6.自信をなくしちゃって
次の日の朝。
昨日と同じロビーの円卓には、昨日と同じ九人の新入生と数人の上級生が集まっていた。
しかし、彼女達の間に立ち込める空気は昨日とは正反対だ。言葉を発する者はなく、円卓に置かれた一枚の絵を神妙な顔で見つめている。
それは水彩で描かれた大釜の風景だった。ただし画材や技法に関してはそれなりに知識があるはずの芸術科の学生達でさえ言葉を失ってしまうほど、その絵は異様な存在感を放っている。
近景の茂みは小さな葉の形も分かるほど細かく描かれているばかりか、濃淡を工夫してわずかに湿度の高い空気感まで表現している。
遠景の木々は描き込みを抑えつつも、鬱蒼とした雰囲気が伝わるように調子が異なる緑を使い分けている。
細やかに描かれているが、実際に見た風景をそのまま描いているわけではない。近景の草花から遠景の樹木へ、そして木々の間から降り注ぐ光へと視線を導くように構図が計算されている。それはまるで、静謐な森の中で天を仰ぐかのようだった。
画面に漂う厳かな気配は、風景画というよりは物語や教典の一場面のようだ。それは作者の、この場所に対する敬意が表れているからなのかも知れない。
時間が経つにつれて、一人、また一人……と、夢から醒めたように顔を上げる。そして、作者であるフィモネを見た。
徐々に自分の方へ集まってくる瞳の多さに、フィモネは息をのむ。
「……すご」
コレットがぽつりとつぶやく。かと思うとフィモネの前に飛び出して、その手を強く握り締めた。
「すごいよフィモネちゃん!式で飾られていた静物画もびっくりしたけど、この絵も素敵!感動しちゃった!」
「ありがとう。でも、さすがに大げさじゃ……」
うろたえながらこたえると、コレットは大きく首を横にふった。よく見れば、上目がちにフィモネを見つめる瞳にはじわりと光が揺れている。
「確かにコレットさんはオーバーな気もするけど、私もその通りだと思うよ。ここまでキレイな絵、一人前の絵描きでもなかなか描けないんじゃないのかな」
「そうだよ。そんなに変わらない年の人がこの絵を描いたってだけで、私感動しちゃった!」
同級生だけではなく、上級生までフィモネの絵を口々にほめ始める。フィモネは頬を赤くして、何かに耐えるように手を握る。
「でも、だいじょうぶなの?」
マルタンが心配そうに尋ねてきた。フィモネの緊張が軽くなり、不思議そうに彼女を見る。
「どうして?」
「こすごい絵を一晩で完成させるなんて、けっこう無理をしたんじゃない?」
「ああ」
質問の意味を理解して、フィモネは安心したように目を細める。
「ありがとう。だいじょうぶだよ。ちゃんと寝ているし、この絵だって夕食前には出来上がっていたから」
「……夕食前?」
マルタンが思わず聞き返す。他の人達も、あ然とした顔つきでフィモネを見た。
「昨日の夕食前って、ここで集まってからそんなに経っていないよね。もしかして、あの時にはほとんど出来上がっていたとか?」
「あの時は……えっと、ごめんなさい。実は少しも描けていなかったの。そう言ったら、約束を守っていなかったって思われる気がして」
フィモネが気まずそうに口ごもると、全員が卓上の絵に再び目を向けた。
そう言われて見れば、短時間で描いたというのも納得できる。
注目される場所は非常に丁寧だが、遠景の木々をはじめとして、あっさりと描かれている部分も多い。しかしそんな省略も、むしろ見る側の視線を導き、劇的な効果を与えているかのようだ。あまりにも巧みだったから、誰も手を抜いているとは気が付かなかった。
ほとんど同時に、あちこちからため息が起こる。フィモネは円卓に集まっている人達をあわてて見回した。
「どうしたの?もしかして、がっかりした?」
「だいじょうぶ、むしろ逆だよ。ちょっと自信をなくしちゃって」
「うん。フィモネさんは悪くないんだけどさ、こんなにあっさりと力の差を見せつけられたら、少しでも絵が上手いって思ってた自分が恥ずかしくて」
「そう……なんだ」
絵を描く事に時間を使いすぎて、家族以外の人とはあまりコミュニケーションをとってこなかったフィモネは、こういう時にどんな言葉を返せば良いのか分からなかった。素直にお礼を言うのも、「そんな事ないです」と謙遜するのも何だか違うような気がして、申し訳無さそうにうつむいてしまう。
そんなフィモネの前に、再びコレットが近づいてきた。やけに力のこもった目で、なぜかフィモネに向かって握った拳を突き出す。
「こうなったらさ、フィモネちゃんは絶対に宮廷画家になってよ!それなら私達も『負けたのは仕方が無かった』って思えるから!」
「わ、わかった……?」
いきなり応援されて混乱してしまったが、力強いコレットの言葉が嬉しくて、フィモネは自然と笑みを浮かべる。
その後もみんなロビーに残り、フィモネの絵に見入っていた。
すると急に扉が開き、寮母のリィムが入ってくる。登校時間を過ぎたのかと全員が不安になったが、彼女の言葉は予想とは違うものだった。
「一年のみんなにお客さんだよ。しかも、あのアンリ・デューディーさん」
初めて本物のアンリを見たからだろうか。リィムは嬉しさを隠し切れていない顔で用を告げた。




