第十二章(二)
薄汚れたボロ布のような服を纏い痩せこけたその少年は、振り返ったロットバルトを見上げた。
「兄ちゃんたち、術士さんだろ」
「……ああ」
「なら、買ってくれよ。いいもんがあるんだ」
ロットバルトは傍らのレオアリスにちらりと視線を走らせた。レオアリスが眼だけでそのまま話を聞けと促す。
「買えって、何を」
「こっち。付いてきて」
そう言って素早く走り出すと、少年はすぐ手前の家と家との細い路地に入り込んだ。
後を追いかけて路地を曲ったが、既に少年の姿は見当たらない。
足を止めて薄汚れた路地を見渡していると、入り組んだ家の二つ先の角から、先程の少年が顔を出した。
「こっちだよ」
大人が通るには狭い路地を進み角を曲がると、そこにはすぐ背後を山脈の斜面として申し訳程度の空き地があり、木を組んで造られた隙間だらけの小屋が一つ建っていた。
その場にいた五、六人の子供達が顔を上げる。全員が少年よりも更に幼い。
一様に薄汚れ痩せこけたその姿に、二人は思わず足を止めた。
空き地の奥には小屋に隠されるように、石で組んだ窯のような物が置かれ、上部に設けられた煙突からは白く細い煙が途切れる事無く上がっている。
少年は小屋に入り、程なく何かを大切そうに抱えて戻ってくると、包んでいた布をそっと開いた。
そこには掌より少し大きい、黒い塊が載せられている。
「――これが……」
燻されて艶やかな光を帯たそれは、一見しただけでは炭のようにしか見えない。
レオアリスは黒い瞳をきつく眇めた。
アリヤタ族の内臓から造られた、触媒。
少年は声を潜めてロットバルトを見上げる。
「こっそり隠しておいた、とっておきだよ。ここで燻してるんだ。店で売ってるものよりも上物だぜ。買ってくれる?」
「何故、俺に?」
「だって金持ってそうだもん。あの店に入ったって事は、こいつがいるんだろ? あの店より絶対安いよ。銀二十でいいからさ」
安すぎる金額に二人が驚いた顔を見交わすのを、少年は高いせいだと勘違いしたのか、慌てて言い値を下げた。
「じゅ、十五とかでもいいよ。でもこれ以上は下げないからな。十五でギリギリなんだから」
市場価格は、その軽く百倍は降らない。だがこの子供たちは、それすらも知らないようだった。
おそらくあの店の男達は、ここで子供らに取ってきた内臓の加工をさせながら、それをただ同然の値段で買い取っているのだろう。
背後でゆっくりと煙を吐き続ける古びた窯。真っ黒に汚れた衣服と手足。
「……悪いが、買う事は出来ない」
ロットバルトの代わりに、レオアリスが答える。少年は不満そうにレオアリスを見上げた。
「何で? 金無いのかよ。じゃあ、幾らだったらいい?」
レオアリスが僅かに唇を噛み締め首を振ると、ひどくがっかりした様子で項垂れた。
「なんだよ、ちぇっ」
それから、思いついたように再び二人を見上げた。その瞳にはどこか怯えたような光がある。
「あ、あのさ。兄ちゃんたち、いい人そうだからオレ声かけたんだ。これのこと、あの店には言わないでいてくれる?」
「ばれたら困るのか」
「殺されちゃうよ、オレ」
手にした包みを握り締め、少年はぬかるんだ足元に視線を落とした。裸足のままの足が、泥に塗れている。
レオアリスが周囲を見回すと、手を止めてじっと自分達を見ている子供等も、皆一様に怯えたような顔をしている。
「――分かった。言わない」
子供達はほっとしたように息を吐き、ようやく明るい笑顔を見せた。
ロットバルトはその場をレオアリスに任せ、今入ってきた路地の入り口に戻るとその壁に寄りかかる。
レオアリスは膝に手を付いて身を屈め、子供達と向き合った。
「お前達、ずっとそれを作って暮らしてるのか?」
「そうだよ。大人はやりたがんないんだ。どうせ食い物は領事さんとこで貰えるからさ」
「食い物? 領事館で食料を配ってるのか?」
少年の言葉にレオアリスは眉を潜めた。
領事館で食料を配給するというのは、非常時以外にあまり聞いた事は無い。そもそも配給しなければいけない事態になっているとの情報は王都ではなかった。
ロットバルトを振り返ってみても、彼もただ首を傾げただけだ。
飢饉か災害か、いずれにせよ、王都へは情報が伝わるはずだ。しかし子供は気にした様子もなく頷いてみせる。
「うん。でも、オレたちはあんまり貰えないし、だからこうやって稼いでんだ。オレなんか、うんと小さいときからやってる。だから結構腕がいいんだぜ」
得意そうに見上げてくる少年に、レオアリスは微かに表情を翳らせた。
「……それが取れなくなったら、どうするんだ」
