2.思っていたよりも気持ち悪いね!
「そ、そんなっ!とんでもないです!私の事なんて気しないでくださいっ!」
アンリときちんと言葉をかわすのは、これが初めてだった。
フィモネにとってはそれだけでも緊張する出来事なのに、さらには視界が彼女の顔でいっぱいになる程の近さとあって、冷静を装う事さえできなかった。
あわてて何度も首を横にふるフィモネを見て、アンリは不思議そうにまばたきを繰り返す。
それを見てますます焦るフィモネを救ったのは、遠くの同級生の声だった。
「おーい、アンリさーん」
「あっ。何ですかー?」
「すっごく変な植物があるの!アンリさんなら知らないかなーって」
「はーい。ええっと、どうしようかな」
アンリは少し困ったように、声がした方向と目の前のフィモネを交互に見る。
「本当に、私はだいじょうぶですから。お気になさらず!」
少しは落ち着きを取り戻した声でフィモネが言うと、アンリは安心したように口元をゆるめた。
「わかりました。じゃあ、これはお返ししますね」
アンリが右手の人差し指を小さく回す。すると、空から細長い物体がフィモネの指の間に飛び込んできた。落としたと思っていた木炭の一片だ。
「何かあったら遠慮しないで呼んでくださいね。では」
アンリはフィモネに呼びかけた後、パウズに向かって軽く頭を下げる。リュオンとホーバーンで共通の、目上の相手に対するあいさつだ。
フィモネはくるりと体を翻し、声をかけてきた2人の女子生徒のもとへ向かう。銀色の髪をゆらしながら草原を滑っていく様子は、透明な水面の下を素早く泳ぐ魚のようだった。
アンリが遠ざかると、フィモネはふうーっと大きく息をついた。
「おいおい。同級生と話すだけなのに、何を緊張しとんねん。フィモネちゃんは首席なんやし、もっと偉そうにすればええのに」
からかうように声をかけてきたパウズに鋭い眼差しを向けたが、この人には何を言っても無駄だろうとあきらめて、すぐに顔をそらした。
でも、この人には何を言っても無駄なのだろう……すぐにあきらめて、彼から目をそらした。
アンリが向かった方を見ると、二人の女子生徒が野原の中でひときわ目立つ植物を指さしていた。縁がノコギリの刃のような形をした大きな葉が放射状に飛び出している。
「これこれ!葉っぱの下の方を見たら、人の顔みたいなものがうまっていたの!」
「お、これはマンドラゴラですね。根が人の形をしているのですが、うっかり抜いたら魂を持っていかれちゃうので気をつけて下さい」
「えーっ!本当に?」
「ええ。本当に」
かすかに聞こえてきた会話に、フィモネは自分の耳を疑った。
抜いたら魂を奪われるという植物の事ではない。アンリと話している二人が、あまりにも軽い態度で接しているからだ。
パウズがアンリに敬意を示さないのは分からなくもない。いちおう彼はアカデミーの教員だし、隣国であるホーバーンの出身なら、リュオンでは魔術がどれだけ偉大なのかを実感できていないのも知れないし。
だが、同級生なら話は別だ。
芸術科の学生はほとんどが国内の出身だと聞いている。そんな彼らや彼女らまでアンリに少しも敬意をはらわず、親しげに話すなんて、フィモネにとっては信じられない事だった。
そんなフィモネの気持ちなど知らず、遠くの三人は会話を続けている。
「でもさ」
大きな葉を見下ろしながら、女子生徒の一人が遠慮がちに声を出す。
「どうしたの?コレット」
「本当に人間みたいな形をしているのかなー、って……マルタンも見てみたくない?」
「え、嘘でしょ。死ぬって言われたじゃん」
「分かってるよ。でもさ、マンドラゴラって魔術の儀式にも使われていたんだよね?魔術師なら上手く抜く方法を知っているんじゃないの?」
