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第二話 名前と脱獄開始


 “僕”が目覚めてから三日が経った。事態は相変わらず。

僕と白銀の獣のような彼は、まだ薄暗い座敷牢に居る。人は見かけていない。

部屋の隅で寝ている彼を放置して、僕は鉄格子の前で胡坐をかき、座禅を組む。


 この三日でわかったこと。

 銀髪の彼は異常なほどよく寝る。そして怠惰だ。

 暇さえあれば寝ているか、僕を抱き枕にしようとするか、寝ているか、僕を動かそうと動くか、寝ているか、だ。え? 行動の選択肢に『寝ている』が多いって? そんだけ彼が寝たがりな怠惰な獣だということだ。


 そう、獣なのだ。人間ではなく、獣なのである。白銀の髪を持つとても綺麗な、きれいな野生の獣。


 彼は“人間の言葉が喋れない”。口を開いたとしても、あ~、とか、う~、とかしか喋らない。昔、『狼に育てられた子供』の話を聞いたことがある。確か心理学の講義やなにがしかの書物にのっていたはずだ。それは、人間はどう“人間”と云われる存在になっていくかの講義じみた内容だった。


その話では、人間が言葉を用い、複雑な思考を行ない、豊かな感情を持つのは、決して生得的なものではなく、放っておいてもそのような資質が自然に発生する事はないとされていた。

人間の言語獲得の能力は3歳頃ピークとなり、その後低下を示し、少年期の終わり頃12歳~13歳までに獲得できなければ、完全な習得は困難。


人間の精神的発達は、幼児期の環境に大きく影響され、人間的な発達には、幼児期において人間的な環境から習得される必要があり、幼児期に確立された精神的発達の基礎は、その後の発達に影響するらしい。 それらをのちに矯正することは困難であるとも言われていた。


狼少年に限らず、幼児期に動物からアイデンティティーを受け継いだ子供を社会復帰させる努力が試みられた科学的な事例があるが、完全な復帰は困難であることが確認されているそうな。


 つまり、僕は記憶を掘り出して脳内で言語を掘り返して再生し、口に乗せて習練できたからいいけれど、この獣のような少年にはそのようなことは、当たり前ながらできない。僕が異常なのだ。僕が異常な“化け物”なのだ。だから、彼はただ綺麗すぎるだけの人間の子どもなのだ。僕といっしょにするなんて、おこがましいにも程がある。恐れ多い。


僕が彼に言葉を仕込まねば、彼は言葉を覚えられず、未発達なまま獣として終わるかもしれない。なんて、愚かな考えもあるわけで。


 ああ、何故僕らはこの牢屋に幽閉されているのだろうか。


 僕はともかく、彼は無害なのに。


 ああ、お腹が空いた。だけど我慢、我慢。

 部屋の隅に腐ってカビついた食べかすが残っていたから、きっと誰かが持って来てくれる、ハズ。持って来てくれたら、いいな~………。


「う~………!」


 体に背中から重みがかかり、ガリガリの細い腕が首に回される。彼、だ。


「なんだ、起きたのか?」


 微笑して、彼の小さな頭を心もち優しくガシガシ撫でる。撫で心地は少し悪いが、薄汚れているにしては指通りは良い。普通、この状態が続くと髪はダメージを受けてごわごわで指通りが最悪になるはずなのに、ほんまどうなってんのやら………。


「あ~!」


 ぐりぐりぐりぐり、肩口に押し付けてくる頭が揺れるたび、白銀の髪が当たってくすぐったい。多分これ、天パが少々入ってるな。なんか柔らけえもん。ふわふわしてるもん。


 ちなみに僕の髪は藍色です。闇に溶けるような藍色の真っ直ぐな(ボサボサ)髪。これまた“僕”にとっては“いつも通り”。多分、目の色は紫なのだろうと予想している。藍色と紫。それが“僕”の魂の色らしいから。


 銀の獣の頭を寝かしつけるようにぽん、ぽん、と優しく叩き続ける。すると眠たがりの奴は僕に抱きついたまま、濁りのない金色の眼をうつらうつら閉じて、こてん、と凭れ掛かるように眠ってしまった。なんか、もう、これも慣れたよ。


「早いとこ、脱走路を確保しないとな」


 ふわりと笑って、首から彼の腕をやんわり離そうと試み、自分の体を半分ずらして彼を膝枕しようとする。頭を左膝に乗せた途端、彼は身動ぎして、自分の頭を僕の右膝に乗せ、腰に手を廻してぐりぐりと懐いてくる。まるで本当に野生の猫型の獣に好かれているみたいだ。相手人間の筈だけど。

 彼は自分にちょうどいい位置を探るようにごそごそと僕の膝の上でもがいていたが、暫らくすると頭を僕の足と身体の付け根あたりに落ちつけて、すぅすぅと満足げな寝息を立て始めた。愛されてるな~……僕。違った、執着されてんな~、僕。


