第5-18話 グレイトエビル・カムトゥ・タウン
翌日、リュティエルはいつものようにラケルの体力回復に付き合っていた(アベルは自分の鍛錬に出ている)。しかし、今日は少々趣が違う。
「ねえ、街中を歩き回るだけじゃつまらないし、ちょっと別の場所にもいってみない?」
「えぇー、森に出るのは危ないよ?」
「大丈夫。ちゃんと整備されてて魔獣なんかも寄り付かないところだから」
「うーん。それだったら大丈夫かなぁ?」
「だったら決まり!」
リュティエルの提案に乗ることにしたラケル。彼女の了承を得たリュティエルはラケルの手を引きながら歩き始めた。しばらく歩いて町の外れにやってきた二人は、木製の柵の前に立つ。
「ここは?」
「この先にお風呂のお湯に使ってる水の源泉があるの」
ラケルの問いに応えるリュティエル。ラケルは周りの状況を見てさらに言葉を続ける。
「柵があるってことは入っちゃいけないんじゃ?」
「滅多に人が来ることなんてないから大丈夫。それに水を持って行かなければ大して怒られないから」
ラケルの問いに答えたリュティエルはそのまま、ずかずかと柵を乗り越えて進んでいってしまう。ラケルは本当の怒られないだろうかなどの不安を未だ覚えていたが、それでも彼女をこのまま一人で行かせるわけにもいかず、彼女の後を追って柵を乗り越えるのだった。
自己鍛錬を終えて、外の森から町に戻ってきたアベル。汗を拭いながら大通りを歩く彼はこの後、何をするかを考えていた。
(まず風呂入るか。そのあとは……、まあ適当に時間潰せばいいだろ)
最近、鍛錬後の風呂の味を覚えてしまったアベルは毎日のように風呂に入り続けていた。その後の酒の味もまあうまい。あれを想像するだけで軽く頬が緩むほどだった。
風呂に入るため、大浴場へ向かう道に進路を変更しようとするアベル。しかし、彼の直感がその決断を妨げる。
「おいヴィザ! 今の!」
『ああ、この街に入ってきた。それもお前と同じ神装使いだ』
「行くぞ! 気配を辿れるか!」
『ああ、気配は薄いが隠しきれていない。いや、この程度だったら隠す必要がないのか』
「んなことどうでもいい! ともかく行くぞ!」
ライーユの町にわざわざ正規の方法でなく、気配を殺して入ってきた。その時点で何かが起ころうとしているのは明白。
だが、それ以上に行かなければならない理由があった。神装使いの向かう先、うっすらとラケルたちの気配があるのが感じられた。このまま彼女たちと接触してしまえば、危害を加えられる可能性だってゼロではない。彼女たちを助けるためにも彼は向かわなければならなかった。
ヴィザの指示に従って走り始めたアベル。彼が大通りを離れたその直後、上空から何かが大通りに隕石のように落ちてきた。
「な、なんだ!? 何が起こった!?」
「誰か衛兵を呼んで来い!」
舞い上がった砂煙が徐々に晴れていくと、その向こう側から熊型の魔獣が姿を現した。しかし、その魔獣は普通じゃない。空から降ってきてピンピンしているだけでなく、纏っている気配がまるでそこらにいる魔獣とは違っていた。
目を真紅に光らせた魔獣は周囲に群がる人間たちを睨みつける。子でも殺されたのか、と言いたくなるほどの殺気を漲らせている。直後、大通りが混乱に包まれる。突如として街中に現れた魔獣。結界に守られているライーユの町の住人はそういったトラブルに慣れていない。
一気にパニックに陥り、押し合い圧し合いしながら逃げ惑う人々に魔獣は襲い掛かっていく。人々に襲い掛かっていく魔獣。しばらく血の狂乱が続いた後、ロバート含めた衛兵たちが大通りに向かってやってくる。
「いたぞ! 囲んで叩け! これ以上の犠牲を出すな!!!」
衛兵の一人が声を上げそれに従い、衛兵たちは魔獣を囲み、各々の武器を向ける。しかし、彼らの手は震えている。この町の衛兵というのは最前線から離脱した半隠居状態の者しかいないからである。そんな彼らにこの異質な魔獣の相手は重すぎる。
それでも彼らは立ち向かう。町を守るため、守りたいものを守るため、それが彼らの使命であり、叶えたい願いであるから。
「なんか変な音しなかった?」
「そう? 私は別に……」
町の異変にまだ気づいていないラケルとリュティエルの二人。彼女たちは泉まであと少しのところまでやってきていた。
「ふう……」
体力を回復しきっていないラケルには少々重い道だったため、彼女は小さく息をつく。だが、体力を回復させるために来ているのだから、多少重くても仕方がないと割り切り、ラケルは道を進む。
「着いた!」
リュティエルが声を上げるとラケルの目に澄んでそこが見えるほどの透明度を誇る水が入った泉が姿を現す。言葉にできない厳かさを感じ取らされたラケルは、息を呑んだ。
