一の鳥居: 『命(いのち)の糸(いと)』の掛かる場所
鳥居のルールはそれこそ三つ子の頃から神社に参詣に行く度に聞かされた。それを実感した一番古い記憶は、一の鳥居がらみの体験で、二の鳥居よりもさらに溯り、まだ保育園児だった頃だ。
4歳になったぐらいから、僕は近所の子供数人とだけで、少しづつ行動範囲を伸ばすようになっていた。ご近所の2つ年上の姉御xに引き連れられて。
親は同伴しない。僕の育った地域では、子供を100%監視・管理しないと安心出来ないような未熟親など居なかったのだ。
こうして近所の一の鳥居も行動範囲となった。
鳥居のルールはそれこそ三つ子の頃から神社に参詣に行く度に聞かされた。それを実感した一番古い記憶は、一の鳥居がらみの体験で、二の鳥居よりもさらに溯り、まだ保育園児だった頃だ。
4歳になったぐらいから、僕は近所の子供数人とだけで、少しづつ行動範囲を伸ばすようになっていた。ご近所の2つ年上の姉御Xに引き連れられて。
親は同伴しない。僕の育った地域では、子供を100%監視・管理しないと安心出来ないような未熟親など居なかったのだ。
こうして近所の一の鳥居も行動範囲となった。
§ § § § § § § § § § § §
この一の鳥居には、母親に連れられて何度も行っていた。そのすぐ近くに最寄りのバス停と地元スーパーあったからだ。
親と行く時は、自転車だと行き帰り共に鳥居を潜り、歩きだと行き帰り共に柱の外側を通っていた。
でも、子供だけとなると、親の目がないこともあって、歩道を横に広がったりするし、鳥居の柱そのものに興味を持ったりもする。
姉御Xは何度も来たことがあるようで、平気で鳥居の車道側を潜る。
車道側といっても、裏参道側なので車が少ない。しかも歩道は狭い上に街路樹の木陰でじめじめする。だから大人の多くが車道側を歩いている。
そういうこともあって、生来の臆病者だった僕も、3回目ぐらいの「一の鳥居」冒険で、姉御Xに付いて、帰りに鳥居の柱の内側を潜った。
そこは新世界だった。
鳥居の柱の外と内では見えるモノが全然違う。自転車の上と下とでも全然違う。4歳児の視線はそのくらい低い。
そして、行動範囲の狭い幼児にとっては、全世界の景色を完全に記憶するのは簡単だ。
道路の細かな亀裂や電線の数はおろか、雑草の変化すら直ぐに気付くほどに。
だからこそ、鳥居の柱だけでなく、屋根も、車道からの視界も、全てが新鮮だったものだ。
しかし、そんな嬉しさも、鳥居から数歩のところで、ちょっと離れたところにある像の目玉を見た時までだった。気持ちの悪いぐらいに光って、こちらを見ているのだ。
急に不安になったが、皆と一緒だったので、そのまま惰性で歩き続けた。
少し家に近づいたところで、姉御Xが
「あ、落とし物」
と言って一の鳥居の方の走って戻って行った。
彼女は、鳥居を潜り、そのあと鳥居の柱の外側を戻って来る。
このとき、僕は鳥居のルールを思い出した。
彼女は結果的に鳥居のルールを守り、僕は破った。
もしかしたら今までも、辻褄合わせをしていた?
他のメンバーも守っていた?
