第1話 目が覚めたら森の中で
鳥のさえずりが聞こえる。鼻に抜けるのは土と青草のような、草独特の匂い。
気が付くと周りは緑豊かな森の中だった。
「……ん…………」
瞬きをしてもう一度、辺りを見回してみるも、膝の丈ほどの草と、緑葉樹ばかりの森である。
誰がどう見ても、おそらく森と答えるであろう、森の中だった。
「………………」
周りの状況を確かめようと、病衣のようなものを身に着けた少年が、辺りをキョロキョロと見回す様子は、生まれたての子供のようにも見受けられる。
さて、さっぱりわからない。現状、自分が誰なのか、ここがどこなのか、どうしてここにいるのか。
その場に座り、ひとつ深呼吸をし、とにもかくにも状況を整理することにした。自分は誰なのか、ここはどこなのか、気合を入れて状況把握に努めることにする。
Q.周りに見えるものは?
A.森、草、木・・・森の中?
Q.自分の状態は?
A.水色の半袖に、短パン、持ち物はなし、自分のことが分からない。
怪我はない……それ以外に特になし……あった……どうやら男のようだ。
Q.自分は誰なのか、どうして思い出せないのか?
A.物事はなんとなくわかるが、自分について、の部分が全く分からない。
自問自答を、心の中で繰り返して分かったことは……自分について何も分からない性別男が、なぜか森の中にいる、ということだった。
結局、現状は変わらない。
「どうしよう……いや、どうすればいいんだろう」
ひとり呟いてみる。
記憶のない自分には今できることも分からず、思考の海に沈没しようと、目をゆっくり閉じ《再起動完了》……たまま、固まった。
突然、脳内にささやくような淡々とした声が響く。
《座標検索中、ネットワークアクセス開始、並列でオーダーの確認、身体状況のチェック開始》
慌てて辺りを見回すも、人影のようなものはみあたらない。
《座標取得失敗、ネットワーク応答なし、オーダーは現在無し、身体状況特に問題なし、心理面に多少の動揺アリ》
声は聞こえるものの、姿が見えない。
《ツヴァイ、いかがされましたか? 座標が特定できないため、現状の報告を求めます》
どうやら誰かに話しかけているようだ。
思い切って呼んでみる。
「すいませーん、誰かいませんかぁあ」
《……付近に知能のある生命体反応は感じられません》
周りに誰もいないので、もしかしたら離れたところに人がいるのかもしれない、と思っていたが、誰もいないらしい。
もしかして、この声が聞こえるのは自分だけなのだろうか。
ひとまず、出かたを窺ってみることにする。
《ツヴァイ、応答を求めます。繰り返し、座標特定の判断材料、並びに心理的動揺について、報告を求めます》
声はなんだか女性のような声をしている。
もしかしたら、自分に話しかけているのだろうか?
今のところ、何も判断材料がないので、少しでも情報が欲しい。
もしかしたら、自分のことを何か知っているかもしれない、そんな下心を抱きつつ話しかけた。
「すいません……ちょっといいですか? ……」
《話し方に違和感が感じられます。ツヴァイ、もしや頭を打ったのでは?と、問題の可能性を指摘します》
なんとか、ファーストコンタクトはうまくいった……と思うことにする。
「少し伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
《ネットワークが回復していないので、質問について答えられるか現状では不安要素はありますが質問をどうぞ、ツヴァイ》
質問してもいいみたいだ。
さっきから ツヴァイという単語が聞こえるが、もしかして自分のことだろうか?
