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歪められた幸せ

 翌朝、トワは未だ固く結ばれている桜のつぼみを見上げた。母が好んで植えた桜は、少女も愛おしんでいて、強張った表情を少しばかり解してくれる。


 離れからゆっくり屋敷に赴くと、待ち構えていた使用人によって、派手なドレスに着替えさせられた。慣れない洋装は胸元がはしたないほど開いていて、鏡に映った自分の姿に赤面してしまう。


「あの……。この衣装は私にあまり似合わないのでは……?」


 おずおずとトワが疑問を呈すると、こちらを見ようともせずに使用人は不安を一蹴した。


「そんなことはございません。旦那様がお選びになったドレスに不満を持つなど、少々差し出がましいのではないでしょうか」


 確かに与えられた衣装に対して厚かましい言い方だったかと、それ以上トワは言葉を継げなくなる。素っ気なく肩にかけられたショールで胸元をかき合わせていると、部屋の外に出るように促された。そのまま使用人に屋敷の玄関まで連れられていく。


「ずいぶんと時間がかかったな。さあ、出かけるぞ」


 玄関には正装に身を固めた父親がいて、何かを問う暇もなく、さっさと開け放たれた扉の向こうの馬車へと足を速めて行ってしまった。トワは戸惑いながら後をついていき、不慣れなドレスの裾を踏みそうになりながらも一緒に馬車に乗り込んだ。


「……」


 父親は無言を貫いて窓の外へ視線を投じており、出発した馬車の中の空気は重い。困惑と沈黙に耐えかねて、トワは思い切って口を開いた。


「……お父様。これからどこに向かうのでしょうか?」


 父親はちらりとトワに目をやると、端的に行き先を告げた。


「王城だ」


 そのまま、父親は興味を失ったように腕を組んで横を向いた。あからさまに疎まれていることを感じて、トワは息を詰めて気配を殺す。

 そんな少女の頭の中は疑問ばかりだった。


(王城? というのは、王様が暮らしているお城よね。なんで私がそんなところに……?)


 ずっと屋敷の離れに押し込められていたので、トワは国の事情を関知していない。市井では国力の低下や、度重なる失政などの噂で持ちきりだったが、屋敷の片隅に放置されていた彼女にはあずかり知らぬことだった。


 知識や情報が不足しているトワが考えたところで王城に行く理由も見当がつかず、呆然と馬車の揺れに身を委ねていると、やがて速度が落ちてきた。どうやら目的地にたどり着いたようである。


 乗車の際とは異なり、父親のエスコートで馬車を降りる。露出の多いドレスは、まだ冬の気配が残る時期には早く、トワはショールを片手で握りしめて、もう片方の手を父親に取られて廊下を進む。


 入り組んだ広い廊下や広間を抜けて、ひときわ豪奢な扉が見えた。トワは知らなかったが、父親は貴人に会うための先触れをしていたらしい。扉の両脇に立つ騎士が父親に恭しく一礼し、大きな扉を開いた。


(わ……!)


 少女が生まれて初めて目にするシャンデリア。それは燦然と輝いていて、大広間の隅々まで明るく照らしている。贅を尽くした室内装飾がホールに溢れ返っており、一番奥まったところにある精緻を極めた座具には、二十歳くらいの金髪の青年が座っていた。


 青年の目の前まで連れて行かれたトワは、跪いた父親に手を引かれて、うっかり無様に膝を折ってしまった。慌てて青年を見上げると、細めた目で蔑んだような一瞥を寄越される。冷たい印象のホワイトブロンドの髪とアイスブルーの瞳は、彼の整った容姿と相まって、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。


「お前が、トワ・メイソンか?」


 フルネームを呼ばれて、うずくまったままの状態でトワは躊躇いながら頷く。何やら尊大な態度をとられて、ようやく彼がとても偉い人なのではないかと思い至った。


(え、偉い人に対する挨拶ってどうするのかしら)


 内心ひどく動揺していると、どうやら焦りが表情に出ていたらしい。盛大に溜息をつかれたあと、青年は嘲るような笑みを口の端に浮かべた。


「非公式の面会なので、人払いをしている。異国の娼婦の娘に改まった礼などは期待していない」


(な、娼婦ですって!? 違うわ、お母様は腕の立つ組紐の職人だったのよ!)