 彼の頭をあやすように優しく二度、叩いた後、その手をもう片方の手と組み合わせるように、少々座禅を組み直す。


 ここ三日、人影は僕ら以外なし。つまり、僕らは飲まず食わず、というわけだ。


 僕は座禅を再開させながら空腹に耐え、この座敷牢から一時的でもいい。脱出する方法を考える。


 この三日で分かったこと。

 一つ目、先ず人が来ない。これが一点。


 二つ目、この座敷牢には窓がない。灯りもロウソクの細々とした頼りないモノが数か所のみ。牢の中に至っては、その灯りすらない。


 三つ目、鉄格子の反対側の壁は土壁になっているが、おそらくその向こう側に出口はない。壁を叩いてみても音は鈍く、空洞があるようには思えなかった。壁を掘ろうにも推定三歳から四歳の子供の手だ。すぐに手の方が血まみれになって、外に出る前に使い物にならなくなるに決まっている。ここに治療薬などないのだ。破傷風などもらったらアウトだ。なので壁を掘り進んで脱出するのは没。


 四つ目、古ぼけて禿散らかった畳をひっくり返して、調べてみたが、地面の下にもなにもなし。三つ目同様、こちらを掘り進むのも没。ならば鉄格子の下の土を掘り下げてすり抜けてみてはどうか。体が成長しきる前ならいけるかと思ったが、これまた没。よく考えてみたら、鉄格子下の地面なんて一番固く土を固めて造るところだ。

 戦国時代に転生した時、一時期、僕の養父になってくれた爆弾上こと、松永久秀も云っていた。簡単に抜けられる牢屋を作るなど、マヌケのすることだと。あの人、妙に凝り性だったから、逃げ足と脱獄の技を生き延びるため、一番に伸ばし続けていた当時、風魔忍者の抜け忍もどきやっていた“僕”を使って、なんどもなんども新しい牢屋を作るたび実験させられた。お陰で松永さまが治めていた大和は、日の本一脱獄が困難な城を持つ国として、裏の世界で秘かに有名になったのは、懐かしい話だが余談である。


 ふっと思い出した。松永さまと風魔忍者の“僕”こと紫遊(シユウ)(偽名。当時の本名は文月(ふづき)遊楽(ゆうらく))の失敗談。


 当時、現在の僕と銀の獣みたいな彼の状況と同じように、二人の子ども侵入者を松永さまが紫遊で試した地下の座敷牢に捕えていた。

その牢屋は、当時軟体動物のように体が柔らかくて、牢の鉄格子の僅かな隙間からでもすり抜けたり、肩をわざと脱臼させて縄抜けをしたり、犬歯で縄を噛みきったり、甘い睦言や甘言などで牢番を騙して抜け出したり、入れられる瞬間、鍵を掏り取ったり。それはもう、数えるのもバカバカしくなるくらい、あれやこれやの手で試行錯誤させられた末に出来上がった堅牢な、そう、かなり堅牢かつ巧妙な牢屋だったわけです。

 だけど当時の僕は24歳。背はだいたい150㎝あたりと当時の女子の間では平均的で小さかったが、大人の身長であった。

なにが言いたいかと申しますとね、松永さまと僕は大人と子供の体格差なんかを読み違えてたわけですよ。大人用の牢に子供を入れたら、まあ、賢い子は頭ひねって抜け出しますよね。しかも大人と子供じゃ、視野の幅や視界の高さが違う訳です。先ず、地面に穴が開いていたとして、仔犬が出入りできる程度の大きさの小さな穴とかあっても気づきませんし、そこから逃げられるとは思いませんよね? しかも巧妙に畳で穴の大きさや深さが隠されていたとしたら? 埋め直しと掘り出しを何度も繰り返されていたとしたら?

 結果から申しますとね、逃げられました。子供二人に。

ガキってのは意外と賢いものでねぇ、牢屋に捕えた者は普通、当分の間は生かすでしょ? そのためにはご飯を運ぶ必要がありましてね。残飯の器と箸などでまんまとやられましたよ、ええ。ガキども、入れ替わりの素早い牢番の眼を盗んで、ご飯を食べきった器と箸でえっちらほっちら、牢屋の下の堅い地面を掘り進めていきました。器回収の飯番が回ってくる前に、ある程度掘ったら埋めて、土で汚れた器と箸は自分の着物で拭いて、寝所替わりの畳で掘った場所を巧妙に隠して。アレには昼夜問わず監視していた紫遊も驚いて感心してました。最後は器で一気に掘り返した土を退けて、二人して体をかがめて半分に折って脱出していきましたよ。

わざと逃がした部分もあるので、数メートル走らせてから、にっこり笑って腹に一発、首の後ろに手刀一発、足払いをひとつで情け容赦なく捕まえて、別のもっと堅牢な牢に簀巻きにして放り込みましたけれども。


あの時の“僕”は若かったですねぇ。今も『肉体は』若いですケド。精神的にはもう、ババア……違った、ジジイ………いや、老人です。あれからもう、何百、何千回転生を繰り返して生きて来たのか、もうわかりませんもの。