周りに人影が見えないことを確認しつつ、自分のことを知っているか、わずかに緊張しながら聞いてみる。
「すいません、僕のことをご存知でしょうか……」
《……解答はNoでありYesです。ツヴァイのすべてを知っているわけではありません》
「……ほむ」
すこし間はあったけど、どうやら僕よりは僕のことを知っていそうだ。それなら、聞ける限りいろいろと聞いてみることにする。
「僕の名前は……ツヴァイですか?……」
《その通りです、やはり記憶の欠落がありましたか》
今、やはり、と言っていた。この声の持ち主は、僕が自分の記憶がないことに心当たりがあるみたいだ。
ひとまず、僕の名前はツヴァイと言うらしい。
「つヴぁい……ツヴァイ……ツヴァイ……ツヴァイ…………」
自分の名前を連呼してみる。
忘れないように、噛み締めるように、味わうように。
名前が分からず不安だったが、名前を知ってようやく自分がここに存在していることを許されたような、そんな気さえした。
《感情の動揺を感知、ツヴァイ大丈夫ですか?》
心配になったのか、呼ばれる名前、その声に心が動く。
なぜだろう、今初めて聞いたような名前なのにツヴァイと呼ばれることが当たり前のような気さえしてくる。
名前に何とも言えない安心感を覚えて安堵していたが、他にも聞きたいことはあるので、ひとまず感動は置いておく、と言っても顔が少しニヤけているかもしれない。
自分には名前があったのだ、それだけでも大収穫である。
自分を知る大きな一歩だ。
「ゴホン……スイマセン大丈夫です。それで僕はここで何をしていたのでしょうか……なぜ、こんなところに……」
《……それは不明です、現在も試みてはいるものの、座標が特定できませんので、
いささか不本意ですが我々の知る場所ではない可能性が極めて高いです》
この人も、この森の中にいることは想定外みたいだ。
《私からも確認事項があります、質問してもよろしいでしょうか?》
「あ、はい、どうぞ」
そういえば今更ながらに、この声の持ち主の名前を知らない。
自分の事を知っている人に出会ったことで少し、興奮していたようだ。
姿も見えないが、木の上にでもいるのだろうか?
後でさりげなく聞いてみようと、頭の片隅にメモしておく。
《名前以外に、分からないことはありますか?》
「僕がどうしてここにいるのか、自分のことが思い出せないことを除けば、なんとなくですが分かります……ここが森の中だってことくらいは、なんとか」
《わかりました、では私のことは分かりますか?》
問い質されているような気がして、わずかに緊張しながらも、答えていく。
「えーと、……すいません、わからないです」
《そうでしたか、分かりました。では自己紹介しておきましょう》
自己紹介してくれるらしい。
《私は疑似精霊、名前はアルマです。あなたの補助をするために生まれ、あなたに定着しているものです》
声の持ち主の名前がアルマさんということは分かったものの、疑似精霊、初めて聞く単語だった。
どうやら人ではなさそうだ。
「アルマさん、とお呼びしてもいいですか?」
《かまいません、アルマとお呼びください。疑似精霊についても記憶がないようですね》
どうやら疑似精霊について分からないことがバレているようである。
そこまで、顔に出ていたのかもしれない。
《疑似精霊とは、人工的に作られた物質を持たない思念体です。ツヴァイの中に存在しているので、あなたの見たものや感じたもの、考えや体の異常などある程度の事は、筒抜けとだけ言っておきます》
「ど、どうもです」
考えていることや感じたことが筒抜けと言われて、なんだか恥ずかしい気持ちになるも、きっとこの感情もアルマさんに伝わってるかもと思うと、何とも言えない気持ちになり、とりあえず忘れることにした。
《先ほども言ったようにツヴァイの支援、補助が目的なので、霊体であることが都合がいいのです》
「都合がいい?」
《脳内に直接話しかけることで、空気を介さずに音の無い意思の疎通が取れるので、トランス時にとても有効な意思疎通の方法と考えています》
脳内に直接、ということは声を出さずに話せるということだろうか、それは便利だけど、そんな場面が来るのだろうか? 水の中で会話しなきゃいけない状況とかがあるのかもしれない……たぶん。
周りを見ても姿が見えないことに納得しながら、また知らない単語が出てきので、トランスについても説明をしてくれるのだろうかと期待する。
《考えてる通りです。声に出さずとも意識するだけで、私との意思疎通は可能です。トランスとは、変質変化の略称で、あなたが使いだした単語と記憶しています》
言葉に出さず、心の中でアルマさんに向けて話し掛けた。