その晩の悪夢は今でも覚えている。
家に帰りつく直前に、大型の犬、牙をむき出しにした犬に追いかけられて、逃げ出す。
なんとなく
「鳥居を潜れば犬は消える」
という感覚に従って鳥居を探すと、鳥居を見つけ次第、鳥居の奥にいる犬が追いかける。
そんなことを何度も繰り返して、いよいよ襲われて手の痛みを感じた時に目が覚めた。寝返りで手を振ったときに畳の横の箪笥に当たったらしい。
翌日、僕は姉御Gに『鳥居遠征』をそそのかししたが、姉御Gは乗り気でない。それで一日が終わると同じように悪夢を見る。
幸い、翌々日に姉御Gから、
『一の鳥居の先まで』
の冒険令が出て、なんとか行きに鳥居を潜り、帰りに鳥居の柱の外側を通った。その時、おそるおそる正面の像をみたが、目玉は光っていない。
その夜は普通に眠れた。
今にして思えば、像の目玉が日光を反射して、その向きが、ちょうど鳥居の外側の子供の高さのところに当たっていたのだろう。そして、他の時刻だと陽光が像の目玉にうまく当たらないのだろう。
でも4歳の子供にそんなことが分かるはずも無く、鳥居と異界との繋がりを想像するのに十分だった。
その後も、行きと帰りで鳥居の中と外を変えたら、普段目にしない動物や人が見えることが続いた。
一の鳥居の近くにいるとは思わなかった種類のカエルやネズミ、昆虫などを鳥居の柱の外だけで見かけたり、怖い人を鳥居の柱の中だけで見かけたりした。
こちらも、今にして思えば、「変なモノを見るだろうな」という先入見で周囲を見ていたから、見つけてしまっただけかもしれないが、鳥居のルールは守るようになるには十分な体験だった。
天候等で守れない時も、翌日か翌々日に逆向きに鳥居を潜るようになったほどだ。
後日、保育園だったか親戚の集まりだったかで、鳥居のルールの理由を集まっている連中に聞いた。
『神様の世界への入り口』など、ありきたりな説明ばかりで、4歳児には
『なぜ神社そのものから(4歳児にとって)遠くにある一の鳥居にも当てはまるのか』
という理由が分からない。
そんな中、一つだけ印象の残った説明がある。
『人は見えない糸を一本、背中に命綱のように繋げている』
というものだ。
ちょうどテレビで、蜘蛛と蚕の生態の番組を流していた。
蜘蛛が拠点の枝から糸で繋がっているように、人もまた見えない糸を拠点に繋げている。拠点は自宅、あるいは保護者。
『糸の長さで安全に動ける範囲が決まり、その長さは歳とともに長くなる』
だから大人は遠くまで歩ける。
『その糸は、全ての鳥居に引っかかる』
その分、命綱としての事実上の長さが減るらしい。
『時には切れかかることもある』
切れかかると、変なモノを見るのだろう。
『その時は丁寧にほつれを解かなければならない』
翌々日に逆向きに鳥居を潜ったのは正しかったらしい。
『切れてしまったら、ゼロからのやりなおしだ』
中学でノー・リターン・ポイント(No return point)という言葉を覚えたとき、これだと思った。そこを越えると、帰り道が消え、最悪の場合、泥沼にはまって沈んでしまう。
それまで抽象的にしか『守るべきルール』として理解してなかったが、この説明で、三つ子の魂にしみ込んだ。だからこそ、後日、二の鳥居の「神鳥」や三の鳥居の「ゲート」の説明が素直に受け入れたられたのだ。
神鳥なら『命(綱)の糸』を痛めつけられるだろうし、三の鳥居のゲートなら『命(綱)の糸』の拠点を異界に繋ぎ代えてもおかしく無い。
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『行きに鳥居を潜ったら帰りも潜り、潜らなければ帰りも潜らない』
そう、思い込んだ僕は、登下校に通る一の鳥居で忠実に守った。小学2年まで。
でもそこまでだった。
小学3年ぐらいになれば、学校帰りに別の道を通る「寄り道」を覚える。
いつしか、一の鳥居のルールは破られて、それでも祟りを感じなければ、気にしなくなる。
だからこそ小学4年の時に、神域に裏から入るという冒険に及んだのだ。
この冒険のあと、三の鳥居に対しては、幼い頃よりも警戒度が上がったが、だからといって、一の鳥居への警戒度は変わらない。
尤も、一の鳥居を無視するのは近所の神社に限られていて、遠いところの神社は大人連れで行くので、結果的には近所以外、帰り道のルールを無視することはなかったが。
こうして僕は6年になった。修学旅行の学年だ。
修学旅行の定番は、工場等の見学と史跡や国立公園等の訪問だ。
史跡と言えば寺社仏閣。国立公園は風光明媚な所であり、そこにある神社は歴史も古い。
いかに公教育が宗教と関係しないとは言え、鳥居を潜ることもあれば、訪問先への礼儀として、最低限のルールや形式を教えるのも普通だ。公式に参詣しないだけ。