 トワの母親は優れた組紐職人であり、たまたま珍しい絹糸を求めて王国を訪ねてきた折に父親と出会ったのである。


 危うく立ち上がって目の前の人物に反駁するところだったが、父親に「国王陛下の御前である」と耳打ちされてトワは息を呑んだ。


 きらびやかな刺繍が施された衣装に身を包んでこちらを見下ろす青年からは軽蔑しか感じられないが、相手が国王だと言われれば、少女は物の数にも入らない存在だろう。


 黙って俯いたトワに、国王は意外な問いを口にした。


「お前の幸せとは何か?」

「え……?」


 相変わらず馬鹿にしたような態度にもかかわらず、突然「幸せ」を聞かれて、トワは面食らってしまった。唖然とした彼女に、国王はつまらなさそうに説明を加える。


「我が国専属の占い師がいてな。我は占いなど信じておらぬのだが、その者が『国力を強めるには、トワ・メイソンを幸せにせよ』と言うのだ。それは誰かと調べてみれば、メイソン伯爵の娘、つまりお前だとわかった。まあ、気休めのようなものだが、お前の幸せとやらを叶えよと占い師や側近がうるさい」


 気怠げに椅子の肘掛けに体重を預ける国王は、本当はトワの「幸せ」などどうでもいいのだろう。しかし、機嫌が悪そうにアイスブルーの瞳で睨みつけられ、急かされていることを察する。トワに時間を割くことすら善しとしていないらしい。


「そ、うですね、美味しいご飯が食べられて、好きなことができれば幸せです」


 なるべく急いでトワの考える「幸せ」を述べたのだが、その答えは国王の気に入るものではなかったようだ。不快感もあらわに顔をしかめられる。


「美味しいご飯? 好きなこと? なんだ、それは」

「えっと、あの、焼きたてのパンは美味しいと思います。あとは綺麗な花を見ることや、趣味の組紐ができれば……」


 いつもトワが食べているものは、冷えた残り物ばかりだった。それを見かねて、セオドアが焼きたてのパンを持ってきてくれたことがある。二人で温かいパンを食べながらおしゃべりをした時間は、トワにとって何ものにも代えがたい「幸せ」だった。


 毎年、春にセオドアと桜を見る約束も、趣味の組紐を彼に褒められることも彼女のささやかな「幸せ」で、そこには常に笑顔の少年の姿があった。


 セオドアはいつも離れに忍び込んできたので、彼の名は挙げずにたどたどしくトワは「幸せ」を数え上げる。それらを聞いた国王は、口元に手を当てて眉を寄せ、しばし考え込んだのちに予想外の提案を言い出した。


「それでは我の後宮に入るがいい。いつでも出来たての食事は与えるし、手入れの行き届いた庭園もあるから花も見られる。あまり異国かぶれの趣味は好まぬが、我が国の趣味を好きなだけやればよかろう」


