第8話 買い物と気絶した猫
周囲が茜色に染まる中、大通りを歩いていると、布がたくさん置いてある店が目に留まる。通りから見える店内には、服がいくつも並んでおり、どうやら服飾店のようだ。
今なら、冷やし草を売ったお金で、服が手に入れられるかもしれない。
《アルマ、時間は大丈夫?》
《店内での購入を十分以内に完了する事を前提に、屋根の上を急げば、夕食までには間に合うかと》
時間も大丈夫なようなので、服飾店へと立ち寄ることにした。
ドアを開けると店内には、様々な色の服がラックに掛かっていたり、籠に置いてある。今着ているものと、同じような服はあるだろうかと、店内を見回す。
「いらっしゃい、そこにあるのは男物、女物はこっちだよ」
店の奥から、中年女性らしき店員の声が掛かる。男物が欲しいのに、なぜか女物を勧められた。
《女性と勘違いしているものと推察》
昼間ならともかく、夕方は店内も真っ赤に染まっているため、見方によってはツヴァイの横顔は幼い少女に見えても不思議ではなかった。
「あ、えっと男物が欲しいんですけど……これいくらですか?」
制限時間は十分以内なので、勘違いされているのならば、そのままでもいいかと話を進めるべく、手近にあった紺色のズボンを手に取った。
サイズが合うか自分に合わせながら、値段を聞いてみる。
「男物を……最近の子は変わってるねぇ。その籠に入ってるのは一つ二十五ルピーだよ。上下合わせて買ってくれるなら安くするけどねぇ」
そう言って、店員さんは僕のほうを珍しそうに見ている。
上と下、合わせて買えば安くしてもらえるみたいだ。
《セット販売商法ですね》
《セット販売しょう?》
また知らない単語だ。説明を求めるべきだろう。
アルマさんお願いします。
《値引きを交換条件に、単品ではなく、複数の商品を纏めて買うわせる商法の事です。商人の戦法と言った所でしょうか》
《それって僕が、買い物上手ってことじゃなくて?》
《確かに安く買えますが、店側も商品がたくさん売れるので、多少の値引きでも十分に利益は上がるのです》
ボタン付きの白いシャツと黒いズボンを各二枚ずつ、籠の端にあった黒いベストを取って、店員へと差し出しながら、他に必要なものはないかと、視線を巡らす。
「これください。それと……靴とかもありますか?」
「なんだい、一式揃えるのかい? 靴なら冒険者用に仕入れた黒い靴がそこにあるよ」
「ベルトと、下着もあれば……」
下着と聞いて、少し考えるような態度の店員さん。
何を考えているのだろう。
「……下着も男物に? さては男へのプレゼントだねぇ。でも嬢ちゃん、お金はあるのかい?」
何やら、ものすごく勘違いをされながらも、ポケットの影から銅貨を取り出して見せると店員も納得してくれた。
その後も、素早く服のサイズを確認しながら、更に下着やベルト、フード付きマントと靴下も追加でいくつか選ぶ。
カウンターに所狭しと並ぶ、布、布、靴。
必要なものがいつの間にか、結構な量になってしまった。
「全部で三百ルピーだけど、二百五十ルピーにしとくよ」
少しまけてくれたみたいだ。
《二百五十ルピーなら、銅貨三枚でいいんだよね?》
《肯定》
念のためアルマさんに、支払う硬貨を確認し、ズボンのポケットから銅貨を三枚取り出して店員に支払うと、お釣りの大鉄貨が渡された。
渡された大鉄貨をポケットの影に入れ、大きな布で二つにまとめてもらった服を両手に一つずつ持ってみると、じんわりと腕に重みが伝わってくる。
買ったものを引きずらないよう気をつけながら、店を出るべく歩き出す。
「嬢ちゃん重くないかい?」
「だ、大丈夫です。ありがとございました」
「またおいでぇ」
店員の声を背に受けながら、服飾店を出て路地裏へと入り、買った物をまとめて影の中へと取り込む。
始めての買い物は、無事成功したようだ。これでようやく、街中を散策する際にトランスしている服がばれないかと、ドキドキしなくて済む。
《ふぅ、服も手に入ったし、これで一安心。》
《ツヴァイ、まもなく移動を開始してください。夕食に間に合いません》
