猫の跫音
いることにしたほうが――きっと楽しいわよね。
1
猫も――幽霊に成るのかな。
そう尋ねる私に、きっと友⼈は⿇婆⾖腐をひっくり返したように――いや、多分それ以上の勢いで、烈⽕の如く怒るだろう。
なにしろ霊感だの⼼霊だのが――
銀河の果てより嫌いだと⾔っていた。
天国よりも阿呆な話だと⾔っていた。
思ったとおり、友⼈は――占星術師・笹⽬天元こと⽊下定男は⾜の⼩指をぶつけた般若のような貌になった。
しかし――その答えは私の予想とは違っていた。
そんなもん、成るに決まってるだろが――
2
へええ、ルポライターの⼈って初めて⾒るわあ、あ、ご免なさいねえ不躾に。
そりゃ商売柄さ、⼈にはよく会うけどルポライターの⽅は初めてよ。
そうそう、⼩さいんだけどね、自分の店よ。
店ではね、ゲンさんって呼ばれてるの。
ほんとはね、綺麗な源⽒名っていうの、それがよかったけど考えるのが⾯倒臭くなってね、源⽒名だからゲンさんでいいかみたいな。
あら、なんの話だったっけ、そうそう、猫よ。
お客さんにね、猫を飼ってらした⽅がいるの。
そ、過去形だわね。
だってさ――
⽮で撃たれたらしいのよ
偶にいるでしょ、動物をさ、⽮で撃ったりする⾺⿅が。
でも飼ってたというか、庭先にさ、なんとなくこう、居着いたみたいな感じだったらしいのよ。
餌をあげたりもするけど、急に居なくなったりとか。
でもまあ――居⼼地がよかったんでしょうね。
だって、その家に居る時に撃たれたらしいの、その猫ちゃん。
可哀想にねえ、⾃分の家みたいに感じてたのかしらねえ。
飼猫だろうが、野良猫だろうが――猫は猫で⽣きてるだけじゃないの。
それを矢で撃つって、感覚が解らないわよ。
え?
そりゃそうよ、そのお客さんも、そりゃあもう萎れてらしてねえ。
飼ってたわけじゃないけど――家族みたいな感じがしてた、って――
ちょっと――ごめんなさいね、年かしらねえ、涙脆くなっちゃって――
そうそう――でね、何だっけ、あそうだ、そのお客さんにね、尋ねられたの。
猫も幽霊になるのかしら、って――
もし、幽霊になるのなら――
供養できるのかしら、って――
3
東洋正統占星術・⿇破空――
天元の経営する、その失敗した⿇婆⾖腐みたいな名前の占い屋は意外にもそれなりに繁盛しているようだった。
⻘⿊い天鵞絨と夥しい占いの書物に囲まれたその部屋で――
天元の答を聞いて、私は随分と意外な顔をしたのだろう。
そんなに驚く話じゃねえだろ――
天元は般若の貌のままそう⾔った。
そ、そうか、いやな天元、私はてっきり、そんなもん居るわけないだろがこの⾺⿅がと、この唐変⽊がと⾔われるかと思ってたからな――
俺はそんなに⼝が悪くないわと、友⼈は毒づいた。
⼈間、⾃分の事は案外判らないものだ。
そりゃ実際はな、幽霊だの死霊だのが居るかどうかは判らんさ。
死んだ事がないんだからな。
だから――
居ることにするんだろうが。
天元はそう⾔った。
前にも⾔ったがな、死んだ奴は怒りもしないし泣きもしないよ。
祟ったり呪ったりなんて芸当は、もっとできねえよ。
たとえやってても判らねえよこっちは。
だったら―― 笑ってることにするのが⼀番だろ。
友⼈が――天元が、⾃分⾃⾝に呪いをかけて苦しんでいる依頼者によく⾔う台詞だ。
笑っていらっしゃることに、してはどうでしょうか――
遺された者が、能く⽣きられるように――
能く⽣きてなきゃ、逝ってしまわれた⽅は笑ってくれんだろ。
そんなの、相⼿が⼈だろうが⽝だろうが⾺だろうが――
猫だろうが⼀緒さ。
天元は椅⼦の上で猫のように伸びをすると――天井を⾒上げたままそう⾔った。
そうだな――そう考えるのが⼀番いいんだろうな。
ゲンさんにも、そう伝えるか。
ゲンさんて誰だ。
天元は天井を⾒上げたまま聞いてくる。
私はウォーターサーバで⽔を注ぐために⽴ち上がりながら⾔った。
取材の途中で知り合ったんだ。
ゲンさんもご商売をされてるんだがな、お客さんが飼ってた――というより、かわいがってたのかな――いや、そうでもないか――
飼ってたわけじゃないけど、家族みたいな感じがしてたって――
ゲンさんの⾔葉を思い出す。
そう――家族、かな、そんな⾵に感じてた猫が――殺されたらしい。
ゆっくりと視線をこちらに向けた天元は――
画鋲を踏んだ般若のような眼をしていた。
4
お忙しいところ、わざわざお越しいただきありがとうございます――
似合わない髭を⽣やした友⼈は、そう⾔ってゲンさんに深々と頭を下げた。
あらやだ、そんな⼤したことじゃ無いわよ、私だって、お客さんの代理だものね。
椅⼦にようやく体を納めると、ゲンさんは笑顔でそう⾔った。
2⽇前――私の話を聞いた天元は、何故か件の猫の住んでいた家の家主に会いたがった。
あいにく先⽅の都合が悪く、代わりにゲンさんが来たのだが――
