馬車販売員として平民暮らしをしていた俺、26歳で父親が王子だと判明しましたが、今さら王宮には入りません
「あなたは、ローデリック王弟殿下のご子息です」
そう言われたのは、午後の商談が一件飛んで、暇になった時間だった。
俺は机の向こうに座る男を見た。
黒い上着。銀糸の紋章。背筋は棒でも入っているように真っ直ぐだ。
どう見ても王宮勤めである。
その隣には母がものすごく居心地が悪そうに座っている。
「母さん」
「……はい」
「知ってた?」
「……はい」
「いつから?」
「あなたが生まれる前から」
そりゃそうだろうな。
俺は頭を抱えた。
俺の名前はクレマン・ヴァリエ、二十六歳。
王都の外れにあるヴァリエ馬車商会で、馬車を売っている。
貴族向けの大型四頭立てから、商人向けの荷馬車、新婚夫婦が買う二人乗りの小型馬車まで、だいたい何でも扱う。
この仕事に就いて八年。
去年は支店内販売成績二位だった。
ちなみに一位は俺の婚約者である。
王子ではなかった。少なくとも、今朝までは。
「より正確に申し上げますと、殿下の庶子として認知されることになります」
「……はい」
「国王陛下の甥にあたられますので、王族籍に入り、王子の称号を」
「ちょっと待ってください」
俺は手を上げた。
「俺、明日出勤なんですけど」
王宮の使者は初めて表情を崩した。
「……はい?」
「明日は新型の六人乗りが入るんです。午前中に納車確認があって」
「殿下」
「その呼び方やめてもらえません?俺、昨日まで馬車販売員だったんですよ」
「本日から王子です」
そんな日付を跨いだら職業が切り替わるみたいに言われても困る。
話を聞くと、もっと困った。
母と王弟ローデリック殿下は、二十七年前に恋人同士だったらしい。
当時、父は二十三歳。
母は十九歳。
身分差もあり、結婚はできなかった。
その後、母は俺を身籠ったことを告げずに王都を離れ、母方の祖父が営んでいたヴァリエ馬車商会に戻った。
俺はそこで生まれた。
十二年前に祖父が亡くなってからは叔父が店を継ぎ、母は経理を担当し、俺は販売員になった。
つまり俺は二十六年間、普通に生きてきた。
父親について聞いたこともある。
「遠くにいる人よ」
と母は言った。
まさか王宮にいるとは思わなかった。
距離としては徒歩一時間である。
「で、どうして今さら?」
俺が聞くと、母は気まずそうに視線を逸らし、王宮の使者が代わりに答えた。
「ローデリック殿下が、お気づきになられました」
「何に?」
「あなたに」
意味がわからない。
「三か月ほど前、殿下がこちらの商会を訪れたことがあるそうですね」
覚えている。
四十代後半くらいの、やたら馬車に詳しい男だった。
お忍びなのか何なのか、上質だが地味な服を着ていた。
新型馬車の試乗をしたいと言い出して、俺が案内した。
普通の客なら、「乗り心地がいいですね」とか、「内装が綺麗ですね」とか言う。
あの男は違った。
「後輪のばねを変えたのか?」
から始まった。
三十分後には工房に入り、職人と一緒に車輪を覗き込んでいた。
俺も混ざると、気がつけば二時間、三人で馬車の話をしていた。
変なおっさんだと思った。
「……あれ?」
「ローデリック殿下です」
俺は机に額をつけた。
王弟に新型馬車を売りつけていた。
その夜、俺は婚約者のミレナに、王都中央広場の噴水前へ呼び出された。
ミレナはヴァリエ馬車商会の販売員で、俺より一つ年下。
栗色の髪をきっちり結び、商談のときは相手が公爵でも伯爵でも全く怯まない。
去年の販売成績一位。
俺との差は十二台。
地味に悔しい。
「聞いた。店長が全員集めて言ったもの。クレマンが王子になったって」
開口一番、それだった。
叔父さん……せめて明日にしてくれ。
「婚約、解消しましょう」
俺は空を見上げた。
今日一日で人生がよく動く。
「理由を聞いても?」
「聞かなくてもわかるでしょう?あなた、王子よ」
ミレナは眉を寄せた。
「私は馬車商会の従業員」
「それは、俺も」
「今日まででしょう」
「明日も出勤するけど」
「そういう話をしてるんじゃないの」
わかっている。
王族になれば、結婚相手も変わる。
侯爵令嬢か、公爵令嬢か……場合によっては外国の王女だってあり得る。
馬車商会の販売員と結婚する王子はいない……普通なら。
「嫌だ。婚約解消しない」
「子供じゃないんだから」
