表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

第3話:化学溶液の美学

「エド君……見て。私をキャラじゃなくて、一人の人間として見てよ……」

ミホが咽び泣く。その声は掠れ、絶望の極致に達して今にも壊れそうだった。


僕は黙って座ったまま、プラスチックのストローで残った氷を啜った。隣ではルシアが、期待に満ちた瞳を輝かせて観察している。彼女の言った通りだ。ミホの革バッグからは、黄色い床用洗剤のボトルの先が覗いていた。


「ハッピーエンドの物語で、一番吐き気がする部分を知ってるかい?」

僕は囁くような、だが鋭い声で切り出した。

「異世界作家なら君に回復薬ポーションを飲ませて、全ての傷を消してやるだろう。でも、ミホさん……この現実世界では、化学薬品は君の喉を焼き潰すだけだ。助けを求めて叫ぶことすらできなくなるまでね」


ルシアがクスクスと、ナイフを研ぐような音で笑った。

「さあ、ミホ。この章を退屈なまま終わらせないで。エドが舞台を用意してくれたんだから」


壊れた人形のような、唐突でぎこちない動きで、ミホはそのボトルをひったくった。蓋が開き、鼻を突くアンモニア臭が僕の嗅覚を襲う。他の客たちも異変に気づき始めたが、彼らはただ呆然と立ち尽くし、スマホを構えた。――悲劇に飢えた、コンテンツの奴隷どもだ。


ゴクッ。ゴクッ。ゴクッ。


ミホは貪るようにそれを飲み干した。


一秒。二秒。


先ほどまで蒼白だった彼女の顔が、どす黒い紫色に変色していく。彼女は自分の首を掻きむしり、黒いネイルが皮膚を抉って血が滲む。口からは白い泡の混じった透明な液体が溢れ出し、木製のテーブルに滴り落ちて家具の表面を焼き、――彼女の人間としての尊厳を焼き尽くした。


彼女は椅子から崩れ落ち、汚れたカフェの床で痙攣した。喉の奥から漏れる、窒息しそうな呻き声。それは僕がこれまでに聴いた中で、最も純粋な音楽だった。


「美しいと思わない?」ルシアが耳元で囁く。「君の小説の退屈な描写より、ずっと素敵よ、エド」


僕はスマホを取り出した。指先が人間業とは思えない速度で画面の上を踊る。助けもしない。救急車も呼ばない。ただ、打ち込む。


『洗浄液は這い回る炎のように広がり、彼女の声帯を焼け爛れた肉の塊へと変えていく。彼女は許しを乞いたかったが、今の彼女の世界にあるのは熱痛と、遠ざかっていくピンクの帽子の残像だけだった……』


「エド……さま……た……すけ……」

血の滲んだミホの手が、僕の靴に縋り付こうとする。


僕は足を少し引いた。「ごめんね、ミホさん。脇役には死に際のアドリブなんて許されないんだ。それが基本ルールだから」


突然、カフェのドアベルが鳴った。パニックと悲鳴が渦巻く中、一人の小柄な少女がそこに立っていた。新宿にはあまりに不釣り合いな、理路整然としたセーラー服。スクールバッグには不気味で可愛い(クリーピーキュートな)キーホルダーが揺れている。


彼女は死にゆくミホの体を無表情で見つめ、それから僕とルシアに視線を向けた。


「長野は、とても退屈でした」

少女の声は澄んでいたが、ひどく冷たかった。

「なろうに投稿されたばかりの下書きを読んで来ました。私の名前は琴葉朱莉ことは あかり、16歳です。エド先輩。あなたのピンクのジャケットに汚れがつかないよう、この『ゴミ』をもっと効率的に片付ける方法を、私は知っています」


僕はピンクの帽子の下でニヤリと笑った。隣のルシアも興味を惹かれたようだ。僕の「キャラクター」コレクションに、さらに壊れた一人が加わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