表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/16

空狐と大蝦蟇

 古来より、妖怪になりうると言われてきた動物には、何らかの特徴があるものだ。そもそも妖怪の定義自体が、それなりに枝分かれしすぎているのが現状である。その中でも一般の人間から見て有力とされるのは、天災や現象。特定の恐怖等が原因となり、それに理由付けをしようとした結果、産まれた者達である。という説だろうか。

 だが、いくらもっともらしい理屈を挙げようが、実際の所はよく分からない。が、正解にもなりうるのが悩ましい所である。何故ならば、タクヤやいちごのような、昔から妖怪達が居る事を知る人間には、古くからそこに在るものとして肯定するより他がないからだ。

 それらを踏まえてもう一度考えてみる。


 瑠雨という妖怪がいた。彼女は、大蝦蟇だという。蛙は古来より、その吸い込む力を恐れられてきた。人からみれば、舌を伸ばし、空中を舞う獲物を捕らえる芸当は奇妙で不気味に見えたのだという。舌が火にも槍にも見えることから、伝承上にて大蝦蟇は、槍を手にしていたり、火を吹く事もあり。更には吸い込むから連想・発展し、大蝦蟇は人の精気を吸いこむとされる。

 彼女が言った唾をつけた。とは、この行為をタクヤにした事を示しており、加えて朔夜が危惧していた妖怪との繋がりにもなってしまった。

 初めて出会った時にミミズごと指を吸われた時。タクヤは確かに身体の力が抜けるのを感じたし、何より瑠雨はその後、森に入っていったタクヤをしっかりと見つけもした。気にかけていたのも、恩義以外にも幼い少年をちょっぴり摘まみ食いしてしまったことの罪悪感もあったのかもしれない。

 兎に角。どんな形であれタクヤが瑠雨の餌食になった事には変わりなく。広義過ぎるが、瑠雨のものにされた。と捉えてもいい。もっとも……。

「殺す。殺す殺す殺す! ぐちゃぐちゃに踏み潰してやる……! その上で口に爆竹ぶち込むか、ケツの穴から竹筒ぶっ刺して、空気入れて(ハラ)膨らまして……!」

 それを頑として認めず。あるいはそれが底抜けに気に入らないのが目の前の神様らしい。美しい女の口からでるには些か過激すぎる言葉にタクヤが顔をひきつらせていると、頭上から静かに深呼吸する気配が聞こえた。

「タッくん。目の前の狐さん、何とかする方法は思い付く?」

 瑠雨の言葉に、タクヤは暫く考え込み、やがて静かに首を横に振る。目に見える状況では、打開策は存在しない。大きく出れば、それなりに時間をくれれば逃げる事は可能かもしれないが。そう伝えると、瑠雨は「そっか」と、小さく呟きながら頷くと、震える手で槍を構え直した。

「因みにボクも打つ手はないよ。ならここは全身全霊で逃げるのが一番だけど……、タッくん。その逃げる方法とやらはどれくらいかかるの?」

「……道具が何もないから、必死にやって、ホンの三十秒弱」

 長いぃ……。と、瑠雨は半泣きで笑う。この状況では、さぞ一秒が長く感じられることだろう。

「……いつまでくっついてんのよ。タクヤ。こっちいらっしゃい」

 一歩。白い手を伸ばしながら、朔夜が足を踏み出す。四の五の迷っている暇はなかった。

 紙は……服を破ればいい。文字は……。いかん。ペンの類いがない。

 タクヤが思案していると、ストン。と、何かが首を通されて、覚えがある重みが身体にかかる。定位置に愛用のショルダーバックがある。思わず上を見ると、瑠雨は涙目でウインクしていた。

「一緒に捨てられたから拾ったの。これがあればタッくん、陰陽師になれるでしょう?」

 頼んだよ。そう言い残し、瑠雨は大きく息を吸い――。

「燃~え~ろっ!」

 一気に一吹き。火炎放射器の如く口から迸った炎は、うねる蛙の舌のように朔夜へ殺到する。勿論、これでどうにかなるなど瑠雨は勿論、タクヤさえ思っていない。瑠雨が徹したのは時間稼ぎ。その間にタクヤが逃げ道を確保できればそれでいい。

 バックに手を突っ込む。取り出したのは何枚かの御札とスケッチブック。このうち御札の方は無心で朔夜の方へ放つ。天狗にもやった、捕縛の結界。牽制にもならないが、やらないよりはマシだった。そのままスケッチブックをパラパラ開いたタクヤは、お目当てのページにたどり着く。

