第4話 魔法使いと寝子
朝、リリィの部屋と間違え、お母様の部屋の窓を開けようとしていたところ、お母様に見つかった。
お母様は相変わらず、何を考えているのか読めない微笑みを浮かべている、怒ると、すごく怖いのかもしれない。
「ちょうどいいわ、ちょっといらっしゃい」
ツヴァイは無言のプレッシャーを感じて、お母様の後についていく。
紫色のローブを羽織りながら、昨日と変わらず微笑んでいるお母様は、一階へ降りると、ツヴァイが後ろからついてきていることを確認し、地下への階段を降りていく。
なんだろう、なにがあるんだろう。
モーリス家は地上二階建て、地下一階のようだが、地下はまだ入っていない。
薄暗い中、地下室の扉を開けてお母様が右手をかざすと、壁に埋め込まれた石のようなものに明かりが灯る。
《あれ?松明と違う、あれは魔法?》
《魔力により発光する鉱石と推測……特殊な波長を検知、逆探知開始。しばらく他の演算に、遅延が生じますがご了承を》
アルマさんが何かを感じ取ったみたいだ。
入ってみると地下室は不思議な匂いのする空間だった。
中央には食卓テーブルのような木の机があり、机上には透明な玉が鎮座し、蒼く発光している。テーブル傍に置いてある椅子の一つに飛び乗り、猫の目線を少し高くして部屋の中を見回した。
不思議な形をした草や、白い木の枝、みずみずしくなさそうな果物の瓶詰がたくさんの棚や、緑色の液体に目玉のようなものが浸かっている容器、本棚などが壁一面に置かれている。
「私の工房へようこそ。薬草とか毒の材料もあるから、絶対に食べちゃだめよぉ」
どうやら、美味しそうなものはなさそうだ。
お母様が何やら透明な容器を持って、僕に近づいてくる。何が始まるのだろう。心の中はよく分からない不安感でいっぱいだ。
容器を持っていない手で、僕の体を撫で始めるお母様。気持ちがいいけど、僕はリリィの撫で方が好きだなぁ、と心の中で評価しながら撫でられていると、お母様の手が僕の体を離れた。
離れるその手に僕の灰色の毛が数本握られている。
僕の毛を透明な容器に入れ、何やら唱えている。小さい声なので、何を言っているのか聞き取れない。
「 」
唱え終わると、容器の中が白い靄で覆われ、しばらくすると靄は消えてなくなった。
中の毛に変化はない、もしかして今のも魔法だったのかもしれない。
「あらあら、何ともないわねぇ」
僕のほうを見ているお母様は、相変わらずにこにこと微笑んでいて、何を考えているのか分からない。
すごく気になる現象が起きたのに、アルマさんは無反応。まだ、さっきの波長を調べているみたいだ。
ふと、お母様が何かを感じ取ったのかドアのほうを振り向く。
空いていた地下室のドアの隙間から、小さな虫が部屋に入ってくるのが見えた。部屋に入って地下室を見回しているみたいだ。
しかし、次の瞬間、虫はイスと同じ高さの、茶色い人型の何かに変わった。
「あらあら、今年でもう六回目よぉ、飽きないわねぇ」
突然のことで動けない僕をよそに、それを見届けたお母様は、容器を持っていないほうの手を人型の何かにかざした。
人型も手をかざされたことで、気が付いたみたいだ。
「 」
小さくて聞こえなかったが、お母様が何かを唱え、手から稲光が飛び出した。
稲光が瞬く間に人型へと届き、稲光と共に人型が消滅する。
お母様は何事もなかったように落ち着いている。
突然虫が人型に変わったことよりも、お母様の手から出た光が、人型を消した事のほうが衝撃が大きい。
展開が速すぎて、僕はまだ目の前で起こったことが処理しきれなかった。
《波長の逆探知成功。ツヴァイ、中央の水晶体から、魔力波が発生しています。推測ですが、強制的に擬態魔法を解除する仕掛けと思われます》
《ぎ……擬態魔法?》
衝撃から立ち直り、アルマさんとの知識の穴埋めを行う。
あの透明な丸いものは水晶というらしい。
《姿、形を任意に変える魔法です。分かりやすく言えば変質の劣化版と言った所かと》
《ほうほう》
《先ほどの光景は、魔法により虫に変身していた人型の何かが、この部屋に侵入したことにより、強制的に魔法を解除され、あのような本来の姿に戻ったものと推測されます》
