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プロローグ:炎天下の邂逅

 六月初めの出来事であった。

 その日少年は、少し遅れてきたゴールデンウィークだ。と嘯く両親に連れられて、夜通し走る車の中で一夜明かした後、母方の祖母が住むとある地方の里山へ訪れていた。

 風情あるド田舎の村は、普段少年が見慣れた、無骨で角張った鉄筋コンクリートの建物など一つもない。古き良き和風建築の家が、田んぼや畑を挟んで十分二十分おきに点々と立つ。そんな大自然の山々に囲まれた世界は、ものの数秒で幼い少年の心を鷲掴みにした。

 色んな事情から数え年十二にして、詫び錆びの良さを知る少年から見れば、そこには理想郷があったのだ。

 舗装されていない畦道故に、少年と両親らが乗る車は、不安定にガタガタと揺れ。これも醍醐味だなぁ等と思える辺り、少年の感性は些かどころかそれなりに、背負う本質も含めて同年代から逸脱しているのだが、それに気づくものは、生憎その場に誰もいなかった。

「ここも変わらないわねぇ」

「本当にね。来る度に景色が同じでホッとするよ。何気にタク達が物心ついてからは、来てなかったしなぁ……」

「まぁ、来れなかった。が正しいけどね。かれこれ十年ぶりかしらねぇ」

 揺られること半刻程。前の席で楽しげに笑う両親の後頭部を眺めつつ、後ろの座席にいた少年は、自分のすぐ横でぐったりしている、両親以外の同行者を気遣わしげに伺った。

「……いちごちゃん、大丈夫?」

「ごめん、たーくん今話しかけないで。……ぶちまけそう」

 栗色のふわふわしたロングヘア。涼やかな切れ長の目。お隣に住む幼馴染みにして同級生の女の子、『芦屋いちご』こと、いちごちゃんは、熟す前の果実の如く顔面蒼白のまま口元を抑えていた。

 ぶちまけるって、何をだろう? 首を傾げる少年を、いちごちゃんは恨みがましい目で睨む。思わず身を軽く仰け反らせた少年に追い討ちをかけるが如く。「……聞くなよ? 絶対に聞くなよ?」と念を押してくるので、少年は口を閉ざすより他はなかった。