「タークーヤァア!」

 燃え盛る炎の中から、朔夜の腕が蛇のように伸びてくる。それにタクヤの身体は強張りかけるが、瞬時に力の入った瑠雨の腕と暖かさがタクヤを弛緩させる。「慌てないで。落ち着いて」言葉にしなくとも、タクヤにそのま意志は伝わった。

「あっち……いけっ!」

 朔夜の掌が、瑠雨の槍で貫かれる。そのまま突き進んだ刃の先は、炎を突破した朔夜の左眼球にまで到達した。

「……よし!」

 一方タクヤはスケッチブックに描かれた紋様を確認する。

 中心に太極図。そこから八つ分の扇形が伸びた、魔方陣を思わせる図が描かれていた。タクヤはそれをスケッチブック事くるくる回し、何やらブツブツと唱えた後、満足げに頷いた。

「瑠雨! 一時の方向にジャンプ!」

「ふぇ?」

「早く!」

 突如飛んできたタクヤの指示に戸惑いながら、瑠雨はぴょんとその場から飛び退いた。すると、さっきまでタクヤの方へ一直線だった筈の朔夜は鑪を踏み、忌々しげに舌打ちする。

「……消えた?」

 すぐそばに二人が立っているのにも関わらず、朔夜は見失ったかのようにその場を見渡す。瑠雨が訳も分からず目を白黒させていると、タクヤは静かに瑠雨に耳打ちした。

「その場で一歩後退。から、十時の方。続けて三時へ」

「え、えっと……う、うん」

 どうなってるの? という顔になった瑠雨へ再び小声で指示を飛ばし、タクヤは朔夜の方へ向き直る。彼女はまだタクヤ達を捕捉しきれていなかった。

「朔夜。一先ず逃げさせてもらうよ。僕達じゃ、貴女には逆立ちしても敵わない。……正面からなら」

「……成る程。〝()(もん)(とん)(こう)〟。方位術の一つね」

 忌々しげに肩を落としながらも、朔夜はお見事。と、手を叩いた。

「本来は吉凶を細かく占い。適切な時間に適切な方角へ歩みを進める事で成功や幸運を引き寄せ、凶災から遁走するもの……だったかしらね?」

「その通り。それで貴女から逃げられる道を割り出した。人間は神様や妖怪に完全に勝つことは難しいけど、悪いものから逃れたりする方法ならば、意外とたくさんある」

 お祓いや、禊。雛祭りに節分など、細かく挙げればキリがない。タクヤが実行したのも、そういった神様を誤魔化したり、利用したりする術の一つだった。

「タクヤ、無駄だよ。ここは私が主の世界よ? 私の許可なしには絶対に出られない。この場からどんなに逃げても、捕まえてあげるんだから」

 ギロリと、朔夜はタクヤと瑠雨のいる方へ鋭い視線を向ける。姿が見えないどころか、朔夜の主観では声も出鱈目な方向からしている筈なのに、恐ろしいことに彼女はタクヤ達の気配を鋭敏に感じ取っているように見えた。タクヤは乾く唇を軽く濡らしながら、尚も自信満々に胸を張る。弱味は見せられない。見せたら最後。それはつけこまれる隙になる。

「だから、知恵を絞るんだ。貴女が僕らをここから出したいように仕向けられたら……僕らの勝ちだ」

「……出来るかしら?」

「やってみなきゃ分からない。と、僕は思うな。朔夜は色々話しすぎた。神様で。妖怪狐。出るのに許可がいるとは、交渉次第では向こうに人を送れるということだし、何より今僕は朔夜の中で希少価値というのが微妙なものになった。ついでにこの建物には、〝下〟がある。いや、空があり、その上どんなに逃げてもやら世界って言葉を使ったってことは、ここは予想以上に広いと考えてもいい。……ね? こんなにもたくさん僕に知識をくれた。付け入る方法は、いくらでも考えられるんだ」

 陰陽師は知識で戦うからね。そう締め括るタクヤの言葉に、朔夜の顔から今度こそ完全に笑みが消えた。浮かぶのは獣。狩りの瞬間に興奮する、肉食獣そのものの顔で、狐の神は二人を見る。


「……才がない。は、撤回するわ。〝陰陽師タクヤ〟こんなに、こんなにも心が踊るのは、久しぶりよ?」


 ――這いつくばらせたくなるわ。そう獰猛に犬歯を見せながら、朔夜は静かに、己に突き刺さった槍を引き抜くと、おもむろにその切っ先をタクヤと瑠雨に向けた。明らかな害意を明確に感じたタクヤは、声を潜めることなく、すぐさま瑠雨に指示を出す。