《ん?でも僕は、この部屋に入ってから、何ともないよ?》
僕の身体は、いまだに猫のままだ。
《ツヴァイの変質は、擬態と酷似していますが、全くの別物と考えていいでしょう。擬態魔法は変身魔法の一種ですが、トランスは魔法ではなく、体の性質変化であり、体の特性です。あの水晶体の波長を浴びても、術が解ける心配はありません。何より、ツヴァイには魔力がありませんので、変身魔法が使えないこともお忘れなく》
なるほど、よくわからないけど、そういうことにしておこう。
最後の付け足しについて、アルマさんと後でじっくりとお話しようと、心に決める。
ふと、お母様がツヴァイのほうへと振り向く。
顔には相変わらず、何を考えているのか分らない微笑みが張り付いていて、ツヴァイの方へと近づいていく。
え、なんでこっちに近づいてくるんですか。あ、ダメです、その手が怖い。
《消されそう、アルマさん助けて》
何かいいアドバイスをくれるだろうとアルマさんを頼る。
《現状、ツヴァイには対魔導士戦用の戦術オプションはありません。撤退を進言》
アルマさんにもどうにかできないらしい。
本当はトランスしていることがバレていて、猫じゃないのに娘さんに猫の姿で近づいた事で、僕も消されるのではないだろうか。
ツヴァイの脳内に、先程の稲妻により跡形もなく消えてしまった人型の最後がフラッシュバックする。
リリィのお母様、魔導士さんなんですね。お母様がすごく、恐ろしい。
内心で脅えながら、近づいてくるお母様の挙動を見守る。
近くまで来ると、僕のほうに手を伸ばし……。
ポンと頭に置かれる。
……あれ?
そのままゆっくりと撫でられるツヴァイは、状況がよく分からない。
「疑ってごめんなさいねぇ、てっきり悪魔の類が娘に近づいてきたんじゃないのかと、疑ってたのよぉ。勘違いだったわぁ」
どうやらばれていないらしい、消されなくて本当に良かった。
ものすごい脱力感が体を襲う。
《こちらが正体を明かさない限り、トランス中のツヴァイの正体を把握するなど、人種には不可能かと。冷静に考えれば消されるなどと言った可能性は、ゼロに等しいと考察》
アルマさん、それもう少し早く言ってください。
今だけは少しアルマさんにムッとする。
目の前でいきなり人型の何かが消されて、その手でこちらに近づいて来たら、絶対、次は自分の番だと思うでしょう。そんな状態で、平常心でいられる余裕なんてありません。自信ありますそこだけは。
アルマさんの『人種には』と言う言い方に引っ掛かりを覚えるも、中身が人だとばれておらず、猫と思われている事に安堵してしまう。
「ツヴァイ、リリィと仲良くしてあげてねぇ」
微笑みながら、頭を撫でてくれるお母様。
それはもちろん、森の中で見つけた第一街人さんですから、何よりあの撫で上手、こちらこそ仲良くしてもらいたいです。
お母様の笑顔は、何を考えているのか分からないような微笑みではなく、娘思いのお母さんだと思えるものだった。
親として娘のことが大事なんだろうなぁ、と撫でられながらにそう感じられた。
それにしても、さっきの茶色い人型は何だったのだろう。
お母様は今年で6回目と言っていた。何度も、ああいった事があるのかもしれない。
「そろそろリリィが起きるわ、朝ごはんの準備をしましょうか」
そう言ってお母様は、僕の毛の入った容器を机の上に置き、地下室のドアへと向かう。お母様が部屋を出るようなので、黒い人型については頭の片隅に追いやることにした。
《ツヴァイ、念のため毛を回収を。この部屋が閉まったら影での取り込みを提言》
影で回収?こうしている間にも、お母様はドアの前で僕を手招きしている。
とてもじゃないが机の上に登って、容器の中にある僕の毛を、影の中に取り込むような事は出来なさそうだ。第一、猫の手では自分の細い体毛は掴めないだろう。
《あの容器と毛をよく覚えてください。部屋が閉まったと同時に室内は暗くなるはずです。暗闇ならばこちらの物。しっかり取り込めるかと》
《ん?……僕が触れていなくても取り込めるの?》
《ツヴァイの身体の一部であればツヴァイの影でなくても、ある程度の暗闇が存在していれば可能です》
