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LEGEND OF NAVY BLUE

LEGEND OF NAVY BLUE:四と八の狭間で

 一口に神と言っても、さまざまな神がいる。


 人里に住み、俗世間に溶け込んで過ごすものもいれば、僻地で隠れて過ごすものも、空から守るべき民を見守るものもいる。どれにも良し悪しはあるから、ライフスタイルに文句を言うつもりはない。


 が、目の前の少女は神様らしくないな、とカレイは思っている。幼い見た目――だけなら神にいくらでもいるが、それ相応にも見える元気で積極的で、それから少し向こう見ずな性格。


 頬にはいつもバンデージが巻いてあるが、その下には傷跡があって、これも向こう見ずな性格が災いしてできたらしい。


 この国をひとつまるまる守護する、それなりに高位の神である。


「ニャー」


 カレイは猫又だ。ふわふわした艶のあるグレーの毛並みは、見ただけであらゆる猫好きを幸せにする。モフれば更なる幸福に包まれるに違いない。


 カレイのやや不機嫌そうな声に反応して、目の前で本を読んでいる少女――Motchiy(モッチー)は顔を上げた。


「あれ、来てたんだ。いつの間に」


「ニャン」


「ごめん」Motchiyは気まずそうに頬をかく。「自分、猫語分からないからさ……」


 カレイの眉間にしわが寄った。猫もこんな顔をするんだ、とMotchiyは思った。


 今度、研究者の友人にでも頼んでニャウリンガルを仕入れるべきかもしれない。


「ごはん?」


「ニャ~」


 今度は一転、カレイは待ってましたとばかりに尻尾を振る。Motchiyは家の中のチェストを開き、中身を除いた。


「ごはんは……やべ、チャーハンとにんにくチューブしかない。玉ねぎ入ってるからダメか……リンゴ収穫してくる?」


「ンニャ!」


 Motchiyの自宅は、とある人里離れた山の奥にある。ちょこちょこ家から離れて人里に出ることも多いが、たいていこの家の中でのんびり過ごしている時間が多い。


 それで、この自宅の周囲には開けた山の緩やかなカーブが広がっているのだが、そこにはコメ、小麦、リンゴという珍妙な組み合わせの畑が作られていた。収穫を怠り、神力を無駄に使って先延ばしにしているせいで、いつまでも収穫期の金色の稲穂のままで止まっているのだが。


 それはそれで綺麗な景色ではあるので、カレイとしては嫌いではない。


 今回はそのうちのリンゴをいくらか収穫するようだ。


「よいしょ」


 Motchiyは読んでいた本にしおりを挟み、腰を上げる。


 小さなログハウスの外に出ると、明け方のやわらかな光が差し込んできた。そろそろ窓のカーテンを開けておいてもいいかもしれない。


「もう何月ぶりかな、収穫するの」


「ニャー」


 二人は軽く用意をすると、意気揚々とリンゴ林へと駆けだしたのだった。


 ――その直後、机の上でわずかに空間が揺らいでいたのは、二人には知る由もない……。



 * * *



 Motchiyの農園は、大きな山をまるまる一つ所有しているだけあり、かなりの広さがある。リンゴ林だけでも四区画に分けられており、それぞれ異なる品種が育てられていた。


 とことこ、とカレイが第二区画の方へ歩いていった。そちらに植えてあるのは、ここではなく北の遠国が原産の品種だ。ほかのよりも比較的果肉が硬くて噛み応えがあり、甘みも強いのが特徴である。


 原産国では品種改良が進み、ベースとなったこの品種はほとんど栽培されていないらしい、とは聞いた。


 些か残念なことだが、時代は移り変わるものだ。


「ニャオ」


「はいはい」


 小さなカレイに代わり、Motchiyが大きな赤いりんごをひとつ採る。水魔法でばばっと洗った後、小さく切ってからカレイに差し出した。


 金色の果肉は、嗅いだだけで満腹になるような錯覚さえするほどよい香りを放っている。見るからにおいしそうだ。


「ニャ!」


 がぶっと豪快にリンゴにかじりつくカレイ。猫がリンゴをむしゃむしゃ食べているのはやや珍妙な絵面だが、彼らと長く生活してきたMotchiyからすれば見慣れたものだ。それに、カレイは猫又である。何も問題はない。


