三の鳥居: 異界(あの世)への門
通学路に一の鳥居があり、コンクリ製の柱が、狭い歩道を遮るように立っていた。
『鳥居を潜ったら、逆向きに潜らなければならない』
三つ子の魂に刷り込まれた戒め。それを10歳ぐらいまで厳密に守っていた。
朝、歩道側を通れば帰りも歩道側を、朝、車道側を潜ったら帰りも車道側を通る。うっかり間違えた時など、わざわざ引き返して「正しい」潜り方をする。雨とかで帰りに同じ通り方が出来ない時は、翌日に前日の逆を行なう。そのくらい徹底していた。
地方都市の街はずれで夜闇が暗く、最後の路地に至っては、交差点の斜め向かいに真っ暗な墓場があるほどで、否応無しに「お化け」や「あの世」を恐れていたからだ。そんな環境の育ったせいか、「とうりゃんせ」の「行きはよいよい、帰りはこわい」という歌詞が心底怖く、その細道とセットで想像出来る鳥居は畏怖の対象でしかなかった。
けれど、鳥居の「帰り道」のルールを、幼児時代だけでなく小学校時代も守ったのは、理由に納得したからだ。
通学路に一の鳥居があり、コンクリ製の柱が、狭い歩道を遮るように立っていた。
『鳥居を潜ったら、逆向きに潜らなければならない』
三つ子の魂に刷り込まれた戒め。それを10歳ぐらいまで厳密に守っていた。
朝、歩道側を通れば帰りも歩道側を、朝、車道側を潜ったら帰りも車道側を通る。うっかり間違えた時など、わざわざ引き返して「正しい」潜り方をする。雨とかで帰りに同じ通り方が出来ない時は、翌日に前日の逆を行なう。そのくらい徹底していた。
地方都市の街はずれで夜闇が暗く、最後の路地に至っては、交差点の斜め向かいに真っ暗な墓場があるほどで、否応無しに「お化け」や「あの世」を恐れていたからだ。そんな環境の育ったせいか、「とうりゃんせ」の「行きはよいよい、帰りはこわい」という歌詞が心底怖く、その細道とセットで想像出来る鳥居は畏怖の対象でしかなかった。
けれど、鳥居の「帰り道」のルールを、幼児時代だけでなく小学校時代も守ったのは、理由に納得したからだ。
§ § § § § § § § § § § §
『異界に一旦入ったら、正確に同じ道を辿らないと元の世界には戻れない』
これは誰もが一度は聞いたことのあるだろう。
初めて知ったのは、お寺だったか神社だったかで、何かの拍子に、偉そうな人が
『神様や仏様のいらっしゃいます神聖な建物が神殿や本堂ですが、神聖なのは建物だけでありません。その回りも神聖な土地、つまり神域となります』
と、参拝客だか観光客だかに説明しているのを小耳にはさんだ時だ。
お決まりの清浄とか掃除とかの話に続いて
『神域のなかでも、三の鳥居の内側は異界、すなわち「あの世」の一種となります』
という下りに、おもわず耳を澄ませた。
曰く、三の鳥居の神域は、現世からだけでなく、色々な種類の異界とも重なっている中立地帯。
曰く、三の鳥居は、現世と多重世を繋げる転移門。
曰く、ここでいう異界とは、鬼や神が見えたり触れたりする危険な場所(隔世)。
曰く、神域への参道は、現世からだけでなく、数多くの隔世からも繋がっている。
などなど。
そして、なによりも大切なのが、一旦異界に入ってしまったら、正確に同じ道を戻らないと、たとい別の出口から現世に戻れても、それは若干違う、より住みにくい世界に変わってしまう、ということ。
『だから、神域からの帰りに異界に迷い込まないように、鳥居を道しるべとして、他の参道と区別をつけているのです』
つまり、三の鳥居を潜ったら、三の鳥居を通って外に出ないと、元の世界は帰れないらしい。
後日、山の好きな叔父から例え話を聞いた。
雲に隠れた山の頂では、ケルン鳥居に導かれた下山口を無視すると裾野の樹海に迷い込む。たといそこから抜け出ても、今までと同じ日常ではなくなってしまう。
ケルンは鳥居という潜るべき存在ではないが、それでも日常が変わるほどだ。