そう聞いて、机上の容器と僕の毛を目に焼き付けながら、椅子を降りてドアへと向かう。
地下室を出ると、お母様が壁の明かりを消しドアを施錠した。
《今です、先ほどの光景を思い出して毛の回収を》
机上の透明な容器の中にある僕の体毛を思い出しながら、取り込むことを意識する。
《ん、取り込めたかな?》
目で見ていたわけではないので、
今一つ、取り込んだ感覚が分からない。
《影の中の物は、視界に表示できます》
そういうや否や、視界には昨日取り込んだ服と、今取り込んだであろう細い毛のようなイラストが視界の隅に浮かび上がる。
なるほど、これは便利だ。無事に、毛は回収できたらしい。
《確認できたようなので、消しておきます》
アルマさんの声とともに、視界からイラストが消える。
お母様の後に続いて1階へと続く階段を上っていく。
窓から差し込む朝日がまぶしい。
紫色のローブを着用したまま、お母様はキッチンに入っていった。
お母様の傍で緊張していたせいか、はたまた夜更かしのせいなのか、居間に戻ってきたとたん猛烈に眠い。
くぁあ、と大きな欠伸が出てしまった。
《リリィが起きるかもしれません、部屋に戻ったほうが良いかと》
リリィに内緒で部屋を抜け出していたため、アルマが正しいと分かってはいるものの、夜中に起きていたために寝ていないのと、先ほどの地下室の出来事で、僕は疲れていた。
気のせいかまぶたも重い。すごく横になりたい。
《凄く眠いので……少し休んでから、二階に上がる……起こさない……で》
ソファに飛び乗る元気もなく、ソファと床の狭い隙間に入り込んで、そのまま目を閉じる。
ツヴァイにとっては、目が覚めてから、リリィに引き取られて夜になり、忘れ物を回収。
謎の生き物に追われかけ、お母様に見つかり衝撃的な茶色い人型と、それを跡形もなく消したリリィのお母様の存在。
昨日から、いろいろなことがありすぎて眠いかったツヴァイ。
少しだけ休もう、そんなことを考えながら、そのままソファの隙間でまどろんでいった。
◇◇◇◇◇◇◇
数時間後、静まり返ったリビングで、猫が身じろぎをする。
《……ん…………》
ふと、目が覚める。
寝て凝り固まった体をソファの下で、両前足をぐーっと伸ばし、ストレッチすることでほぐしていく。
おまけで欠伸を一つ。さて、どれくらい寝ただろうか。
《アルマさん、おはようございます》
《おはようございます。ソファ下での就寝後、三時間三十四分後の起床です》
軽く眠るつもりが三時間も、……しっかり寝てしまったみたいだ。
リリィはもう起きているだろうか、何とも申し訳ない気持ちでソファの下から這い出るも、部屋の中に音はなく、静まりかえっていた。
二人とも出かけているのかもしれない。
《母親は、所用のためギルドへ外出、少女は現在自室にいるかと》
《ギルドに外出……ギルド?》
《組合もしくは組織の名称と考察》
アルマさんに疑問を解決してもらったところでリリィの所にでも行こうかと、2階へと続く階段を上る。
リリィの部屋の前まで行くと、何やら物音が聞こえた。扉は閉まっていたので、ドアに耳を近づけて様子を窺う。
「……グスッ……っ……っ……うぅ…………っ……っ…………っ……」
何やら嗚咽のような音が聞こえる。もしかして泣いているのだろうか。
僕が寝ている間に、何か起こったのかもしれないが、こういった時どうすればいいのか、分からない。
もしかしたら、お腹が痛いのかもしれない。
こんな時、原因が分かれば、まだ何とかなりそうな気もするが……。
悩んだ末にふと、ひらめいた! 困った時のアルマさんだ。
《リリィがどうして泣いているのか、分かる?》
《肯定。ソファ下で聞こえた会話を、就寝中のツヴァイの耳を介して記憶したので、再生いたします》
アルマさんの声とともに、アルマさんではない声が聞こえる。
《………………ない? 朝、見たら居なくて…………》
リリィの声が聞こえる。
《あら、朝は居たのに、どこに行ったのかしら》
これはお母様の声だろう。
《…………ツヴァぃ…………》
《……居ないわねぇ……地下室にも居なさそうねぇ》
《やっぱり、私の……ことが……嫌に…………って……っ…………っ……ヒック……いなく……》
