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短編(恋愛)

馬車販売員として平民暮らしをしていた俺、26歳で父親が王子だと判明しましたが、今さら王宮には入りません

作者: 木風
掲載日:2026/08/23

「あなたは、ローデリック王弟殿下のご子息です」


 そう言われたのは、午後の商談が一件飛んで、暇になった時間だった。


 俺は机の向こうに座る男を見た。

 黒い上着。銀糸の紋章。背筋は棒でも入っているように真っ直ぐだ。

 どう見ても王宮勤めである。


 その隣には母がものすごく居心地が悪そうに座っている。


「母さん」

「……はい」

「知ってた?」

「……はい」

「いつから?」

「あなたが生まれる前から」


 そりゃそうだろうな。

 俺は頭を抱えた。

 俺の名前はクレマン・ヴァリエ、二十六歳。


 王都の外れにあるヴァリエ馬車商会で、馬車を売っている。

 貴族向けの大型四頭立てから、商人向けの荷馬車、新婚夫婦が買う二人乗りの小型馬車まで、だいたい何でも扱う。


 この仕事に就いて八年。

 去年は支店内販売成績二位だった。

 ちなみに一位は俺の婚約者である。


 王子ではなかった。少なくとも、今朝までは。


「より正確に申し上げますと、殿下の庶子として認知されることになります」

「……はい」

「国王陛下の甥にあたられますので、王族籍に入り、王子の称号を」

「ちょっと待ってください」


 俺は手を上げた。


「俺、明日出勤なんですけど」


 王宮の使者は初めて表情を崩した。


「……はい?」

「明日は新型の六人乗りが入るんです。午前中に納車確認があって」

「殿下」

「その呼び方やめてもらえません?俺、昨日まで馬車販売員だったんですよ」

「本日から王子です」


 そんな日付を跨いだら職業が切り替わるみたいに言われても困る。


 話を聞くと、もっと困った。

 母と王弟ローデリック殿下は、二十七年前に恋人同士だったらしい。


 当時、父は二十三歳。

 母は十九歳。


 身分差もあり、結婚はできなかった。

 その後、母は俺を身籠ったことを告げずに王都を離れ、母方の祖父が営んでいたヴァリエ馬車商会に戻った。


 俺はそこで生まれた。


 十二年前に祖父が亡くなってからは叔父が店を継ぎ、母は経理を担当し、俺は販売員になった。

 つまり俺は二十六年間、普通に生きてきた。

 父親について聞いたこともある。


「遠くにいる人よ」


 と母は言った。

 まさか王宮にいるとは思わなかった。

 距離としては徒歩一時間である。


「で、どうして今さら?」


 俺が聞くと、母は気まずそうに視線を逸らし、王宮の使者が代わりに答えた。


「ローデリック殿下が、お気づきになられました」

「何に?」

「あなたに」


 意味がわからない。


「三か月ほど前、殿下がこちらの商会を訪れたことがあるそうですね」


 覚えている。

 四十代後半くらいの、やたら馬車に詳しい男だった。

 お忍びなのか何なのか、上質だが地味な服を着ていた。

 新型馬車の試乗をしたいと言い出して、俺が案内した。


 普通の客なら、「乗り心地がいいですね」とか、「内装が綺麗ですね」とか言う。


 あの男は違った。


「後輪のばねを変えたのか?」


 から始まった。

 三十分後には工房に入り、職人と一緒に車輪を覗き込んでいた。

 俺も混ざると、気がつけば二時間、三人で馬車の話をしていた。


 変なおっさんだと思った。


「……あれ?」

「ローデリック殿下です」


 俺は机に額をつけた。

 王弟に新型馬車を売りつけていた。


 その夜、俺は婚約者のミレナに、王都中央広場の噴水前へ呼び出された。


 ミレナはヴァリエ馬車商会の販売員で、俺より一つ年下。

 栗色の髪をきっちり結び、商談のときは相手が公爵でも伯爵でも全く怯まない。


 去年の販売成績一位。

 俺との差は十二台。

 地味に悔しい。


「聞いた。店長が全員集めて言ったもの。クレマンが王子になったって」


 開口一番、それだった。

 叔父さん……せめて明日にしてくれ。


「婚約、解消しましょう」


 俺は空を見上げた。

 今日一日で人生がよく動く。


「理由を聞いても?」

「聞かなくてもわかるでしょう?あなた、王子よ」


 ミレナは眉を寄せた。


「私は馬車商会の従業員」


「それは、俺も」

「今日まででしょう」

「明日も出勤するけど」

「そういう話をしてるんじゃないの」


 わかっている。

 王族になれば、結婚相手も変わる。

 侯爵令嬢か、公爵令嬢か……場合によっては外国の王女だってあり得る。

 馬車商会の販売員と結婚する王子はいない……普通なら。


「嫌だ。婚約解消しない」

「子供じゃないんだから」

「三年前、俺から申し込んで、君が受けた。王子になったくらいで勝手に取り消すな」