レオアリスの問いかけに、少年は困ったような瞳を上げた。
「もう少ないのは知ってるよ。――無くなっちゃったら、そりゃ、困るよ。雇ってくれるとこなんてないし。他はまだちっちゃいし」
そうすると、この少年が子供達を世話しているのだろうか。
自分以外の子供達をまだ小さいと言えるほど、目の前の少年も年を取ってはいない。
それでも、彼らを支えているのは自分なのだと、そんな自負が少年の眼の中にある。
「それでも、いつかはなくなるだろう」
そんな事を真剣に考えた事など無かったのだろう、少年は暫らく戸惑って視線を彷徨わせていたが、つと顔を上げた。
「そうしたら、オレ、剣士になるんだ」
「剣士?」
「そしたら、王様に仕えられるだろ」
少年の言葉に、子供達がきゃあきゃあと笑う。
笑いながら口を開いたのは少年よりも少し年下の少女だった。
女の子だからだろうか、大人びた口調だ。
「何言ってんの。剣士なんて生まれつきじゃないとなれないんだから。あんたには一生無理。あきらめなさいよ」
「うるさいな! なるんだったら」
「なれないって言ってるでしょ!」
「なれるよっ!」
今にも噛み付かんばかりに顔を突き合わせて睨み合う二人を、レオアリスの手が引き離した。
「やめろって。仲良くしとけ」
二人は一旦顔を見合わせ、舌を出してからそっぽを向いた。
レオアリスは二人の頭に手を置いたまま、ロットバルトを振り返る。
「お前、見たろ。こーゆーのをガキっていうんだ。俺とは大分違うだろ」
家の壁に身体を凭せ掛けたまま、突然何を言い出したのかとロットバルトは眉を上げて上官を見たが、すぐに黙ったまま口元に笑みを刷いた。
どうやらこの旅で散々子ども扱いされた事を、だいぶ気にしていたらしい。
「ちっ……むかつくな」
きょとんと自分を見上げた二人に気付き、視線を落とす。
「まあ、剣士にはなれなくても、剣は使えるだろう。訓練を受けて軍に入ればいい」
「剣士がいい」
きっぱりと言い切る少年に、レオアリスは首を傾げた。
「何で剣士がいいんだ?」
「レオアリスみたくなる!」
いきなり自分の名前を出され、レオアリスはぎょっと身を引いた。
「は?」
「何だよ、兄ちゃん知らねぇの? 王様に仕えてて、この国で一番強いんだぜ!」
「だから、なれるわけないっていってんのに。ばっかじゃないの?」
「うるさいったら。レオアリスだって、オレたちみたいに家も着るものも無かったんだぞ!」
「いや、そこまでじゃ……」
気まずそうにぼそりと呟いたレオアリスを見て、ロットバルトは再び口元を歪めた。どうやら巷間には、そういう話が流れているようだ。
大分尾ひれも付いていそうだが、貧しい中から立身出世したとあれば、特にこうした少年達にとっては強い憧れの対象なのだろう。
「でも、ちゃんと王様に仕えられた。だから、俺だって頑張って、強くなって王様に仕えるんだ。そしたら、皆で王様のいる都に行って、飯だって腹いっぱい食べられる。
そしたらもう、ぶたれたり蹴られたり、しなくてすむじゃないかっ」
今にも泣き出しそうになりながらも強い思いを宿す瞳を、レオアリスはじっと見つめた。
少年の前にしゃがみこむと、その頭に右手を乗せてくしゃりと撫ぜる。
「――いいじゃないか。頑張れよ」
途端に顔をぱっと輝かせ、少年が女の子を勝ち誇って眺める。
「ほらみろ、なれるって!」
「なれるとは言ってないじゃない。もう、変なこと教えないでよお兄ちゃん」
「はは……」
少女の利発さというか、この年齢ならではの大人びた口調に、レオアリスは何とも返事のしようが無いままに笑いを漏らした。それから、彼等にもう一度視線を戻す。
「さっき言ってた、領事館で食料を配ってるのって、本当なのか?」
子供達は顔を見合わせてから、口々に頷いた。
「ほんとだよ」
「いつも?」
「うん。最近はもうずっと」
レオアリスとロットバルトが顔を見合わせる。
「けど、オレあれは嫌だな」
意外な少年の言葉に、レオアリスは再び彼の顔を覗き込んだ。
「嫌って、食料を配るのがか?」
「うん。だって、皆そればっか当てにしてさ。最近なんもしなくなった。あんなのあるからいけないんじゃないの?」
逆に問いかけられ、レオアリスは言葉に詰まって眉を寄せた。
「そりゃま……自分で稼げるなら、その方がいいだろうな」
「そういったら、大人なんか怒るしさ。ばっかみたいだよ。もっと働いて稼いだほうがいいに決まってんじゃん」
「ん……」
領事館で配られる食料。それは間違いなく住民の救済用だろう。
では、今回の件の根底にあるのはそれだろうか。
警備隊による組織的な売買は、大量の食料を購入する為か?
