第6話 閃尽の果て
リアナが準備のためにギルドを出て行くと、ミルカは無言で俺の袖を引いた。
「こっちに来い」
連れて行かれたのはギルドの奥まった一角、人目につきにくいテーブル席だった。ミルカは俺を向かいに座らせると、周囲に誰もいないことを確認してからフードを外した。
クリーム色の髪が、蝋燭の明かりに浮かぶ。
ミルカの表情は、いつになく真剣だった。
「ミリに謝らなければならないことがある」
「何を?」
「私がミリを口実にして、王都へ向かおうとしていることだ」
「口実……」
「ミリの記憶障害は、ここで何日か過ごせば改善する可能性がある。わざわざ危険な長旅に出る必要はない。それなのに私はミリのためにと自分に言い聞かせて、本当は自分の都合で旅を提案した。人として恥じる行為だ」
ミルカは目を伏せた。
「もしミリが危険を望まないなら、今からでもやめていい。私は一人で行く」
俺は少しの間、黙っていた。
ミルカが申し訳なさそうな顔をしている。恩人に、嘘をついたまま、こんな顔をさせていたくない。目的だけは正直に言うか。
「ミルカ、ごめん俺も嘘をついてた」
「嘘?」
「記憶喪失は本当だ。でも、王都に行きたい理由は記憶を取り戻したいからじゃない」
俺は一息ついた。
「俺は……男になりたいんだ。性別を変える魔法が存在するなら、どうしても試したい。それが本当の理由だ」
ミルカの目が、わずかに見開いた。
「男に……なりたいだと?」
「うん。俺には最初から胸がないし、女として生きるよりも男として生きた方が、たぶん、ずっと自然な気がするから」
口に出してみると、かなりセンシティブな発言だったかもしれない。男になりたいというのは、この世界では相当奇異に聞こえるだろう。
しかしミルカは笑わなかった。
「そうか……。それを私に話してくれたことに、礼を言う」
ミルカは軽く頭を下げた。
「このことは誰にも言わない。ミリが自分で話すまで、絶対に」
「ありがとう。ただ、正直、性別を変える魔法なんて本当にあるのか」
「聞いたことはない。記憶を取り戻す魔法よりも遥かに高位の魔法になるだろう。この世界に存在しない可能性もある」
「それでも、俺は王都で手がかりを探したい」
「分かった。ならば一緒に行こう。ミリの目的は、私が背負う」
短い言葉だった。しかし迷いが一切なかった。
俺は少し胸が苦しくなって、黙って頷いた。
「では、私の方も話す」
ミルカは背筋を伸ばし、静かに語り始めた。
◆ ◆ ◆
「リアナの言っていた通り、七年前までは私は乳華十傑の一人だった」
「やっぱり」
「小屋の金貨も、その頃に稼いだものだ」
「ミルカって今いくつですか?」
「三十二だ」
「……全然見えない」
「魔力が高い者は老化が遅くなる傾向がある。今はほとんど残っていないが、当時の名残だろう」
ミルカは少し間を置いてから続けた。
「七年前、私は有頂天だった。乳華十傑として名を馳せ、魔力を極め、相棒のミルフィアとともに反体制組織やBDMを各地で鎮圧していた。王国内の敵勢力をあらかた叩き潰したとき、私たちは次の目標を定めた。神乳大陸の攻略だ」
「神乳大陸?」
「今我々がいるバストリア大陸から海を隔てた遥か西に、神乳大陸という場所がある。古くからその存在は知られていたが、全貌は誰一人として明らかにしていない。そしてその大陸を制覇した者は、【神乳】になれるという伝説がある」
「神乳というのは?」
「神の如く魔法を自由に操り、あらゆる事象に干渉できる力の頂点だ。かつての最高位の魔法使いたちが目指し、誰も到達できなかった場所の名前でもある」
「あらゆる事象に干渉……もしかして、俺を男にすることも?」
「おそらく可能だ。ただし、神乳に辿り着いた者がこの世に存在するのかどうかすら分からない」
「そっか……」
ミルカは静かに続けた。
「当時の私は恐れを知らなかった。神乳大陸ではバストリアとは次元の違うBDMが跋扈していたが、私とミルフィアは大陸を奥へ奥へと進んでいった。どんな敵も退け、さらなる力を手に入れ、もはや誰にも負けないとさえ思っていた」
ミルカの声が、わずかに低くなった。
「だが、道半ばで私は敗れた。BDMとも人ともつかぬ何かと交戦し、胸を奪われ、魔力も失った。ミルフィアがいなければ命もなかっただろう」
「その化け物が何だったのか、分からないの?」
「今でも分からない。あれはBDMではなかったのかもしれない」
ミルカは短く答え、視線を手元に落とした。
「私はミルフィアに命を救われ、バストリアまで逃げ帰った。そして死んだことにしてくれと手紙を一枚残し、姿を消した。かつての一割にも満たない力で乳華十傑を名乗るわけにはいかないからな。それから行く当てもなく彷徨い、最終的にこのオパルムの貧乳街に流れ着いた」
俺はしばらく黙っていた。
廃墟の小屋。ボロボロの羽織り。誰にも言えない過去。ミルカがあそこにいた理由が、ようやく全部つながった。
「じゃあ、王都に行きたい理由は?」
「二人を止めにいくためだ」
「二人?」
「ミルフィアと、私の妹のリルカだ。私が消えてから、ミルフィアは仇を討つと言って必要以上に力を求めるようになったと聞く。神乳大陸の深部を目指しているかもしれない。そして妹のリルカは私が姿を消してから乳華十傑に入り、BDMを徹底的に狩り続けていると風の噂に聞こえてきた」
「二人ともミルカのことが……」
「私のせいだ。私がいなくなったせいで、二人は間違った方向に力を注いでいる。神乳大陸の深淵に踏み込むようなことがあれば、私の二の舞いになる。どんなに強くても、戦いに絶対はない」
ミルカはそこで一度言葉を切り、低く言った。
「私は二人に、同じ目には遭わせたくない」
俺は何も言えなかった。
この人はずっと一人で、廃墟に潜み、何年もこの重さを抱えていたのか。
「ちなみに二人は王都を拠点にしているはずだ。だから王都に行く」
ミルカはそう言い切ると、フードを被り直した。話は終わり、という身振りだ。
俺はその横顔を見ながら、思った。
俺の目的は、ミルカのそれと比べると随分と個人的だ。男に戻りたい。それだけだ。口に出すのも恥ずかしいくらいシンプルな願いだが、俺にとっては全てだ。ミルカの目的とは比べるべくもない。
でも、ミルカは俺の目的も「背負う」と言ってくれた。
ならば俺もミルカの目的を、ちゃんと背負わないといけない気がした。
「分かった。ちゃんと話してくれてありがとう、ミルカ」
「礼はいい。さて、リアナが戻るまでギルドで勧誘を続けよう。ミリはここで待っていてくれ」
「俺も手伝う」
「……ミリがAAAAカップだということはギルド内に知れ渡っている。勧誘しても逆効果になりかねない」
「うん、まあ、そうだよな」
反論できなかった。
俺は大人しくテーブル席に残り、行き交う冒険者たちを眺めながら時間を潰すことにした。
揺れる胸、揺れる胸、揺れる胸。
この世界はどこを見ても胸が揺れている。爆乳の国とはよく言ったものだ。
早く男に戻りたいと、改めて切実に思った。