《えーと……これでいいの?》
《肯定》
声に出さずとも会話が成立したことに、少し感嘆とする思いがある。
喋らずに思考だけで会話ができるのはとても不思議な感覚だ。
《トランス……自分で使いだした単語と言われても、今一つわからないです、それはいったいどのようなものなのか、聞いてもいいですか?》
《詳細は把握していませんがトランスとは正式名称、万象変質変化と言い、砂や水、人や動物など質量のあるものならば、ありとあらゆるものに、身体を再構成できる能力だと記憶しています》
オールクリエイションとらん……長い名称だ。
《それを、簡潔にトランスと言い換えたのがツヴァイです。トランスを何度も行って、使いこなしていましたが・・・記憶がないのであれば、話を聞いても実感が沸かないと思われます》
なんだか、流れがおかしなことになってきた。
記憶がないのはともかく、自分が何かに変身できることに少し驚きを感じながらも、僕は記憶を失う前に、その何かに変化することを幾度もこなしていたであろうアルマさんの口ぶりから、自分がどのような人物だったのか、謎が深まった。
《周囲の地形情報はあまり把握できませんが、そこの茂みの向こうに池があります。そこでトランスをしてみましょう。実際にやってみたほうが理解しやすいと考えます》
《わかりました》
アルマさんに進められるがままに、茂みの向こうに移動する。
茂みの向こうにはアルマさんの言っていた通り、木々の開けた場所に太陽の光が入り少し明るい雰囲気の池があった。波のない静かな水面が広がっている。
水面をのぞき込んでみれば、エメラルドのような翠と深い紅色のオッドアイ。
肩甲骨付近まで伸びる銀髪を、緑のリボンで後ろにまとめて縛った8歳くらいの子供が水色の変わった服を着ていた。
不思議そうに水面をのぞき込んでいる。
「…………ほむ……」
初めて見る自分の姿は、とても中性的であった。
男の子のようでありながら、女の子のようにも見て取れる。……いや、ついてたけどさ。
さて、アルマさんに言われるがままに池の前に来て、自分の外見と再会したものの、どうすればいいのだろう。
《周囲にも知的生命反応はなし。試すには、ちょうど良さそうですね》
この辺りは人がいないような森の奥なのかもしれない。
今一つ、心の準備が出来ていないまま、何をするのだろうと少し不安になりながら、アルマさんの次の言葉を待つ。
《ではさっそく、猫という生き物は分かりますか?》
「猫……ですか? 毛が生えてて、四足歩行の生き物なら……わかります」
《では、猫をイメージしながら、変質と唱えてみてください》
え、えーと、トランスってどうなるんだろう? 怖かったり、痛かったりしないだろうか。
心の準備が整う前にいきなり実践とは、なかなかにスパルタなアルマさんだった。
「え……えーと心の準備が……痛かったり《行動してみなければ何も変わらないかと》……は、はい」
記憶をなくす前の僕ならいざ知らず、今の僕にとってはすごく不安だが、アルマさん以外に僕のことを知っている人はこの場にいない。
頼れる人も他にいないので、不安ではあるものの恐る恐る従うことにする。
自分の中に灰色の猫を、思い浮かべながら。
「変質」
トランスと発した直後、急に足元の草が大きくなり、池の周りが草原のようになった。
「え……と……え? 」
《トランスの成功を確認。体に異変はありませんか?》
アルマさんは、落ち着き払ったささやくような声で、僕の状態を確認してくる。
突然の視界変化に驚いてはいるものの、何が起きたか今一つ状況が呑み込めなかった。
痛みは特になく、体調が悪くなったりもしていない。
《少し混乱しているようですが、ツヴァイが猫になったのですから、ツヴァイの視界は猫の目線になるのは当然のことと思われます》
どうやら無事、ネコに変質したみたいだ。
突如現れた草原は足元の草らしい。
足元に視線を動かすと、ふさふさの灰色の毛に包まれた足で、さきほどまで着ていた服の上に乗っていた。
手のひらを見ると、先程までは存在しえなかったピンク色の肉球が、確かに存在している。
とりあえず、池がそばにあったことを思い出し、おへそのあたりまで高さがある草をかき分けながら、池に映る自分の姿を見てみようと、先ほどよりも大きく見える池をのぞき込んでみる。
「おおおお!! ……猫だ」
水面には、灰色の毛並みの猫が不思議そうに、後ろ足で器用に二足立ちしながらこちらを見ていた。瞳は僕と同じく翠と赤のオッドアイである。
これが自分と言われると、不思議な感じはするものの猫はやはり愛くるしい顔立ちだ。
《さて、トランスのやり方はご理解いただけたようですね》
