第七章
石造りの高い門の前に乗り付けた馬から飛び降りると、駆け寄った隊士に手綱を渡し、ジェビウスは開かれた門の奥に足早に入っていく。
さほど広くはない前庭にいた隊士達がジェビウスに気付いて敬礼を施す中、灰色の長衣の裾を蹴散らすようにして歩きながら、ジェビウスは声を張り上げた。
「ガストンはいるか!」
副官の名を呼ぶものの本人からの応えはなく、代わりに隊士の一人が素早く近寄る。
「奴はどうした」
「今、街の見回りにいっておいでです」
申し訳無さそうに告げる隊士の様子に、ジェビウスは眉を顰め密かに溜息をついた。
見回りなどといったところで実際は、いつもの如く酒を飲みに行ったのだろうと苛立ちを覚える。
不真面目なあの男が副官の位置にいるのは、領主が任命したからだ。
(その手法を、一度問い質してみたいものだ)
苦々しくそう呟き、ジェビウスは領事館の扉を潜った。付き従う隊士に、ガストンが戻ったら部屋へ来るようにと伝えると、階上にある執務室へ足を向ける。
階段に足を掛け、ジェビウスは一瞬だけ、その向こうにある廊下の奥に視線を投げた。
嗅ぎなれた臭いがここまで漂っているように感じ、口元を歪める。
その臭いを嗅ぐ度に、既に前に進むしかないと、強く思うのだ。
ジェビウスが執務室の椅子に腰かけて僅かもしない内に、おとないも無しに扉が荒っぽく開かれ、男が一人ずかずかと部屋の中央へと入ってきた。
自分で呼んでおきながら不快感を覚え、ジェビウスは椅子を返して入ってきた男を睨むように眺める。
「お呼びだろ。相変わらず不機嫌な面だねぇ」
明らかに酒に酔って顔は赤く、口調も少し怪しげな男――自分の副官であるガストンをもう一度睨み、ジェビウスは席を立った。
「昼間から酒か。いい加減にしろと伝えてあるはずだぞ。警備隊の副官がそんな事で、街の者達の規範になれると思うか」
ジェビウスの苦言をせせら笑うようにガストンは肩を揺らした。
「規範かよ。警備隊が規範になっちまったら、あんたはちょっと困るんじゃねぇのか?」
「……」
「まぁ安心しろよ、街の奴等は感謝しきりだ。何せ、俺達のお陰で暮らしてけるんだからな。奴等大して働きもしねぇで、いい身分だよなぁ」
黙り込んだジェビウスを尻目に、ガストンは置かれていた長椅子にどかりと腰を降ろした。
「で、領主様は何て? どうもあんた、手ぶらで帰ってきたみたいじゃねぇか」
顎をしゃくってジェビウスの後ろの前庭に面した窓を示す。
領主から受け取るはずだった援助物資はそこにはない。
ジェビウスは溜息をつき、再び椅子に腰かけた。
「――隊士達に仕度をさせろ。幾日か入ってもらうことになる。十分な準備をさせるのだ」
ガストンは一度ジェビウスの顔を眺め、それから喉を反らせて笑った。
「はは! 領主様も切りがねぇな! 全部食っちまったら後がねぇってのによぉ」
「それもお判りだ」
「本当かよ」
問い返したガストンの顔は信じてはおらず、ジェビウスもまた領主がどこまで本当に理解しているのか、信じてはいない。
だが自分達は従うしかないのだ。
領主の愚かしさを笑う権利も、実際には持っていない。
「しょうがねぇなぁ。けど今日は遅ェ。明日の早朝に向わせるってことでいいよな?」
ジェビウスが頷くとガストンはにやにやと笑いながら立ち上がり、扉に足を向けた。
ジェビウスの低い声が、追いかけるように引き止める。
「貴様、まだ勝手な商売をしているのか」
振り返ったガストンの顔は、咎められた事を苦にした様子も無い。
「ちょっとぐらいのご褒美は必要だろ? 敢えて罪人になってやってんだ」
「……もうその余裕も無いのだ。止めろ。第一、そこから足がつく事も考えろ」
「言われなくても、もう店仕舞いだよ」
怒りを飲み込んで口を閉ざしたジェビウスに嘲笑うような視線を向けてから、ガストンは扉を開いた。
入り口の柱に寄りかかり、にやにやと笑う。
「あんたもやっときゃ良かったんじゃねぇか? これから先、手があるのかよ」
答えないジェビウスを鼻で笑うように、ガストンは肩を竦めた。
憤りを押さえるために視線を壁に逸らし、そこに掛けられた日付に気付いてジェビウスはふと眉を上げた。
「ジウスはどうした?」
生真面目な小隊長の顔を見ていない。
日中のこの時間はジェビウスの近くに勤務しているはずだが、姿が見えなかった。
「ああ。――嫁さんの具合が悪いとかで、昨日から休みだよ」
ガストンはそのまま扉を閉ざして廊下へ消えた。
ジェビウスは再び溜息を付き、陽の沈みかけた窓の外を眺めた。
橙と緋色に染まった空と、それを切り取るミストラ山脈の威容。
落日の緋に山肌を染め、街を睥睨するように聳えている。
明日、ジェビウス達の行う行為を、山は何を思って見ているのだろうか。