三日目・説得されました
「昨日ぶりであるな」
「あっ、王子」
何をすることもなく佇んでいた皐月は王子から親しげに声をかけられた。
前日にずっと一緒に過ごしてきたためもあって、精神的な距離は近くなっていた。
皐月は王子ににこやかに対応する。……仮面で隠れてはいるのだが。
「今日はセバスと一緒じゃないの……て、当たり前か」
「ああ。狐殿とどこかへでかけると聞かされた。あそこまで浮かれているセバスはなかなか見れたものではなかったな」
「そうなんだ……ちょっと意外。でも、そうか。王子もそうだったのか……」
王子は王子でセバスの対応が大変ではあったのだろうが、皐月も葵から色々と聞かされて大変だった。
昨日、二組に別れて仮面舞踏会の主旨に則って踊ることになり、葵が気がかりだった皐月は葵とセバスのあとをつけたのだ。
人陰やテーブルを利用したが、気配を感じ取られてしまったのか、途中で二人は皐月がいる方向を見てきたのだ。
これ以上の尾行はまずいと悟ってその場を後にすることにしたのだった。その日は会場で葵と会うことはなかったのだが、問題は夜のことだった。皐月が家に着くのとほぼ同時刻に携帯に葵からの着信がありそれに応じると、
『皐月! ヤバイ! マジでヤバイ!』
『それじゃあ私がヤバイみたいに聞こえるのだけど』
『それもあるけど、私もヤバイ! ちょっと聞いてよ!』
『聞き逃せない部分があった気がする』
そこから葵の猛攻が始まった。
伝えられる内容も衝撃だったが、それよりも葵の語り方が皐月に衝撃を与えた。
……あまあまだったのだ。
セバスのことをとても好きになってしまったことや、セバスも葵のことを気に掛けてくれていたこと、すべての話を聞かされて電話を終えた時、砂糖を吐けるかと思った。人間砂糖きびになってしまうかと思った。
それほどのパワーがあった。
その時に内容のひとつとして次の日、つまりは今日のことであるが、セバスと二人きりで町へ出かけることがあった。
昨日のことを思い出してしまい皐月がため息を吐いたことに、すべてを分かっているというように王子が一言呟いた。
「同士よ……」
思い出してはいけないを教訓に皐月と王子はぶらぶらと動き回ることにした。
料理を頬張ることもいいが皐月は仮面の関係で食べることが出来ないので違うことをしようと提案してもらった皐月は、いい雰囲気になっているカップルを冷やかしたり密着して踊っているカップルを冷やかしたり、隅のほうで談笑しているカップルを冷やかしたり、様々のことをしたが心のどこかで葵のことが気がかりで上の空だった。
また、ため息が漏れてしまう。
王子は皐月の気持ちを察しているのか黙って着いてきてくれていた。
なんだか憂鬱だ。
「……もし?」
気分が乗っていないために注意が向いておらず、その声が自分に掛けられているものだと気づくのに少しの時間を要した。
その声は聞き覚えがない女性のものだった。
皐月は声の発声源を探そうとするが、ある仮面をつけた人物が視界に入りぎょっとする。
ある仮面の人は見惚れてしまうような綺麗な姿勢でぴんと立っていて、どこか美術品のような造形美を思わせた。
周りの女性はほとんどドレスで着飾れているが、自分には関係なく己を貫いて見せるという意思を伝えているようにシンプルで上品な着物を身にまとっている。それがよく似合っていて、和服美人という言葉を連想させる。
我を忘れてつい見入ってしまうような姿に、惜しいことに一つだけの違和感があった。
――それは仮面だった。
その人物は鬼を模した顔を覆える仮面をつけていた。
節分などでつける安物ではなく、れっきとした芸工品であることは明らかで、その仮面は周囲を威圧していた。
「もし? どうやら、あなた様はお悩みのように見受けしますね」
再び掛けられた声に皐月の意識は現実に戻ってくる。
見惚れながらも恐れてしまったことを相手に気づかせてはいけない。
皐月は噛みながらもできるだけ早く答える。
「は、はい……どうして分かられたのですか?」
葵のことがずっと気になっている。
そのおかげで今の自分を楽しむことが出来ていないとするならば、それは悩んでいるということだろう。
素直に認めるが、それとは別に原因を問うてみる。王子にも言及されなかったことだ。
「そのお顔や表情を見れば分かりますわ」
「仮面で顔は全部隠れているのですが」
「そうですね」
「そうですねって……」
この人物のいいたいことがいまいち皐月には分からなかった。つまりはどういうことなのだろう。
そんな思いが態度に出てしまっていたのか、補足に説明を加えられる。
「オーラ、とでもいいましょうか。私、訓練をしておりまして、人のオーラが分かるのです。今のあなたのオーラはとても靄がかかっていて暗いですわ。自分に正直になれていないのではないですか?」
やはり葵のことをこの人は言っているのだろう。
正直になっていない部分があるとしたらそこだけだ。
しかし、自分がでしゃばってもいいのだろうか。
二人だけの問題ではないだろうか。
