第三章
近衛師団は王を守護する王直轄の部隊であり、総将アヴァロンの元、総数は約四五百名、それぞれ一五百名毎の三つの大隊に分けられる。
第一大隊から第三大隊までの各大隊は大将が率い、その中で更に三つの中隊、左中右軍に分かれ、中隊の下に一隊五十名の十の小隊が存在する。
参謀部は各大隊の大将を補佐する機関だ。隊の戦略、戦術の立案を担い、一等参謀官は中将、二等参謀官は少将の地位に相当する。
王を守護することが近衛師団の主たる目的とはいえ、王自らが戦場で指揮を取ることはまずあり得ない。
その為、通常の任務である王城の警護に加え、近衛師団も正規軍とほぼ変わらない動きをしていた。
ただ正規軍を動かす際には、原則的に軍議を招集し、王によって正規軍将軍アスタロトに対し勅令を下すのだが、近衛師団は今回のように、火急の件について王からの勅旨を受け動くことが多かった。
近衛師団第一大隊大将、レオアリス。
二年前に行われた王の御前試合を最年少で制し、近衛師団へ配属されると、その後僅か一年程で大隊大将へと昇りつめた。
異例の出世には理由がある。
レオアリスは、『剣士』だ。
剣士とは単に剣を主な武器とする生業を指すものではなく、ある種族の呼称だった。
その身体的特徴故に戦闘種とも呼ばれる。
身体的特徴――身の裡に剣を宿すこと。
宿るのは主に、左右の腕のどちらかだ。
幾つかある戦闘種と呼ばれる種族は、戦いを本能とし好戦的な事から様々な種族の中でも恐れられているが、剣士はその戦闘能力の高さ故に、時に「殺戮種」とも揶揄された。
種としての数は少なく、性質からか多種族との関わりを持つ事も少ない。現在軍に所属している剣士は、レオアリス一人だった。
けれども巷で恐れられ、忌避すらされる存在と、レオアリスを直接印象付けるものは普段の彼の上には無かった。
黒髪に漆黒の瞳はありふれた色で、それだけではどこの出身とも知れない。
意志の強い瞳には年相応の色を浮かべることが多く、言動も同年代の少年達と際立った違いはない。
鍛えられているとはいえ細身の姿からは、彼が近衛師団の大隊を預かる大将であることも、ましてや剣士であることさえ、俄かには信じがたい程だ。
しかし、彼が剣士であること、そしてその地位に比して若すぎる年齢と、また民間出身であるという、そうした幾つかの要素が彼の立場を時に不安定にさせてもいた。それに根差した批判も少なくはない。
それは彼を支える者達にとっては腹立たしくもあり、また懸案の一つでもあった。
ごく簡単な旅装だけを整え、ロットバルトは再び執務室へと向かった。
先程まで柔らかく感じられていた陽射しは高く昇り、この季節には少し早い夏めいた強い光を投げかけている。街路樹の緑は鮮やかに色を纏い、まだ朝の涼気の残る空気は肌に心地良く感じられる。
士官棟の入り口をくぐると、外の陽射しと内部の影が視界の中で入れ替わり、思いがけない暗さにロットバルトは一瞬だけ瞳を細めた。
まだ冷えた建物内を真っ直ぐに抜けると、対面にある扉から執務室に面する中庭の回廊に出る。
回廊に囲まれた中庭には飛竜が二騎、翼を休めているのが眼に入った。
その脇に、既にレオアリスとグランスレイ、そしてヴィルトールが立っていた。
レオアリスと二言三言、言葉を交わすと、ヴィルトールは一礼し、回廊の入り口に向かった。
ロットバルトが来ているのに気付いてチラリと視線を向け、軽く手を上げる。
「取り敢えず、後で会おう。まぁ、私の出番は無い方がいいみたいだけどね」
いつもどおりの口調ではあるが、その響きには僅かな緊張感がある。
ロットバルトが頷くのを見て、ヴィルトールはそのまま横を抜け、士官棟の影の中へ消えた。
その後姿を見送りながら、ロットバルトはたった一文のみだった王の書状の内容を思い返す。
右軍は第一大隊の左中右軍の中でも、市街地や森林部での包囲・侵攻を得意とする部隊だ。
今回の任務に適していると思う反面、それほどに重要な案件なのかという疑問も残る。
中隊は一隊五十名の小隊十隊からなる五百名規模の部隊だが、通常の作戦単位は小隊単位が主で、局地的な戦乱など中規模以上の作戦行動を要する場合でもない限り、中隊そのものを出すことは稀だった。
考え込むように立ち止まったまま、ロットバルトが中央に立つレオアリスの背に視線を向けていると、傍らのグランスレイに促されてレオアリスが振り返った。
ロットバルトの姿を見て呆れたような笑いを浮かべる。
