船上にて
俺の一言で深まったマザコン疑惑を払拭するためにまた一から釈明すること三十分。ようやく限りない黒から灰色まで疑惑を晴らすことができた。
そこまで来たときになんで俺はこんなに必死になってるんだろうと疑問が浮かんできたので、話をいったんやめた。
よくよく考えれば姉妹とは長くても航海の間の付き合いでしかないのだからマザコンと断定されないだけで結果は上々だ。
なので、お互いに与えられた船室に移動して休むことになった。
「……とりあえずお前らは正座な」
船室に戻った俺は両親にそう告げるとベッドに座る。はしゃぎ過ぎなこいつらにひとつ説教でもしてやろう。
「ナイト……父さんはクッションを尻と床との間に置いていいかい?」
「ダメ。だけどジジイは四つん這いでもいいぞ」
尻を地につけないための配慮だ。
「有り難いような、より情けないような……」
「母さんは女豹の如く座っていーい?」
「お前は絶対に正座だ」
二人が指定した態勢になったことでネチネチと愚痴混じりの説教を始める。
気分は企業のパワハラ上司だ。
どれくらい時が経ったのだろう。
途中腕が攣りそうだと進言した父の言葉を完全に無視して長々と喋ったが一向に話のネタが尽きない。後から後から続々と二人に対して溜まっていたものが言葉となって溢れ出て来る。
それは決して綺麗なものではなく、完全に罵詈雑言であるのだが、なぜか母の顔が恍惚に変わっていった。
「なんで嬉しそうなんだよ。キモいぞ」
「だって、そんだけ怒るってことはなっちゃんは母さんが好きってことでしょ」
別にお前のためを思っての説教ではなく、俺の鬱憤を晴らすために愚痴を本人達に言っているだけだ。
「ほんっとうに呆れるくらいポジティブだな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
俺の皮肉にも嬉しそうに笑みを返す母。
どうにかしてへこませてやりたいものだ。
だが、疲れたのでとりあえず休むことにしてベッドに寝転んだ。
それを合図としたのか、母と父が立ち上がり、各々ベッドを決めてそこに座った。
「なっちゃん一緒に寝よ〜」
「他にもベッドはあるんだから別のとこに行け」
「ジュリア〜、ナイトにフラれて寂しいならこっちおいで」
「は〜い」
暑苦しいやつらだ。ベッドは四つあるんだから一人ひとつでいいだろうに。
そんなことを思いながら、両親の仲睦まじい声をBGMに意識を闇の淵へと落とした。
出港してから八日が経った。
目指すステイクという町までは十日の船旅の予定なのでまだ予定の半分も過ぎて終盤といったところだ。ここまでは耐えていたのだが、もはや俺は退屈の極致だった。そしてその退屈を紛らわせるために甲板で海を見ながら一人潮風に身を任せて黄昏れている。
だって海の上ってなんにもすることねえんだもん。
時々、海から水生ビーストが現れたりするらしいのだが、そんな様子はこれまで一切ない。
だから暇なのだ。
「ナイト。オイルを塗ってくれ」
父がオイル片手に近寄って来る。こいつは二日目に甲板でうたた寝してしまった時に肌を焼いてしまい、どうせなら全身いってしまおうとばかりに毎日肌を焼いてばかりいる。
おかげで八日前とは別人のように黒い。この世界の紫外線がどんなものかわからないのに焼いてしまいやがって……日焼けオイルを塗ったとしても皮膚ガンが発病して死ぬかもしれないんだぞ。
「テメーで塗りたくれ」
「いや、今日は背中を重点的にいこうと思ってるんだ。だから自分じゃちょっと……」
「ババアに頼め」
「母さんだとなんだか……恥ずかしいじゃん」
俺という存在が出来るようなことしておいて恥ずかしいもなにもあるのかよ。
「ふっふっふ……何を恥ずかしがってんだよって顔だな。いいか? 男女の間柄で羞恥がなくなったらもうすでに終わってると言っていい。だけど父さん達はいつまでも出逢ったばかりのあの頃のようにみずみずしい関係を続けているんだ」
「はいはい、もういいから。塗ってやるから準備しろ」
すんごくどうでもよく、長い話になりそうだったので打ち切る。
俺の言葉に父は日当たりのよい場所を探してシートを敷き、俯せになって寝そべる。ちなみにすでにビキニスタイルの海水パンツとなぜかバスローブ的なものしか着ていなかったため、バスローブを脱ぐだけで準備は完了だ。
「さあ、こい」
俺は嫌々ながら父の背にオイルを塗った。
「あんっ、ナイトそんなおいたしたらダメだぞ」
俺は嫌々ながら父の背にオイルを塗った。
「こらっ、父さんとナイトは男同士だろうが」
俺は嫌々ながら……以下略。
「きゃっ、んもう」
俺は……以下略。
「あっ、そこは……」
俺は海水パンツをずり下げて父の尻の穴にオイルの瓶を直接ねじり込んだ。
「ひゃ……………」
「すまん、座薬とオイルを間違えた」
俺はオイルを塗るのをやめた。
そして、じたばたともがく父を尻目にまた、一人海を見ながら黄昏れる。
日焼けオイルもロー〇ョンと同じような物だよな。例えケツに注入しても害はないよな?
