第三話.危険物とぬくもり
幽閉されていることに気付いて五日目。
僕が目覚めてから体感時間で五日目。
ここに陽の光は届かないし、時計なんて上等で高価なものは置いてないからね。 長い年月で培った体感時計と腹時計を合わせ、直感で日にちを計る。
そして朝―――おそらく早朝四時頃。
空気の湿度や気温、ニオイ、壁の冷たさやイグサの植物的呼吸によるものである収縮具合から推測。というかここでは僕が朝といったら朝なんだよ。あーゆーOK?―――起きたら畳の材料であるイグサをほぐし、中から発見した食料と云い難き食料を確認する。
何故これがここにあるのか? 籠城の知恵だ。
戦国時代から江戸時代にまで遡って大昔はな、戦の籠城の為、畳とか、壁とかに食べ物を仕込んで作り、時々取り替えたりして、非常食を保存していたのだよ。――……一部の城や城主たちだけだろうがな。
もしかして……と、探ってみたらやっぱりあった。
めっちゃ干からびて、しなびて、通常なら食べられたものではないけどな。
これを食べるしかないとは、悲しすぎるぞっ、今生の食事事情!
材料は、ゼッタイ賞味期限切れ確実のアワ、芽が出たイモ、『ずいき』という里芋の茎、何かの種らしき正体不明の豆粒、ものすっごくギリギリだが、飲めると判断した水だ。
アワに関してはカビが生えているし、ずいきはよく乾燥されているのか、しなしなを通り越して、シワシワ。豆は正体がなんだかわからないから、食べるのが怖い。
水に至っては、ナニカが浮いている。ゴミとか、土とか、ナニカが浮いて、少し濁って見える。確実に普通の“一般人”が飲んでいい代物ではない。胃袋がかなり強くないと、食中毒で転げまわるレベルの最悪な食材たちだ。僕も切羽詰っていなければ、どんなに貧乏であっても迷わず捨てるくらいだ。
ただし、今は前述した通り、これを食べるしか万に一つも生き残る道はないのだ。餓死か、中毒死か、生存か。究極の選択である。
アワ、イモ、ずいき、正体不明の種を、放り込みたくはないが、唯一の飲み水らしき濁った水にふやかして、一応、食べられるように調理開始。
注意。これらは多分、おそらく、きっと、いや、絶対毒物。
例えば、僕が今、手に持っている数個のちみっこい皺っしわのジャガイモ。
芽が出ている。皺だらけ。確実に人間の食べ物ではない。
芽が出たジャガイモは古いから、絶対に食べてはいけない。
ジャガイモ中毒の原因物質「ソラニン」が含まれているからだ。
ソラニンを摂取した者は、運が悪ければ1週間ほどもだえ苦しむ、時によっては命を落とす可能性がある。
僕も師に習ったわけではなく、大昔に本で読んだり、結果を身をもって知っていたりするだけなのだが――ジャガイモの芽に含まれるソラニンというヤツはヤバい。
ソラニンは神経毒の一種で、神経伝達に働くアセチルコリンエステラーゼという酵素を阻害する。
細胞同士はアセチルコリンという物質を使って、お互いに情報をやり取りしているそうなのだが、情報の伝達が終了すると、このアセチルコリンエステラーゼという酵素がアセチルコリンを分解するんだ。この酵素がないと、アセチルコリンは分解されず、細胞がパニック になるわけ。この毒作用は、あの有名な「サリン」のそれと非常に似ているとか云々。
天然にもこのような恐ろしい物質が存在するということですね。
ソラニンやそれに似た物質は、ピーマン、チリ、トマト、ナスなどにも含まれるそうだが、ソラニン中毒が起こるとまず初め にジャガイモが疑われる。
何気ないジャガイモでも、100g中にソラニンを3~6㎎含むそうだ。大半のソラニンは皮のすぐ下にあるので、皮をむいたら無くなる。
そして、古くなって緑化するとソラニンはどっと増え、芽を出せばさらに増える。ちょうど、今、僕の手の中にあるイモの如く。
ソラニンに対する耐性は人種や民族でかなりの個人差があり、ジャガイモの葉を平気で食べる民族もあるとか、ないとか。反対に極端にソラニンに対する体の解毒能力が低い人もいるらしい。ジャガイモが嫌いな人はもしかしたら、ソラニン耐性が低い人かもしれない、と記憶の中の学術書は云っていた。あれ? ネットのページでの話だったかな? かなり前なので、忘れたや。
閑話休題。
僕が知ってるのは、古くなったイモは危ないってこと。
皮を剥いたり、芽を取ったりしたら、一応……食べなくてはいけない場合は、なんとか食べられる……かもしれないぐらいにはなるだろう、ということ。
ただし、ジャガイモのような平凡な食品にも体を狂わせる成分が入っていることも事実。
ソラニン中毒の予防法は、ジャガイモの緑化が進行するような条件(直射日光や高温でジャガイモを放置しない、出来るだけ早く食べる、調理時に皮を剥く芽はしっかり取る、などが挙げられる。
もし、古くなったジャガイモが冷蔵庫やダンボールの奥から出てきても、もったいないとか思わずに捨てた方が無難だぞ。悪ければ、昔の僕みたいにあっという間に死ぬからな。肝に銘じておけよ?