「王子になったくらいって何よ」


 俺だって知らない。

 今日初めて王子になったので、適切な重量感がわからない。

 ミレナが俺を睨んだ。


「あなた、本当に何もわかってないでしょう」

「何が?」

「私があなたと結婚したら、どう言われると思う?」


 言葉に詰まった。


「王子の身分が判明した途端に婚約者の座に居座った女。王族に取り入った平民。最初から知っていたんじゃないかって言われるかもしれない」


 そこまでは、考えていなかった。


「私は別に、悪口くらいなら平気よ。でも、あなたは王族として生きていくことになる。私がいたら邪魔になる」


 ミレナのこの顔を知っている。

 商談で条件が合わない客に、今回はご縁がなかったという顔だった。

 こいつは今、無理をしている。


「じゃあ聞くけど、俺のどこが好き?婚約するとき聞かなかったから、今聞く」

「は?今?」


 ものすごく嫌そうな顔をされた。


「……馬車の話をしていても嫌がらないところ」

「それ俺も同じ」

「仕事ができるところ」

「十二台負けたけど」

「それをまだ気にしてるところ」

「好きなところなのか?」

「あと……私が新しい馬車を売ったとき、誰より喜んでくれるところ」


 ミレナは少しだけ黙った。


「じゃあ問題ないな」

「あるわよ」

「俺、王子になってもそこ変わらないから」


 ミレナの顔が歪んだ。

 泣くのかと思ったが、泣かなかった。


「痛ぇ!」


 代わりに俺の脛を蹴られた。




 翌朝。

 俺は普通に出勤すると、店に入った瞬間、従業員全員が立った。


「お、おはようございます、殿下」

「やめて」

「殿下、本日の予定ですが」

「やめて?」

「殿下、昨日ご予約の」

「お前ら面白がってるだろ!?」


 全員笑った。

 この店で八年働いてきたから、だいたい性格はわかっている。

 叔父だけは笑わずに,、店の奥からこちらを見ていた。


「クレマン……本当に来たのか」

「叔父さん、俺の机まだある?」

「ある」

「じゃあ働くよ」


 叔父は何か言おうとして、代わりに俺の肩を叩いた。


「午前の納車、先方が十一時に変えてほしいそうだ」

「了解」


 普通なのが、逆にありがたかった。


 ところが十時、普通ではない客が来た。

 王弟ローデリック殿下である。

 護衛を四人連れて。


 店内が凍った。


「クレマンはいるか」


 昨日まで変な馬車好きのおっさんだった男が、今日は見るからに王族の格好をしていた。


「……いらっしゃいませ」

「うむ」


 俺たちは見つめ合った。

 何を言えばいいかわからないのは、向こうも同じらしい。

 最初に口を開いたのは父?だった。


「例の新型は?」

「今日入りましたけど」

「見てもいいか」

「どうぞ」


 昨日届いたばかりの新型六人乗り。

 従来より車体を軽くし、後輪に新しいばねを使っている。

 王族であるはずの父はしゃがみ込むと、床に膝をついて車輪を覗いている。

 護衛が死にそうな顔をしていた。


「やはり変えたな」

「わかります?」

「前の型は路面の悪い場所で跳ねた」

「そうなんですよ。重量も一割くらい落としてます」

「耐久性は?」

「そこは試験中」

「なら王宮まで走らせよう」

「買うんですか?」

「試乗だ」


 この人……本当に父親なのかもしれない。


 王宮までの道を走る間、父と並んで座る。

 しばらく馬車の話だけをした。

 それから、王宮の門が見えてきた頃。


「すまなかった。お前の存在を知らなかった」

「母が言わなかったんだから、仕方ないでしょう」

「それでもだ。二十六年分の父親にはなれない」


 父は前を向いたままだった。


「でしょうね」

「だが、これから父親になろうとすることはできる」


 返事に困った。

 父親なんて、今さら必要なのだろうか。

 俺には母がいて、叔父がいて、店のみんながいた……足りないと思ったことはない。


「じゃあ、来週、新しい二輪馬車の試作を見るんですけど」

「いつだ」


 食いつくのが早い。


「水曜」

「午後なら空いている」

「王子って暇なんですか?」

「王弟だ」

「どっちでもいいです」


 父と二人で、笑った。




 その日の午後、正式な説明を受けた。


 俺は王位を継ぐ立場にはなく、公務も原則として必要ないし、王室から生活費が出るわけでもない。

 ただしローデリック王弟の実子として認知され、王子の称号を持つ。

 父の財産については、他の子供たちと同等の相続権がある。


「つまり、今まで通り馬車を売っても?」

「法的には問題ございません」

「じゃあ売ります」

「殿下」

「はい」

「王子が販売員を続けた前例はございません」

「俺も二十六歳で王子になった前例は知らないです」


 問題はミレナだった。

 婚約解消を撤回してくれない。


「王子と結婚するつもりはない」