《もう……泣いたら、かわいい顔が台無しよぉ》
《だっ……っ……だっでぇ……っ……っ……》
《あなたがツヴァイをここに連れてきたとき、ツヴァイは嫌そうにしてたかしら?》
《……っ……っ……うぅ……っ……》
《大丈夫よ。きっとすぐに帰ってくるわ》
《……うぅ…………ヒック……うん……っ……》
《ひょっこり、出てくるかもしれないわ。》
《……っ……っ……ぅ……っ……》
《ちょっと、ギルドで用事済ませてくるから、朝ごはん食べておくのよ》
《ぅん……っ……行っで……らっしゃい……っ……》
バタンと、ドアが閉まった音とともに、ギシギシと音がしたあと、静かに何かかが閉まった音がした。
《……以上です》
僕が部屋に戻らなかったばかりに……。
数時間前の自分に寝ちゃだめだと言いたくなる。
せめて見つかる所に居れば、こんな風にはならなかったかもしれない。
《……僕が原因?》
頭に肉球を当て、私は悩んでいますよのポーズをとる。
《状況を察するに、そうかと》
うまく言えないが疑問が残る。言葉に出来なくて、少しじれったい。
《飼い主はペットと一定期間一緒に生活することで愛着が形成され、別れの際には涙を流すこともある。と記憶しています。そのため、昨日出会ったばかりの猫に、この短期間で涙が出るほどに愛着が湧くものなのかと、少々不自然な部分もあります》
アルマさんが僕の疑問を言葉にしてくれたので、少しスッキリするも、状況は変わらない。
《特殊な事情があり、少女が抱える問題に対してツヴァイが最適だったために、通常よりも期待の度合いが大きかったのではないかと、考察》
特殊な事情とはなんだろう。
リリィが、僕のことをすごいと言っていた事と、関係があるのだろうか。
《断定するには、情報不足です。今は現状の打開が最優先と進言》
《うーん、……こうゆうときは慰めるんだよね、どうしようか……》
今の心境は後悔、後に立たずだろう。
誰に教わったかも分からない知識に、こんな言葉もあるのかと思いながら、悔やんでばかりもいられないので、やってしまった事の後処理をどうするべきか考える。
《僕が見つからなくて泣いてるのなら、僕が姿を見せれば解決するかな?》
《おそらくは》
それならばと部屋の中に入ろうとするも、ドアノブは猫の僕には少々高かった。
《変質…………変質》
トランスして右手を枝のように伸ばし、ドアノブを捻った後、腕を元に戻す。
猫の身体から人間の腕が伸びている光景は、傍目から見てさぞ奇妙だっただろう。
ドアの隙間から中を覗くツヴァイ。
リリィはベッドにうつぶせになって、泣いているようだった。
静かに部屋の中に侵入する。
ベッドの脇まで来ると、窓枠に飛び乗り、窓枠からベッドに足を下ろす。
泣いているリリィの傍まで来ても、リリィはツヴァイに気が付いていない。
案外気が付かないものなのだなと、泣いているリリィをみながら、ぼんやりと考える。
実は、無意識のうちに自分が、音をたてないように歩いていることに、ツヴァイは気が付いていない。
さて、リリィの頭があるであろう位置から猫一人分の距離にいるのだが、リリィは相変わらず泣いているようだ。
近くに居るのに気が付いてもらえないのでは意味がないと、鳴いてみることにする。
「にゃーん……」
数秒もしないうちに、部屋に響いていた嗚咽が止みピタリと止んだ。
ベッドに埋まっていた頭がゆっくりと動き、鳴き声のした方を向く。
少しづつ、ベッドの布が捲れ、リリィの濡れた瞳が、ツヴァイを捉える。
「つ……ツヴァイ?………」
泣いて腫れてしまった目をパッチリと開き、ツヴァイが居ることへの驚きと安堵の色が瞳に宿る。
朝、部屋に戻らなかった事への申し訳なさからか、リリィのうすしお味の頬をぺろぺろと舐めるツヴァイ。
《ごめんなさい……ほんとうにごめんなさい……》
伝わらないと知りつつも、心の中で謝るツヴァイをリリィがゆっくりとベッドの上で抱きしめる。
泣いていたせいだろうか、少し湿っぽいリリィの匂いがふわっと身体の中に入ってきた。
「…………つ、……ツヴァイ…………よがっだぁ……つヴぁいだぁ……うぅ……っ」
抱きしめた腕からは、夢でもなく幻でもない、ツヴァイの温かさが伝わってくる。