――――というわけで、果てしなく不安だが、食べ物がないのだ。食べられるだけでも有り難いと思わねば。
毎回、輪廻転生の際、知識と記憶と技術だけは継承される。あとひとつ、僕の“相棒”の猫も、代々の“僕”に継承されるはずなのだが……まあ、“彼”の説明はおいおい。
今回は、暗殺技術の応用で、肉体操作の術を利用しよう。先ず自分の肉体の神経に意識を集中させ、手の平から指先の爪が伸びていくイメージで……爪だけを発達させる。
すると発達させた右手は、血管や神経が浮き上がって見え、あたかも異形の手のように爪だけが堅く伸びる。
これは、某ハンターアニメの銀髪少年から着想を得た技術。やり方なんて、どこに載っているかも知らなかったから、人生を三回分掛けて暇潰しにあれでもない、これでもないと実験を繰り返し、練習をした。その練習の果て、練習を開始してから四回目の生で、イタリアンマフィアの雇われ暗殺者をやってる時にやあっと体得。重宝した技術なんだ。
僕、“相棒の猫”がくれる才能とその時の両親から受け継いだモノ以外の基本スペックは、凡人の秀才だからね。頑張らないと“天才”になれないじゃん。だから何度も人生掛けて頑張るんだ。輪廻の終わりと願いが叶うまでの暇潰しに。
本来の使用方法は、心臓を貫き、抉りだし、捻りつぶす為。または、首や頸動脈などの急所を一瞬で掻き切ってあの世へ葬り去る為の技術だが、今回は食材調理のために使用する。右手を発達させて、爪を固くして、臨時のナイフ代わりが完成だ。これで食材を斬っていく。
アワはカビが入ってるが、削ぎ落として、普通なら飲めたものではないであろう水に落す。イモも芽は出来るだけ切り取って、半分に割って、同じく水に落してふやかした。それを興味津々で腹をすかして見ている『銀』の前に出す。
彼は多少、においをかいで警戒の様子を示した。眉を顰め、嫌そうな顔をする。
ただし、彼もこのままだと餓死することがわかっているのか、思い切って飯もどきを口にかきこんだ。
アレは多分、大丈夫だ。
数々の貧乏暮らしと拷問の訓練を受けて来た――そして何度か食中毒で死んで学んだ――記憶のある僕から見てもギリッギリだが、彼は一日の大半を寝て過ごしている。睡眠とは、体の疲労回復や自己治癒能力を高めるものだ。
それに、おそらくだが、彼は美味しいものを食べたことがないだろうしな。不味い、汚い、不衛生な食事には慣れているだろう。鋼の胃袋が形成されかけているハズだ。だからきっと大丈夫。
悪くても吐いて寝込むだけだ。
「問題は………こっちの種と緑色化&芽が取れなかったこのイモ類なんだよな。どうすっかなぁ……」
死ぬか生きるかは、僕の見立てだとハーフ&ハーフ。50パーセントずつだ。
これは僕が食べた場合の確立予想である。
普通の人が食べたら、98パーセントの確率で、ほぼ確実に死ぬと思う。
『銀』が食べたら……運が良くて65パーセント?の確率で死ぬんじゃないかな? 彼も“バケモノ”の類に足跡ひとつ分くらいは、片足つっこんでいる気がするから……。
僕の体は特別製。
輪廻を越えるたび、僕の相棒の“猫”が願いを込め、“僕”が願いを込め、代々の“僕”の仲間たちや縁者が願いを込める。
それは『今まで重ねてきた人生で受けた幾つかの呪い』と、その時生きた“僕”の『所業のせいで生じた“呪い”』と相まって、僕を強く、生半可なことでは死ねなくする。
死なず、死ねず、不死の呪い。
僕が味わっているのは、喜劇の様な悪夢であり、終わりなき人生の生き地獄だ。
なにか生き甲斐を作ったり、仲間を作ったり、猫を道連れの友(供)とし、楽しみを見つけて、嘘でもいいから作り笑いでもいいから、笑っていないとやってられない!
