埋もれた良作をランキングシステムの改変で救うという幻想について
私はこれを書く数日前に、とあるエッセイの書き手さんと感想欄でレスバをしていた。
そのエッセイは、今のなろうのランキングがひどいのは加点方式というクソシステムのせいだみたいな主張をしていて、タイトルこそ煽り気味ではありつつも、一応減点方式や平均点方式にしたら良いじゃんという改善案も述べており、なろう批判系の中では批判だけで終わるものよりはマシな部類のエッセイだった。
ただ、減点方式は私も以前ポジティブにツイートしたものの、その後にフォロワーさんからの指摘を受けて「あ、これはあかんわ」とボツにしたものだったので、ついつい感想でその方式のダメ出しをしたのである。
そこから結構な回数のやり取りを重ねることになり、最後の方は私の目からハイライトが消えるぐらいに不毛な議論を経て終わった。そのあたりの心境は、Twitterで呟いているのでご存知の方もいるだろうと思う。
とは言え、そのやり取りが無駄だったかというとそんなことはなくて、自分の考えを整理する上では大いに役立った。それで忘れないうちに形に残そうと思い立ち、書くことにしたのがこのエッセイというわけだ。
まず、今のランキングの性質について。私はこれを、「人気ランキング」ととらえている。
その根拠となるのは、2020年3月のなろうの仕様変更だ。それまでは、ランキングを左右する評価ポイントとは、「ストーリー評価」と「文章評価」という2軸が用意されていて、それぞれ1〜5ptを投じるようになっていた。しかしその仕様変更を境に評価は1本化され、「評価を入れて作者を応援しよう」という建てつけに変わった。
従って、今は作品の質に関わる視点など抜きにして評価ポイントを投じることができるのだ。極論、文章がハチャメチャでも性癖ドストライクなら、評価5を投じても良いわけだ。
変更後は総合ランキングの評価ポイントのボーダーも底上げされ、累計ランキングに仕様変更後の作品が既にいくつか食い込んでいることから、ユーザーが気軽に評価を入れられるようになったということは間違いないだろう。
なので、私とレスバしたエッセイの書き手さんが指摘するように「名状しがたい駄作」とやらがランキングを席巻するのも致し方無しというところである。そもそも質が基準ではないからだ。ここで弁解しておくと、私自身はランキング作品の多くはノットフォーミーではあるものの駄作と思ったことは無い。
いずれにせよ、今のランキングというのは運営の思惑通りに「人気ランキング」として正しく機能しているということは、ご理解いただけただろうか?
ただ一方で理解はできたとしても、納得ができるかは別の話。次はこの納得という点に焦点を当てて考えてみたい。
まず、仕様変更前のストーリー評価と文章評価について。これらの軸はなぜ消えてしまったのだろうか?
私が立てた仮説はこうだ。
読者にとって、正しくストーリー評価や文章評価を投じることが難しかったから。
なろうの作品を評価できるほど真剣に読んでいないとか、評価すること自体が(タダで読ませてもらってるわけだから)おこがましく入れるとしたら5以外無理とか、人それぞれ理由はあるのだろうが、他人のマイページから評価した作品のリストを眺めていると、全部満点の人がビックリするぐらい多かった。次点が5か4しか入れないという人たちだ。
であるが故に、作品の質を評価するための仕組みを用意したのに、読者はどうやら適切に運用していないようだと気づき応援目的の評価ポイント制度へと改善した結果が、今のランキングシステムなんて可能性もありそうだ。
よって、ランキングシステムに対して、作品の質を反映したものであって欲しいと願ったところで、評価を担うはずのユーザーがついてこれないという結論である。
当然これは平均点方式でも減点方式でも同じだ。
ただしこれらの方式だと、ある特定の読者にとっては都合の良い側面がある。気に入らない作品の足を引っ張りたい人たちだ。彼らは、ランキング常連の気に入らない作品に対して悪意のあるレビューを書いて運営に削除されたり、感想欄に突撃しては「こんな作品がランキング上位に来ているのは不正だから」とか、「こんなの読んでいるやつなんてサクラだろ」とか、「前に似たような作品を見た気がするからパクリ」だとか、平気で言いがかりをつける。言いがかりなので証拠などは無い。そして彼らは時としてランキング外の、まだこれからの作品にまでやってくる。
そうするとどうなるか。ファンを多く獲得している、あるいはなろうで注目を集める術に長けている作者にとっては多少のアンチが湧いたところで評価に影響を与えない一方、何の後ろ盾も経験もなく作品の中身だけで勝負しようとする書き手にとっては大きな障害となってくる。
つまり現行の加点方式は、減点方式や平均方式と違い、そういった厄介な読者による評価への悪影響がゼロという点で、他より優れているとさえ言えるのである。実際、2008年まではなろうも平均点方式だったが、それをわざわざ加点方式に切り替えており、その理由がまさにこの厄介な読者を意識してのものだったと言われている。
いやいや、他のサービス、例えばハーメルンでは平均点方式でうまくいっているよ、という反論があるかもしれない。でもそれはハーメルンだからこその話ではないだろうか。評価するのはそのサービスを利用する読者である以上、なろうとハーメルンの読者のタイプや行動様式を比較してみない限り、安易にハーメルンの成功を根拠になろうでもいけるよとは言えないだろうと考える。もし、この辺りの事情に興味があるなら、『小説投稿サイト ハーメルン 成立史』というなろうのエッセイを参考にしてほしい。先述のなろうが平均点方式から加点方式に切り替わった背景も詳細に語られている。
さらにランキング改善にはまだ問題がある。それは作品の評価の程度や軸は読者によって違うということだ。
