一日目・回想
「そのドレスきれーい」
「そんなことないわ。あなたのそのドレスもよく似合ってると思うよ」
たくさんの人がいる中で、そんな会話が聞こえてくる。
なんとなく目を向けてみると、二人の女性が目に入った。
一人は情熱的な赤に染まったドレス。
胸元が大きく開いていて、男性の目を惹きつけること間違いなしのフェロモンを放出している。
皐月は目線を落として自分の体を見てみる。
同じ高校生としてなんだか負けたような悲しい気分にかられた。
しかし、考えていても仕方のないことだ。ネガティブな考えを振り払ってもう一人を観察してみる。
その人は対照的に青と白のドレスを着ていた。
透き通るような青にぽつぽつと白色が混ざり合っているようで、快晴の青空を連想させる。清楚で活発なイメージを連想させるところに好感が持てた。
その二人だけでなく視線を色々と動かしてみるが、目に入る女性のおおよそが自らを着飾っていて、同姓の皐月から見ても惚れ惚れするほどだ。
周りに圧倒されて呆けた顔でいる皐月だが、ここにいる以上、当然、皐月も普段の格好ではない。
黒を基調としたシンプルなデザインであるが、それが逆に皐月の魅力を伝えるいいポイントになるだろうとは先生の談である。
「ああ、今日はどんな人とめぐり合えるのかな……」
「楽しみでしかたないわね」
聞こえてくる談笑。
ここにいる女性たちはさきほどから興奮が冷めない声色で話し合っていた。これからの始まる出会いに、各々が想像を膨らませ、目標を決めて、それを目指そうと意気込んでいるのだ。
「……あっ、ちょっと実感わいてきたかも」
皐月はぽつりとそんな言葉をこぼした。
現実味がないこの光景にようやく脳が慣れてきたようだ。それにしたがって働くことを放棄していた脳が思考を開始する。
周りの女性たちも目的があるに違いないが、皐月にも目的があるのだ。それは、彼氏を作ること。これはすでに目的ではなく、ひとつのミッションと言い換えてもいいだろう。
それこそが皐月がここにいる理由なのだから。
「っていってもなあ……。なんで承諾しちゃったんだろう……」
そういいながら、皐月は昨日の先生との会話を思い出し始めた。
「彼氏をつくってくるって……マジでいっているのですか?」
「それはもう、大マジよ」
だめだ、これは。話が通じそうもない。
そろそろ諦めの境地に達しそうな皐月だ。今日の先生は強引すぎる。きっとおせっかいな性分が暴走しているのだろう。
「そもそも仮面舞踏会ってなんなのですか? 天下一武道会しか知らない私に教えてください」
「もっと女子力を持ちましょう。その名の通り、仮面で顔を隠しながらのダンスパーティよ」
「そんなことは知っています! なんで仮面舞踏会の招待状がここにあるのですか!? こういうのって、位が高い人たちというか、お金をたくさん持っている人たちが行くものでしょう!?」
「それはどうなのかしら。確かにドラマみたいなフィクションの世界では、そういう設定になっていることが多いけど……」
先生は独り言のように疑問を吐き出す。
しかし、皐月としてはそんなことどうでもよい。ダンッと音を鳴らし大きく足を踏み出してから、勢いよく立ち上がる。
「だから……!」
そのまま詰問しようとした皐月を先生は落ち着くように合図する。
荒々しく、息を吸っては吐いてを繰り返している今の皐月は、サバンナのライオンのような獰猛さが見て取れた。
皐月が暴れだせないかびくびくしながら、先生は説明を始めた。
「この仮面舞踏会っていう企画は今年初めて実行されることになったの。その目的というかコンセプトは学校同士の繋がりを作ること。今後、何かがあった時に協力し合えるように、ここで他校とイベントを開催しておきましょうということなの」
「つまり、その学校側の思惑に踊らされて参加してきなさいということですか」
「そういうことじゃないわ。確かにきっかけはそれなのだけれど、参加する学生がちゃんと楽しめるように色々と考えられているわ」
「ほんとですか……?」
皐月は疑わしげな目線を先生に向ける。
先生が言っていることが正しいのならば、大人が都合のいいように企画をして、それに生徒をつき合わせている、としか思えない。