「俺と婚約しただろ」

「馬車販売員のクレマンとしたの」

「今も馬車販売員だよ」

「王子でもあるでしょう」


 毎日これだ。


 そして三日後、店に一人の女性が現れた。


 見た瞬間、わかった。

 俺と同じ灰色の瞳、父とよく似た鼻筋。

 年齢は俺より少し上。


「初めまして。姉です」


 俺は頭を抱えた……家族が増える速度が速すぎる。

 姉のアデリナ王女は気さくな人だった。


 俺を見に来たという。

 そしてミレナを見つけた。


「あなたが婚約者?」

「……元、です」

「まだ元じゃない」

「元です」


 姉は俺たちを交互に見た。


「何をしているの?」


 俺もそう思う。

 事情を聞いた姉は、ミレナに言った。


「あなた、何か勘違いしていない?」

「え?」

「弟に王位継承権はないわ。公務もない。王室からお金も出ない。つまり王子という称号が増えただけで、生活はほとんど変わらない」


 ミレナと目が合うと、俺は頷いた。


「言っただろ」

「そこまで聞いてないわよ!」


 どうやら説明不足だったらしい。

 姉はさらに続けた。


「それに、弟があなたと婚約したのは三年前でしょう?なら身分を知って近づいたわけではないことくらい、王宮が証明できるわ」

「でも……」

「王族に取り入ったと言う人間はいるでしょうね。でも、その程度でしょう。弟は王位を継がない。外交のための結婚を求められる立場でもない。本人が好きな相手と結婚すればいい」


 そして俺を見た。


「本人がまともな相手を選べるなら」


 ひどくないか?

 ミレナは黙っていた。

 姉が帰ったあとも黙っていた。


 俺は隣の椅子に座った。


「ミレナ。俺、名字変えようか迷ってる」

「名字?」

「王家の姓を名乗ることもできるらしい」

「どうするの?」

「ヴァリエのままでいいかなと思ってる」


 俺は二十六年間、その名前で生きてきた。

 母の名前であり、祖父の名前だ。

 俺を育ててくれた家の名前だ。

 王子になったからといって、捨てる理由はない。


「王子なのに?」

「王子だけど」

「変なの」

「知ってる」

「本当に明日も出勤するの?来月、王都北部の展示会あるわよ」

「行く」

「王族が?」

「いや、販売員だから」


 とうとうミレナは声を上げて笑った。


「じゃあ……婚約も、そのままでいいかしら」


 俺は返事をする代わりに、左手を差し出した。

 三年前に彼女へ渡した指輪が戻ってきたのは昨日だ。

 ちゃんと持ってきていた。


「最初からそのつもりだったでしょう」

「もちろん」


 指輪を嵌めると、三年前に渡したまま変わらずにぴったりだった。




 半年後、俺は結婚した。

 結婚式には国王陛下まで来た。


 新聞には、『新王子、平民女性と結婚』と大きく載った。


 正確には伯爵家や男爵家からも縁談が来ていたらしいが、全部断った。

 俺には三年前から婚約者がいたのだから。




 そして翌週、俺は相変わらず出勤した。


「殿下、本日のご予約ですが」

「だからそれやめろって」

「ローデリック王弟殿下が十時に試乗希望です」

「また来るの?」

「新型の四輪です」

「……俺が担当する」


 店員たちが笑うその横で、ミレナが帳簿を閉じた。


「ちなみに今日、私も一台売ったわよ」

「朝から?」

「伯爵家に」

「俺まだゼロなんだけど」

「今年も私が一位ね」

「まだ八月だろ」


 王子になっても結婚しても、俺の日常は大して変わらなかった。


 ただ、一つだけ変わったことがある。

 最近、父がよく店に来るようになった。

 そのたびに試乗と称して、二人で王都を走る。


 二十六年分の話を埋めるには、たぶん時間がかかるけれど、別に急ぐ必要もない。

 馬車なら、いくらでもある。


 そして今日も俺は王子としてではなく、ヴァリエ馬車商会の販売員として店の扉を開ける。


「いらっしゃいませ。本日はどのような馬車をお探しですか?」

最後までお付き合いありがとうございました。

もう、これリアル異世界恋愛では?と思い、勢いで書いてしまいました。

ブックマーク、★★★★★、リアクション、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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― 新着の感想 ―
26にもなると王弟と並ぶとソックリなんだろうな… そして従業員たちのノリの良さw 漫画になるなら邪神の弁当屋さんのようなタッチが似合うなとか想像しました
面白かった。 発音がややこしいけど、姉のアデリナ姫って王弟の娘なら王女じゃなくて王姪では?
時事ネタですね もっとも、現実のほうは10年前から父親がだれかは知ってたってことだけど
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