この論争だけで一時間は時間が潰せることだろう。
さて、母はどうしてるかと言うと……
「ほら、フィロちゃん。もう少し踏み込みんで来なさい」
「はいっ、ジュリア様っ!」
「フィオちゃんも牽制忘れずに」
「わかってます」
なぜか姉妹に稽古をつけている。
いつの間にか仲良くなってやがるのだ。
妹の方はともかく姉の方は様付けで呼んでいるのだが、理由までは知らない。
母曰く『肌を見せあい、同じ釜の飯を食ったのだから仲良くなるのは当然』らしい。
といってもこの船に風呂はなく、配られたお湯で体を拭くくらいしかできないのだが、なにをやらかしたんだろうか。
まあ、母が誰と仲良くしようがどうでもいいことだ。
「なっちゃーん」
稽古が一段落したところ、俺に気付いた母が手を振りながら近づいて来る。
「なっちゃん、見ててくれた?」
「少し」
「そっか、最初から見ててくれたんならアレがアレするとこを見れたのに……ってあなた!? どうして肛門から瓶を生やしてるの!?」
まだ抜いてなかったのか。
「大変。意識が微弱だわ。助けてください……誰か助けてくださいっ!」
俺は助けない。
「どうしたんですかジュリア様。あ、ナイト……あーあ、ナイトを見たら無性に喉が渇いてきたわ。なにか貰ってこよっと。ジュリア様もいります?」
姉のフィロが母の声に反応して、心配してなのかこっちに来る。かと思えば人の顔を見るなり突然喉が渇いた発言だ。いくらなんでも話が唐突過ぎやしないか?
「冷たいお茶がいい」
母がフィロへ飲み物の希望を告げる。それにしても飲み物頼む余裕はあるみたいだな。
「わかりました。ついでだからナイトのも持ってきてあげるわ。勘違いしないでよ? あくまでもついでよ。その証拠にあんたには何がいいかなんて聞かないわ。あたしと同じレンジオ果汁の炭酸割りよ」
そう言って飲み物を取りに行ってしまった。なんか知らないけどフィロは母と仲良くなるに比例してこうして頼んでもいないのに世話を妬こうとする。
何かしら母に言われたことは間違いない。
「あなた、瓶を抜くわよ? 抜いちゃいますからね? 一、二の三で抜きますよ? 一っ!」
「ほわーーーっ!」
一で抜くなよ。
フェイントならせめて二くらいで抜いてやればいいのに。
父の雄叫びを聞きながらいい暇潰しになったと考えていると飲み物を持ったフィロが帰ってくる。
「ジュリア様どうぞ」
「あんがと」
「ほら、ナイト」
「ども」
受け取った飲み物を一口飲む。
甘酸っぱい果汁と混ざった炭酸がシュワッと口内で踊るように弾ける。
「くーっ! んまい」
微炭酸のためほどよい清々しさだ。これならもしかして一気飲みしても日本の県庁所在地全て言い切るまでゲップは出ないだろう。
「私も喉が渇きました。これ貰います」
「あっ」
俺の手からコップが奪い取られる。
犯人はフィロの妹であるフィオだ。
「フィオ、それはナイトに持ってきたものよ。あたしのあげるからナイトのは返しなさいっ」
「姉さんは喉が渇いてるのですから奪い取れませんよ。それに比べてなっちゃんさんは別段喉の渇きを訴えていませんでしたし、姉さんもついでに持ってきただけでしょうから奪い取ってもなんとも思いません」
人から物を奪い取る行為自体に罪悪感くらいは持って欲しいものだ。
まあ、飲み物のひとつやふたつどうでもいいんだけどな。
