異世界に帰ります
「母さん実は異世界人だったの」
大事な話があるから帰ってこいと言われ、大学を休んでまで帰省した俺は、実家の応接間において真剣な顔で母親にそう告げられる。
長い黒髪に張りのある肌。胸の大きさは残念だが、どうみても二十代、それも美人に分類される容姿。それなのに大学三年の俺の実の母親だというのだから『奥さん若いですね』を通り越してもはや『奥さん化け物ですか』とご近所さんに言われている。
そんな母親からの電波な発言を聞いて俺は『何言ってんのこのババア』的な状態の空気を周囲に撒き散らしていることだろう。
だってそうだろう?
いきなり母親がこんなこと言い出してまともな目で見れるわけがない。
「だめっ! 実の母親をそんな内閣総理大臣を見るような目で見ないでっ!」
「その発言に対して俺はどう反応すればいいんだ?」
内閣総理大臣への反応は人それぞれだろうが。
「んで、母さんの話は理解できた?」
「ババアが韓流とかにはハマらないでゲームやアニメにハマったのは理解できた」
「いや、母さんマジで言ってんの!」
「去年の夏休みに帰省して以来帰ってこなかった俺が悪かった。ジジイっ! なんでお前の嫁がこんなんになるまで放っておいたんだ! とりあえず精神科がある病院に連れてくぞ!」
懐から携帯電話を取り出して近くで精神科のある病院を探す。
そして都合よく隣町の病院に精神科があることがわかり、車に乗せるべく母親を荷物のように肩に持ち上げる。
「あ、いや、母さんは別に病気とかじゃないのよ?」
「心の病気だ。大丈夫、介護はちゃんとすっから」
下の世話とかは正直めんどくさいかったりするが、どうせ俺はこいつの股の間から出てきたのだから恥ずかしかくはない。
ようはやる気があるかどうかだ。
あっちが恥ずかしがろうと知ったことじゃない。
「待てゴラ、馬鹿息子っ!」
頭に衝撃が走り、俺の動きが止まる。そこに母親が暴れるものだからバランスを崩してバックドロップ的なものをキメてしまった。
「くぉぉぉぉ〜……」
「大丈夫か?」
頭と腰を抑える母親を心配するが、涙目で苦悶の声を発するのは見ていて愉快かもしれない。
「くっ、と、とりあえず母さんの話を全部聞きなさい」
そう言われて俺がとった行動は病院に予約をいれることだった。
聞こうが聞くまいが結果は変わらない。
「ふーっ、ちょっとは回復した。んじゃとりあえず座んなさい」
そう言って母親に促されるまま、応接間に座り直す。
「少し長くなるわ。あなたー、お茶!」
余談ではあるがうちは完全に父親が尻に敷かれている。父親が母親に逆らった姿など見たことがない。
程なくして父親がお茶を持って応接間にやってくる。
中肉中背、歳をとって頭髪に白髪が増えてきたが取り留めて特徴はない。ぶっちゃけよく母親と結婚できたなと思える男が俺の父親だ。
そして俺の容姿はその二人の子供であることを示すように、両親の中間をとっている。
両親共に黒髪ではあるが、烏の濡れ羽色と称される母親の髪と極一般的な黒髪の父親では全く違うものだ。俺の髪は丁度その中間くらいだ。
それ以外も身長、顔が中間だと言われている。
女の中では長身の母親と成人男性の平均ピッタリな父親。それならば息子の俺は成人男性の平均よりも高く、周りの高身長と持て囃される者よりも低い。
顔の作りも上中下で分けると上の母親と中の父親の中間の俺は上のような中のような曖昧な感じだ。
まあ、別に不満があるわけではない。何せ平均よりは確かに良いのだからな。
「ふぅ、落ち着いたわ」
茶を飲んだ母親が俺の顔を見つめる。
「まず最初に母さんは異世界人であり、本当の意味で人間という種族ではないわ」
精神を患う病気ってどんなのがあるんだろう?