「そうか、お前そういう服しか持ってないよなぁ」
何の事かと改めてレオアリスを見れば、簡素とはいえ上質の布で織られた上下に外套をはおったロットバルトに比べ、質の荒い麻の上下に被きの付いた上着といった、下町の者が着るような軽装に身を包んでいる。
ロットバルトは氷を思わせるその顔の上に、どこか可笑しそうな色を浮かべた。確かに、並ぶと随分と釣り合わせの悪い出で立ちだ。
「しかしそうは仰られても、これ以外となると誂えなくてはありませんが」
「こういうのは誂えるとは言わねぇんだ」
「そうですか?」
澄ましたロットバルトの顔を、レオアリスは仕方なさそうに見上げる。
ロットバルトは軍では珍しい程の高い家柄の出身だった。十ある侯爵家の筆頭に位置するヴェルナー家の次男であり、父ヴェルナー侯爵は内政官房の副長官を務める。
だが家柄を置いたとしても、ロットバルト自身剣技もさることながら、参謀官という職位からも伺えるように、非常に頭の切れる男だ。
しかし整った容姿に加えあまり見られない金の髪は、必要以上に目を引く。
「私は不適任では?」
その事を指摘するように彼が蒼い瞳を向けると、しかしレオアリスは軽く笑いながら飛竜の手綱に手を掛けた。
「適任さ。隊を抱えちゃいないし、何より冷静だ」
確かに位としては中将にあたるが、参謀官は固有の隊を持たない。
それを身軽と言うべきかは判らないが、少しばかりの不在には困らないとも言えなくは無い。
何よりレオアリスは、本来参謀官が補佐すべき大将であり、その点だけを考えれば適任不適任以前の問題だ。
尤もロットバルトとしては、口ではそう問いつつも、自分が行動を共にすることは補佐的な意味だけではなく政治的な意味も持つと、そう考えてもいた。
批判の眼を向けられることも多いレオアリスにとって、ロットバルトが背景に持つものは言ってしまえば都合がいい。
ただレオアリス自身がそうしたものを望んでいるかは、また別の話だ。
それよりもこの若い剣士は、王の為に在りさえすればいいのだと、それだけを思っている節がある。
「まあいいか。案外それも役に立つ。さてと、行こうぜ」
一人納得して頷き、ロットバルトが口を開く前に、レオアリスはさっさと飛竜に飛び乗った。
レオアリスが慣れた手つきで手綱を引くと、風を立て、飛竜が翼を揺する。
「ヴェルナー中将」
手綱に手をかけたロットバルトをグランスレイが呼び止める。
その顔に僅かな懸念の色があるのを見て、ロットバルトは眉を顰めた。
「あくまで目立たぬよう心がけよ。――それから、上将があまり無茶をなさらぬようにな」
ロットバルトはグランスレイの言葉に隠されているものを読み取ろうとその蒼い瞳を向けたが、飛竜の上から掛かった急かす声に諦めて視線を外した。
事態は既に動き出している。説明は後でも先でも、ロットバルトの役割に特に大きな変化はないだろう。
状況を見極め、レオアリスを補佐しろ、とそういうことだ。
「承知しました」
頷いて、ロットバルトも飛竜に飛び乗ると、手綱を繰り、その翼を広げた。
「ご無事で」
グランスレイは纏っている長布を翻して青い草の上に片膝を付き、レオアリスの飛竜が飛び立つのを見上げる。
飛竜は大きな羽ばたきの音を立て、濃い青色を広げた上空へとひと息に上昇した。
路上にいた幾人もの兵達が緑鱗の飛竜が飛び立つ様を何事かと見上げる中、一旦近衛師団の第一大隊士官区の上をぐるりと旋回すると、レオアリスは飛竜の首を東に向けた。
王都には強い太陽の日差しが降りかかり、王城の影が黒く城下の街に落ちている。
上空から眺める王都は、尤も美しいと言われる。
個々の建物は外観の色、造り、高さが調和を持って並んでいて、それらが幾層にも重なり王城を中心に円形に広がるその姿は、まさに「アル・ディ・シウム」と呼ばれるに相応しい美しさを持っていた。
飛竜は雲の少ない蒼天の大気を切るように、その上を飛んでゆく。
緑鱗とはいえ、馬で五日かかる距離を一刻で飛ぶ飛竜は、広い王都の上を瞬く間に駆け抜ける。
慌しい出立と、軽微に過ぎる旅装、飛竜の鱗の色。中隊。
王の勅書に書かれていた内容は簡素だったが、言外に多くの意味が伏されているのだろう。
ロットバルトは手綱を取りながら思考を巡らせた。
ミストラ山脈に住む種族―――『アリヤタ族』
どこかで聞き覚えがあるような気もしたが、すぐには頭に浮かばないまま、ロットバルトは前方で飛竜を駆るレオアリスの姿を見つめた。