 少し時間をかけつつ一切れを食べ終えると、またMotchiyを前足でつついておかわりを催促してくる。


「かわいいね~」


「ニャアー!」


「かわいいかわいい。モフモフ――あだぁっ!? あ、あげるから引っかかないでーっ」


「ニュ。ニャムニャム」


 Motchiyからリンゴを強奪できて、カレイはご満悦のようだ。Motchiyの手の甲に赤い引っかき傷ができてしまった。


 人間のように前足を器用に使い、リンゴを頬張るカレイ。その様子を眺めながら、Motchiyも自分でリンゴを切って食べる。


 甘い。みずみずしく新鮮なリンゴは、濃厚な甘みがありつつも流水のようにのどを潤してくれる。


「美味しいね」


「ニャオ……ニャ?」


 ぽた、とMotchiyの頭に水滴が落ちてきた。


 空を見上げると、木々と葉の隙間から覗く空は、いつのまにか曇天に覆われかけていた。湿気の急に多くなった空気を嫌い、カレイが身震いする。


「ん……雨だね。雲が来てるし……降りそうかな?」


「ニャオー」


「じゃあ、帰っとこうか」


 Motchiyは追加で数玉のリンゴを収穫すると、カレイに急かされながら家に戻る。畑からログハウスまでそう距離があるわけでもないが、家の中に戻ったころには既に、空は雨雲の鈍い黒に覆われてしまっていた。ほどなくして、ザーッと重い雨が降り出す。


 ギリギリセーフ、とMotchiyはひと息ついた。


「ニャアー」


「なに、まだ食べ足らないの?」


「ニャ!」


 湿気で少しもさっとしたカレイをなでなでし、新たなリンゴをたくさん剥いてあげた。ガラスの皿が埋まるほどたくさんカットしてあげたので、たぶんこれでカレイも満足するだろう。


 そういえば自分のぶんがなくなったな、とMotchiyは思ったが、この土砂降りの中また畑に出向くのは億劫だし、とりあえず我慢するとしよう。


 ソファに座って本を手に取ろうとするMotchiy。


「あれ?」


 だが、その本の上に見慣れない物品が置かれていたのに気が付いた。


 それは紺色のビデオテープである。比較的シンプルな外観をしていて、ラベルにはメーカーも題も記されていない。ただ、些か妙な雰囲気というか、うっすらと魔力を帯びていた。


 特殊な用途を持つ『魔道具』の類だろうか――とも思ったものの、どちらかといえばこれ自体が魔法を持つのではなく、単に何かの魔法をかけられたようだ。


 突如出現する謎アイテムも珍しいが、このご時世にビデオテープというのも珍しい。


「そういえば、プレイヤーがあったっけな」


 Motchiyはこのテープに興味を持ったらしい。


 家のチェストをいくつかひっくり返し、その中からVHSプレイヤーを引きずり出して、古びたテレビに繋いでみた。


 VHSプレイヤーのスロットに、紺色のビデオテープが挿入される。


「おお」


「ニャ?」


 それと同時に、テレビの液晶にうっすら、とある風景の映像が映し出された――。



 * * * 



 それから半時間後。


「ふむ、妙な様子だ」


 Motchiyの旧知の仲であり、カレイの飼い主でもある少年――『最高裁(シュプリームコート)』が連絡を受けたのは、Motchiyがテープの視聴を始めてから約三十分後のことであった。


 連絡はカレイから。そして内容は、救助要請。


 彼は土砂降りの雨の中、傘も差さずにMotchiyのログハウス前に立ち、腕組みをして注意深く様子を観察していた。


 ただ、傘こそ差していないが、降りしきる雨粒は彼の艶やかな銀髪に落ちる前に、バチバチ、と量子結界に弾かれて霧散する。


「……」


 何かが引っ掛かる。


 素直にこの家の扉を開けてもいいものか、と思うくらいには引っ掛かっている。


 彼の飼い猫又であるカレイはこの中にいるのであろうが、その救助を一瞬ためらうほどには、この周囲一帯は異様な雰囲気に包まれていた。


「…………」


 何がおかしいのかを言語化するのは『最高裁』でも難しかったが、強いて言うならば静寂、それから魔力の乱れか。


 静寂については文字通りだ。


 魔力の乱れは……『最高裁』の考えだと、おそらくほんの数分前まで、周囲一帯にMotchiyでもカレイでもない第三者が魔法を行使していたものと思われる。おそらくは、精神に作用するものを。