「ごめんねぇ、いちごちゃん。もう少し頑張って」

「……いえ、お構い無く。お誘いに乗ったのは、私です。それに……」

 母の言葉にいちごちゃんは何とか首を横に振る。そのままチラリと少年の方を向き、その琥珀色の瞳をスッと細めて。

「それに……里山でしょう? たーくん危なっかしいし、一人にすれば絶対何か起きるよ」

 今年はとても暑いから。そう付け加えつつ、幼馴染みの少女はきっぱりと、そう言い切った。

 これに心外の意を唱えたのは少年である。まるで自分がしっかりしていないみたいではないか。そんな少年の文句は、車が掻き鳴らすガタガタとした音に掻き消された。

 考えてみれば少年は何をするにもいちごちゃんに勝てた試しがないのだが、それに目を向けるには、少年はあまりに幼かったのである。

 結局、いちごちゃんの「一人の時はキョロキョロしないこと! 気がつけば迷子禁止!」という渇に、脆くも少年は押しきられた。あっけないものである。

 ぐぬぬ。と項垂れる少年。それをバックミラー越しに微笑ましそうに見守っていた父は、ふと突然、「ああそうだ」と、呟いた。

「着いてから早々で悪いんだが、タク。御使いを頼まれてくれ。カネオのばぁばのとこだ」

「……カネオって誰?」

「カネオはカネオだ。あそこは年がら年中魚や果物の干物を吊るしてるからな。すぐわかる筈だ」

 答えになってないよ。という少年の訴えも、やはり父には届かない。

「なに、心配するな。地図は書く。ああ、カネオの家は庭のあちこちに野生の狸がいるだろうが、気にするな。あそこはいつもそうだ」

 本当に何者だよカネオ。少年は少しだけ不安になる。兎にも角にも、こうして少年の使命は啓示された。

 里山で、はじめての御使い。

 これが後にちょっとした騒動を起こすことになろうとは。この時点で予想できた者は、車酔いでダウンしていたいちごちゃんのみだった。


「ダメだこいつ、絶対何かやらかすか、〝よくないの〟引っ張ってくるわ……」


 不安げな幼馴染みの呟きが、車内に消えていく。

 梅雨なのに、雨の気配など微塵もない。早朝のヒトコマであった。


 少年T。

 小学五年生。

 本人に自覚はあまりないが、微妙なトラブルメーカー気質。

 その本質は……。


 ※


「うん、大収穫」


 帰って元気になったら、一緒に川釣りに行こうね。

 祖母の家にある縁側にてヘロヘロになっているいちごちゃんと約束し、意気揚々と御使いに出掛けたその帰り道。雨季とは思えぬカンカン照りの下。草木の香る山沿いの道をのんびりと歩く少年は、満面の笑みを浮かべながら、戦利品の入ったショルダーバッグを指で撫で。つい先程までの出来事を振り返る。

 本当に色んな干物が吊るしてあり、野生の狸らが駆け回るカネオの家には、この暑い中で紫のちゃんちゃんこを羽織った老婆がいた。

 彼女がカネオのばぁばらしかった。

 茶菓子を進められるままに世間話を交えつつ。父からの頼まれ事。正確には祖母からの手紙を手渡せば、カネオのばぁばは老眼鏡を手にしたまま、「ありがとね」と言って少年の頭を優しく撫でた。年季の入った皺だらけの手だったが、妙に心地がよくて、思わず気恥ずかしげに身をよじり逃れたのは、少年だけの秘密である。

 そのまま数分。手紙を検閲したカネオのばぁばは、少しだけ神妙に頷いてから、家の奥へと消えた。何かあったのか? そう少年が感じ始めた頃、ばぁばはひょっこり戻ってきた。

「こっちはタクちゃんのお祖母ちゃんに。で、残りはお土産だよ」

 そう言って手渡されたのは、厳重に封をした小包と。スーパーのビニール袋に入れられた胡瓜と茄子。生姜に油揚げ。そうして、「お昼前だけど内緒」と手渡された、甘い甘いべっこう飴だった。

 ただの御使いで、随分と豪華なものを貰ったな。少年はそう思いながら素直にお礼を述べ、帰路につく。直前にカネオのばぁばから、この村についての注意事項やらも聞いていた為、少年は道を外れず、真っ直ぐ家へと向かっていた。

 因みに。この時点でべっこう飴は、少年の胃袋に収まっていた。都会ではなかなか味わえぬ素朴だけれども上品な味わいは、少年の心を魅了して……。

「……あれ?」

 いたのだが、それもつかの間。少年は今、新たに現れた存在に意識を奪われた。この辺は好奇心旺盛な、小学生の面である。

 そんな少年の目の前にて……女の子が道の真ん中に、その身を横たえていた。

「……行き倒れ?」

 この御時世に? なんて、少しばかり年不相応な言葉が少年の頭を過るが、それを直ぐ様払拭する。山が近いし、ここは田舎。行き倒れくらいはあるのかもしれない。少年はそう判断を下し、恐る恐るその女の子に近づいた。それと同時に、少年の口から、あっ……という、感嘆めいた声が出る。

 少年の主観ながら、女の子は自分よりそこそこ年上に見えた。だいたい十五、十六才くらい。和服に少し洋風のアレンジを加えた、都会でいえば秋葉原辺りをウロウロしてそうな、コスプレめいた巫女っぽい衣装に身を包んでいる。スカートや服の裾から覗く健康的な脚や二の腕は、この炎天下に晒されることで、その白さが際立っていた。だが、格好以上に殊更目を惹くのは、彼女の異様な髪の色だった。

 見る角度や光の当たり具合で、銀色や金にすら見えてしまう。そんな摩訶不思議な色合いだったのである。加えて蛙の被り物を思わせるみょうちきりんな帽子。一目見ればまず忘れない、強烈な存在感がそこにあった。

「……やば、い……ダメだよ……もう死ぬ。六月なのに何でこんな暑いの? 干からびる……干物……干物に、なっちゃう……」

 少年が覗き込めば少女はブツブツと、うわ言めいた呟きを繰り返しながら、その場に倒れたまま動かない。

 結構深刻かもしれないな。そう思った少年は、語尾がおかしいのは気にせずに「大丈夫?」と、ありきたりな声かけをする。すると、少女の瞼がピクリと反応し、やがてゆっくりと開かれた。

 真夏の湖を思わせる、ブルーの綺麗な瞳が、少年の黒曜石のそれとしっかり重なった。

「……ああ、天の恵みだぁ……ねぇキミ。ほんの少しでいいの。ボクに……ボクに……ミ、ミズを……!」

 少女の申し出に、少年は訝しげに眉を潜めた。ミミズ? 何故そんなものを?