ひとつ例を挙げよう。
某巨大掲示板には、なろうのスコッパーがたむろするスレッドがある。私もたまにそこを覗くわけであるが、何度かそのスレで『ラピスの心臓』の文章は優れているかについての論争を見かけたことがある。『ラピスの心臓』と言えば、なろう屈指の戦記モノで、このご時世にあって不定期更新かつ数万字を一気に投稿するストロングスタイルを貫くスコッパー御用達の作品である。なろうに限った中でなら、間違いなく上位に食い込む優れた文章だと個人的には思うのだが、中には「あれぐらい普通だよ」と宣うスコッパーも幾人か居るのである。
スコッパー同士ですらこのように評価にばらつきが生まれるわけだから、なろうに住う多種多様な読者間で基準を統一することなど不可能であろう。先の『ラピスの心臓』を指して、地の文が多くて読み辛いと言い出す読者が多数居たとしても私は驚かない。
さらに3つめの問題。これは私の中では0ptスコップ問題と呼んでいるのだが、0ptの新着から作品に最初の評価ポイントを入れる読者の数や行動は、どんな方式にしてもおそらく変わらないということだ。
スコップしたことがある人ならピンとくると思うが、ランキング外の作品は本当に玉石混交である。5ちゃんねるにいるスコッパーの中には、ランキングは質のフィルタとしても一定機能していて、投稿された作品群は正しく上澄みであるなどと言う人も居る。
もちろん私はその説には否定的で、なんならスコップが下手なだけと思っているのだが、そういう説を唱える人が出るぐらいにランキング外の「玉」の数が少ないのもまた事実だと感じる。
従って、そんな手間なことを進んでする人間が、ランキング方式の見直しで急に増える理由はどこにも見当たらない。ゆえに評価される作品の母数は、どの方式でも一定であると言える。
また、そこは諦めたとしても、次はごく少数しか評価していない作品の扱いをどう判断するかという話もある。例えばプロ野球の打率ランキングは平均点方式だが規定打席に達していないと参考記録扱いになるし、同じく平均点方式の食べログは評価者数が少ない間はどんなに高く評価されても評価点は3をわずかに上回る程度に調整される。
それを鑑みれば、平均点方式では評価者について一定の母数を形成できない作品はランキング外のままになるということが想像できるだろう。足切りしなければ良いと短絡的に思う人も居るだろうが、そうすると50人中満点が8割4が2割の作品が、1人だけ満点を入れている作品の後塵を喫するなどということが頻繁に起きる。
それもやむなしと言えばそれまでだが、そんなランキングを見たい人間がどれほどいるのか?甚だ疑問である。
また、減点方式の場合は平均点方式よりその点についてはマシであるものの、何百人に評価されているが賛否が真っ二つに分かれる作品は、プラス評価が数人程度の作品に敗れる可能性があるわけで、やはり程度の差こそあれ同様の問題からは逃れられない。
以上ここまでの話をまとめると、
・読者は適切に作品を評価しようと思っていない
・仮に評価するにしても個々人で基準が違うから公正な評価は期待できない
・埋もれた作品は評価者の母数が少ないため、他の採点方式では参考記録扱いになる可能性が高い
ということである。
よって、ランキングシステムの改変で埋もれた良作は救えない。それは幻想である。というのがランキング批判に対する私なりの回答である。
それでも何らかの現実的な改善を考えるなら、ランキングは今のままスッパリと諦めて、ある程度読む傾向が似た読者をグルーピングして、その中で人気の作品を推薦するぐらいだろう。
レコメンドシステムというと、世の中ではAmazonやNetflixが有名だが、考えてみるとそれらの企業でランキングの話なんてあまり聞かない。精々全世界で配信して数カ国でベスト10入りしました!みたいなキャッチコピーとしてメディアの紹介に利用されているなぁぐらいの感覚である。実際Netflixのレコメンドシステムについて整理したnoteの記事では、Netflixの視聴者の8割はレコメンド、2割は検索からの流入であると説明されている。
ただ私としてはレコメンドシステムの導入にも実はあまり期待していない。だって、ちゃんとしたやつってめっちゃ作るのが難しいから。常勤35名(2021年3月時点)で月間20億のPVを叩き出しているサイトを運用しているってだけでも十分大変そうに思えるのでなおさらだ。確かNetflixは、今のレコメンドシステムを手に入れるために懸賞金100万ドルのアルゴリズムコンテストを何度か開催しているほどである。
もしかしたら、なろうの場合、APIで作品データにはアクセスできるので、貧弱なユーザーAPIの中身をもう少し詳細なものにさえしてくれたら、有志がそこそこ有用なレコメンドシステムを作る可能性はある。
とは言え所詮そんな他力本願なんて、いつ実現するか分からない話である。
その間にも毎日300-400とかのペースで新作が投稿されるわけだから、愚にもつかないランキング批判をしている暇があったら(それが本当に価値のある行為だと信じている方が居たらごめんね)、まずランキング外から良作のひとつでも探そうぜって言いたい。
ごちゃごちゃ言ってないで、スコッパーになろう。
なろう本体でのスコップが辛いなら、『なろうファンDB』という私が運営するサービスを使ってみてほしい。無責任にスコップしろなんて言わない。そのための道具を用意したからこその主張なのである。ぜひ前向きに検討していただければ幸いだ。
またスコッパーになろうと言われても何をすれば良いのか全然わからんって人には、スコッパーとしての考えや活動をまとめた私のエッセイをお勧めする。先ほどのサイトと併せて、画面下の方にリンクを貼っておくから是非のぞいてほしい。