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王の剣士2「絶滅種」  作者: 雅
第一章
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第二十章

 法廷内に判決の割鐘(かっしょう)の音が響く。


 サムワイル男爵の関与が露見した今回の法廷は、爵位の剥奪と領地の没収、更にサムワイル男爵以下、警備隊正副長の死罪、小隊責任者の死罪或いは投獄と、厳しい判決に終わった。

 密売への関与が正規東方辺境軍にまで及んでいなかったことだけが、関係者の胸を撫で下ろさせた。


 被告席に連座していた者達が或いは弁明の声を上げ、或いは絶望に項垂れる中、末席にいたジウスが立ち上がり、レオアリス達の座る席に一度顔を向けて頭を下げると、そのまま両脇を司法兵に抑えられるようにして退出した。


 死罪は免れたものの投獄は余儀なく、数年を監獄で奪われる事になる。

 レオアリスはその姿が法廷の扉に消えるまで見送ってから、立ち上がった。


 判決が下るまで約二十日間を要したが、異例の早さと言えるだろう。

 それは内容の深刻さを伝えるものでもある。


 また、アリヤタの密売に関わった全ての者を把握し、法的な処罰が下されるには、更に綿密な調査と日数とを必要とする。

 だがその先は、司法の役割であり、近衛師団の管轄ではない。


 漸く裁判を終えた事への解放感などまるでなく、レオアリスは一度法廷内を見渡した。

 自分がここに立っている事に違和感を覚える。


 彼等と自分の、何が違うのだろう。

 ただ生まれた場所だけの差なのではないのか。


 自分がまるっきり彼等と違うと、そう言い切れる者は、本当はいない。


「上将、参りましょう」


 ロットバルトの柔らかい、だがレオアリスを引き戻す声に瞳を向けた。そこには、既に先程の色はない。


 重苦しく立ち込めた空気を少しでも薄めようとするように、午後の陽射しが天井部分に設けられた細長い窓から注いでいる。


「色々、助かった」


 裁判に必要な書類や証拠類、想定される質問や答弁の下原稿、ロットバルトの用意したそれらが、進行を容易にしてくれた。


「やっぱお前を同行させて正解だったな」


 現場を見ていなければ、この優秀な参謀官であってもまずは事実整理から始める必要があり、尚幾ばくかの時間を要しただろう。

 軽快な笑みを浮かべたレオアリスを、ロットバルトも笑みを刷いて眺める。


「それが本来の私の役割ですからね。いくらでも」

「冗談。裁判なんてめんどくさくて、もうやりたくねぇ」

「上将」

「ああ、行こう」


 グランスレイが再び促して扉へと足を向けた時、ふいに快活な声がかかった。


「無事済んで重畳(ちょうじょう)。いや、法廷なんぞには半月でも拘束されるのは辛いな」


 そう言いながら歩み寄ったのは、正規東方第七軍大将レベッカ・シスファンとその副将イェンセンだ。


 耳の辺りで揃えた黒い髪と釣り上がった黒い瞳。

 シスファンは黒い瞳をレオアリスの同じ色のそれを覗き込むように向け、それから右手を差し出した。


「幾度か軍議の席でお見かけはしているが、改まって挨拶をさせて頂くのは初めてだな。東方第七軍のシスファンだ」