「……すごい」
しばらくして復活したラケルの第一声は感嘆であった。彼女の声に応えるようにリュティエルも声を上げる。
「ね、すごい綺麗だよね」
「それもそうなんだけど……。何ていうか、このあたりだけ異様に静かだな……」
「そういえばそうだね。鳥の鳴き声なんかも聞こえないし」
泉の周囲に意識を張り巡らせる二人。確かに泉の周りだけ妙に静かすぎる。まるでそのあたり一帯だけ命というものがないかのように――。
その時だった。思考を巡らせていた二人の視界の端でゆっくりと一人の男が宙から舞い降りてくる。何の音もたてずに泉のそばに降りたったその男は、彼女たちに一瞥くれると彼女たちの会話に割って入るかのように声を上げた。
「ああ、その通りだ。まるでこのあたり一帯だけすべてが滅んだあとの世界のようだ。この泉は一体どこから沸いているんだか」
気配もなく泉のそばに現れた男、もといラスターに二人はギョッとした表情を浮かべ、警戒心を露わにする。一斉に男たちから距離を取り、睨みつけるような視線で行動を観察する。
しかし、男は彼女たちに一ミリの警戒心も持っていないかのように振舞うと懐から取り出した一本の管のようなものを泉につけ、それに魔力を流した。すると泉の水が少しずつ管に取り込まれていく。明らかに体積を無視した量の水が管に飲み込まれていき、泉の水がみるみるうちに減っていく。
「ちょ、ちょっと! あんた泉になにしてんのよ!」
突然のラスターの行動に声を荒げるリュティエル。だが、ラスターはそんな彼女の声など意にも介さず水を吸い上げ続ける。
「話を聞け!」
そんな様子のラスターにとうとう堪忍袋の緒が切れたリュティエルは詠唱を行うと魔技を行使し、火球をラスターに打ち出した。完全に不意を突いた一撃。確実に命中するとリュティエルは確信していた。
しかし、彼女の撃ち出した火球は、それでもなお一瞥すらくれなかったラスターに当たる直前に霧散し、当たるどころか掠りすらしなかった。完全に不意打ちだった一撃で傷をつけることすらできなかったことでリュティエルは目を見開いた。
攻撃をされて初めて二人に視線を向けたラスター。視線だけで人を殺せるのではないだろうかという冷たい目を向けられた二人は、それで格の違いというものを思い知らされラケルがガクガクと震え出し、リュティエルが怯えたような視線を向けた。
「ようやく格の違いというものが分かったか。ここまでやって初めて分かるとは鈍いやつらだ。だが気にすることない。もうすぐ俺と同等の存在がやってくる」
ラスターが鼻で笑いながら言葉を紡ぎながら、リュティエルたちに視線を向けた。二人をじっくりと観察するように見つめるラスター。すると彼はリュティエルを見て何か心当たりがある様な表情を浮かべた。
「そこの生意気な小娘……。貴様、破神装の依り代か? こんなところで妙なお宝に出会うものだな」
神装使いとして、リュティエルが漂わせる、微かではあるが自分と真逆の性質を放つ気配で彼女の正体に気づいたラスター。彼は思わぬ掘り出し物を拾い上げたことでニヤリと笑みを浮かべた。
だがしかし、リュティエルは今もなおただならぬ気配を放ち続けるラスターに負けることなく、言葉を返した。
「何? 私のことを破神装にでもするわけ? でも残念だったわね。もう私はあんなのことなんてどうでもいいの!」
リュティエルの言葉でラスターは初めて小さく眉を顰める。
「破神装って依り代になった人間が神に対して恨みを持ってないといけないんでしょ。だったらお生憎様。私が神に恨みを持つことなんてないし、むしろ感謝もしてる。何よりあんたらのいいなりになんかならないから!」
高々と宣言したリュティエルの言葉を聞いて、眉間に皺を寄せたラスター。今まで一切の感情を表に出さなかったラスターがやっと感情を表に出したのだった。
その直後鬼の形相でアベルが姿を現した。突然姿を現したアベルに視線を向ける二人。
ラスターと対面している二人を見てアベルが大声を上げる。
「二人とも離れろ! そいつは神装使いだ!」
アベルの言葉を聞き、二人は思わず再びラスターに視線を向ける。するとラスターは今まで隠していた自分の得物をローブの中から出現させ、見せつけるように石突を叩きつけた。そしてかぶっていたフードを脱ぎ捨てた。
「如何にも。俺こそが智神杖グリダングルスの使い手、ラスター・マグドミレア。これから世界の頂点に立つ者の名前だ」
ローブの奥から姿を現した男の姿が思った以上に小さかったことで一瞬戸惑いを覚えた三人であったが、彼の発する気配が彼が強者であることをありありと示している。侮ることなどできやしない。
