エピローグ
はらりはらりと舞い落ちる桜の花びらを見上げながら、トワとセオドアは緋毛氈が敷かれた床几台に腰掛けていた。彼は少女と再会してから片時も離れず、常にしっかり手を繋いでいる。
東国に到着してからトワはすべての経緯を説明されていた。
セオドアが王国を創造した神であること。
佞臣が跋扈することにより、セオドアの心が国から離れかけていたこと。
神の加護を失う事態を恐れた王国の上層部にトワが目をつけられたこと。
常に国民の幸せを願っていた神としての力を悪用されてしまったこと。
「トワにはすごく迷惑をかけちゃったね。本当にごめん」
心底申し訳なさそうな表情で謝罪されて、トワはゆっくりと頭を振る。
「セオが謝ることじゃないもの。でもいいの? 自分が造った国のことは」
「ああ、罪のない国民には神の加護をそのままにしてきたから。落ちぶれていくのはトワを不幸にした国王や父親、心の邪な臣下たち、性格のねじ曲がった後宮の女たちだけなんだよ」
何も悪いことをしていない人々には累が及ばないことを知り、トワは安堵の息をつく。自分に非道な仕打ちをした人間まで心配するほど、彼女はお人好しではなかった。
「相変わらず仲良くしておるのだな」
凛とした女性の声に振り返ると、重なる色彩も美しい十二単姿の女神──アズマが音もなく背後に佇んでいた。
二人がトワの母親の生まれ育った東国に到着して、まず向かった先は建国神のアズマの神域だった。セオドア曰く、訪問先の建国神に挨拶をしなければいけないらしい。それが神としての礼儀だと言われれば、トワが反対する理由はなかった。
女神の神域は広く、四季折々の景色が楽しめるということで、引き留められるまま二人はゆっくり逗留していた。トワの積み重なった心労に配慮してくれたようで、アズマの優しい気遣いに少女はすっかり緊張を緩めている。
アズマはちらりと繋いだ手に目をやった。
「いいのか?」
「いいんだ」
少年が頷くと、女神は溜息をついて「お主たちがまったく頓着する必要はないが」と前置きし、空中に大きな鏡を出現させた。少しばかり神の力を見慣れてきたトワは、この程度では動じなくなっている。
鏡が映し出したのは、少女を迫害した人物たちのなれの果てだった。少年神が王国を捨て去った原因とされて国民によって遥か北の国に身一つで追放され、物乞いをして貧しく暮らしている姿には後悔の念が見て取れる。
「奢侈な生活を送っていたあやつらは、お主たちに取りなしてもらい、元の国に戻れるよう企んでおった。そのような甘い考えを二度と持たぬように、妾が出向いて一喝してきたがな」
「まあ……」
追放されてもあくまで自分に都合のいいことしか考えない勝手さと、女神が自ら叱りつけに赴いたこと、どちらに驚いていいかわからない。トワが立ち上がり深く頭を下げて礼を述べると、アズマは目を細めて少女の艶やかな黒髪を撫でた。
「礼などよい。妾が可愛いトワのためにやったことだからのう」
「アズマ! トワに触るな!」
「今さら何を申す。お主が望んでおることだろう」
セオドアがアズマを睨むと、女神は明るい笑い声を残して姿を消した。再びしっかりと繋がれた手をトワが不思議そうに眺める。
「そういえば、どうしてずっと手を繋いでいるの? セオは今まで私に触ろうとしなかったじゃない」
「それは……」
返答に窮するセオドアをじっと見つめていると、やがて観念したように彼は白状した。
「本当は神が人間に触れちゃ駄目なんだ。触ると人間は神の力に染まっていって、そのうち本物の神になってしまう。その……トワは人間で寿命があるから、僕と同じ神になればずっと一緒にいられると思ったんだ……」
秘密にしていたことに罪悪感を抱いているのだろう。恐る恐るトワの顔色を窺うセオドアに愛しさが溢れて、彼の頬にそっと口づけた。驚く少年に少女は恥じらいながらも想いを告げる。
「あのね。お母様が亡くなって泣いていたとき、初めてセオが来てくれたことは忘れられないの。桜が散る夜空から現れたあなたの髪がお月様に思えたわ。手を伸ばしても届かない天から私のために舞い降りてきたお月様に恋をしたのよ」
トワの告白をセオドアは息を凝らして聞き入っていた。どちらからともなく繋いだ手に力がこもる。
少し間を置いてから囁くような小さな声で、セオドアが話し始めた。
「僕は国を造ったときから、国民の幸せを願っていて、不幸な人間は放っておけなかったんだ。幸せじゃないという気持ちに敏感で、夜に寂しく泣いているトワに気づいた。それで……桜吹雪の中で涙を流す綺麗な君を見つけたとき、僕は恋に落ちたんだ」
トワとセオドアは顔を見合わせて、照れたように微笑む。
「私たち、お互いに最初から恋をしていたのね。私はずっと大好きなセオと一緒にいたい。いつまでも幸せを分かち合っていたいわ」
「僕も愛する君と幸せを共にしたい──永遠に」
春空に桜と二色の組紐が舞う。寄り添う美しい二柱の神は、永遠の愛と幸せを誓うのだった。