「師団第一大隊のレオアリスです。本来ならこちらからご挨拶申し上げるところを、失礼致しました」


 差し出された手を握ると、思った以上の力が握り返す。


 覗き込んでいた瞳に笑みを浮かべ、シスファンは漸く手を放した。


「意外とお固いな。大将同士、それに私はグランスレイとは旧知だ、そう畏まる必要もない」


 レオアリスがグランスレイを振り返るとグランスレイは彼に頷いて見せ、改めてシスファンに向き直った。

 左腕を胸に敬礼するグランスレイにシスファンは笑みを浮かべる。


「久しいな、グランスレイ。調子はどうだ?」

「お陰様で。シスファン大将におかれましてもご健勝のご様子で何よりです」

「お前も相変わらず固いな。大将殿はお前の影響か? ……参謀殿には先日お会いした。役に立ったようだな」


 ロットバルトもまた敬礼を施し、先日の礼を述べる。

 シスファンはレオアリスと向かい合うと、再び瞳を合わせた。


「アリヤタの件は本来、我々第七軍の感知してしかるべきものだった。恐縮の至りだが、貴侯ら師団には手数をかけたな」

「いや。所管内をお騒がせしました」


 秘密裏に事を運ぶ必要があったとはいえ、レオアリスとしても正規軍の所管内に無断で軍を進めたことを気にしてはいた。

 しかしシスファンは特に気にしたふうもなく頷いた。


「まあ正直に言えば、初めはいい気はしなかったが、事が事だけに仕方ない。気にするほど私も狭量ではないさ」


 そのもの言いに僅かに笑ったレオアリスを眺め、シスファンは声を落とした。


「……現地は見た。すっかり削り取られていたが、あれは貴侯が?」


 ロットバルトが口を開こうとしたのを片手を上げて制し、レオアリスが頷く。

 だが自分にすらはっきりと原因の判っていない事に答えようもなく、口を開くべきかどうか束の間逡巡した。


「……見事だった、あれは。尤も王もお手を加えられたようだが」


 シスファンは冗談めかして笑ったが、瞳の奥には別の色がちらりと過る。


「剣士ってのは想像を越えている。――そういえば、剣士と向き合うのはいつ以来かな」

「シスファン大将」


 グランスレイの警戒を帯びた響きに笑う。

 レオアリスもグランスレイを見たが、グランスレイはシスファンに厳しい顔を向けたままだ。


「そう構えるな」


 そう言うと、それまで黙って控えていたイェンセンが時を告げたのを機に、退意を述べた。


「アリヤタに関しては、今後一層警戒を強める。……もう、取り返しはつかないがな。――愚かな事だ」


 誰にともなくそう呟き、シスファンはレオアリス達に背を向けた。


 後を追うイェンセンがちらりとレオアリス達に目を向け、声を潜める。


「剣呑な事をおっしゃいますな」


「少し反応が見たかったのさ。……三者三様だな」


 グランスレイは警戒と咎める色を見せ、ロットバルトは状況を計るようだった。


 肝心のレオアリスは、シスファンが想定していたような反応を見せなかった。


「辺境に引っ込んでいるのは幸いかどうか」

「対峙したいとは夢にも思いませんがね」

「私もだ。あのミストラを見たら尚更な」


 シスファンは苦笑とも自嘲ともつかないまま、小さく笑った。

 

 