言葉を紡ぎ終わったラスターはアベルに対して視線を向ける。その視線を受けて咄嗟にアベルは剣を引き抜き、声を上げる。
「何が目的だ!」
「俺はこの泉の水が欲しいだけだ。貴様らなんぞどうでもいい」
アベルに向き直りながら、言葉を紡ぐラスター。彼の言葉を聞いて一瞬二人を引き連れて逃げようかと考えたアベル。しかし、そんな彼の考えは次のラスターの言葉で一蹴される。
「ただ……、俺の計画に敵対する神装使いは邪魔でしかない。目の前に神装使いがいるのにそれを始末しない理由はないなぁ」
ラスターが杖を持ち上げるとその先端をアベルに向ける。次の瞬間、彼の背後に百を超える巨大な火球が出現する。それに備えてアベルは鞘の能力を起動、障壁を展開し、防御に備えた。守り切れるかはわからないがないよりはましだろう。
火球が打ち出される。それを本能で直感したアベルは、防御行動を取ろうとした。が、その瞬間ラスターがチラリと視線をアベルから逸らした。
――まずい!――
ラスターが逸らした視線の先にはラケルとリュティエルの二人がいる。ラスターの覇気に圧されて動けない彼女たちはこのままでは巻き込まれる。というかラスターは巻き込む気満々で彼女たちのほうを見たと考えるほうが自然である。
咄嗟に自分の前に張った障壁を、二人の前に移そうとするアベル。しかし、そんな彼の脳内に声が響き渡る。
『その程度の魔力量で本当にあの攻撃からあの女どもを守り切れるとでも思っているのか?』
(あ? 何が言いたい手短に言え!)
『俺の魔力を少しだけくれてやる。それを全部障壁に注ぎ込め』
アベルだけでラスターの攻撃を防ぐのは不可能。そう判断したヴィザはここにきて初めて自分の力をアベルに使うことを決断した。次の瞬間、アベルの肉体に湧き上がる魔力。自分の魔力量の三倍はあろうかという膨大な魔力量にアベルは確実な手ごたえを感じた。これならば。
アベルは渡されたすべての魔力を障壁に流し込みラケルたちの前に展開。自分は剣を盾代わりにしながら回避行動をとる。これがアベルに今できる最良の選択であった。
アベルが防御態勢をとった次の瞬間、ラスターの背後に漂う火球がついに打ち出された。襲い掛かった火球は風を切り、飛翔する速度でさらに熱量を増しながらアベルたちに向かって襲い掛かる。
そして地面に着弾した瞬間、耳をつんざくほどの轟音を立てながら爆発し、周囲を焼き焦がす熱風を撒き散らした。
「……ゲホッ、クソッ。マジかよ……」
火球を回避しつつ、爆風に身を任せることで最小限のダメ―ジに抑えたアベルはせき込みながら立ち上がる。だが、爆風に身を任せたことで泉からかなり吹き飛ばされてしまった。泉のそばに残してしまったであろう二人のことが心配なアベルは立ち上がると痛む体に鞭打ちながら泉に向かって駆け出す。何やら町の方でも混乱が起こっているようだが、その時のアベルは全く気付いていなかった。
「こんなに差があるのか……」
走るのと同時にアベルはラスターのことを考える。今のアベルでは天地がひっくり返っても彼に勝つことはできない。ヴィザから受け取った魔力を攻撃にすべて回しても彼の防御を上回ることは出来ない。先ほどの一撃が指を振るかのごとき、軽い一撃であることは本能で分からされていた。
もはやアベルに残された手段は二人を伴って逃げるしかない。泉の水がなくなるのは問題があるかもしれないが命には代えられない。
森の中を駆け、泉に戻ってきたアベル。
「……え?」
次の瞬間、アベルの思考が停止した。しかし、彼の目に映ったのは想像を絶する衝撃的な光景であった。爆心地となった泉。そのそばに無傷で立つラスターのことなど彼の目には映っていても思考には入っていない。
問題なのは炎に焼かれ全身黒焦げになってしまっているラケルとリュティエルの二人であった。会見は人の形を保っているが半分以上が黒焦げになってしまっており、残った半分も火傷で皮膚がケロイド上になってしまっている。中でもラケルは傷がひどく爆風に巻き込まれた木の破片で右腕がもがれてしまっていた。
「……ああ、ずいぶんと遅かったな。かなり攻撃を防がれてしまったが所詮は障壁。そう長持ちするものじゃない。こうなるのは当然の事だ。自分を責めずともいい」
戻ってきたアベルに対して、まるで他人事のように慰めの言葉をかけるラスター。だが、アベルにその声は届いていない。
自分の力不足でラケルたちに耐えがたい苦痛を与えてしまったことに悔いるアベル。ラケルたちの身体だったものを前に彼は立ち竦むことしかできなかった。
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