目指すは『高嶺の花。泥にまみれても曼珠沙華』。矜持を高く持っていないと、折れて消えてしまいそうだ。心が死んだら、僕の場合、意味がない。
さて、大分話が横道にそれたが、この食材たちをどうするべきか。
生か、死か、二つにひとつ。
餓死か、中毒死か、生き延びるか。見事に三択だ。
最悪の食材を前にして、腕を組み、うんうん唸っていたら、上から影が差した。
首を倒して見上げれば、顔に当たるボサボサでも柔らかい銀髪。眼福過ぎるご尊顔が意外と近くにあって、濁りのない真っ直ぐな金色の瞳が僕をじっと射抜く。
『銀』だ。
彼は物言わず、じぃ~っと僕を見つめる。
「食べ終わったの?」
コクリ、と頷いた。
ん? 頷いた!? なんかこの子、急激に知恵をつけていってね? 数日前はまるで赤子みたいな感じで、寝転がったり、僕を転がそうとしたり、抱き枕にしようとしたりするだけで、意思疎通はもっと難しかったのに。
あれ? 気のせい……?
僕が考え込むと、『銀』は視線を僕から外した。
彼は僕の前にある残った食材を一心に見つめて、「あ~……」と非難する色をもった声をあげる。
曰く、「これ、おまえだけで食べる気だろ? 俺にも寄越せ」なんて感じの声だ。気のせいだろうが、ガキ大将のジャイアニズムを感じた気がした。
「君は食べた。僕は食べてない。そしてこれは危険物。君が食べたら死ぬよ? 腹壊すよ? 僕より高確率で行動不能になるよ? だからこれは僕の分」
OK? と、親が子どもに言い聞かせるみたいに、身振り手振りを交えて僕は彼に説明する。
彼は無言で僕に疑いの視線を向けて来た。
僕はむっとして睨み返す。
「ウソなんて言ってない。僕は僕の見解でモノを言ったまで。君はさっさといつも通り寝ときなよ。さっきの食材もこの残りの材料ほどではないとはいえ、ヤバいことには変わりないんだからっ!!」
大急ぎで水に戻し、餓死を免れるため、思い切って一掴み口に放り込んだ。
………ゲロ不味ッ!!! 腐ってやがる。
わかっていたことだが、この世のものの味ではない。
死者でももうちょっとマシなモノを食べているだろうと思える味だった。
正直、今すぐ吐いてしまいたい。
口を閉じて、手で押さえ、無理やりにでも噛み砕く。腹に力を込めて、頑張って呑み込んだ。
「……………死にたい……不味すぎてイヤだ……ラーメン食べたい、粥でもパンでもいい、美味しいものが食べたい……」
涙目になって、心底食べたことを後悔した。
気持ち悪い……。
その僕の姿を見ていた『銀』が、意を決したようにゴクリと喉を鳴らす。
「食べちゃダメだぞ。もうこれ、捨てるからな。食べちゃダメだぞ。死ぬからな。食べちゃダメだぞ。腹壊してダメになるから、捨てるからな」
『銀』は僕の顔を真っ直ぐ見て、再度こくりと頷いた。
僕はほっと一安心して微笑んだ。
いつも通り、眠りに入る態勢をとった『銀』は、安心した僕の前でひょいっと手を伸ばして、残りの名状し難き(たべてはいけない)最悪(死へ)の(誘う)食べ物を全て引っ掴み、―――そのまま自分の口に放り込んだ。
「NoooooooooOOOOッッ!!」
頭を抱えて咄嗟に英語風の表現で叫び、『銀』を引っ捕らえる。
左手で捕まえた腕を手前に引いて、よろけさせたところを転ばして、足で関節をキメ、左腕は彼の体に回して動きを封じる。余った右手で彼の顎から両頬を掴んで、地面に垂直に向けた。そして何度もガクガクと揺らす。
「吐きなさいっ! めっ!!」
フルフルと頑なに首を横に振って、彼はあろうことか、ゴクリと全部腹の中に呑みこんでしまった。