 シスファンが戻るのを束の間見送って、レオアリスは踵を返し、重厚な扉をくぐり廊下へと出た。


 法廷の廊下には傍聴を終えた幾人かが、まだ其処ここに立ち止まり、抑えた声で今回の判決に対しての論議が交わされている。


 三人がその脇を抜け、廊下の右手にある階段へ向おうとした時、騒めきに紛れて小さな囁きが漏れた。


「お咎め無しか」


 刺を含んだ響きだ。


「僅かに十体しか救えなかったのは、明らかな失態だろう」


 聞こえよがしの言葉に、レオアリスは微かな苦い笑みを口元に浮かべたが、特に何も言わず階段へ向う。


 彼等のようにレオアリスを快く思っていない者達も、少なからず存在する。


 それは今に始まったことでもない。若過ぎるという事と、出身が平民であるというその二点が、序列に拘る者達にとって、不満の糸口ともなっていた。


 また近衛師団大将の地位は子爵位に相当する。レオアリスより王都に長く籍を置き、未だ望む地位を得られず中間位に留まっている者にほど、それはより疎ましく感じられる。


 そしてその地位にありながら、有力者達との距離が近くないことも、その感情に拍車を掛けていた。囁きはそれら内政官達のものだ。


「所詮剣士には、不得意な分野だよ」

「戦場しか向かないのさ」


 決して直接は向けられない、だが嘲りを含んだ声に、グランスレイは厳しい瞳を向けた。


 内政官達はグランスレイの刺すような視線に怯みはしたものの、歩みを止めないレオアリスの後姿に不満と侮蔑の入り混じった色を浮かべる。


「これは、グランスレイ殿。何か言いたい事でもおありか。貴殿の大将殿は、議論するつもりもないようだが」

「剣士には、議論は不得手ですかな」


 内政官達の地位は、レオアリスよりも低い。本来ならばそうした物言いは、許されるものではない。


(上将が咎めないのをいい事に……)


 怒りを込めて口を開きかけたグランスレイの肩を押さえ、ロットバルトが彼等に向き直った。

 秀麗な頬に穏やかな笑みを浮かべる。


「議論がお望みであれば、正式にお申し出頂ければ、場を設定致しましょう。無論文書でも構いませんが。上将は必要の無い議論はお好みではない」

「ヴェ……、ヴェルナー殿」

「い、いや、我々は何もそこまで……」


 途端に恐縮し、冷や汗を浮かべて首を振る彼等を眺め、ロットバルトは冷笑を隠して丁寧に一礼した。


 どうせ正式な申し出などして来る事も無いだろう。公式の場での発言をする気も無い輩を、レオアリスが相手にする必要は全くない。


 そのまま視線すら向けず、ロットバルトとグランスレイはレオアリスの後を追った。


「済まないな、ロットバルト」


 グランスレイは不満を押し隠せないままに溜息をついた。その顔を眺めてロットバルトは小さく笑う。本当なら大声で叱責でもしたかったと言わんばかりだ。


「まあ、ああした出自ばかりに拘る輩は、彼等の重視するもので脅すのが一番容易い。その点で私は都合がいいですね」


 公式な発言記録が残されては具合が悪いという事以外に、彼等が狼狽えた要因の多くは、侯爵家の筆頭を務めるヴェルナーの家柄にある。

 ヴェルナー侯爵は彼等の所属する内政官房の副長官でもあった。


 ロットバルト自身が侯爵位にある訳でもないのに、あの恐縮のしようはご苦労な事だと思うが、それで口を噤む程度なら大して問題にはならない。


(――だが、上将に必要なのは、その形骸だ)


 ただ王に仕える事を望むだけには、王都は厳しい場所だ。


 実力を見せても納得しない者達を黙らせるのは、それが形骸と判っていたとしても、強力な、そして明確な後ろ盾を得る事が一番の近道になる。


 階段の一番下に立ち、自分達の降りてくるのを待つように見上げたレオアリスの姿に、二人はそれぞれの視線を向けた。


「……ああした輩が多いのは、困った事だ」

「そうですか? 私としては立場の有効利用のし甲斐があって、実は少々楽しんでいるところですよ」


 グランスレイは僅かに呆れた眼を向けたが、すぐに苦笑に変えて、先に階段を下りだした。


 ロットバルトは一度法廷の扉を振り返る。丁度シスファンが出てくるところだった。

 一瞬だけ合った視線をすぐに離し、ロットバルトもまた階段を下る。


(読めないな)


 シスファンが何を仕掛けようとしたのか。

 一見好意的な態度と見えなくもないが、判断には少し早い。


 また彼女の言葉に対して、警戒に似た色を孕んだグランスレイの声。


 想定以上にレオアリスの立場は不安定なもののようだと、ロットバルトは改めて階下に立つ上官に視線を移した。



 二人が追い付いたのを確認し、レオアリスは再び歩き出す。


 階段下の広間の正面にある扉を抜け、陽射しの降り注ぐ屋外に出ると、一度眩しそうに太陽を見上げた。







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