第1話 俺とおっぱいの女神
俺は今、おっぱいに顔を埋めながら死を悟っていた。
柏木凛太郎、十八歳、浪人生。清廉潔白に生きてきた男の最期がこれである。死因:窒息。場所:おっぱい専門店。
◆
誤解しないでほしいのだが、俺はまともな人間だ。
風俗店などとは無縁の堅実な浪人生活を送ってきたし、恋愛観だって至って純粋だ。それでも、大きな胸だけはどうにも制御できなかった。街を歩けば視線が引き寄せられ、グラビア誌を開けばページが止まる。生まれた瞬間から刷り込まれているのか、理性の届かない領域で本能が騒ぎ立てる。呪いのようなものだ。本当に。
そんな俺が夜の街の路地裏でサングラスの客引きに「お兄さん、おっぱい、ありますよ」と囁かれた夜、足が止まったのは――まあ、浪人生活の疲れのせいにしておこう。
気づいたときには店の扉をくぐっていた。
「一番大きい子でお願いします」
注文した。即座に。
これが悪手だったと気づいたのは、それから三分後のことだ。
◆
視界が、乳で埋まっている。
全体像すら把握できない。輪郭は暗闇に溶けて、ただ信じがたいほど巨大な何かが俺の顔面に圧し掛かっている。胸というより、もはや意思を持った大陸だ。大陸が、征服しにきている。
柔らかい。それは認める。生まれて初めて味わう種類の柔らかさで、この世の全てが許されるような感覚が確かにあった。
一瞬だけ。
「ちょっ――息が、できない……っ!」
声にならない叫びが頭の中でこだまする。鼻も口も、隙間という隙間が柔軟な肉に完全封鎖されている。手足をじたばたさせるが、びくともしない。俺の体重は七十キロだ。でもこの乳は、確実に俺より重い。
Zカップどころじゃないぞこれ!
「あらら~、興奮してるのね♡」
彼女が艶やかな声でそう言い、さらに圧を増した。
違う。興奮じゃない。これは死だ。
走馬灯というのは本当にあるらしく、脳裏にいろんな景色が浮かぶ。
受験票。参考書の山。「ごめん、好きな人がいる」と言われた春の帰り道。
……ろくに揉みもしないまま逝くのか。
でも、と俺は思った。
大きな胸は素晴らしい。潰されながら、改めてそう確信した。この柔らかさは罪じゃない。おっぱいは何も悪くない。悪いのは俺の肺活量だ。
生まれ変わるなら――大きな胸だらけの世界に行きたい。胸の大きさで身分が決まる世界とか。デカいほど偉くて、小さいほど肩身が狭くて……そんなくだらない妄想が、死の瀬戸際の頭に浮かんでくる。
「……その願い、叶えてやろうか?」
どこからか、静かな声が降ってきた。
意識が乳の海に沈んでいく。暗くて、柔らかくて、温かい。
これが死か、と俺は思った。
◆ ◆ ◆
気がつくと、俺は見知らぬ場所に立っていた。
広大な夜空に星が溢れ、足元の地面はふかふかと弾力があった。踏むたびに、もちっとした手応えがある。つきたての餅を一面に敷き詰めたような大地で、ハッカみたいな甘い香りが漂っていた。
「ここは……どこだ?」
「ほっほっほ。お主の願い、叶えてやろう」
振り返ると、豪奢な玉座に一人の女がちょこんと座っていた。年の頃は十代後半。銀の長髪、神々しい白いローブ。整った顔立ちで、女神と名乗られたら素直に信じてしまいそうだ。
ただ一点を除けば。
「誰だ、お前は」
「わしはパイシア。全宇宙のおっぱいを統べる女神じゃ!」
女は誇らしげに胸を張った。
俺の視線は、自然と、その胸に落ちた。
……ローブの上からでも分かる。
平らだ。
「……全宇宙の、おっぱいを、統べる……女神?」
「そうじゃ。暇つぶしに哀れなお主の願いを叶えてやろうと思ってな。感謝するがよい」
「いや待って。ちょっと待ってください」
「なんじゃ」
「おっぱいの女神が……その……」
「何が言いたい」
「……慎ましくないですか?」
静寂が落ちた。
「……なんじゃと?」
「バカにしてるわけじゃないですよ! ただ、おっぱいの女神を名乗るなら、もっとこう、象徴的なサイズがあるのかと……」
「……お主、今わしの胸を笑ったな?」
パイシアの目が、す、と細くなった。
「笑ってないです! 純粋な疑問です!」
「では問う」
パイシアはゆっくりと立ち上がり、俺を見据えた。
「大きな胸と小さな胸、どちらが好みじゃ」
「…………」
「答えよ」
「……大きな胸です。圧倒的に」
嘘はつけない。それが俺という男だ。
「……やはり、そうか」
パイシアは静かにつぶやいた。そしておもむろに自分の胸に両手を当てた。寄せる。さらに寄せる。ぐいぐい寄せる。念じるように、寄せる。
谷間は、できなかった。
物理的に不可能だった。
「このわしの、清廉で慎ましい胸の、美しさを理解できぬとは……! もう許せん。絶対に許せん!」
パイシアは俺を指差した。その細い指先が、なぜか恐ろしくゆらめいて見えた。
「星海神乳評議会の一柱として、これは分からせる必要がある。お主は次の世界で、この胸の真の素晴らしさを存分に思い知るがよい!」
その言葉と同時に、世界が白光に飲まれた。
「ちょっ――それってどういう――聞こえてますか!? パイシアさん!?」
俺の魂が、遥か遠くへ弾け飛んでいく感覚があった。
「大きな胸の良さを思い知る」のではなく、「慎ましい胸の良さを思い知る」ことになるのか?
意識が消える直前、最後の思考が脳裏をよぎった。
――これは、相当まずい転生になる予感がする。