それにしても気安いな、コイツら。まだ出会って八日目なのに知らない人が見れば、同郷の幼なじみかと思ってしまうくらいの気安さだ。その証拠にフィオは俺が口をつけたコップの中身を躊躇なく飲む。
少しばかりドキドキしてる俺がいる。なぜなら異性と飲み物を回し飲みするなんて初めてのことだからだ(母は異性にカウントされないので除外)
「返します」
「いや、飲み干してんじゃん」
中身のなくなったコップを貰っても色んな意味で困る。もし俺が頭にどがつく変態だったらコップの縁を舐め回すくらいはしていたかもしれない。
「したいのならどうぞ」
「……なにがだよ」
「いえ、コップをしげしげと眺めてらっしゃるので私が口をつけた所を舐めたいのかと思いまして」
別に舐めたいわけじゃねーよ。
ただ、興味がないと言えば嘘になるがな。
「興味ねーよ」
だがあえて俺は嘘をつく。
そうやって硬派な男を気取っているのだ。
「そう言われると私の乙女心と自尊心に傷がつくので興味を持ってください」
これはあれかフラグが建立してます状態だったりすんのか?
いや、落ち着くんだナイト。ポジティブに考え過ぎだ。モテない男が『こいつもしかしたら俺に気があるんじゃ……』って勘違いすることはよくあることだ。
過去(高校編)にもそうやって勘違いして告白したことがあっただろうが!
結果なんて思い出したくもねえけどな。
くそー……俺が告白して玉砕したのを見てガッツポーズするんじゃねえよ屑共が……
しかも『じゃあ俺もダメだろうな。諦めよっと』ってなんだよ。お前も好きだったのかよっ!
つーか俺で様子見すんならお前も告白しろよ、このチキンがっ!
とにもかくにもポジティブなのは世間一般的に良いみたいに言われてるが、決してそうではない。だからと言って俺はネガティブじゃないぞ。言うなれば慎重派だ。
「興味を持ったとしてもどうこうなるもんじゃねーだろ」
「かもですねー」
会話終了。
うん、フィオは別に俺のことが好きなわけではない。まあ、あれだ。兄貴的な存在なのかもな。
「……暇だ」
なんか気分が若干落ち込んでるな。
どうやらほんのちょっとだけ期待してた自分がいたらしい。
「なっちゃん、暇ってのは終わりみたいよ」
母が俺に視線を向けるではなく、どこか遠くを見つめながら話しかけてくる。
「何言ってんの?」
またおふざけでも始めようと言うのかとも思ったが、母の顔は真剣そのものだ。
「なっちゃん、フィロちゃん、フィオちゃん。自分の部屋に行って装備を整えなさい。父さんは母さんが連れて行くわ」
「どうしたんだ?」
真剣の度合いが生半可なものではないことを感じ取り、思わず聞いていた。
「海賊が来たわ」
母のたった一言に場の空気が凍る。
反射的に母の視線の先を見てみれば、遥か彼方の水平線上にポツンと船らしきものが見えた。
「あれか?」
「あたしには何も見えない……」
「私もです」
どうやら姉妹には見えないらしい。
「あの船物凄いスピードよ。このままじゃ、絶対に追いつかれる。だからもしもの場合を考えて、母さんの言う通りにしなさい。そして、覚悟がないなら部屋に鍵をかけて閉じこもってなさい」
この時、母の言った『覚悟』と言うものがないまま俺は海賊と相対することになる。
そう、初めての『人間』との戦いが迫っていた。