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8.大胆で、常識知らずで、自由な絵

 ……アンリが絵を披露した瞬間から、フィモネの目にはカンヴァスの中の光景しか映らなくなっていた。


 周りにいる同級生や上級生も、絵の前に立っているアンリでさえも、その時のフィモネの中には存在しない。何も無い空間で、アンリの絵と向かい合っているかのような感覚にとらわれていた。


 アンリの絵は、決して上手だと言えるようなものではない。しかし、だからと言って下手だと言い切る事もできなかった。


 あまりにも単純な描写と、独特という言葉では足りないほど思いきった色づかい。どれもが常識から外れているのに、それらの要素がカンヴァスの中で響きあって、不思議と成立している。それは奇跡的な偶然なのか、それとも描いた人の感覚によるものなのかは、フィモネには判断できなかった。


 確かに言えるのは、正統な技術を磨いた絵描きであれば、こんな絵は絶対に描かないという事だけ。王立アカデミーの芸術科に合格したほどの実力があるアンリがこんな絵を描いて見せたという事が、フィモネには意外だった。


 でも……とフィモネは考えなおす。意外なだけならこんなに心を乱されるはずはない、と。


 この絵を見た時から、ずっと胸騒ぎがする。おさまるどころか、時間が経つにつれて強くなっているようだった。


 その理由を知りたくて、ますます絵に心を傾ける。


 一体何なのだろう。この、あまりにも大胆で、常識知らずで……自由な絵は……。


 目の前のアンリの絵に重なるように、別のイメージがうっすらと浮かび上がる。 


 その瞬間に理解した。いや。思い出した、と言った方が正しいかも知れない。


 理解した事はもう一つ。今までの胸騒ぎは、無意識の警告だったらしい。しかし気が付いた時点で、フィモネにはどうする事も出来なかった。


 アンリの絵にうっすらと重なっていたイメージは鮮やかな色をまとって、一枚の絵へと姿を変えていた。


 思い出す事は無いと思っていた。長い時間をかけて、記憶の中から消し去ったはずなのに。


 それは幼い頃のフィモネが暮らしていた家の、小さな庭の光景だ。


 草は伸び放題で、それでも季節ごとに違う花で彩られた景色はとてもきれいだった。すみの方には夏の終わりに淡い黄色の実をつける小さな木と、父親が木の端材でこしらえた野鳥の餌箱が置かれている。


 父親はとても絵が上手だったのに、おかしいくらい手先が不器用だった。完成した餌箱も、鳥には見向きもされないだろうと子供心にもがっかりするほどの出来栄えだった。結果は意外にも、様々な小鳥が餌をついばみに訪れてくれたのだが……。


 幼い頃に見た風景や出来事が、はっきりとよみがえってくる。しかしその思い出は、決して良いものばかりではない。


 ……ベッドの上で自分の絵を大げさにほめてくれた父親と、変わった言葉づかいでもっと大げさにほめてくれた父親の友人。


 ……唯一の家族だった父親の死。残っていた「財産」と共に行方不明になった父親の友人。一人になったフィモネを迎えに来た、知らない大人達。


 ……母親の両親と、フィモネにとっての叔父夫婦だという人達との新しい生活。フィモネが描いた庭の絵を見た時に、彼らが放った言葉……。


「こんなの、絵じゃない」


 フィモネは無意識に、その時の言葉を声に出していた。アンリの絵をにらみつけたまま、現実を忘れて。


 少しずつ気分が落ち着いてきて、うっすらと今の状況を思い出してきた時に、絵の横に立つアンリの姿が目に入った。フィモネの方に向けられた青と緑のグラデーションは、心なしか光を失っているように見えた。


 その瞬間に自分が何をしでかしたのかを理解し、体じゅうから汗がどっと噴き出した。


(あ、あのアンリ・デューディー様に向かって、私は何という暴言を……!)


 周りを見ると、みんなが正気を疑うような目でフィモネを見ている。


 すぐに謝らなきゃ。頭の中では正確な判断ができているのに、声が出てこない。どうしてあんな事を言ってしまったのか、きちんと説明する自信がなくて。


「えーと、みんな、とりあえず支度をしましょう!」

「そっ、そうだよ!このままじゃ間に合わないよー!」


 気転を利かせた上級生達の声で、みんなが慌しく動きだす。


 しかしアンリは表情が読み取れない顔で、フィモネを見つめて立ち尽くしている。そんなアンリを前にフィモネもどう振舞えば良いのか分からず、その場から動けなかった。


「アンリちゃんも行こう。準備、手伝うね」


 マルタンはそう言って、落ちていた布をひろう。アンリは黙って布の端を受けとり、マルタンと絵を包んでいく。


 作業を手伝えば、アンリに声をかけられるかも知れない。フィモネはそう思ったが、それでも体が動かなかった。


 後ろから肩をたたかれてふり返ると、目の前にコレットの顔があった。彼女にしては控えめな笑みを浮かべている。

「フィモネちゃんも。遅刻しちゃうよ」

「……うん」


 心配そうに声をかけてくれたコレットから目をそらして、小さくうなずいた。


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