「躊躇してしまうのも仕方のないことかもしれませんが、それは相手様のことを思いやっているからではないのでしょうか」
「そ、そこまで詳しく分かっちゃうんですか」
「オーラが見えますから」
「オーラってすごいんだなあ」
修行の賜物だから、それくらいのことはやることができるのかもしれない。
彼女が訓練していたというのは底知れない可能性を持った秘術で、その効能はオーラで人のことを読み取る力……ちょっと現実離れしている気がしないでもないが、実際に皐月の心中を当てられてしまっている。
皐月は彼女が言うことに感心するが、なかなか彼女の言うとおりに行動に移すことが出来なかった。
気づかれてしまった場合に葵から迷惑だと言われるかもしれない。
そう思うと足がとても重く感じられてしまうのだ。
「古きよき日本のことわざにこのようなものがあることを思い出してみてはどうでしょう」
「ことわざ……? どんなことわざですか」
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥というものです。今の状況に当てはめてみてもいいのではないかと私は思います」
「私は別に知らないことがあって人に聞かれずに困ってるわけじゃないですよ」
「後のことを考えすぎて行動に移せないという点では同じではないですか」
それを聞いて皐月は黙り込んでしまう。
否定も反論も出来なかった。
確かに葵の反応ばかりを気にしてしまって、この場に留まっている。
しかし、それが悪いことなのだろうか。
それもまた思いやりの一つなのではないだろうか。
「それは仕方ないのではないでしょうか。行動したために関係が壊れてしまうかもしれないと考えるのはおかしいですか?」
「あなた様の悩み相手との関係はそんなに柔なものなのですか?」
「……ちがいます」
「では、大丈夫ですわ。喧嘩しても仲直りできるはずです」
皐月と葵はこれまでに仲違いをしたことがなかった。
それが皐月の必要以上に怖がってしまう理由だ。
これまでに体験したことがない状況に陥ってしまう可能性が存在していて、そこにたどり着いてしまうことで友情が裂けることはひどく恐ろしく思える。
しかし、目の前の女性はその可能性を否定している。
なんだかよくわからない人ではあったが、その話を聞いているうちにここまで悩んでしまっている自分が馬鹿らしくなってきた。
何をここまで複雑に考える必要があったのか。
「晴れ晴れとしたオーラになられました」
「それも分かっちゃうのですね」
「オーラは万能ですから」
「オーラすごい!」
なんだか元気も出てきた。
そんな気持ちもオーラに出ていたのだろうか、目の前の女性は笑い声を漏らした。
口の辺りに手をかぶせる動作は、まさに大和撫子だった……鬼の仮面で台無しだが。
「いろいろと話してもらってありがとうございました! 私、友達のところへ行って来ます!」
「はい。いってらっしゃいませ」
「冷やかしとか、からかいの材料をたくさん手に入れてきますね!」
そういうや否や、皐月は後ろで控えていた王子の手を取って走っていく。
いきなり走り出された王子にとってたまったものではなく、足を人や物に引っ掛けながらも転ばないように着いていった。
残された鬼の仮面の人物は、
「……あら? 心配じゃなくて、嫉妬の気持ちでしたか。私もまだまだ修行が足りないようですわ」
誰に言うでもなく、ぽつりと独り言を呟いて人混みの中へと消えていった。
皐月は王子を男子控え室に入れ込むと自らも女子控え室に入り込んだ。
仮面舞踏会が始まって少ししか時間が経っていないため控え室には人っ子一人いなかった。
男子控え室のおそらくそうなのだろうと考えながら皐月は仮面につけた。
周りには誰もおらず、音もない静寂の空間だった。
「………………」
皐月は体を硬直させるがやがて仮面を顔からはずしてロッカーに保管しておいた自分の荷物を取り出して持ってきていた鞄に仮面を放り込んだ。
着飾っていたドレスを脱いで、ハンガーにかけてもらっていた普段着に着替えて女子控え室から出る。
受付にいる人に、これから外に出ることとドレスを返却する旨を伝えてから小走りに会場を後にした。
用意をするのに少しばかり時間を使ってしまった。
すでに王子が皐月を待っているかもしれない。
自分から外に連れ出しておいて遅れてしまうのは王子に悪いので、できるだけ急いで行ったのだが外を探してみても王子らしき人物は見当たらない。
そもそも、皐月は王子の顔全体をみたことがないし、王子にいたっては皐月が顔全体を覆う仮面をしていたためさらに皐月を判別することが困難だろう。
葵のことを追いかけることを決断したのはいいが、急ぎすぎてしまって思慮が足りなかった。
無理やりに近かった皐月の行動にあきれ果てて王子はついてきてくれないかもしれない。
今更ながらに皐月は焦り、額には嫌な汗が流れ始めるが……話しかけてくれる人がいた。
「えっと、翔君で合ってるのかな?」
この声は王子だ!