「いくら精神が肉体に引き摺られるとはいえ、ガキのフリは少々、歳のいった“私”にはキツイものがありますね。ま、出来る限りやりますけども」


ふぅ、と意識せず溜息を吐いて、銀の獣の如き綺麗な子供の白い髪を撫でる。


「そういえば、僕と君の名前はなんでしょうね? 名前がないならば、君には僕が名前を付けて差し上げましょう。白い銀色の髪から、ギン……シロガネ……白銀…いえ、いっそ一文字で“しろがね”と―――。」


 寝ていた獣はパチリと目を覚まして瞬きする。彼は不思議そうに首を傾げて、下から柔らかい手を僕の頬にぺちりと伸ばす。そのまま子どもらしくなく、自嘲気味に哂っているであろう僕の口元に手を持っていって、彼は僕の言葉をなぞるように口を動かそうともがき始める。


 「ふふふ、“銀”、ですよ? 仮の名としてでも使ってくださいな。偽名でもいいですよ?」 と唇に手を当てられたまま、年齢のせいで口が回らないので舌っ足らずな口調で言葉を紡いでやる。


名づけの秘かな由来は万葉集。山上憶良作。


〈「(しろがね)も (くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に()かめやも」(銀も金も玉など何のことがあろうか。子に及ぶ宝などあるはずがない。あるはずがないのだ)〉の古歌より。


 銀と金の連想でふと浮かんだ。だって、彼は銀も金もその身に生まれながら持っていて、しかも今、子供じゃん? 豪華じゃないか。今の僕にとっては、彼が唯一、僕の宝になりえるものだよ。護りたいって思えるかもしれない、唯一の候補って言い換えてもいい。

 

 〈『子を護る』〉それもまた、僕の役目。生きなければいけない理由のひとつ。


“シロガネ”と仮の呼び名を何度もなんども口を動かしてやれば、少年も同じように自分の口で繰り返す。ただの暇潰し。いつまでも“獣”と呼んじゃ可哀想だ。なにより僕が心の中で呼ぶにしてもメンドクサイ。


『しぇろがね』と舌っ足らずな途切れ途切れの口調が可愛らしいですね。この子と現在の僕の続柄や繋がりはなんなのでしょうか。長い輪廻のうちで何度か子育てをした記憶を思い出します。これでも何度か、結婚して子を産んだり、産ませたり、弟子をとって育てたり、拾い子を養った事もあるのですよ? そのうち恋愛結婚は一度きり、他はすべて、政略結婚やら苦しみを紛らわすための偽装結婚、大人の都合によるものだったりしましたけれども。代々の“僕”はその“役”をきっちりこなしてきましたよ? 一度きりのこれ以上ない幸せな、そして短かった濃密な恋愛結婚を除いて。

人生をかけて、願いを込めて、この魂すら捧げて消してもいいと思えるほど、稀にみる良い人生でした。最後の最期で、邪魔が入ってその“願い”は叶いませんでしたけれど。


濃密過ぎるほど濃密な、どろどろとした人生でしたが、同じくらい幸せな、ハリのある良質な、学びの多い良い人生でした。この身を焦がし、削る、波乱万丈の良い人生を送らせて頂きました。

ですが、願いは、叶いませんでした。

恋をした人々の誰もが一度は願い、叶えたいと願うだろう、平凡すぎる程平凡な願いは。

 同時に、終わりも、当分こなくなりましたしね。


 さて、それはおいといて。

 ここからどうやって抜け出しましょうか。


「あ~……しぇろがね。……う~?」


 おっと、『銀』少年が首を傾げています。自分を指して『しぇろがね』と言っていることから、名前は理解している模様。僕を指して名前を尋ねているようですね。


「僕は………まだないですね。歴代の“私”の名前は憶えていても、使わないことにしているのです。“遊楽ゆうらく”の名は僕にとっては特別ですから、自分で付けるならそれにちなんだ名前を。ですが、死人の名前は縁起がよくありませんもの。出来れば君が付けてくださいな。もし、僕らに名前がなくて、君が言葉を覚えたならば。僕はそう、願います」


 彼はわかっているのか、いないのか、こくんと頷いて、僕の頬を両手で潰す。


「にゃにしゅるのでしゅか……」

あ~、と声をあげる彼の眼は、なんとなく「難しく考えるな」とか「辛気臭い顔してないで笑え」とか云ってみるみたいに思えて、思わずクスリと笑ってしまいました。彼の頭をぐりぐりと撫でまわして今日は眠ることにします。


 おやすみなさい。


 そうだ、明日からは、腹減りで死なないうちに残飯の器で地面を掘り進めましょう。昔、城に侵入して敵討ちをしようとしたあの少年たちのように。


 脱獄、開始、です………zzz。



片割れの名前が決定。仮だけどね。仮だけどね。

『銀』と僕、この二人の関係とは。何故座敷牢に閉じ込められているのか。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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