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王の剣士2「絶滅種」  作者: 雅
第一章
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第八章(二)

 部屋に入り荷物を置くのもそこそこに、レオアリスは寝台の上に寝転がった。

 歩き続けた足を軋んだ音を立てる寝台に投げ出す。


 ほぼ一日近くを飛竜で駆け、更に早朝から晩までを歩き通せば、いかに日頃訓練で鍛えていようときつい事に変わりは無い。


 大きく解放の息を吐いたレオアリスを眺め、ロットバルトが苦笑を洩らす。


「近衛師団の大将とは思えませんね」


 ロットバルトは外套を脱いで壁に掛けると、対面に置かれた寝台に腰かけた。


「俺が大将なんて、ホントは柄じゃないだろ。周りも何考えてんだかなぁ」


 ロットバルトの言葉に、レオアリスは寝台に寝転がったまま可笑しそうに瞳を上げる。少し鬱いでいた顔にいつもの彼の表情が戻る。


「少将くらいが一番気楽だった」

「少将に、貴方のようにふらふら好き勝手されても迷惑でしょう。直接的な迷惑が掛からない分、今のお立場が適していると思いますが?」


 ロットバルトは涼やかな笑みをレオアリスに向けた。


「ふらふら……」


 ものすごい言われようだ。


「多少上が危なっかしい位の方が、下が責任を自覚しますしね」

「……俺、一応上官なんだけど」

「承知しております」


 疑わしそうに向けられたレオアリスの視線を、ロットバルトはさらりと受け止める。


 尤も、レオアリスのような突出した能力を有する存在は、組織の中間や下部にいれば却って組織を混乱させる。

 軽口で言った事ではないが、彼が大将位にある事は、必然でもあるだろう。


 ロットバルトが近衛師団に入った時は既にレオアリスはその地位にあったため、経緯は判らないが、おそらくそうした思惑はある筈だ。


 それに、実際は部下の心を良く捕らえ、また最高位の剣士という存在は、隊の誇りを十二分に高める。

 第一大隊の中で、彼を大将に戴く事を不満に思う者はいないだろう。


「まあ、自覚しておられるなら、今後少し行動を慎まれればいい」


 レオアリスは渋い顔で視線を逸らせた。


「それに、大将位だからこそ、王に拝謁される事もできるでしょう」


 不服そうな頬を、僅かな、けれど確かな喜色が覆う。

 その子供の様な喜びの色を認めて、ロットバルトは口元で笑った。



 レオアリスがそうして王を慕うのが、何に根差しているのかは判らない。


 グランスレイは、レオアリスのこの様子は彼が王都に上がった頃からずっとだったと言うが、近衛師団であっても中将位までは、王に近く拝謁する機会など滅多にない。

 年に数回行われる王の御前演習や謁見の儀などの折に、遠くから姿を眼にするくらいだ。

 ロットバルトも近衛師団中将として王に拝謁した事はなかった。


 レオアリスは大将に任ぜられてからは王に拝謁する機会を得ているが、それでもまだ直に言葉を交わす事は少ないだろう。

 けれど彼の良く見せるこの嬉しそうな表情は、純粋な憬れに近いものを感じさせた。


 部屋の壁に掛けられた燭台の炎が、ちらちらと夜の影を揺らす。


 宵の口が過ぎてもまだ階下には騒めきが満ちていたが、少しくすんだ緑色の硝子に包まれた頼りない蝋燭の灯りは、逆に室内に喧騒が入り込むのを防いでいるようにも思える。


 ロットバルトは寝台に腰を降ろしたまま暫く黙っていたが、その眼をレオアリスに向けた。


「……今日一日、色々とお聞きしていますが、もう一つ、伺ってもよろしいですか」


 王に見通せないものなど無いと言われる。

 冷厳な黄金の瞳は、(あまね)くその版図を睥睨する。


 今回のこの件を近衛師団に下命したのは、何らかの意図があっての事だろうか。


 では果たして王は、レオアリスがそれを望むと予測した上で、この件を第一大隊に降ろしたのか。


「――何だ」


 普段とは違うレオアリスの表情。それがどうしても、ロットバルトの心に引っかかっている。


 日中、街道を歩いている間に色々と推測して一つの理由が頭に浮かんだが、所詮は推測に過ぎない。任務として行動する以上、疑問は解いておく必要がある。


 それがレオアリスにとって、あまり好ましくないものであってもだ。


「貴方が術士をされていた頃、アリヤタ族の内臓というのは、既に高価なものだったのでしょう。それを見た事や、或いは扱った事が、もしかしたらあるのかと」


 レオアリスは一度ロットバルトの顔に瞳を向けてから、ゆっくりと逸らせた。

 階下で一瞬、喧騒が大きくなった。


「――見た事はないな」


 声にはどこか平淡な響きがある。


「その価値は知っていたが、俺の村では扱っていなかった。生息地は遠く離れてたし、王が捕獲を禁じた事も知っていた。何より、頭の固い爺さん達でな。断固として許可しなかった」