この高校も文化祭や体育祭など大きな行事の際に、機材の不備や人員不足で一悶着あったと聞いている。実行委員会がきっちりと仕事をできていれば、そのような事態も起こらなかったのだろうが、もし、このときに他校から機材を借りたり人員を補充することができていたら、スムーズに行事を進行することができただろう。
つまりは、そういうことなのだろう。万が一の場合に備えて、他校と仲良くしておき利用する。どうしても、先生が言っていることが皐月を騙すためのきれいごとにしか思えない。
「ええ。だって、繋がりを作るだけだったら、校長先生とか重役の人たちだけで会合を開けばいい話じゃない。わざわざ生徒を巻き込む必要がない」
「確かに、そう言われるとそうなのかもしれませんね……」
「先生たちもみんなにいい思い出を作ってもらおうと考えているのよ?」
「なに先生って枠組みにして自分の株も上げようとしてるんですか」
「そ、そんなこと考えてないって……」
「へえ。大人の女性になると、無意識のうちに自分を評価してもらえるような策略をすることができるようになるのですね。勉強になります」
「……なんかとげとげしくない?」
「そんなことないです」
真顔でそう言い放つ皐月に先生は戦慄する。しかし、皐月が真顔なのは、先生を責めるために効果的な表情をしているからではなく、考え事をしているからだった。
先生の言い分の通り、確かに学校同士の交流に生徒は必要ない気がする。よって、生徒が主な参加者となる仮面舞踏会を行うということは生徒に対する好意を感じ取れた。
とりあえず、皐月は仮面舞踏会についての詳細を聞くことにした。
「ちょっとその話気になってきました」
「そうでしょう、そうでしょう。そもそも有無を言わさずに言ってもらう予定だったし、ちょうど良かったわ」
不穏な単語が聞こえてきたような気がしたが、それについて皐月は考えないことにした。そして、嫌な想像まで浮かんできたのだが、まさか、そんなわけがないだろうと否定する。
「さっきから何度も言っている通り、この仮面舞踏会は多くの高校の生徒が集まるの。そこで、生徒たちの自主性に任せて、いろいろな人と仲良くなってもらい、楽しんでもらおうというイベントよ。日程はすべてで七日間。明日から毎日行われるわ。場所については口で説明するのも正確性にかけると思うから、渡したものの中に地図が入っているから参考にしてね」
「大体のことは理解したと思いますが、それって決して彼氏を作ってくださいっていう行事ではなくないですか?」
皐月にとって当然の疑問だった。先生は皐月に、そこで彼氏を作ってこいと支持したのだから。もちろん、それを皐月が了承しているわけではないのだが。
しかし、女子であるから色恋沙汰には興味があるわけで、ついつい質問してしまった。
「そんなこと、学校がおおっぴらに言えるわけないじゃない。そもそも学業を学んでもらうことが教育なのに、恋愛に精力を尽くして勉学がおろそかになったら身も蓋もない。それで親御さんから成績が下がったという抗議の電話がかかってきたら恐ろしいもの」
「はあ。先生も色々と世知辛いのですね」
「まあ、私は保険の教諭ってことで、そういうことに直接の関係があるわけじゃないからいいけど」
そう言いながらも、先生は遠くを見るような、どこか空ろな目になる。
皐月が思っている以上に、社会というものはつらいことが多いのかもしれない。そっとしておこうと、話の続きを促す。
「あ……ああ、続きね。それでも、ひとつの会場に男と女が集まってお話をすることになるでしょう? しかも、仮面舞踏会という、言わば現実離れしたシチュエーションで。それはもう、いい雰囲気になっても仕方がないと思わない」
「思います」
皐月はついつい喰い気味に返事してしまう。少女マンガのような素敵なシチュエーションに思える。ちょっとだけ、仮面舞踏会に行った自分を想像してみると胸がどきどきしてきた。
「そして、最大のポイントはこれよ」
先生はそう言って皐月が手に持っているプリントの中から一つを取った。
そして皐月がよくわかるように、片方の手でプリントをぶら下げ、もう一方の手である一文をなぞる。
招待された生徒は一日目は原則として最初から最後まで参加すること。しかし、二日目以降はこれには当てはまらない。そこにはこのような文章が書かれていた。
「仲良くなったら、仮面舞踏会の会場の中ではなくて、ほかの場所で親睦を深めてきなさいということよ!」
「本当にその解釈でいいんですか!? ……心配になってきましたよ」