僕たちの修学旅行先は、神社がないと不思議に感ずるぐらいに神秘な『地形』だ。神社自体は近所の神社よりはるかに小さいが、歴史ははるかに古い。
小さい分、一の鳥居から既に歩行者天国になっていて、バスは一の鳥居の外にしか止まれない。
『前の人について二列で』という指導に沿って、一の鳥居を潜り、二の鳥居の前で40分のトイレ休憩時間になった。集合場所は一の鳥居の外のバス。
その心は、参拝しても、自然を堪能しても、一の鳥居までの道に並ぶお土産屋で買い物をしても良い、だ。
行動は『班ごと』で、複数いる先生の誰かの視界の範囲。班の人数は基本5人。
班行動だから、帰りに一の鳥居を潜るか潜らないかは個人によるが、鳥居が遊歩道を囲むように建っているので、ほとんどの生徒は中を通る。
そんな中、同じ班の班員Hが、一の鳥居の少し外側から遊歩道を出て行った。何か見つけたらしく、お土産を見ていた班員女子2人に
「あそこ、変な動物がいるよ」
と声をかけて、野のほうを指差した。
この2人のうちの女子Yは、快活で男子と垣根を作らないので、顔はそこそこでも、クラスの男子に人気がある。
班員Hも女子Yが好きだ。今朝、彼から打ち明けられた。
同じ班には、もう一人大将Aもいる。2年前の神域冒険後、女子と遊ぶことを選んだ裏切り者だ。
とはいえ、彼は今も女子たちと好関係を維持していて、サポートには最適だ。だからこそ班員Hは打ち明けたのだろう。
果たして女子Yは
「可愛いのー?」
と食いついた。そこに、大将Aが
「面白そうだよ、行ってみよう!」
と女子を後押しして、結果、女子2人も、鳥居の外側を抜けて『変な動物』を見に行った。
ナイス アシスト。
それを見て、班員Hは嬉しそうにしている。そこには、女子Yに同じ軌跡を取ってもらって嬉しいという、同調気分があったように見えた。
一番後ろにいた僕も、女子2人や班員Hには友達としての好感を持っているから、同じく鳥居の外側を抜ける。皆と同じ軌跡に『命(綱)の糸』を残したい、という同調意識が働いた。
もっとも、こういう後追い行為は、大人がやれば1対1で行なえばストーカー行為だが。
一方、大将Aだけは、先に鳥居を潜ってから、班員Hの方に向かった。見える角度が変わるから、確認の手段としては確かに正しい。
僕たちが見たのは、中型犬ぐらいの大きさの、黒く蠢くものだった。
「面白いー」
「なんだろ」
と女子2人がはしゃぐのを、大将Aが
「カラスが猫の死骸に群れているだけだよ」
と冷静に指摘した。
女子2人は『不吉なものを見た』という顔をして、同時に声をあげた大将Aを冷たい目で見ている。
その夕方、暗くなりかけた頃、宿に荷物を置いた後の夕食までの短い自由行動で、班のメンバーと外に出たとき、班員Hが
「あ、あれ!」
と斜め向かいのマンションを指差して震えた。
女子2人も、突然、怖いものを見た様子で
「ちょっと」
「け、警察、よ、呼ぼうよ」
と小声で震えている。
僕が見ると、3階ベランダ奥の死角になっているところに人体らしきものがぶら下がって、ゆっくり揺れている。
班員Hの恐怖は他の班員にも伝染した。
冷静に考えれば、ベランダはおろか、人が見える所で首つりする者はいない。
「なんだよ、オーバーオールじゃないか」
この時、大将Aの評価は「大将」に戻った。
その夜、悪夢を見た。
そこで、僕は首つり幽霊に追われている。
お札を持っているが、それを発動させるには、何か汚物を握らなくてはならない。
例えば目の前に見える血まみれ猫の死骸とか。
それが出来なくて、次第に追われて、とうとう覆い被された、と思った所で、目が覚めた。
隣に寝ている奴が蹴飛ばした布団が顔にかかったらしい。
そのあとは、魔法の世界への転生もので、魔法の媒体に杖ではなく、ゴキブリとか糞とかしか使えない世界を想像してしまって、朝までよく眠れなかった。
§ § § § § § § § § § § §
修学旅行後、2人の女子も班員Hもクラスから浮くようになった。というのも、女子Yが班員Hを
「ヤクオクちゃん」
と呼んで馬鹿にするからだ。
確かに、彼の「猫の死体」の見間違えは、疫病神の行為だし「首つり見間違い」は臆病者の行為だ。死のイメージを呼び寄せる奴ということになる。お呼びでない。
どういう理由であれ、女子Yの班員Hへの態度は、クラスの雰囲気を悪くする。
そんな女子Yに男子の人気が続くはずもない。しかも修学旅行の同じ班員の男女で仲良くなる時期なのだ。
丁度『赤い糸』という言葉を覚えたてだった僕は、中途半端な知識のまま、女子Yや班員Hの赤い糸が切れたと感じた。
『命(綱)の糸』には『赤い糸』も含まれている。それだけが印象として残った。
男子Hは中学進学のため、大都市に母親と引っ越した。父親の転勤が1年以内に予想されていたかららしい。それならと、中高一貫の私立の多い大都市を選んだとか。