「三年前、俺から申し込んで、君が受けた。王子になったくらいで勝手に取り消すな」
「王子になったくらいって何よ」
俺だって知らない。
今日初めて王子になったので、適切な重量感がわからない。
ミレナが俺を睨んだ。
「あなた、本当に何もわかってないでしょう」
「何が?」
「私があなたと結婚したら、どう言われると思う?」
言葉に詰まった。
「王子の身分が判明した途端に婚約者の座に居座った女。王族に取り入った平民。最初から知っていたんじゃないかって言われるかもしれない」
そこまでは、考えていなかった。
「私は別に、悪口くらいなら平気よ。でも、あなたは王族として生きていくことになる。私がいたら邪魔になる」
ミレナのこの顔を知っている。
商談で条件が合わない客に、今回はご縁がなかったという顔だった。
こいつは今、無理をしている。
「じゃあ聞くけど、俺のどこが好き?婚約するとき聞かなかったから、今聞く」
「は?今?」
ものすごく嫌そうな顔をされた。
「……馬車の話をしていても嫌がらないところ」
「それ俺も同じ」
「仕事ができるところ」
「十二台負けたけど」
「それをまだ気にしてるところ」
「好きなところなのか?」
「あと……私が新しい馬車を売ったとき、誰より喜んでくれるところ」
ミレナは少しだけ黙った。
「じゃあ問題ないな」
「あるわよ」
「俺、王子になってもそこ変わらないから」
ミレナの顔が歪んだ。
泣くのかと思ったが、泣かなかった。
「痛ぇ!」
代わりに俺の脛を蹴られた。
翌朝。
俺は普通に出勤すると、店に入った瞬間、従業員全員が立った。
「お、おはようございます、殿下」
「やめて」
「殿下、本日の予定ですが」
「やめて?」
「殿下、昨日ご予約の」
「お前ら面白がってるだろ!?」
全員笑った。
この店で八年働いてきたから、だいたい性格はわかっている。
叔父だけは笑わずに,、店の奥からこちらを見ていた。
「クレマン……本当に来たのか」
「叔父さん、俺の机まだある?」
「ある」
「じゃあ働くよ」
叔父は何か言おうとして、代わりに俺の肩を叩いた。
「午前の納車、先方が十一時に変えてほしいそうだ」
「了解」
普通なのが、逆にありがたかった。
ところが十時、普通ではない客が来た。
王弟ローデリック殿下である。
護衛を四人連れて。
店内が凍った。
「クレマンはいるか」
昨日まで変な馬車好きのおっさんだった男が、今日は見るからに王族の格好をしていた。
「……いらっしゃいませ」
「うむ」
俺たちは見つめ合った。
何を言えばいいかわからないのは、向こうも同じらしい。
最初に口を開いたのは父?だった。
「例の新型は?」
「今日入りましたけど」
「見てもいいか」
「どうぞ」
昨日届いたばかりの新型六人乗り。
従来より車体を軽くし、後輪に新しいばねを使っている。
王族であるはずの父はしゃがみ込むと、床に膝をついて車輪を覗いている。
護衛が死にそうな顔をしていた。
「やはり変えたな」
「わかります?」
「前の型は路面の悪い場所で跳ねた」
「そうなんですよ。重量も一割くらい落としてます」
「耐久性は?」
「そこは試験中」
「なら王宮まで走らせよう」
「買うんですか?」
「試乗だ」
この人……本当に父親なのかもしれない。
王宮までの道を走る間、父と並んで座る。
しばらく馬車の話だけをした。
それから、王宮の門が見えてきた頃。
「すまなかった。お前の存在を知らなかった」
「母が言わなかったんだから、仕方ないでしょう」
「それでもだ。二十六年分の父親にはなれない」
父は前を向いたままだった。
「でしょうね」
「だが、これから父親になろうとすることはできる」
返事に困った。
父親なんて、今さら必要なのだろうか。
俺には母がいて、叔父がいて、店のみんながいた……足りないと思ったことはない。
「じゃあ、来週、新しい二輪馬車の試作を見るんですけど」
「いつだ」
食いつくのが早い。
「水曜」
「午後なら空いている」
「王子って暇なんですか?」
「王弟だ」
「どっちでもいいです」
父と二人で、笑った。
その日の午後、正式な説明を受けた。
俺は王位を継ぐ立場にはなく、公務も原則として必要ないし、王室から生活費が出るわけでもない。
ただしローデリック王弟の実子として認知され、王子の称号を持つ。
父の財産については、他の子供たちと同等の相続権がある。