 精神に干渉する系統の魔法は『最高裁』が嫌いな部類だが、それだけにより敏感に察知できる。


「……魔法自体は終了している、と見ていいか。ふむ、ならば山本君をひとつ信じておくとしよう」


 亜空間からレモンジュースの紙パックを取り出し、一気に飲み干す。どういう原理かは知らないが、魔法に若干の耐性をつけられるものだ。一種のポーションと呼んでいいかもしれない。


 『最高裁』が意を決してドアノブに手を掛け、開く。大きな木の扉はまったく軋みもせず、滑らかに開いた。


「Motchiy君!」


「……ニャ!」


 彼の呼び声に反応したのは、Motchiyではなくカレイだった。


 憔悴した様子のカレイは家の奥から一目散に駆け寄ってくると、主を確認して安心するためか『最高裁』に飛びついた。


「ニャウ、ニャ! ンニャ……」


「ビデオテープ……?」


「ニャ!」


「ふむ……」


 カレイの頭を宥めるように優しく撫でる。


 少しするとすぐにカレイも落ち着きを取り戻し、『最高裁』を家の奥、Motchiyのいる場所へと招き入れた。


 そして、そこには。


「……」


 Motchiyが倒れていた。


「ふむ……この様子だとやはり、精神干渉の類か。とはいえ、彼女ほどの神をノックアウトするような強力なモノがあるとはね」


「ニャン……」


「君のせいじゃないさ。元よりMotchiy君は迂闊だからね」


 幸い、影響を受けているのは精神だけらしい。変な夢でも見ているのか否か、表情を歪ませつつ何かを口走っている。


 呼吸はあるし脈はある。


「さてと、ビデオテープとのことだが」


 テレビの横に据え置かれた、黒色のVHSプレイヤーに視線をやる。リジェクトスイッチを押すと、中から紺色のカセットが吐き出された。


 『最高裁』はそれを手に取り、品定めするかのようにそれを観察する。


「……ふむ」


「ニャ?」


 何か分かったの、とせっつくようにカレイが尻尾をパタパタさせた。


「ま、これが元凶で間違いはないね。……とはいえ、これには些か気にかかる所もある」


「ニャウ~ミャ、ニャー」


「そう。それと、これの性質が神力にも似ているということだ。神力自体は此方でも扱えるが……ふむ、これほどうまい使い方をできるのはそう見たことがない。あるとすれば当の彼女だがね」


 Motchiyは未だに眠っているが、いつのまにか寝返りをうったようだ。『最高裁』が地べたに転がる彼女を引っ張り上げ、ソファに寝かせる。


「神力とは、言うなれば魔力の上位形態。ほとんどの神は扱えるがそう効率は良くなく、真価を発揮できるのは大抵、世界や概念を創造・破壊するような大技だけだ。だから此方のような神も、一般的には魔力を扱う」


「ニャ?」


「ただしMotchiyは神の中でもずば抜けて神力の扱いが上手い。普段使いの炎の魔法も、水も雷も、普通なら逆にパフォーマンスが落ちるはずの所でも神力でかなりの威力を発揮できる」


「ミャウ」


 カレイは自分にもできるか、と尋ねた。


「君には無理だね」


「ニャー……」


 飼い猫又の素朴な疑問に『最高裁』は笑顔で返しつつ、まずは魔力を上手に使えるようになりたまえ、と勧める。カレイは少し馬鹿にされた気持ちになり、不機嫌そうに尾を叩きつけた。毛玉の転がるような可愛らしい音がする。


「まあ要するに彼女は神力の扱いが異様に上手いわけだが、それと同じような性質があるのだよ、このビデオテープには」


「ミャウ、ウミャー、ニャーン」


 つまり、それはMotchiyと同等以上の力を持つ神が背後にいる、ということでもある。


 Motchiyはよく苦戦するし、ちょこちょこ吹っ飛ばされて敗北を喫することもあるが、『最高裁』は彼女が弱い訳ではないと確信している。むしろ、彼女が全力を出しているようには到底見えない。


 素人目には本気でかかって本気で転がされた、という戦いに見えても、『最高裁』からすればMotchiyは己の力を制限しているようにも思えていた。


 いずれにしても、真相は闇の中だが。彼女が話す気にならなければ、分からない。


「解析してみようか」


「ニャ」


 『最高裁』の頭のそばで浮遊している物体――正式名称は『量子電磁力学的りょうしでんじりきがくてき自立稼働式双淡蒼刃じりつかどうしきそうたんそうじん』、通称『三角定規』――が、電磁力由来の小気味よい電子音を奏でながら回転する。