 自分の「幸せ」を勝手に歪められた言い分にトワが耳を疑っていると、隣で父親が大仰な身振りで謝意を示した。


「異国の娘にはもったいない、ありがたきお言葉でございます。すぐに後宮入りの準備をいたしましょう」


 国王は気分がよさそうに笑って頷き、傍らのベルを手にした。鈴の音が響き渡ると、カーテンの陰に控えていたのか、ローブをまとった男が現れて紙と羽ペンを用意する。


「これは?」

「誓約書でございます」


 上質な紙には文字が連ねられていたが、トワはこの国の言葉が読めないので、何が記されているかまったくわからない。

 それでも誓約書というからには、恐らく後宮入りに関係するなんらかの書類なのだろう。


 国王の後宮に入るなど、トワは一切望んでいない。身じろぎもせずに口を引き結んでいると、焦れた様子の父親が強引にペンを握らせた。


「ここにお前の名前を書きなさい。自分の名前くらいは書けるだろう」


 視線を落としてみると、紙には一部空白の部分があった。ここに名前を書けというのだろうか。トワは嫌な予感しか覚えなかったが、目の前の父親に対して拒否することもできない弱い立場であった。


 急かされるまま、不慣れなペンで自分の名前を記入する。書き終わった途端、不意に身体が痺れるような感覚に襲われて、トワは硬直した。


(え、なに、急に、うまく身体が動かない……)


 無理に握らされたペンが床に転がり落ちる。その様子をローブの男は興味深そうに眺め、そして猫なで声でトワに尋ねた。


「どうしたのでしょう、具合が悪いのですか? それとも国王陛下の後宮入りが望外の喜びなのでしょうか?」


(そんなわけないじゃない!)


 気色悪い声と問いかけに、反射的に否定を口にしようとして気づいた。先ほどまで強張っていたはずの表情は緩み切って、意図とは正反対の言葉が勝手に紡がれていく。


「おっしゃるとおりでございます。身に余る幸せなことで、国王陛下とお父様に感謝を申し上げます」


(私は何を言っているの? 勝手に言葉が……)


「そうでしょう、わざわざ建国神の加護がある誓約書を手配しましたからね」


 満足した様子の国王や父親、ローブの男たちを内心呆然と見つめつつ、意思と異なる自分の甘えたような声を少女は愕然として聞いていることしかできなかった。


 ♦ ♦ ♦


 それから自分の身に起きたことを、トワは胸が張り裂けそうな気持ちになりながら、ただ微笑んで眺めていた。


 母親とセオドアとの思い出が詰まった離れから乱暴に引き出され、トワの持ち物は燃やされた。母の形見の和装も、組紐の高台も、つぼみが綻びかけた桜の木も。国王が異国の品物を好まないからだ。


(私の大切なものを燃やさないで! こんなのちっとも幸せじゃないわ!)


 どれほど大声を張り上げたかっただろう。しかし、少女の切なる願いは一言も声にならなかった。涙も流れず「幸せよ」と単調に繰り返すのみ。


 後宮に入り、食べきれないほどの温かい料理を出されても、トワの喉は通らなかった。

 与えられたたくさんのドレスや宝石を表面上ははにかみ、内心は無感動に手にして、勝手に「幸せ」という心にもない言葉を口にする。


 王妃や側室のお茶会に呼ばれて、にこやかに話しかけられるけれど、彼女たちがトワを歓迎していないことは明らかだった。年若い少女に国王の寵愛を奪われると危惧し、彼女をどうやって陥れようと画策を練っている。


「貴女の髪と瞳は我が国で珍しいけれど、異国を好まない国王陛下はどう感じておられるのでしょう。占い師も罪なことをなさいますね。ねえ、黒ネズミさん」

「まあ、王妃様ったら、彼女にぴったりの名前をおっしゃるのね。皆様、彼女を黒ネズミさんとお呼びしましょう」

「ほほほ」

「うふふふふ……」


(……黒ネズミ)


 占いでは、黒ネズミが不吉とされることもあるという。あからさまな侮蔑にも、トワは控えめに笑って「幸せです」と言うことしかできない。それから日ごと夜ごと、自室の前に黒ネズミの死骸が落ちていて、彼女は黙ってそっと処分するようになった。


 大切なものはすべて失い、幸せとは正反対の嫌がらせが続く。

 少女の心の慰めは、刺繍をすると偽って絹糸をもらい、小さい椅子を丸台に見立ててこっそり組紐を作ることだった。

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