鳥居ともなれば本物の異界と繋がっていて、ルールを守らないと、最善でも現実世界内の異なる世界にしか戻れない。
「でも、スマフォがあるから大丈夫だよね」
そんな疑問を口にしたら、
『濃霧とか急な雨とか、ケルンを見逃しやすい天気の時は、足が滑っての転倒直前とか、水に濡れるとかでスマフォも壊れやすいぞ。壊れなくても機能は低下するだろうし』
と呆れた顔をされた。その後、山ではスマフォに一切頼らない形での帰り道の確保は絶対だと説教された。
叔父がそんな話をしたのがフラグになったのか、一週間もしないうちに遭難のニュースが流れた。マフォが正しく機能していなかったとか。当然ながら、この偶然を神様からの警告だと捉えた。
今にして思えば、遭難のニュースは年中あって、それまで気にかけていなかったのが、叔父の話で気になったというだけのことだろうけど。
では、三の鳥居を潜らずに神殿前に出てしまったらどうなるのか?
どう帰るのが「マシ」なのか?
§ § § § § § § § § § § §
我が家の近くの神社はかなり大きい。なんせ、一の鳥居が通学路になるぐらいだ。
二の鳥居で仕切られた境内の森も広く、子供の遊ぶような広場もある。
小学3年ぐらいになると、興味は森の方に移った。こちらは氏子さん等の神社関係者に見つかると大目玉を食らう。だから隠れて遊ぶのだが、そのスリルもあって、いつまでも飽きなかった。
行動範囲は次第に広がり、4年生の頃には高い柵で囲まれてた本殿の見える所まで縄張りとなっていた。それでも、さすがに本殿には近づかなかったが。
そうしていつしか夏を迎えた。草木の生い茂る季節は、カブトムシなどの宝庫だし、大人からも隠れやすくなる。当然、本殿にもより近づける。
『誰もいないぞ』
友達の声に、本殿を見渡すと、神域を囲む柵の中には、確かに誰もいない。
それは大人に見つかる心配がないということだ。僕たちは、本殿のすぐ裏手で遊びはじめた。
翌日も誰もいない。翌々日も。
そこが新たな「秘密基地」となるのは自然な成り行きだろう。
神域を囲む柵のうち、一本が半分壊れていた。子供なら通り抜けられるかも知れない隙間が空いている。
秘密基地に慣れると、そういうことが気になる。
大人はずっと見かけていない。
神域に対する畏れ・怖れは、格好の肝試しの材料だ。そして、10歳前後とは、肝試しが男の子のステータスになり始めるころだ。
一緒の遊んでいる友達には、肝の太さを見せたがる奴が居る。
『行こうぜ』
大将Aの提案に、友達Bが他を代表してためらいを見せる。
「ばち(罰)が当たるかも知れないよ」
『見つからないさ』
神様のばち(罰)と大人の罰の違いの区別もつかないような奴だが、それでも、そんな奴の意見が、こういう時は通るものだ。空気が一瞬淀む。こんな時に気の効いたことを言うのが参謀Cだ。
「神様なら、近所の子供の冒険ぐらい、大目に見てくれるよ」
かくして、柵の壊れたところから皆で中に入った。
恐る恐る侵入した神域は、普段と違って人気がなく、そこから表の鳥居のほうに向かってもやはり誰もいなかった。
そして、本来なら鳥居の向こうに見える筈の「お札売り場」が、鳥居の死角なのか、建物の一部しか見えず、人に至っては全然見えない。
頭の中で警告が響く。
『三の鳥居の神域は、多くの異界とも重なっている領域』
以前聞いた話を実感したからだ。量子力学の普及で、重ね合わせというのは何処でも聞く言葉だ。
神域に重なり合って存在しているのは神様だけではない。異界の諸々の怖い方々もだ。
特に気になったのが、通学路に住む「怖い」お爺さんから聞いた話だ。氏子代表らしい。
『鳥居以外から入ったら、異界の力が強くなるぞ』
今なら納得できる。侵入は一種の結界破りだ。
『神社によっては、祟り神や厄神を祀っている。その下層は穢れの世界じゃ。そこに迷い込み兼ねん』
もしかして、この神社はそういうところ?