「……ふむ……この様子だと、転移元の解析も容易だ。おそらく制作者はこれの機能に手一杯で、隠蔽に手が回らなかったのかもしれないね。どれ――」


「ニャーオ?」


「――ああ、忘れるところだった。そろそろ彼女を起こすとしよう、悪夢にうなされ続けていては可哀想だ」


 Motchiyの頬をぺちぺち、とカレイがつっつく。


「う……うぅ……」


「ニャ!」


「……う……?」


「ニャー!」


「……はっ……!? あ、あれ……?」


 起きたようだ。


 カレイはつつくを通り越してもはや殴っていたのだが、あまりその痛みは感じていないらしい。頭痛がするのか眉間を押さえ、深呼吸をしてからようやっと『最高裁』がいることに気が付いた。


「……こ、『(コート)』?」


「そうだが、どうかしたのかね。精神干渉を喰らったようだが、夢の中で此方が殺されでもしたのかい」


 『最高裁』は少し冗談めかしてそう返した。Motchiyはそれにつられて軽く笑った――ようにも見えたが、すぐに深刻そうな顔つきに戻る。


 どうやら、ことはただの夢で済ませられるわけではないらしい、と腕を組む『最高裁』。


「……これは夢……なの?」


「水槽の脳仮説に即して言えば、その可能性もある」


「……ええと」


「何を経験したのか、落ち着いて話してくれたまえ」


 差し出された水を一気に飲むと、Motchiyは記憶を整理するようにぼそぼそ、何かを呟きながら目を閉じる。


「……悲劇の主人公を、マルチタスクでたくさん経験した気分だよ」


「ふむ、というと?」


「えーと。……まだ記憶がこんがらがってるなぁ……うっ、頭が痛い」


 空になったグラスと引き換えに、『最高裁』はもう一パックのレモンジュースを取り出した。先ほど飲んだものと同じ、魔法耐性作用のあるものだ。


 病人にこの酸味は些かきついかもしれないが、まあ大丈夫だろう。蜂蜜配合でそれなりにまろやかな味だ。


「ありがと……」


 Motchiyがストローからレモンジュースを飲んでいる間、『最高裁』は顎に手を当てて思考を巡らせる。


 ビデオテープの性質は『物語を追体験させる』ことか、それとも『記憶を植え付ける』ことだろうか? 他にもいくらでも可能性は考えられる。


「んと、多分記憶の捏造だよ。このビデオ内容を見てた時、ずっと頭がふわふわしてたって言うか……うーん、リアルな夢を見てたね。それこそ、現実のほうが夢なんじゃないかって思うくらいに」


「成程」


 そう言ってため息を吐くMotchiy。自分の経験した状況を説明できるくらいには落ち着いたようだ。


 『最高裁』はまた少し考えこんだ。


「君の調子が良くなったようなら、此方はこれの制作者を追跡しようと思う。どうする? ついて来るかね」


「……うん。たぶん大丈夫だ」


 ほんとかな、とカレイは思ったが、口には出さなかった。


 ――バチバチッ!


 紺色のビデオテープに向けて『最高裁』が何らかの魔法を行使する。転移元がどこにあるかを解析しているようだ。


「ふむ。最低限の防衛機構……ない方がコスト削減に繋がるような気もするがね」


 しばらくビデオテープは、子供が親から逃げようとするように火花を散らして暴れていたが、『最高裁』の魔力に押されてすぐに大人しくなった。


 正確な位置情報を読み取ることは容易である。『最高裁』は相変わらず落ち着き払った様子で腕を組み、Motchiyはそこに少しドヤ顔が混ざっている気がした。


「ここからそう遠くはない。すぐ向かえそうな地点に――Motchiy、どうした?」


「いやその……ビデオテープが爆発しそうな――」


 次の瞬間にはドモンッ! と、大きな音がして、三者の意識が吹き飛ばされた……。



 * * *



「ここは……ふむ? 防衛機構を強引に破壊したのが少々不味かったか。オーバーロードで焼き切れると思ったが」


 ここはボロボロで今にも崩れ落ちてしまいそうな木造建築の中だった。照明はなく、小さな窓から差し込む明かりも弱々しい。足元に注意しないと、転がったいろんなものに躓きかねない。


