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10.ここで殺されちゃうんだ

「そうやなあ、ここはフィモネちゃんに答えてもらおか」


 記憶の中と重なるような声が響いて、フィモネはあわてて顔を上げる。


 段状に配置された机の先で、教壇に片手をついたパウズがこちらを見上げていた。ニヤッと口の端をゆがめて、意地の悪い笑みを浮かべている。    


 そうだ、今は講義の最中だった。


「俺が今言うた所。どうしてそうなったのか、フィモネちゃんなら答えられるやろ?」


 フィモネはぼんやりとした記憶をたどり、曖昧に浮かんでいるパウズの言葉を拾い集める。一秒か二秒ほどの間を置いてから、すぐに口を開いた。


「リュオンの絵画に多く見られるバロック様式の特徴ですよね。それは光の表現が特に発達しているという事です。理由はリュオンの絵描きにとっては魔術師が貴族や教会にも並ぶお客様だからで、魔術という不思議な力を劇的に伝えるために光彩を使った表現に力を入れたからだと考えられています」

「うっ。や、やるやないか」


 想像していた以上の情報量に圧倒されたのか、声を詰まらせたのはパウズの方だった。


 彼が決まり悪そうに授業を再開するのを確かめると、フィモネは小さく嘆息する。


 フィモネが講義を聞いていないように見えたので、急に質問をしてからかってやろうと思ったようだ。そんな子供みたいな彼の企みは失敗したが、危ない所だった。 


 いつものように前の方の席についていたら、本当にうわの空だった事が見抜かれていたはずだから。それに、何度か彼をにらみつけていたような気がするし。


 安心する一方で、フィモネは納得していた。パウズと話しているだけでも腹が立ってしまうのは、忘れていた幼少期に理由があった事が分かったからだ。


 その人の名前は思い出せない。確か父親であるライルの長い友人で、ホーバーンで画商をしていると言っていたはずだ。


 画商というのは、大まかに言えば画家が描いた絵画を買い取り、それを希望者に売る職業だ。今でこそフィモネも理解しているが、当時も今も画家か工房が直に注文を受ける事が常識であるリュオンでは聞き慣れない職業だった。


 見た目はパウズとは正反対だったが、特徴的な話し方と一度口を開けば機関銃のように止まらない言葉の勢い、そして遠慮のない馴れ馴れしい態度は同じだ。だから無意識に警戒心が働いたのかも知れない。もう二度と、彼みたいな人間に騙されないように……いや。


 そこまで考えて、フィモネは自分の唇をかむ。


(これ以上考えるのはやめよう。過去の事なんだし、パウズ先生だって関係ないんだし……お父さんが戻ってくる事だってないんだから) 


 それに、今だって深刻な問題が進行中なのだ。考えを切り替えたフィモネは、前の方の席に座る銀髪の後ろ姿へと視線を移した。


 寮のロビーでひどい言葉をかけてから、アンリとは一言も話していない。いつもは前の方の席に座るフィモネが今日は後ろの席を選んだのは、同じく前の方に座っているアンリと距離をとるためだった。


 悪いのは完全に自分だという事は分かっている。すぐに謝らなければいけない事だって。


 だけど普通に話すだけでも緊張する相手に真正面から謝るのは、緊張を超えて恐怖にも等しい。だからアンリに話しかけるどころか、余計に距離をとってしまった。


(でも、いつまでもこうしているわけにはいかないよね。寮のみんなにも気をつかわせているし、私なんかの言葉でも、アンリ様は落ち込んでいるかも知れないし)


 講義に聞き入るアンリの後ろ姿を見つめながら、フィモネはペンを持つ手に力をこめた。


(この講義が終わったら、すぐにアンリ様の所に行こう。それからきちんと謝って、あの言葉は昔の自分の絵に向けたものなんだと説明しよう)


 決心しただけで胸の鼓動が早くなり、体が震えだす。結局、パウズの講義は少しも集中できないまま終わった。


 講義の終わりを告げる鐘が鳴ると、フィモネはすぐに立ち上がる。


 しかし……その次の瞬間、彼女の体は石のように固まってしまう。それはフィモネが立ち上がったのとほとんど同じタイミングで、前の席のアンリもふり返ったからだった。


 フィモネを見上げるアンリの顔からは感情が消えていた。神秘的な顔立ちのせいか、彼女の無表情は他の人よりも恐ろしい気がする。見られただけで、講義中の決心も萎えてしまうほどの。