 一瞬そんな考えが頭を掠めたものの、少年はそれを隅に追いやり、黙ってズボンのポケットをまさぐった。

 取り出したのは、発泡スチロールの小さな箱。中身はご要望通り、ミミズが入っている。御使い途中に見つけた釣具屋さんにて購入したものである。

 本当はいちごちゃんと川釣りに行くときの為に買ったものだが、少し位ならいいだろう。少年はそう判断し、詰められた腐葉土の中からウネウネと蠢くミミズを二、三匹引っ張り出すと、倒れた少女の傍に膝まづき、そっと口元へ差し出した。

「はい、どうぞ」

「んぁ……、ありがと~」

 はにかむように笑いながら、少女は倒れたまま、小さく口を開ける。

 ぬるついた舌がチロリと覗いた次の瞬間――、それは有り得ない長さとなり、少年の指に巻き付いた。

「あむっ」と可愛らしい声と一緒に、巻き取られた少年の指が、少女の桜貝を思わせる唇に呑み込まれる。思わず少年が短い悲鳴を上げ、手を引っ込めようとするも、少女は恐ろしい力で少年の手首を掴み、夢中でそれを舐めしゃぶる。少女の手はヒヤリと不自然な程に冷たく。それでいて不思議な感触をしていた。

「むっ……んぁ……」

 時折漏れていく少女のくぐもった喘ぎが、少年を未知の感覚へと誘っていく。身体から力が抜けていくような。だけれども、出来るならこのまま身を委ねていたくなるような……。快楽など知る筈もない少年はもはや腕の力を緩め、ただぼんやりと己の指をくわえる少女を見つめていた。

 やがて、終わりの時は訪れた。ちゅるんという音を立てて、長い舌を飲み込みつつ、少女は少年の手を解放した。

「んっ、ごちそう……さ、ま……?」

 ペタりと尻餅をついた少年を、少女は蕩けたような上目遣いで見上げて……直後、それは驚愕の一色で染め上げられた。ブルーの瞳が、少年の指と顔を何度も行き来したかと思うと、少女は酸欠になった魚の如く、何度も口をパクパクと開閉する。

 色白の顔が一転して火が灯ったのように真っ赤になり、少女は壊れたポットの如く身を震わせた。

「ち、違……いや、確かにミミズも好きだけど! つい口元を動いてたから本能的に食べちゃったけど……ち、違う。違うから! ボクが欲しいの〝水〟! 飲むやつだからぁ!」

 やっちまったぁ! と言わんばかりに、少女は頭を抱え、そのまでゴロンゴロンとのたうち回る。あまりに動きすぎて地面に後頭部をぶつけ、さらに悶えるという間抜けな様を晒していたが、少年は放心状態で涎まみれの手を凝視していたので、幸いにして少女の恥が上塗りされる事はなかった。

「……って、ちょっと待ってキミ……」

 気を取り直し、何とか状態を起こした少女は、改めて少年と正面から向き合う。それに対して少年もまた、雑念を払うように頭を振り、改めて少女の方へ向きなおった。

 数秒の対峙。それを破ったのは、多少身を乗りだし、鼻をひくつかせていた少女の方だった。

「この匂い……キミ人間? 何でボクが視えるの?」

 信じられない。という顔をする少女に対して、少年は年不相応な程冷静に頷いた。

「あ、やっぱり。お姉さんは妖怪か幽霊の類いなんだ。うん、見えるよ。だって……」

 その返答に、少女はますます目を丸くする。それに気を良くしたように、少年は両手を広げると、今度は年相応の無邪気な笑みを浮かべて。


「僕、魔法使いなんだ」


 まだ修行中だけど、という言葉を飲み込んで、少年はそう嘯いた。

 

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