その後の話は聞かない。
僕は影響は少ない、と信じたい。
今まで、近所の神社の一の鳥居以外は、鳥居のルールを守って来た。鳥居だけでなく、あらゆる『門』で守って来た。
そして、近所の神社はいまや「庭」であって拠点の一部という感覚がある。となれば、僕の『命(綱)の糸』は十分に長いはず。
それでも、旅行から帰って直ぐに、ネットで修学旅行先の神社を調べ、その分社が家から5kmほどの所にあるのを突き止めた。
すぐさま参拝した。
その、お陰だろうか、悪夢は3日で終わった。
もっとも、小学6年の時の女子同級生とは、その後、恋愛的に接近することがなかったが。もしかしたら、僕の赤い糸も一旦切れたのかも知れなかった。
§ § § § § § § § § § § §
中二病を経て、再び『命(綱)の糸』が気になったのが、中学3年の梅雨明けハイキングだ。
実はハイキングの翌週末に、コース入り口の件の神社まで行って、参拝のついでに、一の鳥居と二の鳥居を逆向きに潜ったほどだ。しないよりマシ、の安心を得るために。
そんな僕が高校に入って実感したのは、人は色気付くと全てのルールを忘れるということだ。鳥居も例外ではない。
中学校と違い、広い校区で生徒がシャッフルされる高校は、新しい出会いがあり、小中学校の女子と同じレベルの女子に『新しい』というだけでときめいてしまう。
だから、カップルに同じ中学校出身どうし、というのはほとんどいない。
僕には小学校以来、相談が簡単に出来る女子の友達が、お嬢Zを含めて3人ほどいるが、余りにも近くて恋愛に至らなかった。
『女房と畳は新しい方が良い』
という奴だ。
そんな、新しさだけによる感情だから、彼氏彼女関係のほとんどが結婚に至らないのだろうが。
高校のカップルは、中学までと違って、積極的に二人だけになるべく、他人と別行動をする。
皆が鳥居を潜るなら、自分たちだけは別経路で2人きりであることを共有する。
それは鳥居に限らない。
門という類いの全てで、そういうカップルが門に『命(綱)の糸』を引っ掛けていった。
野外の友たる参謀Cも例外ではない。
彼が彼女を作った直後、中学3年のハイキングの時の祟りの話を、彼女の前でした。すると
「あんなの、下草に注意を払わなかったからだよ」
「下手に長い舗装道をあるいて熱中症になるよりマシさ」
と彼に強く反論された。
この言い分は、僕たちがずっと持っていた「祟られるかも知れないような不敬な行為を避ける」という迷信じみた感覚より、よほど合理的だ。
彼女の手前の啖呵かもしれないが。
彼は反論しただけでは終わらなかった。そのまま、他のカップル同様、鳥居のルールを無視するようになった。
こうして、参謀Cは僕の悪友から、単なる同窓生に格下げとなった。
格下げになった友達には、中学まで親しかった、お嬢Zもいる。奔放な彼氏と出かける時、鳥居のルールを無視して皆から離れていた。中学までは全てのしきたりを守る子だったのに。
卒業後、目立つ交際で浮き名を広めなかった連中だけが、今も仲良くしている。男女ともにだ。他は縁が切れた。
噂によれば、参謀Cはどこかの会社で出世はしているが、その会社は僕たちの故郷には全く縁がないらしい。参謀Cの家族も完全に別の土地に移動して、今や故郷に帰ることはない。
お嬢Zに至っては、カルトの信者らしい。
お嬢Zの実家を訪問すると、親とお兄さんが嘆いていた。
東京に出て半年で引っかかったそうだ。それを聞いて僕はぞっとした。どこかで『命(綱)の糸』が完全に切れたのだろう。
他にも、毒親になっているとか、詐欺集団の被害にあったとか、ネット冤罪で鬱になったとか、浮き名組には悪い噂ばかりが耳にはいる。
噂というのは悪い方だけは広がりやすいが、それを差し引いてもだ。
『命の糸』は『縁』の糸。
現代は電線や陸橋、地下道が多くの鳥居をつくっている。もしかしたら、それらにも『命の糸』は絡むかも知れない。それは故郷との縁を切る凶兆。
あるいは異なる世界線を選ぶ分岐点。陸橋などの鳥居が増えれば増えるほど、選択肢は広がるだろう。
『命の糸』の切れた者は異なる世界に旅立って行く。その世界で成功するか失敗するかは本人次第。
その多くは、僕の基準では、決して交わりたく無い世界だが。
でも、怖いのはそれだけ。故郷との地縁が強固であれば、一の鳥居も怖くない。外の世界の現代鳥居を使った選択もまた。
** あとがき **
「人生は選択の連続である」というテーマの分岐点(「バタフライエフェクト」が最大になる場所)を鳥居で象徴させました。当然ながら完全な創作で、西日本の数多くの神社をモデルにしています。
ちなみに、お稲荷さんの、二の鳥居と三の鳥居の間に沢山ある鳥居は、狐に騙されて偽の三の鳥居に導かれないためだとか、単に狐の幻惑だとか、色々説が……あるとか、ないとか。気が向いたら追加します。