 アンリが立ち上がる。銀色の髪を大きく揺らして、段状の講義室を上ってくる。立ち尽くしているフィモネをまっすぐ見つめながら。

 

 さらに恐怖がこみ上げてきたが、今のフィモネには逃げる勇気も残されていなかった。


 フィモネの前に立ったアンリは、粗い息を交えながら話しかけてきた。

「フィモネさん……お話ししたい事があります。少しお時間いいですか?」


 今までのアンリとは違う、低く震えた声。


 フィモネの中には断るという選択肢はなく、黙って首をたてにふる。


「ありがとうございます。その、二人だけでお話しがしたいので、ここを出ましょうか」


 講義室を見回すと、事情を知っている学生達が心配そうな顔でこちらを見ていた。


「……はい」


 アンリは無言で歩きだす。彼女から少し遅れて、フィモネも講堂を出た。


 しかし講義が終わった直後とあって、廊下には多くの学生が行き交っていた。二人はしばらく無言で歩き続けていたが、誰もいない部屋や人目を避けられそうな場所も見つからない。


 フィモネはおそるおそるアンリの横に並んで、声をかけた。


「あ、アンリ様……引き返しませんか?これ以上探していたら、次の講義に間に合わないかも知れません」

「……そう、ですね」


 アンリは小さな声でこたえると、すっと足を止めた。


「申しわけないのですが、魔術をかけても良いですか?」

「え」

「『消認ディコージョン』という認識阻害の魔術です。まわりにいる人達に、私達の姿や声を感じられないようにします」 


 ここで魔術を使うなんて……アンリはどうしても今すぐに二人きりになりたいようだ。絵の悪口を言われた彼女の怒りは、フィモネが思っていたよりも大きかったのかも知れない。


 フィモネは嫌な予感がしたが、やけに真剣な顔のアンリを見ていると、断る事なんてできなかった。


「わ、分かりました。お願いします」

「ありがとうございます。それでは」


 アンリは左手の人差し指と中指を立てると、右手の人差し指を垂直の形で交差させる。するとアンリの両手が強い光を放って、二人を包み込んでいった。


 思わず目を閉じたフィモネが再び目を開くと、まっ白な空間の中には彼女とアンリだけが立っていた。


(あれ。認識阻害の魔術って聞いていたのに、どうしてこんな不思議な場所にいるんだろう)


「他の認識阻害の魔術を組み合わせて、私達も周りが見えないようにしたんです。認識されていないとはいっても、近くに人がいたら落ち着かないと思いまして」


 フィモネが驚いている事に気が付いたらしく、アンリがすぐに説明する。  


 あっさりと話していたけれど、二つの魔術を組み合わせるなんて、普通の魔術師ではできない事なのでは……そう思うフィモネだったが、アンリの幼い頃からの伝説を思い出して、それくらいは簡単かもしれないと納得する。


 その一方で、自分の中の恐怖がさらに増したのを感じとった。


 アンリは幼い頃に、ほとんど一人で恐ろしい魔獣の群れを撃退した事もあるという。例えばここでフィモネを葬り、人々の記憶からその存在を消す事なんて、魔獣を殺すよりもたやすいはずだ。


「これで、やっとお話しができますね」


 アンリがさらに低い声でつぶやき、異様に熱のこもった眼差しをフィモネに注ぐ。


 いつもとは明らかに様子が違うアンリを見て、フィモネの嫌な予感は確信へと格上げされた。


(ああ。私、ここで殺されちゃうんだ)


 アンリの魔術にとらわれてしまった以上、逃げる事もできない。恐怖が消えたわけではないが、覚悟を決めると不思議なくらい落ち着いた。


 やり残した事はたくさんあるけれど、せめて一つだけ……誤解とはいえ絵の悪口を言ってしまった事を、ちゃんと謝っておきたい。


 そう思って口を開こうとするフィモネだったが、わずかに早かったアンリの声に止められてしまう。


 しかも彼女の言葉は、フィモネにとって意外なものだった。


「私に、絵を教えてくださいっ!」



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