この年になっても初めての事って沢山あるのねえ、ルポライターさんに会うのも初めてだったし、占い屋さんに来たのも初めてだわよ。
でもあれね、占い屋すぎるくらい――占い屋さんだわね。
ゲンさんは物珍しそうに周りを⾒ながら、⼦供のように眼を輝かせている。
なんとか占い屋の体裁は保っております。
まあ――最近は妙な依頼が多くてですね。
ですが――今回の件は、⾒過ごすには忍びないと思いまして――
天元の⾔葉に、ゲンさんの表情がわずかに曇る。
今回の件って、あれでしょ、猫の――。
ええ。
私の協⼒者――そちらに座ってらっしゃるルポライターさんからも、概ねお話はさせていただいたかと思います。
そうだ――あの⽇、店を出た私はすぐにゲンさんに連絡を取った。
猫の幽霊がいるかどうかは、判らない――
ただ、いることにすることならできる――
笑っていることにだって、⽣きる側が――
そうよねえ、そう思って⽣きるしかないわよねえ――
でも猫が気の毒でねえ、やっと居場所が⾒つかったかもしれないのにさ――
頬に⼿を当てて呟くゲンさんは――性別は秘密なのだそうだ。
最初に会った時にも、笑顔でそう⾔った。
そりゃ苦労が多い時もあったわよお、どっちでもないんだからさ――
でもねえ、今は居場所があるのよ、それで充分幸せだわよ――
だから――
だから、居場所を⾒つけたかもしれない猫が理不尽に殺されたことが余計に悲しいのだろう。
居場所のない猫が――
私は占星術を⽣業としていますが、残念ながら猫の事まで占う事はできません――⽣年⽉⽇が判りませんからね。
ですが、今も私達が⾒上げている星空には――
かつて、ねこ座という星座がありました。
天元はゲンさんを⾒つめながらそう⾔った。
あった、ってことは――今はないの?
ゲンさんの問いに、天元はゆっくりと⾸を振る。
ありますよ。
ただ、今では使われていない――というだけです。
18世紀にフランスの天⽂学者、ジェームズ・ラランドが考案した星座でしてね。
ラランド⾃⾝もかなりの愛猫家だったらしいですから――空に輝く猫の星座を考案したのです。
残念ながら20世紀初頭に国際天⽂学連合が定めた88星座には選定されませんでしたが――
天元はにやりと笑う。
そんなものに選ばれることなく、気ままに空を歩き回っている⽅が――猫らしいと思われませんか。
俯いていたゲンさんは――ふっ、と息を吐くように⼩さく笑った。
そうねえ――
使われなくたって、選ばれなくたって――
――今も空には居るのよね。
飼猫でも、野良猫でも――
どっちでもなくたって――
顔を上げたゲンさんは――涙を拭いながら笑った。
いることにしたほうが――きっと楽しいわよね。
天元は――深く頷いた。
5
ゲンさんが帰った後、天元は私に不思議な依頼をした。
その猫が居着いてた家の⽅にな――ちょっとお願いしたいことがあるんだ。
そんなに⼤したことじゃねえよ、上⼿くいくかも判らんしな。
ただ――
天元は般若が笑ったような貌をして⾔った。
猫の祟りがどんなものか――⾝に染ませてやるさ。
友⼈の眼が――⻘⽩く光って⾒えた気がした。
6
友⼈の依頼は快く了承され――その家の敷地と塀に、天元によってあるモノが描かれた。
⾚茶けた⾊の絵の具で描いた、汚れとも⾜跡とも取れるものだ。
見ようによっては、猫の足跡にも――
見えなくもない代物だ。
それは敷地から点々と道に続き、やがて塀の上にも跡を残しながら――途中で掠れるように消えている。
犯⼈がこの近くに住んでりゃ――
まだ獲物を探してりゃ、ここを通るかもな。
天元は⻘い炎を噴き出しそうな貌で呟いた。
それから数⽇後――
近隣に住む⼀⼈の少年が補導された。
知り合いの警察関係者から聞いた話だが――
ボウガンと⽮を持って警察署を訪れた少年はひどく怯えていたらしい。
そして犯⾏を⾃供する中で、奇妙な事を言ったそうだ。
猫の、跫⾳がするんです――と
7.
あぁらいらっしゃい、こないだはすっかりお世話になっちゃったわね。
あら、今⽇はあの、髭の占い師の⽅は⼀緒じゃないの?
あらそう、占い屋さんも忙しいのねえ、いいことだわよ。
あ、そうそう聞いた?
あの猫ちゃんを撃った犯⼈、捕まったんですって。
それがまだ⾼校⽣だっていうじゃない、世も末だわよ。
でもまあ、これで猫ちゃんも――
そこまで⾔ったところで、ゲンさんは何か思い出したのか話を変えた。
あそうだ、今度さ、天元さんにも来てもらってちょうだいよ。
あたしさ、新しいカクテル考えたのよ。
最初に飲んでほしくってさ――
ゲンさんは⽬を輝かせながらそう⾔った。
名前はもう決めてるのよ、不思議ねえ、⾃分の源⽒名は全然思いつかなかったのに、カクテルの名前は直ぐに決まったのよ。
あのね、ネコノアシオトっていうのよ――
それは素敵な名前ですねと――私は笑顔でそう⾔った。
友人なら、きっと――
般若のような顔で喜ぶだろう。