泣きそうな顔をして、誇らしげに胸を張ってきたので、「阿保かァ!!」と頭を思い切りよく叩いておく。
「おまえな、死んだらどうすんねんっ! わざわざ僕が危ないモノ引き受けたろうとしとんのに、わざわざ自分から死の口に頭から突っ込んでいくやつがあるかこの阿呆っ!! 死んだら二度と元には戻ってこうへんねんぞ……」
涙が出て、彼の体から手を離す。
僕は少し彼から離れてへたり込んだ。
叩かれた頭を押さえて、だんだん表情を情けないものに変えていく彼に、さめざめと泣きながら言い募ってやる。
「死んだらな、もう、戻ってこうへんねん。どんなに願っても、どんなに引き留めようとしても、どんなに引き戻そうとしても、もう、戻ってこられへんねん」
おろおろと手を動かして、見るからに狼狽える『銀』。僕は止まらない涙を流したまま、わざと眉を八の字に下げて、泣き笑ってやる。
「そんなん……寂しいやん………」
静かに泣き続ける僕を前にして、『銀』はおろおろと右往左往する。
眉根を寄せて、心の底から困った顔で、「あ~」やら「う~」やら云いあぐねている姿を見ても、僕にもう痛む心はない。
長い間に壊れて、麻痺してしまって、僕の中身の大半は“人間”ではなく、“道具”と成り果ててしまっている。
もはや、自分で言うのも難だが、壊れかけのガラス人形みたく僕の“ヒトとしての心”は脆いのだ。大事になりそうな彼に先に居なくなられては困る。
孤独は………――もう、たくさんだ。
ふわりとなにか柔らかいものが僕を包む。
泣きながら俯いていた顔をそっと上げると、『銀』が僕の肩口に顔を埋めて抱きしめてくれていた。僕を落ち着かせるように、僕の背中を一定間隔で優しく叩く。
ああ、安心する。心が……落ち着く。
この行動は、僕が彼を寝かしつける時、やっていたことを覚えていた、のか?
ひどく動物的な行動表現だが、合格だ。
困り果てたうえでの行動だろうが、上出来すぎる。
涙が止まってしまったじゃないか。
泣いたことによって、ただでさえ運動不足且つ栄養失調気味な身体が疲れてしまったようだ。眠気が襲ってくる。
『銀』にお返しと感謝をこめて、彼の背中を同じように優しく叩き返す。
すると彼も、うつらうつらと次第にいつも通り、眠りに落ち始めて、とうとうそのまま眠ってしまった。
僕も眠いので、今日はこのまま、彼を腕に抱いて、眠ることにする。その場で横になり、目を閉じた。ああ、ぬくい。このまま眠ったらいい夢が見られそうだ。
怖い夢なんてひとつも見ずに久々にぐっすり快眠できそう。
おやすみなさい。
あゝ、このぬくもりが、欲しかった――。
主人公がぐちゃぐちゃ心のうちで、いろいろ考え込んでいるのは仕様です。
彼も混乱しているのだとご理解ください。
何千回も転生させられて、内面が多少なりとも壊れてないワケねーと思うわけです、ハイ。
しかも、主人公の場合は、ほかの時代はともかく――いつ殺されてもおかしくない『伏魔殿』のような戦国時代を生き抜いた上で、その後のなんやかんやを経て、この時代に生を受けております。
常に生死の近い状態で生きてきた子ですよ。性別なんて概念も半ば吹っ飛んでおります。ハイ。ただ、肉体の性別は男なので、これからの心はそっちに引っ張られていく……何書いてるんだろ私は――。
(この小説は、作者の趣味と鬱屈とした精神の副産物でございます。)
『銀』は、暴走する主人公のストッパー的役割。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
(2014年、10月10日改稿、追加後書き)