 そう言うと身を起し、壁に寄り掛かって座り直す。

 懐かしそうに眼を細め、何かを思い出すように暫く口を噤んでいたが、再び口を開いた。


 自嘲気味に笑う。


「だが俺は扱うべきだと、思っていた。――金になるからな」


 立てた片膝を抱え込むように腕を回し、顎を乗せて燭台に視線を注ぐ。


 蝋燭の灯りは薄い光を部屋に投げるだけで、レオアリスの表情ははっきりとは見えない。

 無意識なのか、首から下げた銀の鎖の先の、小さな青い石の付いた飾りを右手で握り込んだ。


「村は小さくて貧しい。薬草の採取や時折来る使い魔を創る依頼なんかで、細々と生活してる。しけた村だ。……お前、見たら眼を疑うぜ」


 そう言ってもう一度笑う。


 だがロットバルトは笑いもせず、蝋燭の微かな明りに彩られたレオアリスの顔を見つめた。


「冬が長くて、一年の半分が雪の中だ。お陰で作物も大して育たない。……こんなしけた村で、何を大義名分を翳してるのかってな。他がそれで豊かになっていくのを尻目に、自分達だけは貧しさに耐えるのか?

――ばからしい。数が少ないなら、ほんの少しでも。それだけでいい。そう言って爺さん達に詰め寄った」

「それで」

「頭を冷やさせられたよ。たっぷり。七日間は納屋の中だ。寒くてつまんなくて死にそうだったな」


 再び寝台の上に寝転がり、後ろに組んだ両腕に頭を乗せる。

 そうして何かを追うような瞳を天井の暗がりに向けた。


 レオアリスの瞳には煤けた天井の代わりに、彼が育った北方の村の風景が投影されているのだろうか。


「まあ、俺にとって重要だったのは本当はそんな事じゃなかった。俺がどうしても変えたかったのは、あの村の貧しさだ。

冬になり、作物が取れなくなれば、日々の食事にさえ事欠く。それなのにあの貧しい村は、ただそれを受け入れて生きていた。俺にはそれが、我慢ならなかった。――笑うなよ、ガキだったんだからな」


 その頃からそれほど年齢を重ねていそうもない上官を見て、ロットバルトは口元に笑みを浮かべた。


「笑いませんよ」


 レオアリスは胡散臭そうにロットバルトの顔を睨んだ。


「――第一、私はどうこう言える立場でもないでしょうしね」


 そんな現実は、ロットバルトにとっては単なる言葉だけの世界でしかない。

 そしてまた、それらを手に入れようとするのは、特に何の不自由もなく生きている、そうした者達の方なのだ。


 飢えの為に命を落とす現実などとは無縁の場所では、ロットバルトに限らず誰もが、ただ与えられるもの、手に入るものを当然として生きている。


 例えばそれが、禁じられたものだとも知らずに、手を伸ばしてきたものも中にはあったかもしれない。


 だがもし、知っていたとして――自らそれを禁じただろうか。


 それを完全に否定しきれない事に、ロットバルトは微かな苛立ちを感じた。


「貴方が、罪を感じる必要はない」


 レオアリスは自分の育った村の貧しさを、変えたかったのだと言った。

 その為に他のものを犠牲にする事を厭わなかった自分を今、恥じている。


 それが今回、レオアリスを動かした理由なのだと、漸くロットバルトは納得した。


 だがおそらくはそれ以外に、今回の件に関して、自分を含めてそれに関わる全てのものに関して、遣り場の無い苛立ちを感じているのだろう。


 それははっきりと所在の掴めない苛立ちだ。


 解決するために、どこから手を付ければいいのか、それすら掴みにくい漠然とした問題。


「……もういいよ。寝ろ。明日はまた、日が昇る前から歩く。昼ごろにはミストラの麓に着くだろう」


 レオアリスはそのまま眼を閉じ、ロットバルトに背を向けた。






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