『下手をすると、入った抜け道から外に出ても、別の異界に出ることだってあるぞ』
この警告を思い出したとき、「ばち」や「ばつ」よりも怖い「不条理」の存在を想像してしまった。
人の気配全くない。
もとよりここは都会の喧噪の聞こえない森の中で、他の音も聞こえない。
そればかりか鳥のさえずりすら聞こえない。
でも、この異常をなぜか声に出してはいけない気がした。
しかし、隣を歩いていた友達Bは耐えられなかったようだ。
「寂しすぎないか」
そう、呟いた。
それは言霊という結界破り。異界に棲むナニカにさらに引き寄せられていく気がした。
慌てて、ここまで来た経路を正確に戻る。あえて普通の歩きかたで、無言で、音を立てないように。
後ろからは友達と思しき気配がするが振り返らない。
こうして、壊れた柵から外に出た。
心臓の音が聞こえる。
柵の外に出ているのは僕だけだ。参謀Cが柵のすぐ内側で、残りの友達を待ってくれている。付いて来たのは友達Bではなく彼だったようだ。
遠くに大将Aと友達Bが見えていたが、ちょっと目を離したすきに姿が消えた。
参謀Cは諦めて柵を抜けて戻ってきた。
『表の方から外に出たみたい』
念のため5分ほど待ってから、いつもの隠れ道を通って、裏参道経由で表の方に回ると、三の鳥居の神殿側に二人の姿が見えた。僕と参謀Cが神殿敷地の柵の所で2人を見失って既に20分以上経っている。
こちらに向かって歩いているように見えるも、中々近づく気配がない。見付かって叱られているのかな?
やぶ蛇を避けて、三の鳥居から見えないよう、樹に隠れて2人を待っていると、2人ともいつの間にか居なくなっていた。見間違いだったのだろうか?
その夜から、3日続けて神殿の中の髭面の荒々しそうな男に手招きされる悪夢を見た。
翌日、友人Bに話を聞くと、習い事の初日だったのを思い出して、慌てて帰ったそうだ。その時、大将Aも一緒に三の鳥居まで来たけど、その後
『忍者なら、帰りも裏だよな』
とか言って戻って行ったそうだ。その大将Aは、今はクラスの女の子集団に囲まれていて、ちょっと近づけない。
秘密基地は自然消滅した。
参謀Cだけが2回だけ付き合ってくれたが、大将Aも友達Bは一度も来ることがなかった。
大将Aは女子の多いグループに加わってワイルドな遊びをしなくなった。もっとも、これは彼が柵から出たら誰も待っていなかった事で、僕たちに飽きたのかも知れない。
友達Bは性格が粗暴になって、もはや遊び仲間ではない。「習い事」のせいかも知れないが、彼の変貌は一時期のものに終わらず、5年後、彼の両親に多大な賠償金を負わせるまで続いた。
その様子は、異なる世界線の同級生Bと人格だけが入れ替わったような気がした。
きっと、鳥居のルールはあるのだろう。それを守らず遊び仲間は瓦解し、同級生Bに至っては家庭までおかしくした。
でも、守る限りルールは怖く無い。今回だって、新たに隣のクラスのワイルド系の遊び仲間を見つけて、より楽しく過ごせるようになったぐらいだから。