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1.リュオンは魔術の国なんです!

 リュオンの王都は、世界で唯一と言われるほど珍しい形をしている。


 それは都の中心に、俗に「大釜」と呼ばれる広大な緑地が広がっているからだ。


 いつ、誰がそう呼びはじめたのかは分からない。しかしその由来は一部の地域で「魔女」と呼ばれていた、魔術を修めた女性達と関係があるといわれている。


 伝承によって語られる魔女は巨大な釜の中で植物や生物の死骸といった素材を混ぜて、秘薬や毒薬を作り出していたという。そんな逸話が、この場所の特徴と結びついたようだ。


 ここは王家が管理する御料地だったが、魔術の儀式や薬の原料として使われる植物を世界中から集め、確保しておくための場所として使われていた。


 王都を整備する際に、建国前から現王家に尽くしてきた魔術師達の希望に応じて与えられた土地だという。しかし、だからと言って政治的に重要な施設で固められるはずの中心部に広大な緑地を設けるなんて、他の国ではあり得ない話だ。しかも昔は一部の魔術師のみが入る事を許され、「垣根」と呼ばれる高い塀の先には王族の人間でさえ足を踏み入れなかったという。


 つまりこの「大釜」は、魔術がリュオンにとって非常に重要であり、その力を行使できる魔術師もまた特別な存在である事を示す象徴のようなものだった。


 今は御料地ではなくなり、代わって王立アカデミーが教育園という名称で管理している。それでもここが魔術師のために存在し、閉ざされた空間である事は変わらない……のだが。


「わあっ、広っ!」

「不思議だよね、街のまん中にこんな場所があるなんて!」

「なー。ひんやりしているし、山の中みたいじゃね?」


 草花が揺れる野原や鬱蒼とした木々の中に、弾んだ声が響く。


 その声の主は十人以上の若者達だった。


 みんな大人と呼ばれてもおかしくはない年頃なのだが、感動を素直に声に出しながら大釜の中を探検する姿は年端も行かない少年や少女のようだった。


 フィモネは見通しの良い野原に立ち、そんな同級生達を目で追いながら小さく息をつく。


 厳かな気持ちで入学の式典に臨んでから、まだ一日も経っていない。昨日は本格的に始まるアカデミーでの授業を前に期待と緊張でいっぱいだったのに、これでは故郷の街で近所の子守を頼まれていた時と変わらない。


「なんや、ため息か」


 後ろからなれなれしい声がして、無意識に顔をしかめる。


 ふり返ると、そこには想像した通りの人物が立っていた。


 嫌でも最初に目がいくのは、奇抜な出で立ちだった。


 遠方の民族衣装を思わせる丈の長い上着。大きく開いた首周りからは、醒めるような青地に いびつな円形の模様が染め抜かれた肌着がのぞいている。長い足を包む臙脂色のズボンも、リュオンでは他に見かける事が無さそうな代物だ。