《え、急がなきゃ!》
周囲に誰もいないことを確認し、物陰に入って猫へとトランス。
猫のしなやかさと、脚力を活かして路地裏の障害物を伝いながら、屋根へと登り、リリィの家へ向けて駆けていく。
茜色に染まる街を眺めながら、屋根の上を走っていると、前方から猫の匂いが漂ってくる。
感じ取った匂いは同類のものだ。
《前方に生命反応アリ……不可解な反応です》
《不可解?》
屋根の上を走っていると、進行方向にだらりとしている何かが目に入る。
《猫のようですね、》
近づくにつれて、徐々に茶色い猫が見えてきた。屋根のふちで身体の上半身を、空中に投げ出すような体勢で寝そべっている。
寝返りをうったら落ちるだろう。
寝そべるには不可解な体勢だ。
「おーい、そこで寝てたらあぶないって…………ん?」
通りがかったのだからと、近づいて声をかけるも返事がなく、猫の目が白目を向いていることに気が付く。
《意識を失っているようですね》
《なんでまた……こんなところで》
《ツヴァイ、触れてください。確認事項があります》
またなにか調べるのだろうと、言われるがままに、気絶している猫の後ろ足の肉球に触れてみる。
《……解析完了。病気の類ではなさそうですね……覚醒プロセスを実行します》
ふと、触れていた足がわずかに痺れた。
《え、今ビリって……》
《覚醒プロセス終了。ツヴァイ、間もなく覚醒します》
《…………痺れるなら、一言欲しかったかなぁ》
痺れた足を振りながら観察していると、猫の身体がぴくぴくと動いている。目を覚ますみたいだ。
「んぅ……ん!!……うにゃ」
意識が戻った猫は、身体が空中に出ていることに驚いたのか、体勢を崩してしまう。
《あぶなっ》
落ちそうになっていたので、咄嗟に猫の尻尾を口で咥え、落ちないように引っ張った。
うまく、屋根の上へと引き戻すことに成功する。
「ふぎゃ…………たすかったぁ、ほんとにありがとにゃぁ」
強く引っ張りすぎたのか、尻尾をさすりながら感謝を述べる猫。
ちょっと強く引っ張りすぎたかなと心の中で反省。
この高さから落ちるよりはましだろうと思って我慢してほしいところだ。
「なんでまた、あんなところで寝たりしたの?」
そもそも、寝そべるならばもう少し、場所を選ぶべきだろう。
僕が寝そべる場所として選ぶなら、リリィのベッドの中一択だ。
「屋根の上を歩いてたら、急に意識がにゃくにゃって、気が付いたらあの状態だったにゃ……きっと嫌なものが、近くに居たんだろうにゃぁ、兄さんたちもきよつけるにゃ」
そう言い残して、猫は移動していく。
『嫌なもの』……昼間、ロビに聞いた話にも出てきた単語だった。
《たしか、それが近くに来ると、気絶したり気性が荒くなったりするんだっけ?》
《肯定。先程の猫はおそらく、屋根の上を移動中に意識を失って、屋根のふちに引っかかったものと推測》
《あれ、東門の近くに出るってロビは言ってたけど、ここは街の中心部だよね》
《肯定。しかしながら現状証拠では、この付近にも出没したものと思われます。何も検知できていないので詳細が気になりますが、今は時間がありません。『嫌なもの』と遭遇するリスクはありますが、帰宅を急ぐべきかと》
何やら得体のしれないものが、街中にいることに一抹の不気味さを覚えながらも、リリィの家に向かって急ぐ。
途中、意識を失った猫や屋根の上に落ちている鳥などを見かけた。どうやら、嫌なものは少し前にこの付近に居たみたいだ。
《アルマ、何か感じる?》
《今現在、ツヴァイを起点に、おおよそ街の半分をカバーする範囲を索敵していますが、気絶した生物の反応以外に特筆すべき反応はありません。》
夜なので、昼間よりもアルマさんの感度はいいはずなのだが、何も反応はないみたいだ。
もう近くには居ないのかもしれない。そんなことを考えながら、『嫌なもの』とは遭遇せずに、リリィの家へと到着した。
夜、食事を終えて、キッチンではお母様と一緒に、リリィが後片付けをしている。
「あ、私も洗う」
「そっちのお皿いいかしら?」
「はーい」
