第六章(一)
夜通し空を駆け、騎首を地上へと向けたのは、漸く空が白み始める頃だった。
王都を発ってから明け方まで、約一日休み無く飛竜を駆れば、馬で二月半はかかる辺境部まで裕に飛ぶことができる。
しかしレオアリスが途中で飛竜の速度を緩めた事もあり、現在地はミストラ山脈へはまだ幾分距離があった。
左手の前方に影のようにミストラの尾根が聳えている。
昨夜は東の空に雷光が走るのを幾度か眼にしたが、群青と橙の交じり合った空はすっかり晴れ渡っている。
飛竜はゆっくりと旋回しながら降下し、街道から離れた林の中の空き地を選んで降り立った。
草地の上に飛び降りると、レオアリスは伸びをして身体の強張りを取りながら、遅れて降りてくるロットバルトを見上げた。
ロットバルトが飛竜から降りる間に、飛竜の首に括りつけていた僅かな荷物を草の上に落とし、手早く飛竜の手綱を外す。
ロットバルトがそれに倣って手綱を解くのを見届け、レオアリスは飛竜の首を軽く叩いた。
「もういいぜ、良く飛んでくれた。翼を休めたら戻れ」
飛竜が小さく喉を鳴らし、疲れた翼を震わせる。すぐに飛び立つ様子はなく、ここでひと寝入りしようと決めたのか長い首を丸めて翼の間に差し入れた。
殆ど休息を挟まずに王都から辺境部までの長距離を飛行すれば、さすがの彼等も疲労は避けられない。
「上将? 目的地には、まだ距離がありますが」
レオアリスがすっかり飛竜を帰すつもりなのを見て取り、ロットバルトが問いかけると、レオアリスは荷物を拾い上げて肩に担ぎ、彼を振り返った。
「説明が遅れて悪いな。取りあえず乗騎はここで帰して、ここからは歩きだ。飛竜ではどうしても目立つ。
運よく乗り合い馬車でも通ればいいが、歩くと丸々一日はかかるだろう。説明は歩きながらする。体力の方は大丈夫か?」
「それは、問題ありません」
「じゃ、行こう。急ぐ必要がある」
一旦周囲を見回して方向を確かめてから、レオアリスは右手に見える林へと歩き出した。
上空から見たところ、林を抜けた先に、東へと向かう基幹街道が走っている。林を出て、街道に向かうつもりらしかった。
ロットバルトは歩調を速めてレオアリスの隣に並び、その手に持った荷物を預かると、頭半分ほど低い位置にある顔を見下ろした。
「お前、サンデュラスについての情報はあるか?」
不意に問われて、ロットバルトは束の間思考を巡らせた。
サンデュラスはミストラ山脈の麓に位置する街だ。東の基幹街道から更に東南に逸れた場所にある。
「……基礎的な情報しか持ち合わせておりませんが、サムワイル男爵の所領する街ですね。
サンデュラス自体は特に特色のある街ではありません。産業、商業ともに弱い。他の辺境部の街と同様に領事によって運営されていて、この領事は現在警備隊の長が兼務で任命されています。任免権者はサムワイル男爵になりますね。――目的地はサンデュラスですか」
「そうだ」
先程飛竜を降りた場所はサムワイル男爵領に入るわずか手前だ。街道をあと半刻ほど進めば、その領内に入る。
「アリヤタについてはどの程度知ってる?」
「申し訳ありませんが、何も」
「お前でもそうか。まあ、そうだろうな」
特に気にした様子もなくそう言うと、レオアリスは僅かに考えるようなそぶりで口を閉ざしてから、再び前を向いたまま話し出した。
「あのミストラ山脈に住む半獣族の名だ。性質は温厚で戦闘能力は低い。山脈の奥で隠れるように暮らしている。あまり一般人の口には昇らない名だな」
「それが……」
「その種が、およそ二十年前か、王により保護種に指定された。山脈に深く立ち入る事、アリヤタ族の村を探す事は禁じられ、違反した者の罪が重ければ、死罪だ」
似たような木々が立ち並ぶ林の中を、レオアリスは時折足を止め、方角を確かめながら進んでいく。
次第に高く昇り始めた太陽が樹々の隙間から斜めに木漏れ日を注ぎ、彼等に方角を示している。
「死罪? 罪が重ければ、とは」
「アリヤタ族を捕獲し、内臓を取り出した場合さ」
ロットバルトが思わずレオアリスの顔を見返すと、レオアリスもまた彼を見上げた。
その黒い瞳には、再びあのどこか憂鬱そうな、複雑な色が浮かんでいる。