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神と駆け引き

 しとしとと雨が降り頻る森の中を、天狗は濡れるのも構わず進んでいた。朝の陽射しなど射さぬ鉛色の空は重々しく。それはまるで天狗の心中を代弁しているかのようだった。

「……酷い話だな」

 何もかもを投げうっていた。時間など差し出して。仲間の屍に心を枯らして。もしかしたら、友になれたかもしれぬ少年すら犠牲にして。その結果得られた結果は……あまりにも空しく、残酷だった。

 淀んだ目。自信などない、おどおどした挙動。陰鬱な、何処かよそよそしい態度。何より今は、あれほど心血を注いでいた陰陽道や妖怪に興味も示さない。祖母や九尾の狐が「どうしたのか」と狼狽えても、帰ってくるのは「疲れてるんだ。今は何もしたくない」そんな気のない返事ばかり。

 両親はただ泣いていた。それが息子の帰還を喜ぶものか。はたまた、もう一人の息子の運命を今更ながら嘆いているものか。天狗には判断がつかなかった。恐らくは、両方。複雑で、他人には察しがたいものが渦巻いているのが想像はついたが、どのみち、天狗にやれることはなかった。両親とタクマの間には、未だに奇妙な隔たりがあった。

 それを見た時、天狗は思ったのだ。ああ、彼は……死んだのだと。取り戻したかつての主は、見る影もなく変わり果てていた。十年と少し。時間と悲しみが作り出したものは、あまりにも重たかった。

 会話すらなくなった梅澤の家を一時的に抜け出しても、誰も何も言わなかった。タクマに「久しぶりにどうだ? 森で術の腕試しまでいかなくとも、散歩など……」と、誘いはかけたものの、無駄に終わった。彼はため息まじりに、「今日はいい」そう返すのみだった。

 雨だったからだ。そう内心では納得しつつも、たとえ晴れていても彼は来ないかもしれない。そんな漠然とした予感があった。そして何より……それにホッとしてしまった自分自身が、どうしようもなく悲しかった。

「……あれ、か?」

 無様なこの身で、出来ることは何だろう。今ややることもなくなった天狗の中で気がかりだったのは、あの少年が語っていた、少女の陰陽師。彼女は滞在していた梅澤の家を出て、今も一人、手懸かりを求め続けているという。件の騒動からはや二日。彼女はどうしているのか。そもそも、宛のないこの里で、少女はどう過ごすつもりか。そう考えた天狗は、気が付けば山へ飛んでいた。

 決して。決して少女が天狗好みの童女だったから等は関係ない。陰鬱な空気に耐え難かっただけである。

 そうして天狗は見つけ出した。ただそれは、予想だにしない形での再会だった。

「家……だと?」

 山頂付近の祠の傍。そこにあったのは、見慣れない日本家屋。奇妙な気配につられてくればこれである。天狗が驚き、ポカンと口を開けていると、ガラガラと家の門が開き、美しい妙齢の女性が顔を出した。

 華やかな白拍子姿。腰ほどまで伸びた艶やかな黒髪に陶磁器のような白い肌。玲瓏たる美貌は、この世のものとは思えぬ様だ。

 だが、それ以上に目立つのは、額からうっすらと覗く、短くも鋭い、二本の桃色の角だった。

「お客さまでしょうか? 生憎主は今、仕事に追われてまして」

「……ああ、いや。まぁ、訪ねてきたのは確かだが……」

 この女、妖怪……それも鬼の類いか。そう察しながら天狗が口ごもっていると、女は切れ長の目を細めながら、じっと天狗を観察し。「天狗……成る程。主が言っていた、タクヤ君の家の者ですか」そう呟いた。