しかし、どう考えても先程の男達がそうした目的の為に動いているようには見えなかった。
「ロットバルト、お前はどう……」
その瞳がふいに細められ、入ってきた路地に向けられた。
ロットバルトも寄りかかっていた壁から身体を起こし、レオアリスの近くに寄ると路地に向き直る。
すぐにどやどやと複数の足音が聞こえ、先ほどの酒場にいた男達が空き地へと走り込んできた。
子供達が悲鳴を上げ、小屋に走り込む。
「このガキども! 何やってやがるっ」
「やっぱり隠し持ってやがったな!」
少年の抱えていた包みに気付いて、目を剥き出す。少年がびくりと後ずさった。
ガストンは大股に近づいて少年の手から包みを奪うと、いきなり足を振り上げた。
靴の先が少年の身体を蹴り上げる寸前でレオアリスに足を払われ、ガストンが正面から地面に叩きつけられる。
呆然と顔についた泥を拭い、まだしゃがみこんだままのレオアリスを睨み付けた。
「てめぇ……っ」
「ガキ相手に凄むなよ」
「丁度いい、お前ら二人に用があったんだ」
男達が手に抜き身の剣を提げ、二人を取り囲む。
ロットバルトは外套を払い、僅かに体勢を落とすと剣の柄に右手を掛けた。鞘を掴んだ左手の指が剣の鍔に添えられる。
ロットバルトの背後で、背中合わせにレオアリスが立ち上がる。
取り囲んだ男達の顔を眺め渡し、レオアリスは声音を下げた。
「何の用だ。俺達が用があるのは明日だぜ」
「明日来る必要はなくなったんだよ」
正面に立ったガストンが、笑いを含んだ声で答える。
その言葉に返すように、レオアリスは冷ややかな笑みを浮かべた。
じわり、とその場の温度が下がる。
「俺は、欲をかくなと、言わなかったか?」
取り囲んでいた四人は、レオアリスが身に纏った空気に一瞬怯んだが、互いに眼を見交わすと一斉に剣を振り上げ、切りかかった。警備隊士だというだけあって、それなりに訓練された動きだ。
「子供らの前だ。殺すな」
「手間ですね」
放ちかけた剣を鞘に戻し、ロットバルトはそのまま左手で鞘ごと剣を突き出した。
柄が左にいた男の鳩尾にめりこみ、男が泥の上に崩れる。
更に一歩踏み込み、右の男の腹部に膝を叩き込むと、呻いて下がった顎を剣の柄で弾き上げる。
声も無く倒れた男に眼もくれず、レオアリスを振り返った。
残りの二人は既にその足元に重なるように倒れている。
「一人連れてこい」
そう命じて路地に出ようとし、レオアリスはふと立ち止まると振り返った。
小屋の前で震えていた少年を手招く。
おずおずと近寄った少年の前にしゃがみ、その眼に視線を合わせた。
「仕事をやろう。こいつ等を縄か何かで縛って、逃げられないようにする。どうせ暫らく目を覚まさないだろうが、念のためだ。後からここに来る兵士に引き渡せ。これで報酬は五。やるか?」
「五?!」
少年は一瞬躊躇うように倒れている男達を見回したが、すぐに勢い込んで頷いた。
それから感嘆の色を浮かべて、もう一度ぴくりとも動かない男達に眼を向けた。
「兄ちゃんたち、すげぇ強いんだな」
「ちゃんと訓練すれば、お前も強くなれる。ほら、それよりお前の仕事だ、きちんとやれよ。前金は三。残りはこいつらを引き渡したときだ」
ロットバルトは倒れたままの男達の顔を一つ一つ覗き込み、ガストンを見つけると、その身体を肩に担ぎ上げた。
手にしっかりと銀貨を握り締めながら、少年はちらりとレオアリスの顔を見上げる。
「ホントにちゃんと残りくれんの? 兵隊なんて、すぐ知らないって言う」
レオアリスは少しだけ黙って、少年の鳶色の瞳を覗き込んだ。
「嘘は言わねぇよ。俺の名を出せばいい」
「兄ちゃん、名前は?」
「レオアリス」
少年はぽかんと口を開け、瞳を大きく見開いた。