背中に声を掛けられた皐月はうれしくなって笑顔を浮かべながら振り返る。
しかし、その笑顔はすぐに崩れることになった。
「……どちらさまでしょう」
「王子だよ」
「そんな馬鹿な」
皐月の視界に映っている王子は皐月が想像していた顔と全然違っていた。
なんというか、とても顔が整っていた。
会場内でひょうきんな性格を披露していたとはとても思えないほどにいい印象を与える顔立ちだ。
カッコイイというよりは幼く可愛い童顔で、皐月は思わず見入ってしまう。
なんていう詐欺だ、これは。
「翔君どうしたの。僕の顔になんかついてる? おかしいところある?」
「しゃべり方も普通だ!」
会場内ではフハハハ! などとやたらテンションが高かったり、貴族を意識しているとしか思えないような堅いしゃべりをしていたが、ここにいる王子は別人のような口調だった。
「そりゃあ、キャラつくりに決まってるよ。日常生活まであれを貫いてたら苛められるに決まってるよ」
「そんな裏設定は聞きたくなかった」
聞いてはいけないことだった気がする。
ここは流しておくべきだったか。今となっては考えても仕方ないことではあるのだが。
王子を半眼で見つめていた皐月だったが、王子の目線が皐月の顔のある一点に集中していることに気づいた。
今までに何度も経験してきたから、その視線がどこに定まっているかは嫌というほど理解している。
「……悪いけど、そこはあまり見ないで欲しい」
「あっ、ごめん……」
王子は皐月から顔をそらして、罰が悪そうに頬をかいた。
それも今までに何度も経験してきている。
王子は何も悪くない……皐月が必要以上に意識をしているのが悪いのだから、そんな王子を見て皐月も申し訳なく思った。
「こ、こっちこそなんかごめんね! ところで、王子はあお……狐さんとセバスが何処に行ったのか知ってる?」
「いや、知らないなあ。僕は翔君が知っているとばかり思ってた。迷いなく連れて行かれたからさ」
「うっ、それを言われてしまうと、自分の浅はかさに口から火を吐いちゃう気分だよ」
「口から火を吐けたら大道芸人だよ!?」
間違った言葉遣いをしてしまった皐月は、それこそ顔から火が出る思いになる。
火照る頬から意識をそらすために携帯を取り出すと、そこからアドレス帳を検索してある人物に連絡を取る。
「何をしてるの?」
携帯を覗き込みながら王子は皐月に問いかける。
普通に話しているよりも近い距離に皐月はどぎまぎしながら説明をする。
「私も狐さんとセバスがどこにいるか分からないから、知っているかもしれない人に聞いてみようかなと思って」
「その知っているかもしれない人って?」
「私の学校の保健室の先生。私たちを仮面舞踏会に誘ってくれたの。もしかしたらセバスのことを報告してるかも」
「へえ、なるほど」
感心したような声をこぼすセバスをちょっと気にしながら皐月は先生に電話をかける。
呼び出し音が数回も鳴らないうちに先生は電話に出た。
『もしもし』
「はい、もしもし! 私です! ご無沙汰してます!」
『詐欺なら間に合ってるわ』
「間に合ってるんですか!?」
『性質の悪い冗談よ』
「それは自分で言うことではないですよ!」
『ええ、そうかもしれないわね。それで、どうかしたのかしら。辻村さん』
「ええっと、実は――」
そこから皐月は先生に葵が何処にいるのか知らないかということを尋ねる。
隣には王子がいるので葵の本名を口に出さないように注意しながら。
『中野さん居場所なら知ってるわよ。昨日の夜遅くに電話がかかってきて大変だったわ……。眠いったらありゃしない』
なんとここにも犠牲者がいたとは。
皐月に電話した後に先生に電話したのだろうか、それとも深夜に興奮してしまって眠れないから先生に電話したのだろうかと心の片隅で考えながら先生から葵の居場所を聞き出すことに成功した。
一言お礼を言った後に、通話を切る。
先生から聞いた場所はカップルの定番とも言える場所で、少々にやついてしまうのを必死にこらえながら王子と目を合わせる。
「それで、どこか分かった?」
静かに待ってくれていた王子が皐月にそう尋ねたので、皐月はその場所を声を張り上げて口に出して宣言した。
「ええ、遊園地らしいわ。……それでは、王子! 私たちも今からその遊園地に行きましょう!」