僕は居間のソファにもたれ掛かり、洗物の音を聞きながら、先ほどの『嫌なもの』について考える。
まず最初に、『嫌なもの』が出没する時間は、夜に出会ったロビが、よくあそこを通ると言っていたことから、夜には出没しないと考えられる。そして、今日のロビの話では東門の近く、つまりリリィの家から東門に行く道中に出没するということだ。
今日見つけた、意識を失った猫がいた場所は、ちょうど街の中心部だ。状況から考えて、街の中心部に『嫌なもの』が出没したことになるものの、そうなると、ロビの言っていた話と矛盾点が出てくる。
《アルマ、不可解な反応って、まだ覚えてる?》
《先ほどの反応でしたら、残っていますが、『嫌なもの』ではなく気絶した生物の反応だったので、あまり有意義なデータではないかと……》
とりあえず、何か手掛かりになるだろうと出してもらう。
《……緑の線が、ツヴァイの移動ルート。赤い点が夕方以降に補足出来た不可解な反応です》
視界が少し薄暗くなり、ソファの上にこの街のすごく簡易的な地図が現れた。
そして次に赤い点がたくさん出てきた。数えてみると、全部で五十八個。
気のせいか、赤い点が密集しているところを、僕の通行した緑の線が通っている。
しかし、これだけでは今一つだ。
確か、図書館で街の地図を見たような気がする。
《たしか、図書館で街の地図みたいなの見たよね?》
《……ギルド図書館で入手した街の大まかな図を縮図で重ねて表示します》
視界に薄く、ギルド図書館で見た街の図が浮かび上がってくる。
これでだいぶ分かりやすくなった。
なぜか赤い点が、ギルド図書館の近くにもあることに違和感を覚える。
《あれ? ギルド図書館の近くにも赤い点があるけど……地図がずれてるとかじゃないよね?》
ギルドの付近に赤い点があるということは、近くに『嫌なもの』が居た可能性が高い。
《肯定。縮図のサイズに関しては問題ありません》
《ギルドの中に居たときは、この赤い点に気が付いてた?》
《否定。周囲が夕日に染まりだした頃より、観測を開始したので、ギルド内部にいた時点では補足できていません》
アルマさんの調子が良くなるのは、僕と同じで暗くなってからだと思い出して、一人納得する。
赤い反応がギルド図書館の近くにもあることから、ギルドの近くにも、『嫌なもの』が出没したのは間違いなさそうだ。
たまたま東門付近から移動して、広範囲に出没したのか、『嫌なもの』が複数この街に存在するのか、謎は深まるばかりだ。
《偶然的一致かもしれませんが、ツヴァイの移動ルートと、不可解な反応の発生場所が相対的に重なっているように見受けられます》
《ギルドに行くときは、ロビも居たから、僕がギルドに行く前には出てなかったはずだよね》
《肯定、ツヴァイがギルド図書館に入ってからの出没と考えられます》
近くに居たかもしれない。そう思うと、怖いと思う気持ちよりも、気になる気持ちが強かった。
《現存のデータだけでの判断は、難しいかと》
《もう少し、ロビに教えてもらえばよかったなぁ》
『嫌なもの』について考えが出尽くしたところで、リリィとお母様の話し声が耳に入る。声からして、リリィは何やら楽しそうだ。
《さっそく、使い魔の話かな?》
《そのようですね。しかし、よろしいのですか? このままでは、少女と使い魔の契約を結ぶことになりかねません。会話をするためだけに契約をするのでは、あまりにも安易かつデメリットが大きく、ここで生活をするにしても、情報をもう少し集めてからでも遅くはないかと考察》
《うーん。そうなんだけど……何となくかな?》
昼間、リリィがリンゴを少年たちに取られた時、僕は何もできなかった。その後の『……ツヴァイが話せたらなぁ』というリリィの一言が耳に残っている。
僕から見ていても、リリィは純粋でいい子だ。、泣き顔よりも、笑顔の方が似合うと思う。
リリィと話せたら、きっと今よりも毎日が楽しいだろう。そのためにも僕が出来ることは少しでも叶えてあげたい。
《まぁいいでしょう。いざとなれば破棄すればいいかと》
突然物騒なことを言うアルマさん。