「……あー、あの少女はどうしている?」

 それを聞いた天狗は戸惑いながらも頷き、少女の状態を聞くと、女は表情を曇らせた。

「主は……殆ど休まれておりません。一応タクヤ君救出の目処はたちましたが、気を張っておりまして」

「救出の目処、だと? 本当か!? あの少年は……」

「うるさい。玄関で何してるのよ」

 思わず目を見開き、女に詰め寄りかけた天狗は、その背後からした不機嫌そうな声に身を強張らせる。

 現れたのは、女物の甚平を身に纏った少女――。芦屋いちごが、そこに立っていた。

「……二日ぶりか。顔色は悪い」

「ええ、どっかのお家のせいでね」

 歓喜の叫びを堪えて天狗がそう言えば、いちごはブスッとした顔で天狗を睨む。目元には快活な少女には似つかわしくない隈がくっきりと浮かんでいた。

「ター君が今更気になるの? 別にそっちの手は借りないわ。てか、邪魔だからいらない」

「あ、ああ。だが……俺は」

「あの狐の祠なら全部押さえたわ。お供えものもね。だから、今更教えてもらうことなんてないわ」

「祠を……か?」

 確かあれは、この山以外にも里を囲む野山の至るところに点在していた筈。隠れるように立てられたそれらを全て短期間で見つけ出したというのだろうか。天狗は戦慄と共にいちごを見るが、当の彼女は心底どうでもいいというように、その場で踵を返し、家の奥へと進んでいく。

鈴鹿(すずか)。お茶くらいは出してあげて。望むなら、ター君の救出作戦についてとかも」

「いいのですか? そんなあっさりと」

 鈴鹿と呼ばれた女が首を傾げると、いちごは無言で頷いた。

「害意も邪魔する気もなさそうだし。仮にあっても、たかが天狗よ? どうとでも出来るわ。」

 あんまりな台詞だが、少女が言うと謎の真実味や迫力があり、天狗は思わず身震いする。その様子を見た鈴鹿は、「それもそうですね」と頷きながら道を開け、コホンと可愛らしく咳払いすると、天狗を家屋へと(いざな)った。


「ではようこそ。芦屋いちご、渾身の陰陽術其ノ一。移動式拠点式神――〝マヨヒガ〟へ。どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」


 妖しく笑う、鈴鹿の導く先。何の変鉄もない引き戸だというのに、天狗にはそれが巨大な生物の口に見えて仕方がなかった。 


 ※


 塔の上。奥座敷というべき部屋にて、朔夜は静かに座して、待ち人へ想いを馳せていた。かの少年がここに来てはや二日。城下町の外れにある、塔への入り口に気配を感じた時、朔夜は来るべき時が来たのだと歓喜した。

 町人は、この世界で生を受けた存在は、どうやってもここへは入れない。つまり、来たのは間違いなくあの少年陰陽師だ。

 居ずまいを正し、朔夜はただ待ちわびる。軈て遠くで襖が連続で開く音がし、それはどんどん近づいてくる。やがて、自分の目の前の襖が開かれた時。朔夜と来訪者の目があった。


「来たのね。タクヤ」


 まるで恋人に向けるような情熱的な朔夜の視線を、少年陰陽師は易々と受け流す。威風堂々と立つタクヤは、深呼吸し、真っ正面から朔夜を見据えた。

「遅れ馳せながら、一狐使いとして、最上位の狐、空狐と出会えたこと、心よりお喜び申し上げたい」

 一礼しながらそう言ってのけるタクヤを、朔夜はウフフと声を上げて嘲笑した。

「心にもないことを言わないの。君は私をどう出し抜くか考えてる。そうでしょう?」

「出し抜くとは聞こえが悪い。僕は人間らしく、神様たる貴女に頼みに来たんだ」

「頼むって……二日も私を焦らしておいて?」

「相応の準備をしていたまでさ」

 文字通り、神頼みです。と、悪戯っぽく手を合わせたタクヤに、朔夜は舌舐めずりで応えた。

「成る程ねぇ。私相手に取引すると。面白いじゃない。でも、ここへ殆ど手ぶらで来た貴方が、私を魅了できる程のものを見繕えたのかしら?」

 朔夜がそう言えば、タクヤは待ってました。と言わんばかりにショルダーバックに手を入れる。中から取り出したのは……。


「どうぞ、お納めください。油揚げです」


 即席の神棚をあっという間に組み上げたタクヤは、その上にぺチャリと、一枚の油揚げを乗せた。得意満面な顔。だが、それを見た朔夜は、急速に熱が冷めていくのを感じていた。

「……ふざけているの?」

 失望と落胆に満ち満ちた声が朔夜の口から漏れる。ゆっくりタクヤに視線を戻す。まさか、これが策? だとしたらこの反応に、驚いているだろうか。だが、そんな朔夜の考えはすぐに払拭された。少年陰陽師は、勝ちを確信したように、笑っていたのだ。