「母さんは亜人と呼ばれる人間とはちょーっと違う種族の中でも特殊な一族の出でね、身体能力とか諸々に優れてたから冒険者ギルドにも属してたのよ」
PTSD(心的外傷後ストレス障害)か? でもあれはストレスによるものだからちょっと違うか。
「あ、ギルドってのはいわゆる同業者組合のことでね。農業ギルドとか商業ギルドとかある分野を独占的に取り纏めてるところなの。母さんが所属していたのは冒険者ギルドって言って冒険者を取り纏めてるとこで、母さん結構強かったのよ。当時は黒き閃光なんて呼ばれちゃって」
それにしても診察料金ってどれくらいかかるのかな? まだ、学生の身分だから高額だと払えないかも……
「んじゃ、どうして母さんはここにいるんだよーっ! って言いたいだろうけど、実はワームホールみたいなのに飲み込まれちゃって気付いたらこの家の庭にいたのよ」
でも、どうせならちゃんとした医者に見せないといけないよな。金をケチってる場合じゃない。
「そこで出会った父さんに一目惚れ。なんかこうギラギラしたフェロモンがたまらなかったのよ。あ、そんでこっからが本題なんだけど」
とにかくまずは隣町の医者に……
ん? なんか母親がとんでもなく真剣な顔をしてるぞ。今までここまで真剣なところは見たことがない。
「つい先日、家の庭にワームホールが出たわ。この期を逃したら一生帰れないかもしれないから、母さんそれに入って元の世界に帰ろうと思うの。だからついてきて」
「……おおい! 元の世界ってゆーか現実世界に帰ってこいっ! おま、もしかしてそれ病気じゃなくて薬か?」
まさか妄想だけでなく幻覚まで見てるとは……
母親の両肩を持って激しく揺さぶる。
「ちょ、離せ。頭打ったばっかだから気持ち悪くなってくる」
母親の言葉に従い解放してやるが、頭の中は薬を抜く方法でいっぱいだ。風呂とかに浸かってもダメなんだよな……
「父さんの許可はおりました。祖父ちゃんも一昨年死んじゃったから大丈夫だって。祖母ちゃんのと一緒に位牌は持ってくみたい。あんたをどうするかは考えたんだけど、ほら、母さんって結構親バカじゃん? 孫の顔も見たいし連れてくことにしたのよ」
それにしてもこんな田舎にまで麻薬が廻ってるのか。買うなんて馬鹿な親だ。
「母さんの目算ではあと、三時間くらいしかもたないと思うから急いで入るわよ」
「ババア……風呂に入っても薬は抜けねえぞ」
「薬って何よ……母さん病気したことないわよ? あ、でも冒険者やってた時は毒くらって解毒薬を飲んだことがあったわね」
「そうだよ! 麻薬は毒と一緒だ」
「なんか混乱しちゃってるわね……ま、いっか。あなたー! 連行」
「はいはい、わかりました」
油断していると父親に荷物のように肩に抱え上げられる。二十歳を超えてこれは恥ずかしい。しかし、暴れたらさっきは母親が喰らったように俺がバックドロップ的なものを喰らう恐れがある。
「ジジイ、降ろしてくれ」
そう頼むが父親はすまんねと言うばかりで降ろそうとしない。
「準備はいいわね?」
そうこうしているうちにいつのまにか何処かへ行っていた母親が戻って来る。
つーか、鎧みたいなのを着てるのはなんだ? コスプレにもハマってたのか。
「僕は君を初めて見たときからどこまでも追いかけようと決めていたよ」
「そう、でもどっちかが先に行くよりもわたしは一緒がいいわ。家族三人がね」
「ああ、そうだね」
「もしもし〜。置いてかないでくださーい」
「もちろん置いてかないわ。一緒に異世界へ行きましょう、なっちゃん」
俺の名前は騎士と書いてナイトと読む。だからなっちゃんだ。正直、イタい名前だと思う。だけど俺がどうこう言おうが変えられるもんじゃない。
つーか置いてくなって言ったのは話であって、つまりは俺を無視すんなってことだ。お前らの妄想の世界に連れていって欲しくなんかねーよ。
「ちゃんと夜逃げ風に書き置きも残してきたし、後の対策はばっちり。行くわよっ!」
「ああ、行こう」
母親の掛け声とともに父親が縁側から庭にジャンプした。見れば母親も同じようなことをしている。いい歳こいてなにやってんだろう、うちの両親は……
と考えていると身体に浮遊感を感じ、視界が夜の闇よりも暗いものに覆われる。俺を抱えているはずの父親でさえ、近づいても見えない。暗闇で目を閉じて周りを見回している感じと言えばわかりやすいか?
なんかすげえ異常事態だ。
何が起こったのか聞こうと声を張り上げるが、なぜか声を発することができない。そんな状態が5分ほど続いただろうか。
抱えている父親がウザくなって殴ったら、尻を痛打されるということを繰り返していると視界が闇に覆われたのと同じように突然晴れる。
そこで見たものは見慣れた実家の風景ではなく、森の中の風景だった。ただし、森林浴をするような優しい雰囲気はなく、鬱蒼と繁った木が地面に日の光を届けず、そのため暗くじめーっとした不気味な雰囲気がしている森だ。
「え? なにここ……」
「ついたわ! こここそ母さんがワームホールに飲み込まれた『迷いの森』だわ」
「そうか、ここが母さんの生まれた世界か……」
「二十と三年ぶりだわ……懐かしい」
「嘘だよね。あれ、マジだとか嘘だよね?」
「え……信じてなかったの? 実母が信じられないとかマジ引くわー」
引くのはこっちだって。
なに問答無用で連れてきてんの?
いや、落ち着け。落ち着くんだ、ナイト。
本当に異世界に来たわけがない。なんか……知らないうちに森にきただけだ。うん、それで納得だ。
「あ、ビーストだ」
母親が指を差して何かを見ている。そこにいたのは熊とゴリラを足して二で割ったような生物。
「なにあれ?」
「ビーストだってば」
「ビーストって?」
「うーん、なっちゃんはRPGってよくやってるよね。それにでてくる魔物的な?」
「冗談だよね?」
「あら、やっぱり実母が信じられないって言うの?」
「僕は母さんを……いや、樹里亜を信じるよ」
「勇作さん……」
なんでこの夫婦、いちゃつきだしたんだ……
こうして
俺、山田騎士
母、山田樹里亜
父、山田勇作
は異世界にやってきた。