 『最高裁』が速やかに位置情報を解析すると、どうやらここは先ほど突き止めたビデオテープの転移元で間違いはない。


 ただひとつ引っかかったのが、周囲にMotchiy及びカレイの気配がないこと。自分だけが巻き込まれているのか、それとも個別にどこかに転移したのか。


「あるいは……これもひとつの夢の中」


 静かに空間が歪み、『最高裁』の手の中にガベルが出現する。


 ここが仮にビデオテープによる夢の中であるとすれば、自分にとって随分と不利な状況である。夢というのは結局誰かの精神世界だし、精神というのはかなり楽に干渉できる。夢の主――この場合はビデオテープ――がそう書き換えれば、一住民でしかない『最高裁』に抗う力はほぼ無いと言っていいだろう。

 まあ、もしそうだとすれば目を覚ませばいい。


「――スフェクル!」


「ガァアアアアアッ!!」


 突如、地が裂けるような雄叫びが一帯に轟いた! 次の瞬間にははるか上空から白い爪が振り下ろされ、一瞬にしてこのボロボロの家を吹き飛ばす。


 爪の一撃で全壊した家屋。その向こうに姿を現したのは――赤黒く無機質な太陽。そして、それに照らされた黒い世界――。


「やはり推測は当たっていたようだね」


「おめでとう――僅か十七・六秒で適切な解に辿り着くことができた。これは『祝福』すべきだな」


 その太陽を背にするように、一人の青年が宙に浮いていた。


 わずかに青みのかかった白髪、対照的に血のような赤い瞳。服装は紺色の燕尾服だが、意匠は他者を刺すナイフのように刺々しい。左肩には赤い薔薇が添えられている。


 見下したような視線のまま、骨組みだけの片翼で青年は大地へ降りる。


「君は?」


「イティミトゥ。私のことはそう呼んでくれ」


「名前はどうでもいいんだがね……」


 イティミトゥは青いガラスのような剣を手に取り、軽く明後日の方に向けて振るった。それだけで、その先にあった岩が粉々に砕け散る。


 魔力、魔法の気配が一切しなかった。かなりとんでもない威力だ。


「穏やかではないね。まあ、君の事はもとより叩き潰すつもりだが」


「やれるものならやってみるがいい。解に辿り着いたのならば分かるだろう? 世界の主には敵わないと」


「さて、そうだろうか」


 バッ、と振り上げたガベルが蒼い炎を纏う。


「先程のようにスフェクルを呼び出すのは少々骨が折れるのだよ。まずは君と此方だけで、武術の勝負だ――」


 ――キュイインッ!


 イティミトゥに向け、二枚の『三角定規』が飛来する! すぐさまそれを剣で弾き返すも、緻密に操作された回転により絶え間ない斬撃が再来した。


「はっ!」


 さらに『最高裁』がその場でガベルを振るう。まるで透明な壁を殴ったようにある一点でガベルは制止し、かわりに超大圧力がイティミトゥを横から殴りつけた!


「……」


 イティミトゥは軽く吹き飛ばされ、地を転がる。頬を切り裂いた『三角定規』の一片をへし折りながら、彼は不敵な薄ら笑いを浮かべた。


「……これは『祝福』すべきだ。面白い、私のマニピュレーションが適切に働いていない」


「此方が神であることを忘れてはいないかね」


 赤い太陽が、まるで心臓のように不気味に蠢く。


「とはいえ、これで十分――傷はもう負わずに済む。『極陽の定め(ハード・ア・グリード)』」


「!」


 突如『最高裁』の視界の端に、己の鮮血が映りこんだ!


 イティミトゥは剣を振るった様子もない。だが、確実に己の右腕には深い裂創が刻み込まれている……。何が起きたか分析を試みる間にも、さらにひとつの裂創が増えた。


「私の能力(マジック)だ」


「それは分かるがね」


「……私の心拍に合わせて、回避不可能の裂創を与える能力。時を経るごとに私が優位に立つ……無駄話をする時間も惜しいのではないか?」


「ふむ……」


 左足、背、首筋、額。一定のテンポで『最高裁』の体のランダムな位置に傷が増えてゆく。


 それに――心拍に合わせて発動するというのが本当ならば、戦闘状態のまま長時間を維持するのはまずい。


「確かに君の言う通りだね……スフェクル」


「ほう」


 まるで隕石のような勢いで、再び鋭い爪が飛来する!


 超スピードにソニックブームを伴いながら、イティミトゥに向けて重すぎる一撃が振り下ろされた!