 ※


 恐らく絶対にないだろうが、これで罷り通ったら拾い物。そう思ったタクヤの予想通り、朔夜は何処か失望したように此方を見ていた。

「ふざけてなどいませんよ?」

 大真面目にそう返せば、朔夜はいやいやいや。と、首を横に振る。

「いや、ふざけてるっしょ。狐はそりゃ油揚げは大好物だけどさぁ、大見得きってこれで解決しようなんて、虫のいい話じゃないかなぁ?」

「勿論、僕だってこれで済むとは思っていませんよ。あくまでこれはお近づき。これだけで向こうに返して貰えるなんて、流石に出来すぎです。だから、取り敢えず物々交換で」

「……物々交換?」

 怪訝な顔を見せる朔夜に、少年はコクリと頷いた。

「この世界じゃそれがよく行われてるでしょう? この油揚げと、引き換えに、僕の話を聞いてほしい」

「……油揚げ一枚でぇ?」

「空狐さん、意外と鼻は安っぽいのかい? それはこの世界じゃあ手に入らない油揚げ。由緒正しい狢使いの家のものが、狐使いに友好の証として贈った、特別なものだよ?」

「……にゃんだって?」

 少しだけ目の色を変えた朔夜にタクヤは内心でしめた。と一人喜んだ。

 嘘は言っていない。乗せた油揚げはカネオのばあばから貰ったもの。狸屋敷たるあそこからお土産にと貰った、外の世界の油揚げ。特別であることは変わりない。

 タクヤの顔をじっと見た朔夜は、口笛を吹きながら「仕方ないなぁ」と呟き、ひょいと油揚げを摘まみ上げる。目が泳いでいた。多分内心ではワクワクしているに違いない。神様は暇をもて余している。タクヤの穢れなさを求めたように、そういう存在こそ、特別なものに弱いと踏んでいた。お土産売り場で地域限定なんて書いていた日には、衝動買いするような輩だろう。少々安っぽい喩えだが。

「……うん、ウマイ。なるほど、確かに味が違う。特別なものである事に違いはないらしいね」

「じゃあ、話を聞いてくれるよね? 神様として」

 もしゃもしゃと油揚げを頬張る朔夜に間髪いれずにタクヤはそう詰め寄る。すると朔夜は「……むぅ」と、少しだけ目元に皺を寄せながらも、小さく頷いた。

「ありがとう。二、三質問していい?」

「……君をここから出す方法以外なら」

 そう語る朔夜に、タクヤはありがとうと返しながら、唇を軽く濡らした。ここからだ。そう内心で己を鼓舞する。

「町の妖怪達も度々君に奉納するんだよね。具体的には何を?」

「そりゃあ、作物に油揚げさ。神様が自分にお供えもの出来ないのと似て、私達狐は自分の為に油揚げを作ることは出来ない。長生きして人の姿を取ってもね」

「成る程。ならよかった。普段町の人達が君にあげる品々と、僕が用意したものは被らない訳だ」

 タクヤは微笑みながら再びショルダーバックに手を入れる。紙に包まれたそれを開くと、朔夜の表情は分かりやすく変貌した。

「そっ、それは……!」

「お気に召してくれると嬉しいな。材料調達は、結構頑張ったんだ。お陰でばぁちゃんから貰った御札の殆どや、お土産の食材がなくなっちゃったんだ」

 そう言って少年が皿に乗せたのは……。

「鼠の天ぷらだよ」

「食べるっ! たべりゅー!」

 目を輝かせ、パッと皿に飛び付こうとする朔夜の目の前から、タクヤは天ぷらを遠ざけた。「ああっ!」と、悲しげな声を上げる朔夜。それを見据えながら、タクヤは鼻を鳴らす。

「まだ納めてないよ?」

「そんなのいいから!」

「じゃあ、僕の要求聞いて。因みに天ぷらは……まだ鞄に入っているよ。奉納用に作ったから、奪うなんてもっての他だよ」

「ぐっ……、聞こうじゃない」

 悔しげに。だが、物欲しげに天ぷらを眺める朔夜。それもその筈。鼠の天ぷらは、全ての狐にとっては喉から手が出るほど欲しいごちそうなのである。

 元は狐の好物であり、狐への捧げ物は油揚げではなく鼠の天ぷらであったが、手間や仏教における殺生厳禁などの様々な要因から油揚げにとって変わられ、今やそれが定着してしまった。故に若い世代の狐ならばその味を知らなくとも、空狐という古き存在ならば、その懐かしい味に堪らなく惹かれる筈。果たして、タクヤの読みは的中した。