《……契約って絶対じゃないの?》
図書館で呼んだ本には、魔法による契約は絶対と書いてあったはずだ。
《肯定。たしかに、魔法による契約は効力が強いですが、対象外になれば効力は適用されません》
《対象外?トランスってこと?》
《肯定。契約は猫の時点で交わされるので、本来の姿に戻れば契約は成立せず、効力も発揮しません》
アルマさんの話を聞いていると、トランスさえあれば、何でもできそうな気がしてくる。
視線をキッチンへとむけてみる。
リリィの楽しそうな声を聴いていると、契約を破棄された時、リリィが悲しむかもしれない、と勝手な想像力が働く。
僕が一方的に思っているだけかもしれないけれど、出来たらそんなことはしたくないなぁと思う。
そんなことをぼんやり考えていたら、ふと、視界が暗くなる。
「ツヴァイ、いくよぉ」
リリィに呼ばれた。
そんなことにはならないだろうと、契約破棄を頭の片隅へと追いやる。
ソファから起き上がり、ぐっと、身体を伸ばす。
二階の部屋で身体を拭いてもらうべく、リリィの後に続き階段を登っていく。
部屋に入るとリリィが魔石を使い、木で出来た桶のようなものにお湯を沸かしている姿が見えた。
魔石で水を出して、それをまた、魔石で温めている。
魔石があるのはお母様がよく使うからだろう。
冷たい水よりは温かいお湯のほうが気持ちいいので僕としては歓迎すべき事。
いつもリリィがお湯で身体を拭き終わるのを、床で寝転がりながら待ち、リリィが終わった後に僕の身体を拭いてもらっている。
着ているワンピースを脱ぎ、下着姿になりながら、リリィはタオルを桶に浸している。
リリィの身体を見ていても、僕の身体とあまり違ったところは見られない。
もう少し年を重ねると、男女の差が身体に出てくるとアルマさんに教わったが、今ある違いとしては、リリィにはついてないことぐらいだろう。
下着を脱ぎ、絞ったタオルで首から順番に拭いているリリィを見ながら、将来はお母様のようになるのだろうかとぼんやり考えてみる。
…………怒ったら怖そうだ。
身体を拭き終わったのか、薄いピンク色の下着を身に着け、僕を拭こうとタオルを絞っている。
「おいで」
「にゃーん」
お願いしますと言わんばかりに、足取り軽く、トタトタとリリィに近づいて行く。
以前、桶の中に入れられて、ジャブジャブとされたときは、毛がびちょびちょになって、凄く寒かった。
それ以降は濡れるのを嫌がったせいか、濡らしたタオルで拭いてもらっている。
「きれいになると、気持ちがいいね」
拭いてもらうのも気持ちがいいのだが、拭いてもらうことよりも、その後に、撫でてもらうことが僕の楽しみだったりする。
拭き終えたタオルを軽くゆすぎ終えたリリィは、ドアを開けて、桶をお母様の元へと持っていく。
使い終わったお湯はお母様が魔法で庭へと撒くのだそうだ。
その間に僕はベッドへと潜り込み、リリィのためにベッドを温めておく。
ベッドの中に潜り込むと身体中が、リリィの匂いに包まれる。リリィの匂いが身体に移らないかと、身体をこすりつけていると、リリィが布団の中へと入ってきた。
「ふふ、あったかい」
ベッドに入ったリリィは、横を向いてツヴァイをやんわりと抱きしめる。
もふもふとした触り心地をしながらも、抱きしめるとツヴァイの力強い心臓の音が聞こえ、それを聞きながら眠るのが、最近のリリィの癒しの時間だった。
リリィが撫でやすいように、ツヴァイは身体を動かして位置を調整をする。
《さぁ、いつものお願いします》
リリィが眠るまでのあいだ、身体を撫でてもらうのが一番気持ちがいいのだ。そして、そのまま寝てしまえるのだから、至福のひと時だろう。
リリィに撫でてもらいながら眠る、この瞬間だけは猫で、良かったと思う。
「おやすみ」
《おやすみ、……アルマもおやすみ》
《良い夢を。…………夜間サーチ、音感センサーともに作動開始》
今日も、一人と一匹は、お互いのぬくもりを感じながら、ゆっくりと眠りにつく。
誤字・脱字等、ありましたらお願いいたします。
猫、それは癒しの生き物です。