コレットという女子生徒が、何かを訴えかけるような目でアンリを見る。するとアンリは申し訳なさそうに目をふせた。
「すみません。無事にマンドラゴラを抜く方法は私も知らないんです。昔は犬に引かせて抜いていたって話を聞いた事があるんですけど、そんな事をすれば犬が……」
「だってさ。そもそもさ、ここの植物って触るだけでもダメなんでしょ。勝手に抜いたりしたら退学じゃん。ま、その時には死んでいるんだろうけど」
「わ、分かってるよ……でもさあ」
マルタンの容赦ない言葉に落ち込むコレットだったが、まだ未練があるのか、子供のようにマンドラゴラの葉をじいっと見つめている。
アンリはそんな彼女を前にそわそわしていたが、急に何かを閃いたのか、表情をぱあっと輝かせた。
「あっ、そうだ!コレットさんは、このマンドラゴラの根っこを見たいんですよね?」
「え。うん……ちょっとでも良いから観察したいなって」
「分かりました。それなら良い方法がありますよ」
アンリが二人の前に歩み出て、胸の前で軽く手を合わせる。
その瞬間、彼女達の前で白い光が瞬いた。
アンリ以外の人達は思わず目をつむる。それはほんの一秒か二秒だったが、再び目を開いた時にはアンリ達の前の光景は一変していた。
光った場所の中心では、草木はおろか、地面さえ無くなっている。
球形に削り取られたかのような何も無い空間には、大きなマンドラゴラの葉と、その付け根から下に向かって伸びる異様な形の根だけが残されていた。まるで宙に浮かんでいるかのように。
離れているフィモネには輪郭くらいしか分からなかったが、確かにその形は頭の大きな人間が垂れ下がっているかのようだった。
「これって……魔術、だよね?」
ぼう然とした声でマルタンがつぶやく。
「はい。透彩という光を操る術で、対象を見えないようにする事ができるんです。どうですかマンドラゴラの根は。本当に人間みたいでしょう?」
「うん!思っていたよりも気持ち悪いね!」
言葉とは逆に、コレットの声は嬉しそうに弾んでいた。早くも自分の木炭をせっせと動かして、その独特な形を紙の上に写し始めている。
会話を聞きつけた同級生も集まってきた。みんな人間そっくりなマンドラゴラの根を前に驚いた声をあげ、まじまじと見つめながら木炭を動かし始める。
「さすがは芸術科、みんな大した好奇心やなあ。フィモネちゃんも気になるやろ?」
「気になりません」
きっぱりと答えて顔をそむけると、パウズが軽く鼻を鳴らした。
「やっぱり、もったいないわ……まあ知らんけど。オレも見せてもらお」
パウズは長い足を昆虫のようにぎこちなく曲げながら、おそるおそる進んでいく。どうやら彼も、浮かんだ状態で動くのは苦手だったらしい。
フィモネはパウズが離れるのを待ってから、同級生達が集まっている場所にそっと目を向ける。
マンドラゴラの根が見たかったわけではない。視線の先にいるのは、同級生に混ざって根を囲んでいるアンリだった。
(どうして、アンリ様がここにいるのだろう)
まわりの生徒と同じように紙と木炭を持ち、屈託なく笑っているアンリを見ていると、今でも疑問を抱かずにはいられない。むしろ、昨日よりも強くなっているような気がした。
入学の式典でアンリが芸術科の新入生の中にいると気が付いた時、フィモネは彼女が場所を間違えているのだと思った。しかしその確信は、彼女が学科ごとに行われた挨拶の場にもいた事で打ち砕かれた。
それでもフィモネは、今も現実を受け入れられずにいる。何かの間違いがずっと続いているかのような。
(不思議に思っているのは、私だけなのかな……?)
平然と素描をしている同級生達を見ていると、不思議に思わずにはいられない。
自分だけが取り残されたように感じるフィモネだったが、それは離れた場所に一人で立っているせいではないだろう。