「ガァアアアアッ!」


 それだけではない。


 今回は出し惜しみをしないという『最高裁』の判断の元、スフェクルが真の姿を現したのである。蒼白の炎が辺りを覆い、黒い空をも塗り替える。


 見上げても見上げ足りないほどの巨龍。纏う炎と同じ、美しくもどこか影を落としたような色合いの鱗を持つ。


「スフェクルは此方の使い魔、といったポジションだ。此方が現役だったころからの付き合い……ま、腐れ縁かな。仲はそう良くないがね」


「……」


 未だに傷をその身に増やしながらも、縦横無尽に空を飛び、イティミトゥと激しいせめぎ合いを続ける『最高裁』。


 鋭い刃とガベルがぶつかり合うたびに大きな衝撃波が生まれ、まるで昼光のような火花が散った!


「ガァアアア!」


 そこにすかさずスフェクルの追撃が入る! イティミトゥの細い剣でその爪撃を受け止めるも、折れこそせずともかなりの衝撃に吹き飛ばされそうだ。


「ふむ、有効打を与えるのは難しそうだね」


「傷はもはや負わない、私はそう言った」


 いつしか『最高裁』の体は無数の裂傷でズタズタになり、見るも無残な満身創痍になっている。だが、傷の多さも失った血も、当人からしてみればほとんど些事であるようだ。


「これだと互角の状態が続きそうだ。一応言っておくと、此方は肉体的な傷はそう障害にならないのだよ」


「……」


「ひとつ問いたいのだが、いいかね」


「……ふん、私が答えられるかは知らないが」


 『最高裁』は咳払いをした。


「君はあのビデオテープと直接的な関係は無いようだ。宿っているわけでも、制作者でも、Motchiyに対する仕掛け人でもない……君はどんな立ち位置にあるのかを聞きたい」


「私、イティミトゥはただの『協力者』だ。私の口から言えるのはそれだけ――時が来れば、おのずとすべては明らかになるだろう」


「そうかい――それならば」


 ピン――と、蒼銀のコインがクリスタルのような音を立てて地を転がる……。


「『ウラ』だ」


「ッ――!」


 ――バァンッ!!


 突如としてイティミトゥは不可視の攻撃によって吹き飛ばされ、受け身を取る暇もなく地面へ叩きつける。


「いくら神でも遊戯の上手し悪しには差があるが……かつては此方は、『チェス』で負けなしだったのさ」


 黒白の反転、現世の昇華、蒼玉の融転!!


 気づけばイティミトゥと『最高裁』が立っているこの大地は、非常にシンプルなエイト・エイトのゲームボードへと変化していた!


 ビシッ、と傷だらけの『最高裁』が力強く指を向ける。


「本来なら此方はただの簒奪者でしかないのだがね。山本に『フォニィ』と呼ばれるのも妥当な経歴がある」


「ッ……カハッ、この能力(マジック)は――」


「『独リ善ガリノ花ジャスト・イン・マイ・ハンド』――本当の(ボク)能力(マジック)だ」


「ガァアアアッ!」


 チェス盤のキングに『最高裁』が、クイーンにスフェクルが座する。


「ありえん……! 神殺しをも幾度となく成し遂げてきたこの私が、ただのゲームに……!」


「ひとつ、此方の身の上話をしてあげよう」


 1――e4。


(ボク)がこの世に神として誕生してから、すべての軌跡はあらかじめ計算され、(ボク)はそのレールに沿って進むはずだった――」


 1――d5。


「とはいえやはり、未来予知ですらないただの設計図がすべてうまくいくはずがない」


 exd5、Qxd5……。


(ボク)は有望な『正義の神』として、とある人物に師事していた。師匠だけでなく、彼の孫娘との親交も深かった。当時の(ボク)には知る由もなかったが、どうやら政略結婚をする予定だったらしい――当時のままの(ボク)であればそうまんざらでもなかったろうね」


