを消し飛ばすような大海が、そこには広がっていた。

 知らなかった。だが、届かぬからこそ挑みたい理想を見る拓矢に背を向けて。いちごは首だけ振り返る。


「――ついてこれるかしら? 繰り返すけど、私はスパルタだよ?」


 不敵な笑みを浮かべたいちごに、拓矢は目を見開き。直ぐ様ニヤリとした笑みを返した。答えはもう、決まっている。

 強くなりたい。誰もが一度は抱く願望が、今分かりやすく燃え盛っているのを拓矢は感じた。


「――っ! すぐに追い付くさ! 追い付いてみせるよ!」


 いつの間にか傍に来た瑠雨の手を握り、拓矢は力強く頷いた。

 二人が大軍の末席に加わったのを見計らい、いちごの傍らにいた女性の鬼、鈴鹿は妖艶な笑みを浮かべた後、腰の刀を引き抜いて、高らかに掲げながら、風切るときの声をはりあげた。

「さぁさお立ち会い! 芦屋いちご、渾身の陰陽術! ごった煮平成百鬼夜行! 心ゆくまでご覧あれ!」

 呼応するように、怒号があがり、異色の百鬼夜行は進軍する。それに負けないよう声を上げ、拓矢もまた走り出す。


「行こう、瑠雨!」

「――うん!」


 怪異が山を揺るがす中で、二匹の蛙は意気揚々と大海へと漕ぎ出した。


 ※


 これは、後に現代にて最強と吟われた、芦屋いちご。その華やかな武勇伝の裏にて秘かに語り継がれし現代陰陽師――、梅澤拓矢の最初の冒険である。

 一夏の経験を越えた少年陰陽師は成長し、傍らに仕える美しい蛙妖怪を筆頭とした式神衆と共に様々な試練に挑む事となるのだが……それはまた、別の話である。

 


拝読ありがとうございました!取り敢えず第一部完です。

停止していた他連載を一段落させたら。続編を書ければとなぁと思います。ネタ自体はあるので。

成長した少年少女の陰陽師活劇。またいつか楽しんでくだされば幸いです。


ではまた……。

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