「瑠雨! 六時の方へジャンプ! そのまま走って窓側へ! 飛び降りて!」


 槍が二人を貫くより早く、瑠雨はその指示に従い、窓枠から飛び出した。

「ところでタッくん。ここ塔の五階だけど大丈夫?」

「……え?」

 という間抜けなやり取りを最後に、二人は朔夜の前から今度こそ完全に姿を眩ませた。

 「塔だとは思わなかった! 塔だったなんてぇえ!」や、「ノープランだったのぉお!?」という間延びした悲鳴が聞こえたような気もしたが、妖怪が傍にいるのだ。大丈夫だろう。そう朔夜は結論づけた。これで落ちた拍子に死ぬならば、所詮その程度だったという事だ。

 クックック……。と、手に持った瑠雨の槍を回しながら朔夜は笑う。


「さぁ、貴方はどんな風に楽しませてくれるのかしら? 私を魅了してごらん、可愛い陰陽師様」


 ※


「……逝ったかと思ったよ。ありがとう、瑠雨」

「跳ねるのは大好きだけどさぁ……。正直塔の屋根を蹴りながら跳ねるのは、寿命が縮んだよ。妖怪だけど」

 震えた声でひしと抱き締め合いながら、二人は何度も何度も深呼吸する。

 たったの数秒ほどの攻防。だというのに、二人は尋常ではなく肉体的にも精神的にも体力を削られていた。空狐たる朔夜の放つプレッシャーは、それほどまでに強大なものだったのだ。

「で、こうして生き延びたけど、次はどうするの? あいつをどうやってやっつけるか……」

「やっつけるじゃないよ。あくまで狙うのは、僕らを帰して貰う。その交渉さ。大体さっきも言ったけど、僕らが朔夜に戦いを挑んでも意味ないよ。二秒で決着はつく」

「ボクに一秒。タッくんに一秒ね。わかるわ」

 味のある顔で肩を竦める瑠雨から、タクヤはひょいと離れる。触れ合っていた温もりがなくなったことに、瑠雨が少しだけ寂しそうな顔を見せたが、タクヤもこれ以上は恥ずかしいので、心を鬼にして距離を保つ。……抱き締められると、正直色々当たるのだ。

 朔夜やタマなど、どちらも美しい狐の女性に近づかれても平気だったのに何でだろう? タクヤは己が有する不思議な変化に、まだ理由を見出だせずにいた。

「……タッくん?」

「あ、うん。何でもない。とにかく……」

 しゃがんだまま、上目遣いで首を傾げる瑠雨から目を逸らし、タクヤは辺りを見渡す。今いる場所は、薄暗さが目立つ長屋の裏。塔から脱出した二人が、兎に角一目につかない場所を求めた末に辿り着いた場所だった。

 ここまで必死に動いていたので、周囲の様子など知るよしもない。長屋がある事から町のような場所だと辛うじて推測できるのみ。総じて、やることは多いとタクヤは感じた。勿論そこに悲観などある筈もなかったが。

「まずは情報。この世界のこと。朔夜は主って言ってたけど、具体的にはどういう存在か。集めれるだけ集めよう」

 ショルダーバックをしっかりと掛け直すタクヤを、瑠雨はじっと見つめ……やがて嬉しそうに「よかった」と、微笑んだ。

「ここに来る前、タッくん泣いてたから。ボクも何故だか凄く悲しかったんだぁ。今は……うん! かっこいいよ!」

 頑張ろうね。と、タクヤの手を引こうとする瑠雨。くすぐったくて恥ずかしくて、タクヤは逃げようとするも、それはあっという間に追い付かれることで、軍配は瑠雨に上がった。彼女曰く、はぐれないように。だという。

「……そんなに子どもじゃないよ」

「怖い相手に立ち向かうんだもん。ちゃんと繋いでないと引き離されちゃう」

 そういうものかなぁ? と、思うものの。結局それに対する明確な反論は思い付かずタクヤは渋々了承する。瑠雨の笑顔に当てられたからじゃない。と、何故か自分に言い聞かせながら。

「じゃあ、行こう。何かあったら守るから、僕から離れちゃダメだよ?」

「了解~っ! 頼りにしてるよ、タッくん」


 宛も無き見知らぬ世界の中。底抜けに陽気なまま、少年陰陽師と妖怪蛙は歩き始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