 近場の野山を駆けずり回り。ようやっと何匹かの鼠を捕獲した末に出来た至高の一品。調味料の物々交換の交渉よりも、地味にこの捕獲が大変だったのは、タクヤだけの内緒である。

「僕らを外に」

「……っ、ダメっ! それを作れて、歴史背景を知ってるのは称賛に値するわ。けど、ダメ。ならば滞在を要求するっ!」

「嫌だ。じゃあダメだね。これは城下町の……お世話になった旅館のおかん狐か、うどん屋の狐さんに……」

「ぐぅ……君は知ってるでしょ? 私ら狐に限らず、基本的に妖怪や神様は、自分の大好きなものを自分で用意できないんだよ! 領域に人間が入ってくるか、他の誰かに作らせるように仕向けなきゃダメだし……」

 要するに、狐=油揚げは簡単に定着していても、鼠を繋ぎ合わせる存在はこの世界にいない。そういう事だろう。

「わかった。なら、細かく要求する。僕はまだ何個か天ぷらがあるよ?」

「ま、まず一個目ね。あまり重くないのを……」

「外の世界への入り口出して」

 ギリギリギリ。と、歯軋りが聞こえる。今朔夜の中では猛烈な葛藤と共に、どうやってタクヤを引き留めるかを模索しているに違いない。それを知った上で、タクヤは更に追い討ちをかける。

 勢いは今此方にある。ならば、押せるときに押すべし。考えを巡らせる暇を与えるな。まるで押し売りセールスマンのような心持ちである。

「朔夜。僕は何もあげないで逃げようなんてしていない。そもそも、僕が力ずくで行けば、君に簡単にねじ伏せられるだろう。だから交渉しているんだ。話す余地があること。器の広さを見せてはくれまいか?」

「……開くだけ。開くだけなんだからね?」

 勿論だ。そう言ってタクヤが一つ目の天ぷらを皿に置く。「お納めください」その言葉を言うやいなや、朔夜はパッと鼠の天ぷらに飛び付いた。パリパリ。サクサクと、無心で咀嚼する音と一緒に、朔夜の「んま~っ! 美味しすぎりゅ~!」という嬉しそうな悲鳴がした。

「朔夜、約束を」

「……ん、わかったよ。仕方ないなぁ」

 見るだけよ? そう言って、朔夜は片手を一振りする。何もない空間がぐにゃりと歪んで揺らめき、銀色の靄を思わせる裂け目が現れた。

「ありがとう」

「ん。……まだあるの?」

「味付けを変えたのが、あと二個ね」

「……へぇ」

 チロリと、長い舌が朔夜の唇を濡らす。目が爛々と輝いていた。

「出してくれるなら、全部外の祠に供えてもいいよ?」

「えー、そんなのその日限りじゃん。私はまだまだ一杯食べたいの。ここで私に料理振る舞う人生もよくない?」

「お断りだよ。天ぷら職人にはなりたくない。でも……そうだね。出してくれたなら、僕がもっと大きくなってから、天ぷらを定期的に供えに来るとか」

「……それは」

 結構魅力的だけどなぁ。と、探るように此方を見る朔夜。食い付くか? そうタクヤが思った瞬間、朔夜はヒョイと風のようにタクヤに肉薄し、フワリとその腕をもって包み込む。突然の出来事にタクヤが目を白黒させていると、朔夜は妖しく微笑みながら。タクヤの頬を指でなぞる。

