第11話 魔王の残滓
逃げ道はなかった。
周囲をペロペロフェンリルに囲まれ、その奥にロイヤルペロペロフェンリルが五体、さらに後方にエンペラーペロペロフェンリルが鎮座している。
「あのエンペラーペロペロフェンリルを倒せれば、おそらく群れは崩壊する。だが今の私では……」
「リアナの魔法でジリジリ削って逃げるしかねぇだろ!」
「ですがジリ貧です。このまま削り続ければ私が先に干上がります」
リアナが近くのペロペロフェンリルに魔法を放ちながら答えた。
「クソッ、じゃあどうすんだよ!」
フィナが足元の枯れ枝を蹴り飛ばした。
俺は考えた。
ペロペロフェンリルは胸の魔力に反応して襲いかかる、とミルカが言っていた。ならば、AAAAカップの俺は奴らにとってほぼ透明に近い存在のはずだ。さっきもペロペロフェンリルの群れを斬っていたとき反撃されなかった。
俺ならエンペラーペロペロフェンリルのところまで行けるかもしれない。
「俺が行く」
「なに?」
「ペロペロフェンリルはたぶん俺が見えてない。さっき群れを倒したときに分かった。だからエンペラーペロペロフェンリルのところまで俺が突っ込んで、この剣を叩き込んでくる」
「ミリ先輩正気か? 脅威度Jだぞ? あそこに行く前に死んじまうよ」
「ミリ、待て」
ミルカが腕を掴んだ。
「危険すぎる。別の手を……」
「時間がない。みんなが消耗する前に俺が賭けに出た方がいい。これは俺にしかできないことだ」
ミルカは何かを言いかけて、止まった。
「……分かった。行け」
俺は走り出した。
ペロペロフェンリルの群れの中を突っ切る。奴らはざわめいたが、俺に向かってくる個体は一匹もいなかった。魔力のない標的には興味がないらしい。この平らな胸が役に立つ時が来るとはな。
「……なんでミリ先輩のことは襲わないんだ」
「ペロペロフェンリルは胸の魔力に反応する習性がある。ミリの場合は……」
「ひょっとしてミリ先輩、エサとして認識されてねぇんじゃ……」
フィナがぼそっと言った。
「ミリ様はペロペロフェンリルの生態を熟知した上で魔力を極限まで抑えているのです。なんという戦術眼……!」
リアナが感激していたが、それは違うと誰も訂正しなかった。
俺はエンペラーペロペロフェンリルの前に立っていた。
近くで見ると、一層でかい。見上げる高さがある。太い角が生え、毛並みは黒く、眼光は赤い。俺を見ているのか見ていないのか、判然としなかった。
ただ、こちらに気づいていないのは確かだった。
俺は神乳剣を両手で握り、真上に掲げた。
魔法は使えない。あるのはこの剣と、それを振り下ろすだけの腕力だ。
それで足りなければ、仕方ない。
神乳剣の斬撃、略して神乳斬撃。
俺の必殺技は、ディバインバストスラッシュと名付けよう。
おらぁぁぁぁぁぁぁ
【神乳斬撃!!!】
俺は大声で技名を叫びながら、全力で振り下ろした。
すると神乳剣が光った。
光は一瞬だった。しかしその一瞬に、エンペラーペロペロフェンリルの巨体が真っ二つになり、音もなく消滅した。
静寂が広がった。
周囲のペロペロフェンリルたちが、一斉に踵を返して逃げ出した。ロイヤルペロペロフェンリルも、その取り巻きも、跡形もなく森の奥へと消えていった。
俺は剣を下ろして、ゆっくりとミルカたちのところへ歩いて凱旋する。
「……なんだか、あっさりだったな」
「ミリ先輩、脅威度Jクラスを一撃かよ……」
「この剣が凄いだけだよ」
「ミリ様……」
リアナが目を潤ませていた。
「ミルカ様の妹分が、脅威度Jクラスを一撃で倒す。もはや当然という気がしてきました」
「いや、俺が強いんじゃなくて本当に剣が……」
「ミリ」
ミルカが静かに呼んだ。
「何?」
「よくやった」
それだけだった。
俺は少し、照れた。
◆ ◆ ◆
「お前ら、こんなところで何をしている」
声がした。茂みの向こうから、女が歩いてきた。
長い黒髪。背中に大剣を背負い、胸元が大きく開いた鎧を着ている。体格は俺たちより一回り大きく、立ち姿に隙がなかった。俺の乳スカウターが即座に計測する。アンダー75前後、Jカップ。
どこかで見た顔と胸だ。そうだ、オパルムの街を歩いていたときに、すれ違った爆乳騎士だ。
ミルカが音もなくフードを深く被り直した。
「私はルミナ、大量のペロペロフェンリルが逃げていくのを見た。お前たちが追い払ったのか」
「お前には関係ないだろ」
フィナが言った。
「関係あるかないかを決めるのは私だ。貧乳二人が混じったパーティが脅威度の高いBDMを退けたとなれば、話を聞く義務がある」
「ルミナ」
リアナが前に出た。
「リアナ様……!?」
「この方たちは私の旅の道案内をしてくださっています。失礼のないように」
「ですが……」
「ルミナ、この方たちへの無礼は撤回しなさい」
リアナはその女のことを知っているようだった。ルミナは一瞬口を閉じてから、小さく頭を下げた。
「……失礼いたしました」
「どうしてあなたがここに?」
「この付近で人型BDMの目撃情報があったので、オパルムの魔剣士としてその調査に来たのです」
「人型BDMだと?」
ミルカの声が変わった。フードの奥の目が鋭くなるのが分かった。
「確認が取れているわけではない。ただ、もし本当だとすれば……」
「人型BDMは十年前の討伐で根絶されたはずだ」
「その通りだ。だからこそ調査に来ている。見間違いであることを願うが、私には確かめる義務がある」
ルミナはリアナを見た。
「リアナ様、この辺りは危険です。街にお戻りになった方が……」
「私は大丈夫です。ルミナは調査を続けなさい」
「……かしこまりました。何かあればすぐに参ります」
ルミナは一礼して、森の奥へと去っていった。
「なんだよあいつ。感じ悪い」
フィナが言った。
「ルミナは、ヴォルム家の専属騎士です。気が強いのは昔からで……大変失礼いたしました、皆さま」
「リアナが謝ることじゃない」
ミルカが言った。その声は穏やかだったが、どこか遠くを見ているような目だった。
「ミルカ、魔王のことを教えてくれるか。さっき話しかけたのに流れてしまったから」
「ああ。十年前のことだ。当時、バストリア王国内には人型BDMを頂点とするBDMの組織があった。その指導者が自らを魔王と名乗り、強力なBDMを率いてバストリア大陸を制圧しようとしていた」
「それを倒したのが乳華十傑か」
「そうだ。当時の私はまだ乳華に入って数年だったが、私よりも若い者も全員が死力を尽くして戦った。最終的に魔王を討伐し、配下の人型BDMも根絶したはずだ」
「はずだ、って含みがあるな」
ミルカは少し間を置いた。
「完全に根絶できたかどうか、当時から確証はなかった。私は今でも、あの戦いで何かを見落としたのではないかと思うことがある」
ミルカは淡々と言ったが、その表情は少し険しかった。
「まあ、ルミナが調査しているんだから俺たちは先に進もう」
「ああ、そうだな」
ミルカは頷いて歩き出した。しかしその背中には、先を急ぐ理由とは別の何かが見えた気がした。
魔王。人型BDM。BDMの増加。
王都に向かう道は、俺が思っていたよりもずっと、複雑な場所に通じているのかもしれなかった。