「つまり、今まで通り馬車を売っても?」
「法的には問題ございません」
「じゃあ売ります」
「殿下」
「はい」
「王子が販売員を続けた前例はございません」
「俺も二十六歳で王子になった前例は知らないです」
問題はミレナだった。
婚約解消を撤回してくれない。
「王子と結婚するつもりはない」
「俺と婚約しただろ」
「馬車販売員のクレマンとしたの」
「今も馬車販売員だよ」
「王子でもあるでしょう」
毎日これだ。
そして三日後、店に一人の女性が現れた。
見た瞬間、わかった。
俺と同じ灰色の瞳、父とよく似た鼻筋。
年齢は俺より少し上。
「初めまして。姉です」
俺は頭を抱えた……家族が増える速度が速すぎる。
姉のアデリナ王女は気さくな人だった。
俺を見に来たという。
そしてミレナを見つけた。
「あなたが婚約者?」
「……元、です」
「まだ元じゃない」
「元です」
姉は俺たちを交互に見た。
「何をしているの?」
俺もそう思う。
事情を聞いた姉は、ミレナに言った。
「あなた、何か勘違いしていない?」
「え?」
「弟に王位継承権はないわ。公務もない。王室からお金も出ない。つまり王子という称号が増えただけで、生活はほとんど変わらない」
ミレナと目が合うと、俺は頷いた。
「言っただろ」
「そこまで聞いてないわよ!」
どうやら説明不足だったらしい。
姉はさらに続けた。
「それに、弟があなたと婚約したのは三年前でしょう?なら身分を知って近づいたわけではないことくらい、王宮が証明できるわ」
「でも……」
「王族に取り入ったと言う人間はいるでしょうね。でも、その程度でしょう。弟は王位を継がない。外交のための結婚を求められる立場でもない。本人が好きな相手と結婚すればいい」
そして俺を見た。
「本人がまともな相手を選べるなら」
ひどくないか?
ミレナは黙っていた。
姉が帰ったあとも黙っていた。
俺は隣の椅子に座った。
「ミレナ。俺、名字変えようか迷ってる」
「名字?」
「王家の姓を名乗ることもできるらしい」
「どうするの?」
「ヴァリエのままでいいかなと思ってる」
俺は二十六年間、その名前で生きてきた。
母の名前であり、祖父の名前だ。
俺を育ててくれた家の名前だ。
王子になったからといって、捨てる理由はない。
「王子なのに?」
「王子だけど」
「変なの」
「知ってる」
「本当に明日も出勤するの?来月、王都北部の展示会あるわよ」
「行く」
「王族が?」
「いや、販売員だから」
とうとうミレナは声を上げて笑った。
「じゃあ……婚約も、そのままでいいかしら」
俺は返事をする代わりに、左手を差し出した。
三年前に彼女へ渡した指輪が戻ってきたのは昨日だ。
ちゃんと持ってきていた。
「最初からそのつもりだったでしょう」
「もちろん」
指輪を嵌めると、三年前に渡したまま変わらずにぴったりだった。
半年後、俺は結婚した。
結婚式には国王陛下まで来た。
新聞には、『新王子、平民女性と結婚』と大きく載った。
正確には伯爵家や男爵家からも縁談が来ていたらしいが、全部断った。
俺には三年前から婚約者がいたのだから。
そして翌週、俺は相変わらず出勤した。
「殿下、本日のご予約ですが」
「だからそれやめろって」
「ローデリック王弟殿下が十時に試乗希望です」
「また来るの?」
「新型の四輪です」
「……俺が担当する」
店員たちが笑うその横で、ミレナが帳簿を閉じた。
「ちなみに今日、私も一台売ったわよ」
「朝から?」
「伯爵家に」
「俺まだゼロなんだけど」
「今年も私が一位ね」
「まだ八月だろ」
王子になっても結婚しても、俺の日常は大して変わらなかった。
ただ、一つだけ変わったことがある。
最近、父がよく店に来るようになった。
そのたびに試乗と称して、二人で王都を走る。
二十六年分の話を埋めるには、たぶん時間がかかるけれど、別に急ぐ必要もない。
馬車なら、いくらでもある。
そして今日も俺は王子としてではなく、ヴァリエ馬車商会の販売員として店の扉を開ける。
「いらっしゃいませ。本日はどのような馬車をお探しですか?」
最後までお付き合いありがとうございました。
もう、これリアル異世界恋愛では?と思い、勢いで書いてしまいました。
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