「じゃあ、出してあげる。だなんて、私が言うと思った? 甘いよ。私は別に、力ずくでタクヤを従わせられるんだよ?」

「……正直それをやられると、一番きついんだけど」

「でしょう? さぁ、残りの天ぷらを頂戴。全部くれたら、出るの以外は叶えてあげる」

 そっと手招きするような仕草をする朔夜に、タクヤはため息をつく。ショルダーバックに手を突っ込み、天ぷらを一つ取り出した。

「出るの以外ね。じゃあ……そうだね。じゃあ僕と接する時は、空狐としての神通力を封じて欲しい」

「……理由は?」

 鋭い声で質問する朔夜に、タクヤは簡単だよ。と、頷いた。

「だって素の腕力や体力で、朔夜は僕を圧倒できるでしょ? 正直対峙するだけですごい怖いんだ」

 そうタクヤが言えば、朔夜はしばらく考えて。

「じゃあ。これからは私の為に天ぷら作るって誓って」

「……了解。僕はこれから、定期的に君に天ぷらをあげる。だから朔夜は、僕が許可しない限りは、僕の近くでは神通力を封じること」

 そっと天ぷらを朔夜の口元に近付け、タクヤは再び「お納めください」と囁く。朔夜はそれを満足そうに聞きながら、嬉しそうに天ぷらにかじりついた。

「……っ、この優しいまろやかさ。これは?」

「わかるかい? 胡麻油であげたんだ。ここでは、高価なものだって聞いたから」

 お陰で結構な陰陽師セットをぼったくられたのだが、背に腹は変えられない。朔夜を魅了するための散財である。それは功を成し、朔夜は上機嫌でタクヤに頬擦りした。

「ウフフ……。天ぷら食べほーだい。食~べほ~だ~い」

「朔夜、約束」

「……少しは浸らせなさいよ」

 やれやれ。と肩を竦めながら、ハイ。と、朔夜は手を叩く。これといって変わった感じはしないのにタクヤが少しだけ眉を潜めると、朔夜は「ちゃんと封じたってば~」と、無実を証明するかのように手をヒラヒラさせた。

「さて、神通力は封じたよ。後の望みは何? 天ぷらあと一個分なら叶えるよ」

「……僕を外、この塔の外に。故郷に帰れないんだ。せめて自由は欲しい」

「ここで私と暮らしたくない、と? ああ、あの蛙か。あいつと暮らす気なのね。匂いまた濃くなってるし。褥でも共にしたかしら?」

「……どうでもいいだろ」

「……やっぱ、あの蛙ぶっ殺してやろうかしら? 近くに隠れてるんでしょう? どーせ」

 舌打ちしながら膨れっ面になるという器用な芸当を見せながらも、朔夜はタクヤの頭を優しく撫で始めた。

「つまり、タクヤは私に〝はなし〟て欲しい……と。それが三つ目の願い事?」

「うん、そうだよ。僕を〝離して〟くれ。変わりにこれをお納めください」

 勝負。タクヤは意を決して天ぷらを朔夜に差し出した。朔夜はニタリと。笑みを浮かべながら、最後の天ぷらに噛みついた。

「何だろう。凄く肉々しい味付けね。不思議な食感よ」

「これもまた、外から持ち込んだものさ。後で教えるよ」

「そうね。これから〝ずうっと一緒だもの〟時間はたっぷりあるわよね」

 朔夜の一言に、タクヤはむっ。と口を尖らせる。約束は守れ。そう言わんばかりのタクヤに対して、朔夜は慈愛に溢れた表情のまま、益々強くタクヤを抱き締めた。


「狐はね。化かすのが本質よ。煙に巻き、真実や運命をぼやかして、ここぞという所で謀るの。ああ、タクヤ。……私の勝ちね」


 最後の願いは使いきったでしょう? そう言う朔夜に、タクヤは少しだけ身を強ばらせる。その様は、まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。

「何言って……約束だ。僕を離せ!」

「ええ。約束通りじゃない。タクヤ。私に〝はなし〟て欲しいんでしょう? 今まさに、話してるじゃない」

 朔夜のぬるついた舌がタクヤの頬を滑っていく。ゾワリとした悪寒に晒されながら、タクヤは唇を噛んだ。

「まさか……ここまでとはね」

「ええ。可愛い蛙ちゃんにお別れを言ってきなさいな。光源氏は無理でも、貴方は私専属の天ぷら職人に……」

「ああ、いや。違うよ。自分の運命を呪った訳じゃない。ただ僕は、こう言いたいんだ」

 勝ちを確信した朔夜の目の前で、タクヤは静かに息を吐く。怯えた顔から一転。楽しげな笑みを浮かべ始めたタクヤに、今度は朔夜が身を強張らせた。


「まさか、ここまで上手くいくとは思わなかったよ。……朔夜、僕の勝ちだ」


 静かに。タクヤはポケットに手を忍ばせる。その指には、一枚の人形に切った紙が挟まれていた。依代(かたしろ)。古来より陰陽師が式神を封じるために用いていたものだった。


「カラリンチョウ。カラリンソワカ――、護法・大蝦蟇の瑠雨! 急々如律令!」

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