猫になっている自分に不思議な違和感を感じつつ、例のあれを試してみる。
「にゃ……にゃーん…………」
森の中の池に静かに響く猫の鳴き声。……静まり返る池のほとり。
僕の猫らしさを評価してくれるのではないかと言葉を待っていたのに、予想に反して何も反応がなく、アルマさんは無言だった。
あれ、違っただろうか? 猫の鳴き声は確かこれで正しいはず。
改めて水面を見るも、映る猫の姿に何か違和感を感じた。しかし、その違和感が何なのか分からない。
《猫の鳴き声はいいのですが、二足で直立する猫は皆無とは言いませんが、珍しいので目立つかと思われます》
アルマさんからの指摘で、さきほどから感じていた違和感に気が付く。
猫と言えば四足歩行なのだが、今は二足歩行である。前足を地面につけ、改めて鳴いてみる。
「にゃーん……」
《これで、外見からは猫に見えますね》
先ほどの違和感は消えて、誰が見ても猫に見えるはずだ。
アルマさんからのお墨付きをいただいたので猫だろう……うん猫だ。水面をのぞき込みながら、猫になった自分に満足し、前足を舐め、顔を洗うまねごともしてみる。
《さて、トランスについての再確認もできたので、記憶の事は焦らず、ゆっくり思い出していきましょう。それよりも、今後のことを話し合いましょうか》
そうだった。トランスで猫になれた事に満足してしまった。なぜ、森の中に居るのかが分かっていない。
毛づくろいをしながら、アルマさんの話に聞き入る。
《現状、記憶もなく、元居た場所の位置が特定できないため戻りようがありません》
「うんうん」
《記憶が戻るまでは、生活を営みながらの情報収集が良いかと考えられます》
行動してみなければ何も変わらない……か。アルマさんの意見に賛成しながらも、何をすればいいのだろうと疑問に思う。
《文明的な建築物か文明をもった種族などの発見、遭遇ができれば少しは情報が収集可能と考えられます。敵対されるリスクもありますが、現状、少しでも情報が欲しいので、多少のリスクは致し方ありません》
ここでこのまま考えるよりは、移動して情報収集したほうがいろいろと分かりそうだ。しかし、どちらの方角に向かおう……。
どうしたものかと、先ほどよりも大きく見える池を見渡す。
《ツヴァイ、水の中に手を入れてみてください》
アルマさんに言われるがままに、右前足を池の中にそっとつける。
水独特の冷たさが、肉球の隙間からじんわりと毛に染みるように足先から冷たさを感じた。
《水は淡水のようですね。わずかに水流を感知。この池の水はどこかに流れているようです。……池の周りを探索してみましょう、どこかに水が流入しているかもしれません》
波のない静かな池で、どうやって水の流れがあることを調べたのか気になるものの、池の周りを音を立てずに歩いていく。
猫は静かに歩くと聞いたことがあるが、本当のようだ。草の上を歩いているのに、草の音がしないのは、不思議なことこの上ない。
しばらく進んでいくと、不思議な形をした大きな石が置いてあった。下の方には花が置かれていて、脇には獣道のような、何かが定期的に通っているであろう小道が見受けられた。
《小道がありますね。どこに続いているかは定かではありませんが、文明があるとみて間違いないでしょう》
不思議な形の石の前に近づいてみる。
《小さいですが、祠もしくは何かを祭っている社と推測されます。何か彫られているようですが、文字が擦れてますね。ツヴァイ、文字の擦れた部分をなぞるように、手を当ててください》
言われた通り。かすれた部分に前足を当て、なぞるように触れてみる。
手のひらに石の冷たさがひんやり伝わってくる。これも何か意味があるのだろうか。
《ツヴァイの体を介してならば、分析は可能です》
……分析……なんだかアルマさんなら、いろいろな事が出来そうだ。
《解析終了……劣化がひどく解読は不可能、該当データのない文字でした。ツヴァイ、供えられた花の切り口が気になります。切り口に触れてください》
アルマさんに言われるままに、祠に供えられている花の茎の部分に触れてみる。肉球に何か湿っぽいものが当たる。まだ、この花は摘まれてから、それほど時間はたっていないようだ。
《まだ新しい切り口ですね。ツヴァイ、この花を摘んだ何かが周囲にいる可能性があります。一旦この場から離れて警戒を……》
アルマさんが早口でまくしたてるが、その時既に僕は動けなかった。
正確には、目が合ってしまい僕は、動けなくなった。
祠の脇にある子道の先には、水色の服を着た女の子が目を丸くして、僕のほうを見つめていた。
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