第10話 エンペラーペロペロフェンリル
村を遠く離れた森の中で、俺たちはようやく立ち止まった。
木漏れ日の差し込む静かな森の中で、俺は神乳剣を軽く振ってみた。重さが、ない。本当にない。これはいい。
「引き抜いたらくれるって看板に書いてあったのにな」
「抜けるとは思っていなかったのだろう。ルールは守った。何の問題もない。それよりその剣はどうだ」
「めちゃくちゃ軽い。走りながら持ってたけど、まったく気にならなかった。これなら俺でも扱えそうだ」
「そうか。なぜミリに引き抜けたかは分からないが、武器として使えるなら良かった」
ミルカの言い方は素っ気ないが、その目には確かに安堵の色があった。
まあ、俺が武器なし魔法なしの完全無課金プレイヤーでは、ミルカも心配だったのだろう。
「あの……フィナさんが来ていないのですが」
リアナが後方を振り返りながら言った。
「うわあああーーーー!!」
返事の代わりに、森の奥からフィナの叫び声が響いた。
「行くぞ」
ミルカが即座に駆け出した。俺も続く。
声のした方向に走ると、フィナが複数のモンスターに囲まれていた。
一見すると大きなオオカミだが、目が異様に光っている。そしてなぜか全員、フィナの胸めがけて突進していた。
「クソーーー! ペロペロしやがって!」
フィナは数匹に取り囲まれ、胸のあたりを集中的に狙われながら懸命に払いのけていた。その姿はなんというか……非常に不憫だった。
「あれは動物型BDM、ペロペロフェンリルだ。単体では脅威度B。ただし群れを組む習性から、実質Dクラスとして扱われる。女を見つけると胸に群がり、魔力を舐め取る」
「さすがに胸を狙いすぎだろ」
「奴らは胸の魔力に反応して襲いかかってくる」
「マジか。……待って、それなら俺が行く!」
「待て、ミリ!」
ミルカの制止を振り切り、俺は神乳剣を手にペロペロフェンリルの群れへ駆け込んだ。
そろそろ俺も活躍したかった。
神乳剣を振るうたびに、ペロペロフェンリルが跡形もなく消えていった。
消えた、というのが正確な表現だ。斬った手応えもなく、まるで霧が晴れるように、一撃ごとに一体ずつ消滅していく。数十匹を相手にしていたはずが、あっという間に森が静かになった。
「フィナ、大丈夫か」
「ミリ先輩……ありがと……」
フィナはそう言うと、その場にへたり込んだ。
「え、どうしたの?」
「魔力を吸い取られすぎたのだろう。しばらく休めば回復する」
ミルカが静かに診断を下した。
「こいつ、よくBDMに襲われるな」
「運が悪いというより……BDMの密度が増えている。この数はおかしい」
ミルカは森の奥に目を向けながら、低い声で言った。
「魔王がいた頃と、同じような……」
「魔王?」
「あとで話す」
そのとき、胸を上下に揺らしながらリアナが追いついてきた。
「お待ちください……申し訳ありません、走ると胸が揺れてしまって……」
息を整えてから、リアナは続けた。
「ミリ様がフィナさんを助けたのですか。流石です。わたくしも魔力制限で胸を小さくできれば速く走れるのですが……」
ブラジャーの位置を直しながら言う。
「……魔力制限で胸を小さくできるの?」
俺は思わずミルカに聞いた。
「可能だ。胸は魔力を蓄える器官だ。高度な魔力制限をかければ、見かけ上のサイズを抑えることができる」
「え、でも乳偽装罪は極刑なんじゃ?」
「乳偽装罪は胸を大きく見せる行為を罰するものだ。小さく見せることには適用されない」
「へぇ。じゃあミルカは今、その魔力制限で……」
「私は今のが本来のサイズだ」
ミルカは短く遮った。それ以上は聞かなかった。貧乳同盟的配慮である。
「ところでミルカ、そろそろ俺も魔法を覚えたいんだけど。A級魔法くらいなら使えるかな」
「A級魔法を使うには、最低でもAカップ相当の魔力量が必要だ」
「なるほど。俺はAAAAカップだから使えないわけね。じゃあAAAA級魔法なら使えるだろ?」
「……ない」
「ふえ?」
「AAAA級魔法など、存在しない」
「じゃあ俺、魔法が一切使えないってこと?」
沈黙。
「……すまない」
ミルカは短く言って目を逸らした。
薄々は分かっていた。
でも改めて言語化されると、なかなか堪える。乳華解放も使えない、魔法も使えない、胸もない。俺にあるのは乳スカウターと神乳剣、それから棒を握る技術だけだ。
……まあ前の世界でも魔法は使えなかった。同じことだ。ポジティブに行こう。
◆
しばらく休憩し、フィナがようやく立ち上がった。
「大丈夫か?」
「あれ、私は……?」
「フィナを襲っていたBDMはミリが倒した。そのあとペロペロフェンリルの上位種、脅威度Fのグレートペロペロフェンリルの群れが来たが、リアナが雷属性G級魔法で片付けた」
「……そうか。また助けられちまったな」
フィナは立ち上がり、大きく背伸びをした。
「よし、では先に進もう」
ミルカがそう言った瞬間だった。
遠吠えが響いた。
低く、重い。腹の底に直接叩きつけてくるような音だった。
木々の間から、影が現れた。先ほどリアナが倒したグレートペロペロフェンリルよりも、明らかに大きい。目が赤く光っている。
「あれはロイヤルペロペロフェンリルだ。グレートペロペロフェンリルのさらに上位種で、単体でも脅威度はG」
ミルカの声が、初めて硬くなった。
一体ではなかった。五体いた。
「五体か……リアナ、やれるか」
「五体程度なら問題ありません。ただ――」
リアナがロイヤルペロペロフェンリルの背後に目を向けた。
「あいつらの後ろを見てください」
目を凝らした。
五体の背後に、さらに大きな影がいた。
動いていない。ただそこに存在しているだけで、空気の質が変わるような圧があった。木々が揺れていないのに、葉が震えている。
「あれは……エンペラーペロペロフェンリルだ」
ミルカが、初めて動揺を声に滲ませた。
「なんだそれ?」
「ペロペロフェンリルの頂点に立つ個体だ。バストリア王国領内に生息するBDMの中でも最上位クラスに属する。単体でも脅威度はJ」
「J……Jカップ相当の魔力量ってこと」
「ああ。魔法で倒すなら、同程度以上の魔力が必要になる。しかも――」
ミルカは短く続けた。
「囲まれた」
俺は辺りを見回した。
木々の間に、眼光が増えている。無数のペロペロフェンリルが、いつの間にか周囲を埋め尽くしていた。逃げ道がない。どこを向いても光る目。どこを向いても胸を狙う気配。
「ミルカ様、この状況で勝てますか」
リアナが静かに聞いた。
「エンペラーペロペロフェンリルとその取り巻き、消耗したフィナ、それにミリがいる状況では――」
ミルカは短刀の柄に手を当てたまま、それ以上言葉を続けなかった。
言葉の代わりに、視線だけで答えた。
まずい。
本当にまずい。
ミルカが言葉を濁すときは、だいたい「どうにもならない」ときだ。
俺は神乳剣を握り直した。魔法が使えなくても、俺にできることはあるはずだ。
エンペラーペロペロフェンリルが、ゆっくりと歩みを進めてきた。
一歩。また一歩。
足音のたびに、地面が微かに揺れた。