ツヴァイが戻ってきた、居なくなったりもしたけど、ちゃんと戻ってきた。
今のリリィにとってはそれだけでも、嘘みたいに信じられない事だった。
ベッドのシーツにぽたぽたと涙が落ちた。 嬉しくてリリィの瞳からは、先程とは違う涙が目から溢れてくる。
「うぅうう……、……ゔぅ………っ……っ…」
再び、嗚咽が部屋に響きだす。
《……あれ……アルマさん、リリィ、泣き止んでくれない……ど、どうしよう……》
泣き止ませるはずが、さっきよりも泣かれているような気がする。
《現状維持でも問題ないと考察》
抱きしめられながらも、今のツヴァイにできることは、精一杯リリィの頬を舐めること。
精一杯の謝罪を込めて、リリィの気持ちが少しでも穏やかになればと、舐める続けることにした。
「っ……つ……つヴぁい」
名前を呼ばれ、話を真面目に聞こうと腕の中で、次の言葉を待つ。
「ツヴァ……っいは……っ……私の……ペット……っ……なるの…………いや?……っ」
落ち着いたのか、目は赤く腫れているものの、詰まりながらも話し始めるリリィ。
今回のことは大袈裟な気もするものの、夜中に出歩いた僕が悪いのだ。
嫌だなんてとんでもない。と頬を強く舐める。
飼猫に関しては、思う部分もあるものの、リリィは撫でるのが上手な子だ。
まだ、飼猫になって1日もたってはいないけれど。
少なくとも扱いに関しては、僕は不満はない。
余程のひどい事をされても、今の僕ならばリリィのことは嫌いにはならないだろう。
……たぶん。
「私、いい子にしてるから、…………っ」
リリィが抱きしめている腕を解き、一度深呼吸をする。
「…………っ……………………」
お互いの瞳に、相手の顔が映るくらいの距離で見つめ合うように向き合った。目をのぞき込まれることで、ツヴァイの心臓の鼓動が忙しくなる。
ようやく泣き止んでくれたのだから、朝のお詫びもかねて、我儘くらいは聞いてあげようと、決意するツヴァイ。
無音に包まれる室内、向き合う少女と猫1匹。
「わ、わだじと、……家族になってください。」
ツヴァイの瞳をしっかりと捉え、目をそらさずに、言い切るリリィ。
…………拍子抜けするツヴァイ。
なんだそんなことでいいのかと、快く返事をする。
「にゃー」
家族になることぐらいお安い御用だと、返事の代わりに鳴いて答え、リリィの頬を舐める。
《魔力検知。…………契約魔法を確認》
《ん?魔力?》
《……反応消失……申し訳ありません、エラーの発生を確認……再調整開始》
数時間前に、僕に魔力が無いのを指摘したのは他ならない、アルマさんだ。
魔力なんて、気のせいだろう。
アルマさんでもミスはあるんだなと、失礼なことを考えるツヴァイ。
「ツヴァイ……………………ありがとぉ………」
もう一度、やさしく包むようにツヴァイを抱きしめる。
先程までの泣き顔が嘘のように、花の咲いたように笑顔のリリィ。
《泣き止んでくれてよかったぁ。ほんとによかったぁ…………》
この笑顔を守れてよかったと、一仕事終えた気分に浸る、猫一匹。
自分が悪かったことなど、忘れているツヴァイであった。
「くぅぅ……」
和やかな雰囲気の室内に、響くおなかの音。
そういえば、朝から何も食べてないことを思い出す。リリィのことに必死ですっかり忘れていた。
《さすがに、お腹空いたかも……》
《ツヴァイ、朝食をまだ食べていませんね。栄養補給を最優先オーダーに変更》
「ふふ……おなかすいたんだね……下にいこっか」
瞳から落ちるしずくを拭いながら笑顔になるリリィに導かれ、遅い朝食をとりに、キッチンへと降りていく。
◇◇◇◇◇
数日後、地下室でお母さんの手伝いをしているさなか、魔光石の光を頼りに、背表紙にはかすれた古代文字で対人魔法と書かれた古い一冊の本を読む少女。
それは、家族になりたい大切な存在が出来た時に使いなさい、と母親に譲り受けた魔導書だった。
「これでもう……大丈夫」
左手の小指に光る薄緑のリング。
それを、嬉しそうに撫でる少女の胸の内を知る者は、誰もいない。
猫に成功した契約魔法が、対人用だということにリリィは気が付いていなかった。
誤字・脱字等、ありましたらよろしくお願いします。