発想の飛躍ではないかと頭を抱えたくなる。
確かに、頭のいい人の発想などは、凡人には理解できないとよく聞くことがある。
しかし、これもその例に当てはまっているのかと考えると、皐月としてはどうしてもそうは思えなかった。
「大丈夫よ! 校長先生のところに押しかけて問いただしてきたもの!」
「この人すごい!!」
まさかそこまでやっていたとは皐月は露にも思っていなかった。
しかも、先生は皐月が失恋で沈んでいるだろうと心配してここまでしてくれたのだろう。
そのことを考えると目頭が熱くなってきた。
「だから何も恐れることはないの。辻村さんには思いっきり恋活をしてきてほしいな」
そういって先生は優しい笑みを浮かべた。
皐月のためを思って行動してくれた。
ここまでしてくれる人はなかなかいないだろう。
すごく心が温かく感じる。
けれど、ここまで親身になってくれた先生を悲しませてしまうかもしれないと思うと、胸が痛む。
先生の行いには感謝している。それでも、皐月には譲れないものがあった。
「先生が仮面舞踏会について教えてもらったことはありがたいと思います。けれど、私はあの初恋を間違ったものだと思いたくありませんし、すぐに忘れてしまおうとも思えません。だから――!」
「怖いの?」
「――はい?」
皐月の言葉を遮るように先生は発言する。先生の言うことを頭が理解できなくて、皐月は思わず聞き返す。
「辻村さん、あなた、怖いだけじゃないの?」
先生のことを悲しませてしまうかもしれないことに引け目を感じていた皐月だったが、その気持ちはどこかに飛んでいってしまっていた。
その言葉には、はらわたが煮えくりかえそうになる。
何を持ってそんなことを言うのか。これについては、例え、相手が先生だとしても穏やかにはしたくない。
「どういう意味ですか……?」
眼光を鋭くお茶らけた雰囲気など一切感じさせない皐月に、先生は顔をそらさずに対峙する。そのことがさらに皐月の逆鱗に触れそうになる。
「そのままの意味よ」
「だから、何がいいたいのですか!!」
「あの人のことを好きになった、告白した、けれど振られてしまった……。そのことを正当化しようとしてるだけなんじゃないの? 常識があったら、その恋が厳しくて風当たりが強いものだと分からないはずがない。だから、その恋を間違いではなかったと思うために、何度も心の中で思い返して忘れまいとしている」
「違います!!」
「いいえ、違わないわ。だったらなぜ次に進もうとは思えないの? きっぱりと終わってしまったものにしがみついているのはなぜ? あなた自身が後悔しているからじゃないの?」
「違う! 違います!!」
「それなら彼氏を作ろうとしなさい」
「それは問題のすり替えじゃないですか!」
先生の理論がどこかで破綻していると皐月は必死に探そうとするが、感情的になっているせいか、その穴を見つけられない。これ以上ないくらいに頭を回転させるが、答えは見つからなかった。
「そんなことはないわ。……もしかして、彼氏を作るということ自体に得体の知れない恐怖を抱えているのではないの?」
「そんなこと……あるわけない……!」
体の奥のほうから搾り出したような皐月の声。高ぶった感情のために息が荒い。それから、先生は言葉をつなげることはなかった。皐月の息を吐く音だけが保健室に響く。
程なくして皐月は口を小さく開いた。
「――て……ます」
「え?」
「仮面舞踏会に行って、彼氏を作ってやりますといったんですよ! もう後悔しても知らないですからね……。私が彼氏を作ってきたら、先生には私に謝罪を要求しますから! 覚悟していてください!」
それだけを乱暴に叫ぶと、大股で歩いて保健室の外に出る。保健室のドアを閉める時は、目一杯の力を振り絞って閉めた。ガンッと大きな音が立つ。皐月は沸き立つ感情を抑えながら、この場を後にした。
「あぁぁ……。短絡過ぎだろう私……」
今こうして思い返してみると、先生にいいようにやられてしまっているのがよく分かった。
先生は地からづくでも連れて行くと公言していたということは、皐月が自分から仮面舞踏会に行くと宣言したことは思惑通りだったのだろう。
それでも、彼氏を作るといってしまったからには。ここで、引くわけにはいかない。
自分に気合を入れるために頬を軽く叩き、立ち上がった。
ここから皐月の戦いが始まる。