 男性にしては長い髪と、起伏の浅い顎の線。細面の整った顔立ちは、それだけなら涼しげな好青年にも見えたのかも知れない。


 しかし独特すぎる服装と妙に親しげな態度のせいで、今やフィモネにとっての彼の印象は不審者のお手本、あるいは世にも稀な毒草の一種だった。


 まだ信じられない。彼……パウズ・コーズィが芸術科の講師で、フィモネ達一年生の指導教官だなんて。


「まさか、勘違いをなさっているのではありませんか?」

「ふうん、そら悪かったな。何か不満でもあるのかと思って勝手に心配しとったわ。手ぇもあんまり動いてへんみたいやし」


 フィモネはぴくりと肩を震わせる。


 彼女の左手には小さな板と数枚の紙が、右手には柳の枝からつくった木炭の棒が握られている。しかし細長い木炭の先はまだ鋭く、一番上の紙は白いままだ。


「……そうですね。でも、皆さんもあまり手を動かしていないように見えますけど」

 見抜かれた事が何だか気まずくて、フィモネはとっさに話題を変える。焦ったせいか、冷たい言い方になってしまった。


「おー。言われてみれば、その通りかもなあ」


 目が届く場所にいる他の生徒を見回しながら、パウズがにんまりと笑う。


「でも、目は動いとるな」

「……っ」


 フィモネはドキリとして、改めて同級生を見回す。


 確かに。みんな賑やかに言葉を交わしているけれど、視線を交わす事はなく、周りを忙しなく観察している。



「入学早々に大釜に入れるなんて思ってなかったんやろなあ。何を描こうか迷うとるのがよお分かるわ。フィモネちゃんも早う何か描かんと、もったいないで」


 パウズはにっと目を細め、子供のように屈託の無い笑みを浮かべた。


 彼の独特な話し方は笑顔と相性が良すぎるらしく、過剰なくらい親しげな感じがする。フィモネはとっさに目をそらして、心理的に距離をとった。


「……本当に、いいんでしょうか?」 


 そして、ぼそりと声を放った。


「ここは魔術師の方々にとって、特別という言葉では足りないほど重要な場所のはずです。そんな場所に芸術科の……しかも入学したばかりの私達が入るなんて」

「ああ。昔は一部の魔術師しか入られへん場所やったらしいな。だけど今はアカデミーが管理しとるし、学生が入ったらあかんって決まりもないし、問題ないやろ」

「でも、学園規則の五条十九項が」


 言い返そうとすると、パウズは大きくうなずいてみせる。その言葉が出てくるのを予想していたかのような反応だった。


「あれなー。ほんまにふざけた規則やんなー。『教育園に生育する全ての植物に触れる事、および踏む事は厳禁とする』なんて『魔術で空を飛べるヤツ以外は入んな!』って言ってるようなもんやし。でも心配ないて!その問題はほら、ちゃんとクリアしてるやん!」


 パウズは嬉々とした声をあげながら、自分の足元を指差してみせる。


 フィモネも自分の足元に視線を落とすが、表情は正反対だ。


 見えるのは自分の真麻の靴と、地面を覆う植物達。しかし靴の横に注目すると、小さな白い花がゆらゆらと顔をのぞかせている。それはつまり、彼女の靴と地面の間にはすき間がある事を表わしていた。


 つまり二人は今、地面から浮かんでいるのだ。ほんのわずかな高さだが、決して植物を踏みつけてはいない。


「ほら、オレってホーバーン出身やん。せやし魔術とかよう知らへんねんけど、人を浮かせる魔術ってめっちゃ難しいんやろ?なのに、あの子は何やぱーってやっただけでウチらをみんな浮かせはって……ほんまに感謝やで、まさか魔術の天才が、うちらの学科に来てくれるなんて」


 だまって話を聞いていたフィモネだったが、その瞬間にパウズを強くにらみつける。


「そういう話じゃありませんっ!魔術師の聖地とも呼べる場所に、私達みたいな芸術科の新入生が気軽に入るなんて、敬意に欠ける行動ではないのかと言いたいのです!」

「落ち着けって。『私達みたいな』なんて卑屈にならんでもええやんか。同じ王立アカデミーなんやし、魔術科も芸術科も平等やって」


 フィモネが声を荒げても、パウズの態度は変わらない。一方で、フィモネは彼が気軽に話すほど苛立ちをつのらせていく。


「こんなに植物があるなら、画材に使えるものもありそうやん。貴重やから保護せなあかん言うのは分かるけれど、今どき魔術師だけが独占するのはずるいと思わへん?」

「思いません!」


 パウズの言葉を遮るように、フィモネは語気を荒げた。


「リュオンでは魔術は特別なんです!だって、ここは魔術の国なんですから!今もそうだし、これからも……」


 たまった感情を吐き出すように声を荒げるフィモネだったが、続く言葉が無い事に気付いて声を詰まらせる。


 行き場をなくした悔しさから、思わず両手を握りしめる。すると右手の木炭がポキリと折れて、片割れが落ちていった。


「あ……」


 予想外の出来事に、それまでの思考が弾けた。


 落ちていく木炭を捕まえなければと、反射的に左腕を伸ばす。それがいけなかった。


「あっ、アカン!」


 浮かんでいる状態に慣れていなかったフィモネは、不自然な姿勢をとった事でバランスを崩してしまう。


 あわてて体勢を戻そうとするが、さらにバランスを崩した足が文字通り宙を蹴り、視界が急速に揺れた。


 「踏みつけてはいけない」と言われていた植物の上に、自分が思い切り頭を打ち付ける光景がよぎった……その時。


 左腕に軽い衝撃が走り、同時に体がぴたりと止まる。


「だいじょうぶですよ。力を抜いて、体をまかせてください」


 耳元に落ち着いた声が聞こえてきた。


 おだやかで甘いその声は、少し囁かれただけで怒りや不安が溶けていくようだった。


 誰の声なのか分からないまま、フィモネは言われたままに体を起こされていく。視界を銀色のラインがかすめて、薬草の香りが鼻をくすぐった。


「えいっ」


 左腕に伝わる力が強くなり、フィモネの体は一気に引き戻された。


 浮かんでいる体がくるりと回り、助けてくれた人物が目の前に現れる。


 その瞬間にフィモネは息をのみ、思わず体をのけぞらせる。また転びそうになったが、今度はとっさに片方の足を引いて持ちこたえた。


 呼吸を整えるフィモネを、大きな瞳が心配そうに見つめている。澄んだ青と深い緑のグラデーションの中に映る自分自身を見ていると、吸い込まれるような不思議な錯覚におそわれる。


「歩くのが難しいようでしたら、手を貸しましょうか?」


 そんな幻想的な瞳を細めて、アンリ・デューディーが言葉を重ねた。


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