 Nc3、Qd6……。


「だがね、(ボク)がその座を手にする前に、師匠は殺され、すべての『正義』という概念が捻じ曲がるに至る」


「ガァアッ」


 d4、Nf6……。


 スフェクルが不機嫌そうに蒼炎を吐く。


「この辺の話は今は割愛しようか。ともかく、(ボク)も死にかけたし、運良く生き延びたところで存在価値が危ういような状態に陥ったのさ」


 Nf3、a6……。


 未だに彼の裂創は増え続け、止まらない血が滝のように流れ続ける。だが、相も変わらず、まるで体の痛みなど何も感じていないかのように棋の上で舞っていく。


「そこで(ボク)は思った――『正義はやはり力がすべてだ』とね。滑稽だろう? この世界の弱者を守るためのメカニズムが、結局力に支配されているとはね!」


 Be2、b5……。


「……いつだって歴史は繰り返す。私も悪の興りを、正義の興りを、物語の終幕を見届けた」


「そう、その通り」


 O-O、Bb7。


 イティミトゥが剣を構え、いつでも目の前の少年を切り捨てられるとしても、彼はやはり動かない。まるで陶酔しているように。


「結局、力のある者が持たない者を憐れみ、慈悲の涙を零すことで正義は成立するんだ」


「……それが自分だとでも言うつもりか?」


 Ne5、Nbd7。


 大仰に首を振る少年。


「そんなまさか! (ボク)は確かに正義を気取っているが――歪んだ正義なんだよ! (ボク)の究極のベーシック……『独善』はこの花萼に深く! 色濃く! 刻まれているからね――」


 Bf4、Qb6。


 a4、b4。


 Nc4、Qa7……数えきれないくらい、盤の上でくだらない戦いが繰り返される。


「フフ……話は終わりだ。スフェクルももう飽きてきたようだしね」


「……『極陽の定め(ハード・ア・グリード)』ッ!」


 より深い裂創が刻まれる。


 さあ、棋は動き出す! 向かう先はひとつ――


「チェックメイトだッ!!」


「効くかァッ!」


 Kc4、Ka2!


 『最高裁』のガベルはイティミトゥの剣をまるで無形の水のように逸らし、鋭利な氷の刃のように叩き折る!


「な――!」


「グルァアアアアアアアアアアア!!」


 Qxb3+、Ka1!


 握っている剣が木っ端みじんに砕かれ、動揺したイティミトゥにさらに炎の雨が降り注ぐ!


「残り一手――」


 Kc3、g4!!


 盤を蹴った『最高裁』は、最高スピードで敵の懐へ潜り込み――


「――終わりだッ!」


 Qb2#!!


 チェックメイト――!!!



 * * *



「あのビデオテープは山本(やまもと)が管理、調査してくれるらしいよ」


「ンニャニャ」


 Motchiyのログハウスに、『謝礼金』なる封筒を携えた『最高裁』がやってきた。彼の頭の上にはカレイがふんぞり返っている。


「そうか。ま、一件落着して良かったよ……自分がまた気絶してる間に、すべて終わってたものだからよく分からなかったけど」


「そのくらいがいいんじゃあないかね。君はいつも動き過ぎだ、たまには此方なんかに任せて、休んでおきたまえ」


「休みとは言えないでしょ……」


 封筒を受け取り、それを開くと、中にあったのは一枚のレコード、そして手紙――。


 それには流暢な筆跡と、角ばった丁重な筆跡で書かれた二枚があった。


『最高裁にMotchiy、こっちにわざわざ送ってくれてありがとう。少し前から類似のモノがちらほら見つかっていてね、そろそろ一元管理でもするべきじゃないかと思っていたんだよ。というわけで、また何か見つけたらどしどし送ってね。こっちで研究させてもらうよ。


 同封のレコードは謝礼だ――Motchiyはお金をもらっても使わないだろうから。落ち着いたピアノ曲だよ、寝る時にでも聞いてほしい。


 それとあとひとつ。近く、カイハくんがそちらに遊びに来るらしい。何があるのかは彼の手紙に――ぜひもてなしてくれよ』


『久しいな。


 数週間かかるだろうが、そろそろそちらへ行くと思う。とある厄介事を持ち込むが許してくれ。


 その厄介事はここには書けない。九割九分、情報ミームによってデータが壊されるからだ。


 とはいえ特別な準備は必要ない。安心してくれ。

 では。』


 几帳面に描かれたその字を読んで――Motchiyはうなだれた。


 彼がこうして意味深なことを書いてくるなら、決まって相当な面倒事だ。


「ジンクスだからね……」


「……次は此方以外の人物が巻き込まれそうだね」

 というわけで今回はどちらかというとMotchiyより最高裁くんが主人公です。

 彼の過去もいろいろあったわけですが、今回は若干の補足になりますね。こんなほんのちょっとの補足ために12000字書くのはどうかしている。

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